84.最高のキッカー佐倉の雄叫び
◇◇◇◇◇
空飛ぶカァちゃんが目を覚ました翌日の朝。
朝の回診時、市谷は医師に文字盤を指してこんなことを伝えてきた。
ーー(薬がすごく効いた。脚の方は結構動かせそうな気がする。肩はやっぱり痛い)
隣のベッドの権藤は文字入力タブレットにこう書き入れた。
ーー(身体中に薬効成分が行き渡ったというか、そんな感じがします。漢方か何かですか?)
医師は「え?漢方?いいえ、何も変えていませんよ。よく眠れたからじゃないですかね。こうなった時一番大事なのは休息ですから」と言い首を傾げた。
これを聞いて佐倉はニヤリと笑った。
『光り輝くテグスの主』と一緒にやった身体中を駆け抜けて進むリフレッシュ、というもの。
これがてきめんに効いたに違いない。
ーー(三人が眠った時に今度は自分だけでやってみよう)
佐倉はこう思い、隠している自分の羽を震わせた。
空飛ぶカァちゃんのほうはというと、回診の時はまだ少し寝ぼけた様子だったがそれでも意識ははっきりしており顔色もかなり良かった。
回診後の医師の表情に数日前のような険しさはもう見られなかった。
あとはきっと少しずつ回復していくだろう、そう信じるしかない。
リハビリもきついとは思うが、これについてはなんといっても佐倉の知らない世界のリフレッシュ法というものもある。
密かにこれをリハビリと同時進行していこうと佐倉は考えていた。
英介の予知によると黒田が安心したと言って笑っていたというし、きっと良くなる――佐倉は自分でも本当にそうなっていくような気がしていた。
今日は英介たちが見舞いにやってくる。
昨夜、電話で空飛ぶカァちゃんがやっと目を覚まし意識もはっきりしていると伝えた時の電話の向こうの騒ぎといったら!
佐倉の母はもう夜だと言うのに『おやつと果物ジュースで乾杯!』と言って騒いでいるし、父親の『ほら、だからいっただろう?大丈夫な気がするって』と、ここの担当看護師のようなことを言ってなぜか得意気に笑っている。
当の英介や静はホッとしたのか力が抜けたのか、ほんとによかった、と言うのみだった。
二人は『ありがとう佐倉さん、今日はほんとにちゃんと眠ってよね』と言ってくれたのいうに、佐倉の家では大人と子供が入れ替わっているようだ。
彼らが病院に来るのは午後。
夏休み中の慶次や咲太郎まで来るというので、佐倉は病人が休むのを見届けた後で『今日の昼間はリフレッシュ法は無理か』などと思いながら、目覚めた三人にどのように今の状況を説明しようかと考えながら、自分も軽く休みつつゆったりと過ごした。
彼らがやって来る少し前、市谷の家族が面会に来た。
市谷ほどではないが体の大きな父親と、驚くほど華奢な母親が市谷の枕元に立ち、横たわる息子の手を握り「本当によかった」と言って涙を流した。
佐倉に向ってお世話になって申し訳ないと頭を下げる彼らに対して、佐倉は自分の甘えが市谷さんをこんな目に合わせてしまったと言って深く頭を下げたのだが、市谷の両親は「とんでもない!」と言って佐倉の手を取り、テレビだけでなく尾崎の配信や多くの記事を読んだとのことで「本当に大変でしたね」とまで言ってくれた。
市谷の両親は地元でわりと大きな電気店を経営しており、この時期はエアコン取付の繁忙期でなかなか来れなかったらしく、そんな時に麹町からの定期連絡で佐倉が付きっきりで患者の三人を守っているから安心するようにという連絡を受けていたらしかった。
今日は長男だけで回せるスケジュールだったため無理して見舞いに来たとのことだった。
もう少ししたら市谷は目を覚ますはずだと言ったのだが、また来ますからと言って帰ろうとしたため、佐倉は廊下に出て市谷へのメッセージを自分のスマホで録画させてほしいと言った。
市谷の両親は最初は申し訳ないからと断っていたのだが、何度か佐倉がすすめると恥ずかしそうにしながらも結局は市谷へのメッセージを録らせてくれた。
ーー遠山さんと権藤さんを助けようとしてこうなったと聞いた。
ーー心配でたまらなかったがすごく誇らしくて嬉しい。
ーー絶対に回復すると信じていた。
ーーたまにはゆっくり休め。
ーー自慢の息子だ。
ーーまた来る。
これを録りながら佐倉はやはり涙ぐんでしまい、通りかかった部屋付きの看護師にまたからかわれた。
市谷の両親に自分の電話番号を伝え、一階で彼らを見送った佐倉は、自覚していたわけではないが、なんとなく肩にのしかかっていた重しを、一つ、また一つと自然に外せていっているような気がしていた。
さて、午後二時。
まず英介が部屋に飛び込んできた。
もうそろそろ、という時間でもあったので佐倉は別に静かにしろとも言わなかった。
英介は「かあちゃん!」と言ってベッドに駆け寄った。
その声は確かに大きかった。
だからきっと起こされてしまったのだろう、空飛ぶカァちゃんは眉間にしわを寄せ、佐倉にだけ聞こえる声を出した。
―――(あれ、佐倉さん?今、何時になりましたか?)
佐倉はつい、この問いかけに応えてしまった。
「ああ、午後二時過ぎですよ、遠山さん」
「え?佐倉さん、かあちゃん何か言ったの?」
佐倉は飛び上がりそうになった。
ついうっかり答えてしまった佐倉は「ああ、人工呼吸器のエラー音か、声をかけられたと思ったよ」などと言ってごまかした。
英介は別に気にもしていなかったのだが、佐倉は何度も言い訳がましく「いやあ、声が漏れたみたいに聞こえることがあって、」と言って不自然に笑ってしまった。
英介は佐倉の言い訳には全く興味はないらしい。
「佐倉さん、かあちゃん朝は元気そうだったんだよね?もう大丈夫なんだよね?」
佐倉がちょっと待ってて、と言って看護師を呼ぶとほどなくして文字入力タブレットを持ってやってきた。
枕元に立つ英介に空飛ぶカァちゃんは微笑みかけ『もう大丈夫だよ』と書き入れた。
静も入って来て、空飛ぶカァちゃんの側に来ると「ママ本当に良かった!」と言って手をぎゅっと握った。
佐倉の両親と一緒に入って来た栄太郎は、権藤のベッドに行く前に空飛ぶカァちゃんの側にやって来てぺこりと頭を下げ「こんにちは、権藤栄太郎です」と言った。
佐倉の頭には空飛ぶカァちゃんが「なんてしっかりしているのかしら!英介と同い年くらいかな?えらい違いだわね」と言っているのが聞こえたが、笑うだけにしておいた。
空飛ぶカァちゃんは栄太郎に微笑みかけ、タブレットに「お父さんと市谷さんのおかげで助かりました。本当にありがとうございます」と書き入れた。
栄太郎は嬉しそうにもう一度ぺこりと頭を下げると、権藤のベッドを覗きに行った。
さて、やって来たのは咲太郎と慶次。
咲太郎は普通の格好だったが、変装が気に入った慶次は先日と同じように老婆の扮装でやって来た。
今日もまた、上品な太り気味の老婆に仕上がっていた。
見舞いをする老婆、というシチュエーションで、今日の咲太郎の特殊メイクもなかなか冴えていた。
空飛ぶカァちゃんの老婆への反応が見たくて栄太郎もこちらのベッドに戻って来た。
「はじめまして遠山さん、烈の祖母です。孫がお世話になっております」
空飛ぶカァちゃんはわざわざ佐倉の祖母まで見舞いに来てくれたのだと思い、タブレットに必死に入力しながら佐倉にも語りかけた。
―――(佐倉さん!お祖母さんまで来て下さるなんて、もう本当にすみません。わざわざ申し訳ないとお伝えしていただけますか?今、これに書き入れているのですが、私ノロノロしてしまって。
―――(あ、でも伝えるのは変ですよね、そうでした。
―――(つい焦っちゃって私ったら!いいです、何もおっしゃらなくても!
佐倉は苦笑いするしかなかったが、慶次は調子に乗って続けた。
「遠山さんが心配で心配で、孫はもう夜も眠れなくって!一晩中泣いてたんですのよ、目が腫れあがってしまったんですの。どうかお元気になったら一度でいいのでデートしてあげてくださいな、この烈と。おほほっ」
佐倉が「慶次!馬鹿言うな!」と言って大声を出すと、空飛ぶカァちゃんは驚いたが、また頭の中に伝えてきた。
―――(あっ、もしかして、アラビア語ですか?私はわからないんですが、
―――(ケイジャ?ケイザ?もしかして目上の人に使う言葉ですか?
―――(うろ覚えですが、昔なんかそんなことを聞いたかも?
「違いますよ遠山さん、この人はちょっと頭がおかしいところがありまして、」
「遠山さん、孫はもう毎日あなたのことばかり話してくるんですの。私に毎晩電話で泣くんですの。ですから麹町さんからは泣き虫秘書って言われているんですのよ。ねえ、早くお元気になってくださいな、この烈と一度お食事に、」
次に咲太郎が慶次婆の口をふさぎ、押しのけて挨拶をしてきた。
「遠山さん、よくなられて何よりです。俺のこと覚えてますか?ソファーを運んだ男です。あれは気に入ってくださいましたか?」
佐倉と一緒にソファーを運んでくれた咲太郎のことはよく覚えていた。
空飛ぶカァちゃんはすぐに「あの時はありがとうございました。本当に素敵なソファで、大切に使わせていただいております。今日もわざわざすみません、本当にありがとうございます」
咲太郎は慶次に続いてここぞとばかりに佐倉をからかった。
「それはよかったです。ところで、烈はちょっとアレでしょう?こいつは女性の扱いに慣れてないんですよ。だからね、ちょっとやりすぎるところがあって、しつこかったり必死だったりとか、鬱陶しいですよねちょっとばかり」
「おい!お前らいい加減に、」
佐倉が珍しく大声を出したところで、とんでもない二人が入って来た。
「おいスカッと!お前は何を騒いでいるんじゃ!病室で大声を出しおって!」
麹町もまた大声を出したのだが本人は気づいてないらしい。
麹町の登場に、咲太郎と慶次はひっくり返りそうになった。
咲太郎はともかく、慶次はさすがに身を隠したくなった。
さりげなく咲太郎の後ろに移動して、しずしずとした老婆を演じ切る決心をしたようだった。
麹町の登場で佐倉はきまずそうに挨拶をしたが、佐倉の母がさっとにこやかに進み出て丁寧にお辞儀をすると、麹町はいきなりごきげんになった。
「ああ、お母さん!その節はどうも!このたびは子供たちが世話になって本当にありがたい。今日は見舞いに?ああ、お父さんですかね?麹町ですわ、いつも本当に世話になって」
佐倉の父もまた微笑みながら重鎮麹町に深々と頭を下げ丁寧に挨拶をした。
麹町のほうも子供たちを匿ってくれたことや、防護用ユニフォームの寄付のことについて、何度も礼を言って朗らかに握手を交わした。
さて、麹町に続いて入って来たのは麹町の最側近、飯田という男だった。
佐倉は、この飯田という男に会うのは初めてだった。
そして佐倉は、その男を見た時『ひっ、』と短く息を吸い込んだ。
透明な書棚の前で、あまりにも多くの人間の生き死にを、人生を、外側から眺め続けてきた佐倉は、その飯田という男の魂の色をよく知っていた。
敵ではない。嫌いな人間でももちろんなかった。
その男は、双子の妹の魂が生きる世界で、その妹の父親となっていた男だった。
その本の中には権藤と麹町もおり、その中で一番最初に死んでしまったのがこの飯田という男の魂と同じ色を持つ人間だった。
佐倉を見つめてにっこりと微笑む飯田を見て、佐倉は息を呑んだ。
「こんにちは佐倉君、悪いんだが――君にはうちの私設秘書になってもらうことにしたよ。先生の許可も取ってある。私が先生を無理やり説得したんだ、すまないね」
飯田がこう言うと、麹町が気まずそうに横槍を入れてきた。
「わしは言った。スカッとはお父さんの事業に入るんだと――が、のう。こいつがあと少しだけわしの所で仕事をさせたいと言うんじゃ。つまり、いいかスカッとよ。わしはどうも総裁となりそうじゃよ。で、まあそうなると。それからの、空飛ぶレディーはひとまずわし預かりとなる。だからお前も来い。レディのことが何とかなるまでお前も来るしかないだろうが!」
―――(なにが!なにがまあそうなると、だ!)
佐倉はかなり大声で叫んだ。
空飛ぶカァちゃんにだけそれが聞こえた。
お読みくださりありがとうございます。
病室話が続きますが、ちょっとしたざまあもはさみながら進みます。




