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81.佐倉が見たもの(2)

 地獄のような悲鳴が轟き渡った。


 空飛ぶカァちゃんは二人の男の手を振り切り、女性の身体に縋りついた。

 無残に殺されたその女性を抱きしめたまま空飛ぶカァちゃんはそのまま動かなくなった。

 男たちが空飛ぶカァちゃんの腕をその女性から無理やりに引き剝がそうとしても、空飛ぶカァちゃんはその女性から絶対に離れなかった。


 「死体から離れてください。お召し物が汚れます」

 さっき空飛ぶカァちゃんが前に進めなくなるように抑え込んだ男の一人が無機質な声でこう言った。


 空飛ぶカァちゃんにはきっと何も聞こえていない。

 それはそうだろう。きっとこの女性は空飛ぶカァちゃんが心から愛する大切な人だったのだろうから。

 細く、弱弱しく、儚げな姿が横たわる。

 あれほど楽しそうに空を飛んでいた女性が冷たくなっていく。

 空飛ぶカァちゃんはずっと抱きしめながら、その体温の変化をその指で、腕で、受け止めていたに違いないのだ。

 大切な人の温かさを忘れないように、自分自身にその体温を刻み込むように。

 

 もう一人の男が仕方なしに言う。

 「御二人ご一緒に、ご一緒に御車に―――早くしろ」


 命令を受けた兵士のような男が二人一緒に抱え上げた。

 遠くで気味の悪い声が上がった。

 まるで、汚らわしいものを見た時に出す溜息と怒声が合わさったような声が。


 空飛ぶカァちゃんは銀色の車に乗せられた。

 豪華な車だった。

 冷たくなった女性の死体を抱きながら、空飛ぶカァちゃんもまた死んだようにピクリとも動かなかった。


 しばらく走ると、ゆっくりとエレベーターが停止する時の余韻程度の、あるいは低反発のマットレスが沈み込む時のような、体に優しい揺り戻しのみでその車は音もたてずに止まった。

 車のドアが開けられると、女性の、冷たい声が聞こえてきた。


 「汚らわしい。早く引き離しなさい!こんな罪人、あなたの姉妹であっても中に入れることは出来ませんよ。早く、早く引きずり出しなさい」


 なんてことを言うのだろう。

 空飛ぶカァちゃんの姉妹が殺されたというのなら、他にかける言葉があるだろうに。

 これほどまでに打ちひしがれ、まるで死んでいるかのように虚ろな状態の空飛ぶカァちゃんに優しさのひとかけらでも、哀れみの一言でもいい、何か、言葉をかけてやれないのだろうか。

 絶望した人間に彼らは容赦がなかった。

 屈強な兵士が空飛ぶカァちゃんを死体から引き剥がす。

 空飛ぶカァちゃんの手が伸ばされても、震えても、その兵士は気にもしない。


 冷酷な女性が「早く侍女に身体を清めさせなさい。汚らわしい」と言い、兵士に顎を上げ指示を出した。


 そして、この女性は面倒くさそうに、哀れみなのか、軽蔑なのか、どんな思いで発した言葉かはわからないが冷たい表情のままこんなことを言った。

 「仲の良い姉妹ということでしたから哀れだとは思いますよ。確かに、悪いのはあなたの姉だけではありません。しかし、王になる者なのです。王は裁かれることはありません。あなたも――子供を産めば元通りに飛べるようになるのですよ。式の後は、期待していますよ。早く世継ぎを、そうなさい」


 まさか、この言葉で情けを示したとでも思っているのだろうか?

 この女性の立場にふさわしい気高い振る舞いを、気遣いを、この弱き者へ与えたとでも思っているのか?

 その高貴なる女性は、なぜか得意気に胸を反り返らせ顎を上げて見せた。


 何も答えない空飛ぶカァちゃんを軽蔑したように「呆れたこと」と言い、その女性は立ち去った。

 足音が響く。コツコツ、という音を鳴らして去って行く冷酷な女。


 きっとそうなのだろう。ここはきっと能力者の世界だ。

 佐倉があまり観察する気になれなかったというサイキックの世界。

 とても冷静で合理的な世界――感情とか、思いとか、そういったものが抜け落ちている。


 佐倉は透明な書棚の前であらゆる世界本を見た。

 サイキックの世界本を見て感じたこと―――感情表現が乏しく合理的でつまらない。

 そして、その社会はある意味平等で、皆等しくそれなりの生活を送っている。

 役割というものが明確で厳格な義務があるが、それは決して苦痛を伴うようなものではない。


 これを理想の世の中という者もいるだろうが、佐倉には気味悪く感じたのだ。

 精神感応性が高い者たちが生きる世界では、その気になれば互いの思考が直接入ってくるわけだから、他者の精神への侵入を規制する法制度や思考自体を覗かれることに関するプライバシー保護等、今の世界では想像もつかないような法律や政治システムが構築された社会が出来上がっていたのだから。

 佐倉のような者には理解できない世界だ。


 感情というものが欠落した世界を好むものはいるだろうが、佐倉はそのような世界に興味を持てなかったし、その世界の一員になりたいなどとは思わなかった。

 ただ、知っておくためだけにサイキックの世界をある程度見ていただけだ。

 これがこの先の自分達が行きつく世界、社会であるならば、どんなものかを見たかった。その程度の認識だった。


 今、目の前にあるような『空を飛ぶ人々』を佐倉は透明な世界本では見ていない。

 空飛ぶカァちゃんが滑らかに空を飛ぶ姿が、佐倉にとって初めての『飛ぶ人』であった。

 透明な本で溢れたあの空間では、多少浮かんだり、申し訳程度に飛行――というか高くジャンプし安全に着地できる程度の能力者を目撃しただけだった。


 空飛ぶカァちゃんがいたこの世界は、必要な労働や作業は機械やAIが肩代わりをしてくれる世界なのか?

 それならば、ここの人々は何をして過ごすのだろう。

 人々は高速で空を飛び回り、何をしているのだろうか?

 

 その中で、なぜ空飛ぶカァちゃんは飛ぶことができないのだろうか?

 あの女は言っていた。


―――『あなたも子供を産めば元通りに飛べるようになる』

―――『式の後は期待していますよ。早く世継ぎを、そうなさい』


 なんていやらしい、気味の悪い言い草だろう。

 まるで子供を産むまでは飛行させないとでも言っているようではないか!

 そうだ、きっとそうなのだろう。

 式の後、空飛ぶカァちゃんが子供を産んだら、飛行能力を戻してやると言っているんだ。

 ならば殺された姉は?

 どうして殺されてしまったのだろう?

 悪いのは姉だけではないが、王たるものは裁かれない、と言っていた。


 つまり、空飛ぶカァちゃんが王となる者と既に婚約しているか、あるいはこれから婚約する立場にあったとする――しかし、空飛ぶカァちゃんの姉とその王がただならぬ間柄になってしまったということだろうか?

 それで、姉が見せしめに殺されたと?

 しかし――普通、その後で妹をそのまま妃にするだろうか?


 いや、サイキックの世界ならあり得るかもしれない。

 佐倉は自分が見たサイキックの世界を思い出した。

 たとえ父母が死のうが、姉弟が殺されようが、翌日にはけろりとしていた連中だ。

―――『悲しんでいても仕方ない。前に進んで行かなくちゃ』

―――『そうだよ。ポジティブに行こうよ』

―――『だよね、ありがとう』

 

 何がありがとうだ!

 気味が悪い、恐ろしい。

 よくそんな風に笑えるな?

 だから、遠山さんは生まれ変わる時にサイキックの世界を選ばなかったんじゃないのか?

 こっちの世界に逃げて来たんじゃないか? 

 

ーーーだってそうだろ?遠山さんにこんな場所は不釣り合いだ。

ーーー彼女にはもっと、温かさのある優しい世界が合っているんだ。

ーーー絶対に、そういう世界が彼女のいる場所として相応しいはずだ。

ーーーでもどうだ?今、私がいる世界は優しくて温かい場所と言えるのか?

ーーーあんな目にあって、こんなに傷ついてしまって!

ーーー私に何とか出来るなら!どんなことだってするのに!

ーーーこの情けない私が、何かをできるなら!



 佐倉が頭の中でこう言った時、空飛ぶカァちゃんの光り輝く太いテグスが力強く波打った。

 そして、佐倉の羽に突進してきた。

 

 その光輝くテグスは佐倉の羽に侵入し、身体の中まで触手のような何かを伸ばしてきた。

 触手なのか?チェダーのような触角なのか?

 とにかくそのテグスから、何かが佐倉の身体を駆け巡った。

 それこそ、駆け抜けるように!

 英介が言っていたのはこれか?


 佐倉は目をつぶり、その衝撃を受け入れた。

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 

 

    

 お読みくださりありがとうございます。

 ちょっと辛い話が続きますが、少しずつ良くなっていきます。

 

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