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76.破壊遺産の咆哮

 二つの会場に突如として現れたサイキッカーの話題でテレビやネットが盛り上がった日の翌日夕方のこと。

 田町駅から5分ほど歩いた場所にある小さな郵便局の向かいにある公園。

 古い木製のベンチに腰掛け、苦しそうに胸を押さえて顔を歪めた老婆が手提げのバッグを取り落とし、中身をぶちまけてしまった。

 すると、公園で遊んでいた子供の母親が駆け寄って来た。


 「おばあさん!大丈夫ですか?」

 

 心配そうに老婆に声をかけたその母親は、後から駈け寄って来た7~8歳くらいの息子と一緒に、その老婆がぶちまけてしまったバッグの中身を拾い上げ、パンパンと手で払い、丁寧にバッグに入れてやった。

 老婆は息苦しそうではあったが、彼らの親切に対して「本当にありがとうございます。しゃがむのが難しいので助かりました」と言って微笑んだ。

 そして、下に落とさずに済んだ、ベンチの座面に置いていた発送前の郵便物を手に取りこう言った。


 「助けていただいたばかりでこんなことをお願いするのは本当に厚かましいのですが、この郵便物を(あと)ででいいので、あそこの郵便局の前にあるポストに投函していただけませんか?ここは信号のある横断歩道が遠くて、さっきそこをちょっと渡ろうとしたのですが、急に胸が……苦しくなってしまいまして、」


 その若い母親は「ああ!大丈夫ですよ、私も切手を買いに行くので私がポストに入れますよ」と言ってくれた。

 母親の後ろで様子を伺っていた息子は、ついいさっきまでは、もう少し公園で遊びたいと駄々をこねていたのだが具合の悪そうな老婆を見て「僕がポストに入れてあげるよ」といい、母親の手を引っ張って郵便局に行こうと言い出した。


 老婆は「なんて優しい子だろう!私にもぼうやのような孫がいたらどんなに嬉しいかね」と言い、やけにがっちりした手で子供の頭をなでてやった。

 息子は嬉しそうに「早くポストに入れてあげようよ」と言い、母親を引っ張って郵便物を手に持った。

 母親のほうは落としたら大変だからと郵便物を取り上げようとしたが、息子の方は自分が持つと言って聞かなかった。

 老婆は「本当に優しい良い子だね。きっとぼうやなら落としたりしないだろうよ」と微笑みかけた。

 息子が嬉しそうに頷いたのを見た母親は息子を抱き上げ、郵便物を落とさないように気を付けながら、公園前の幅の狭い道路を小走りで渡って行った。

 

 赤いポストに郵便物を入れると、息子が大きく手を振って来た。

 老婆がそれに優しく手を振り返すと、その男の子は嬉しそうに大きな声で「おばあさん!気を付けて帰ってね!」と言い、会釈する母親と手を繋いで駅に向かって歩いて行った。


 老婆はニコニコしながらそれを見送り、その親子が左に曲がっていくところを見届けたところで、奥の駐車場から出てきた車が郵便局前の道路脇にすっと停まった。

 老婆は素早くその車に乗り込んだ。


―――「俺の手がマッチョすぎて死ぬかと思った」

 老婆はこう言って長くため息をついた。

 

 笑いをこらえた運転手の男が、目尻に浮かんだ涙とよだれを拭きながらこう答えた。

 「いやもうね、お前のその姿、どうしようもなくキモすぎなんだけど!でも実際いるんだよこういう婆さんって!だから言っただろ?婆さんやるなら俺の方がそれっぽくできるって」


 「いやだね、俺はずっと後方支援ばっかりじゃねえかよ。たまには主役をやりたいんだよ。しかし目のクマのところはさすがだな。ババアそのものじゃねえか!お前やっぱりメイクアップのほうを本業にしたらどうだ?絶対売れっ子になると思うぜ?」

 車のミラーを下に向け、老婆が自分の顔を見ながら感心したようにこう言った。


 「そんなことしたら母親が発狂するよ。せっかく助教になったのにって怒り狂う姿がもうね」


 「確かに――恐ろしいことになるだろうな。でも親父さんはメイクの方こそ喜びそうじゃねえか」


 「そうだね。あの人は、そういう人だから。文句も何も言わないだろうけど、あの母親には逆らえないだろうからさ」


 「だよな!まあこの格好がババア然とし過ぎて、権藤や遠山さんの息子も最初はわからねえだろうな。俺のたくましい腕は袖に隠しておかねえと」


 「確かにな。烈のばあちゃんってことにして挨拶しようぜ」


 さて、この老婆。

 実は佐倉の友人の山崎慶次という男である。

 そして運転手の方は、以前、異能覚醒に係る調査と称し『身体・精神保健調査員』として空飛ぶカァちゃんの元夫の実家を訪問していた和泉咲太郎だ。

 今、郵便局前のポストに可愛らしい子供が投函したものは『セキュリティ機能付きのUSBメモリ』である。厳重にプチプチで包み、更にクッション封筒に入れたものだ。

 彼らはこれを自分で投函しないで済むように公園で、安全に“ポスト投函してくれそうな人間”を探していた。

 そして、あの親子に目を付け一芝居打った。

 ここまでして何を?と思うだろうが、ここは万が一のため。

 中のUSBには破壊遺産とスポーツトレーナーの映像が入っているのである。

 パスワードは別便で速達を出しており、明日には尾崎に二つの郵便物が届けられるはずだ。

 ここまでする必要が?

 もちろんある。

 彼らは危険を冒したくなかった。自分のためでもあり、佐倉のためでもある。

 監視カメラのセットと取り外しが上手くいった後で、これを使う日を今か今かと心待ちにしていた彼らにとって、最後の最後で失敗するのだけは避けたいのだから。


 今ちょうど夏休み中の『老婆』と『身体・精神保健調査員』は佐倉の実家に向って車を走らせた。

 沢山のボードゲームやお菓子を持って、子供たちを励ましに向かったのである。


     ◇◇◇◇◇

 

 老婆と調査員の目論見は上手く行った。


 尾崎のオフィスビルの鍵付きのポストに投げ込まれたセキュリティ機能付きのUSBメモリと、郵便局員が直接オフィスに持ってきてくれた速達郵便。

 尾崎はオフィスのポストに『留守の時以外は速達は手渡し希望』とポストに貼ってあるため、配達員がドアまで持ってきてくれる。

 速達の中身を見た尾崎は飛び上がり、すぐに郵便受けに向った。

 ポストに『クッション封筒』を見つけると、はあっと息をついた。


 早速尾崎はUSBをパスワードで開き、映像を確認した。


―――「あのサイキッカーが言っていたのはこのことか!」


 尾崎はその映像を見て、あの日に末次先生たちから見せられたスマホの映像や音声を聴いた時と同じように怒りに震えた。



 そしてその日。

 尾崎が配信した動画の再生回数はものすごいことになった。タイトルは、

―――『悪魔のようなスポーツトレーナーと笑う議員』


 山本ミキと女性スポーツトレーナーが空飛ぶカァちゃんを痛めつける動画が配信された。

 内容は日付入りの動画。


 空飛ぶカァちゃんが以前、毎日通っていたトレーニング場所は議員会館内にあるトレーニングジムの端っこ。

 議員や職員の邪魔になるから申し訳ないと言って、山本ミキは衝立で囲った空飛ぶカァちゃんの『専用運動スペース』を設けた。

 そして、議員や職員が使わない時間帯に空飛ぶカァちゃんを鍛えるためだと言い、このスペースに呼びつけた。

 空飛ぶカァちゃんが好きな時間にこの施設を使えるわけではなく、人目につかない時間帯を選び、この衝立の裏で、空飛ぶカァちゃんを虐め抜いたのである。


 まず最初に驚かされたのはランニングマシンでもたつき、転倒して膝を押さえた空飛ぶカァちゃんの肩を乱暴に掴み、揺すりながらトレーナーが言った言葉である。


ーーー『お前は!このクズ女が!義務も果たさずに海で寝てたんだろ?』

ーーー『山本先生から聞いたからな?マンションの8階を覗き見してたんだって?』

ーーー『住民からものっすごく嫌われてたそうじゃないか』

ーーー『お前のその根性を叩き直すように言われてんだよ!』

ーーー『カスが!嫌われ者が!』

ーーー『いいか?言い訳も文句も言わせない。私は任されてんだよ』

ーーー『甘えた声で男を頼ろうってんだろ?そうはいかない』

ーーー『一日おきに5キロ走らせるが、今みたいに転がったらただじゃおかない』

ーーー『お前みたいな女は正しく導いて叩き直さなきゃダメなんだよ!』

ーーー『お前が秘書に泣きついたら、山本先生はあいつらをクビにするってよ』

ーーー『お前は自分さえよければ秘書がクビにされてもいいのか?』

ーーー『みっともない、あそこまで嫌われる女も珍しいよ』

ーーー『仕方なしに飛んだんだろ?』

ーーー『子供がサメに食われたらどうするつもりだったんだ』


 ここまでが最初の日付の分である。

 そして次。

 

 反復横跳びをさせられて、遅すぎると笑われた日のことだ。

 山本ミキがお腹を抱えて笑っている。

 そして「もう一度やれ」と言いスマホを取り出して、その様子を録画している映像が流れた。

 空飛ぶカァちゃんは目に涙を浮かべなら反復横跳びを続けた。


 すると山本ミキが言う。

ーーー『あんたには厳しく教育してくれる人がいなかったんだわね』

ーーー『そう考えるとみじめよね。あんた可哀そう』

ーーー『安心なさいな。これからは私達があんたの性根を叩き直すから』

 

 山本ミキのこの言葉に、悪魔のようなトレーナーがこう答えた。

ーーー『これからは私がちゃんと教育します』

ーーー『先生がご不在の時もちゃんと見守りますから』


ーーー『お願いするわ。黒田が雇ったトレーナーは甘すぎたのよ』

ーーー『この人、色目でも使ったのかしら』


ーーー『先生、そういう女は厳しくしつけないといけません』

ーーー『お前!今日はちゃんと時間内に5キロ走りなさいよ!』


 空飛ぶカァちゃんはこの後、やはり5キロのランニングをさせられた。

 途中ベルトから転がり落ちて足を捻ってしまった。

 すると、トレーナーは前と同じように肩を掴み「何をやってるんだ!」と怒鳴りつけ、みっともないだ、情けないだと大声を出した。

 震えだす空飛ぶカァちゃんに向って山本ミキが「ほら!見てよ、いつもこうなのよ」と言い、大声で「すぐに立ちなさい!」と怒鳴ると、よろよろと立ち上がった空飛ぶカァちゃんを、今度はトレーナーが思いっきり突き飛ばした。

 同時に大声で「転ぶな!」と怒鳴り、必死にこらえた空飛ぶカァちゃんを見て二人一緒にお腹を抱えて笑ったのだ。


 とうとう涙をこぼしてしまった空飛ぶカァちゃんに向って、山本ミキはこう言った。


ーーー『いつの時代も役立たずほど甘える』

ーーー『あんたには報酬も出してるのに、情けないったら』

ーーー『だいたいみっともないわよ』

ーーー『あんた!学生の頃なんてきっと、体育であんたと組むのだけは嫌だって言われてたんじゃない?こんなグズ!』

ーーー『見ているだけでイライラするわ』


 そしてお調子者なのか、おべっか使いなのかわからないがトレーナーもこう続ける。

ーーー『ずっと、ずうっとお前を教育してやるよ』

ーーー『あの軟弱な秘書なんて、先生がどうとでもできるんだからね?』

ーーー『お前をまっとうな人間にするまでこうしてやるよ』

ーーー『走れ!足を押さえてわざとらしい!今すぐ走れ!』


 空飛ぶカァちゃんが泣きながら立ち上がり、ランニングマシンに向った時に、佐倉がバタバタと足音を立てながら入って来た。

 「山本先生!こんなところにいらしたんですね、もうすぐ総理の会見が始まりますよ。今すぐ戻られた方がよろしいのでは?」


 びくりと跳ね上がった山本の姿が映像に映されていた。

 山本は佐倉に「今行きます」と言い、空飛ぶカァちゃんに「トレーナーにこれ以上迷惑をかけないように気を付けなさい。指定されたトレーニングを嫌がるなんてよくありませんよ。我が儘を言うのはもうやめなさい」と言ってから出て行った。


 佐倉は山本が立ち去ると、トレーナーに向って低い声を出した。

 「あなたは今日はもう結構です。私が遠山さんのトレーニングをしますから。時間までの報酬はお支払いしますからお帰り下さい」


ーーー『そ、そうですか。ではよろしくお願いします。ただ、』

ーーー『言いにくいのですが、この方はちょっと嘘をつくことがありますので』

ーーー『我が儘を言ってトレーニングを嫌がることがあります』

ーーー『厳しくすると嘘をつきますので。秘書の方はきっと信じられないと思いますが、この方は泣きながら嘘を言っ、』


 「わかりました。結構ですからお帰り下さい、今すぐに!守秘義務のある大切な打ち合わせがありますので。トレーニングしながら打ち合わせますので退出してくださいませんか?」


 佐倉がこう言うと、やっとトレーナーはしぶしぶ頷いた。

 なかなか出ていこうとしないトレーナーの背中を押し、佐倉は廊下まで着いて行った。

 何度も振り返りながらノロノロと歩くトレーナーの女を追い出して、やっと見えなくなったトレーナーを確認すると、佐倉はすぐに空飛ぶカァちゃんに駆け寄り、捻った脚と膝を確認し、スプレータイプの冷却剤をかけた後で買ってきた湿布の箱を手渡した。


 「このまま官舎まで私が送りますね。明日は熱があるからと言って私が休ませたことにしますので。絶対に出てきてはいけませんよ、いいですね?」と言い、空飛ぶカァちゃんに肩を貸しながら二人でトレーニング室を後にした。

 空飛ぶカァちゃんは涙が止まらず、佐倉もまた今にも泣き出しそうな目をしていたのだ。


 そして今度は別のアングルから撮った映像。これはかなり前の日付のものだ。

 怒鳴りつけるトレーナーと笑う山本ミキ。

 この二人は椅子に座っていた。

 腹筋をさせられている空飛ぶカァちゃんをスマホで映しながら、怒鳴りつけているのだ。

 途中で身を起こせなくなった空飛ぶカァちゃんの腹を足で軽く踏みつけたトレーナーが言う。

 

ーーー『わざとらしく倒れたってやめさせないよ』

ーーー『あと20回やるまでは許さない』


 空飛ぶカァちゃんが震えながら身を起こすと、このトレーナーは大きな手で空飛ぶカァちゃんの顎を掴んだ。

ーーー『泣いたって喚いたって許さないよ。甘えてばかりの嫌われ者が!』

ーーー『何が空飛ぶカァちゃんだ?空飛ぶカスめ!』


 ここで衝立の向こう側が騒がしくなった。

 職員たちがトレーニングに入って来たようだ。

 山本ミキが目配せすると、トレーナーは「ちゃんとやっておけ」と言って出て行った。


 二人がいなくなると空飛ぶカァちゃんは肩を震わせて泣いていた。 

 いつまでも、ずっと涙がこぼれ続けた。

 この日、空飛ぶカァちゃんは腹筋を終えると、壁につかまりながら帰って行った。


 同じような、残酷な映像がいくつも流された。

 流されている最中、尾崎はひと言もコメントを入れなかった。

 

 流し終えると、尾崎が静かに言った。

 「こちらは本日オフィスに届けられたデータです。差出人は不明ですが、ひと言―――『こちらを多くの方に見ていただき、よく考えていただきたい。あなたならこの映像を無駄にはしないと信じてお送りしました』と、このように書いてありました。」と言った。


 遠山さんが回復したら、これが真実であったのかどうかを確認していただくことになると思いますが、秘書の黒田さんと佐倉さんにはデータを送信し確認していただきましたが、こちらは間違いなく議員会館のトレーニング室の映像だそうです。

 秘書の佐倉さんが映っておりましたが、この日のことは覚えていらっしゃるとのことです。

 あまりにも痛ましく、あまりにも許しがたいものを見たのだと、仰っていました。

 

 尾崎は、山本ミキとこのトレーナーを心の底から軽蔑しますと言った。


 この映像をご覧になったご家族の方が、どれほど辛く悲しい気持ちになるかと思いましたので、私はご家族の方に佐倉さんを通して、この映像を配信するべきか、それとも関係者だけで共有するべきかということを率直におたずねしたのですが、お子さんたちは配信してくれて構わないと仰いました。


 お母さんがどれほど苦しんできたか、理不尽な扱いに耐え、嘘の書き込みによってどんなに酷い目にあわされていたのか、彼女を管理するなどと言っていた人に見てもらいたいからと。


 彼女の苦しみを知ろうともせず、彼女から与えられるものを受け取るだけだった情けない我々に今できることはなんでしょうか?大変難しい問いになると思います。よく考えましょう、そうしなければいけないと思います。

 せめて遠山さんの回復を祈り、お元気になられた遠山さんが、もう絶対にこのような目に合わないよう、政府に働きかけたいと私は思います。


 最後になりますが、麹町さんは、遠山さんの担当の佐倉さんにこう仰ったそうです。


―――空飛ぶレディの力は、あの子が使いたい時に自由に使えばいい力だと。

―――クズのような連中が便利に使っていいような力じゃない。

―――これはあの子だけのもので、あの子が大切にする者のために使うべきだと。


 そして麹町さんはこうも仰ったそうです。

―――あの子を解放してやりたいんだと。

―――きっと、お前もずっとそう思っていたんだろう、と。


 佐倉さんはこれを私に話しながら泣いておられました。泣き虫秘書ってのは本当でしたが、実を言うとそういう私も泣いてしまいました。


 みなさん、どうか、遠山さんが自由を取り戻せるようお力をお貸しいただけませんでしょうか?

 それをお願いして今回の配信を終了いたします。


 さて―――『悪魔のようなスポーツトレーナーと笑う議員』

 

 これを見た山本ミキは絶叫した。

 破壊遺産は今度こそ完全に破壊された。


 決定事項があるとすれば?

 少なくとも明日、黒田と佐倉は失職する。

 

 



 お読みくださりありがとうございます。

 数日熱を出して休んでしまったので、二回分をまとめてみました。

 逆に長くなり過ぎましたでしょうか?今後は少しずつ明るい展開になっていきますのでまたどうぞよろしくお願いいたします。

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