69.音のない会見場
官邸。一階の記者会見室。
その日、そこではリズムよく不思議な事象が繰り返されていた。
その記者会見室に記者が一人また一人といつもと変わりなく着席する。
そして使い慣れたICレコーダーや記者によっては予備でスマホをセットしたり、配布資料や手持ちのノートやメモ、そして質問内容の確認やすり合わせを行うなど――記者それぞれがいつも通りの手順で準備を始めるとすぐに不思議な現象が起こり始める。
なぜか一斉に、多数の記者が『ひとりごと』を言い始めるのだ。
きょろきょろと周囲を見回しながら怒ったような声を出す。
たいていはこんな感じの声。
――『え?なんだ?』『誰なんだ』『いたずらはやめろ!』
――『ドッキリのいたずらじゃあるまいし』『ふざけたことをするな』
――『本当なのか?』『まずは名乗るべきだろうが!』『ただじゃすまないぞ!』
――『まさかこんなことが』『あんたも聞こえるのか?』『嘘だろう?』
そのうちなぜだろうか、だんだんとその『ひとりごと』は小さくなる。
そして、記者の顔が不安そうな、少しばかり不快そうな表情に変わっていく。
表情が固まったようになり、引き攣った顔つきで周囲の記者をきょろきょろと眺め終わると、複数回頷く。
多分、三回ほど首をはっきりと縦に振る。
そんな仕草がそこら中で繰り返された。
何度か同じような反応の波が繰り返されるたが、彼らは同じく最後には黙り込んだ。
そしてノートを取り出して手にペンを構える。
セットしたパソコンに指を構えた者もいる。
しかし、その場合も念のためか何なのかわからないが、ノートやメモ帳を横におき、ペンの準備も忘れていなかった。
そしてすぐのこと。
ある記者が入室し着席した時、記者達が一斉に声を上げた。
ーーー「え?もう」
ーーー「俺たちだけで終わり?」
こう叫んだあと、また急に黙り込む。
そして何度も頷く記者の姿。
入室してきた記者は「なんかおかしいな?」と思っただろうが、別に馴染みの記者達が自分を睨みつけるでもなく、自分に対して声を発してきたわけではなかったので、いつも通り着席しそのまま定例会見の開始を待っていた。
静寂、とは違う気がする。
沈黙のほうの静けさだ。
まるで――『しゃべるな、一人でもしゃべったらただじゃすまないぞ!』と誰かに脅されているかのようだった。
さて、会見が始まった。
冒頭発言の後、幹事社による代表質問が行われたが、質問した記者の声が異様に小さかったため、官房長官が「少々聞こえずらいのですが、もう一度おねがいいたします」と聞き返した。
すると、記者はびくついたように一瞬かたまってしまったが、急に「え?」と言い、ぽかんと口を開けて首をかしげると、急に頷いて、普通の声の大きさで質問をし始めた。
官房長官は記者の妙な仕草を不快に感じたが、質問には丁寧に応じた。
その後の幹事社の2社目の質問は滞りなく質問、回答がなされ、いよいよ一般質問が始まった。
幹事社の記者は恐ろしい勢いでノートを開き、ペンを手に取った。
そして、なぜかまだ誰も質問していないというのに、手を動かしてメモを取り始めた。
その会場の記者が一斉にだ。
メモを取っていないのは一人だけだった。
佐倉が大嫌いな『お抱え記者さん』である。
早速始まった一般質問。
その『お抱え記者さん』は、会場にいる他の記者たちの頭に声を入れてきたサイキッカーが言っていた通りの内容をはきはきと質問しだした。
山本議員が、実際は水谷総理はおらず釜谷議員が待つビルに空飛ぶカァちゃんが行くように仕向け、厳しい言葉で責め立てたこと。
そして、そのビルであたかも水谷総理が待っているかのように思わせて、娘のいじめ問題をもとに嘘の説明をし、そこに行かなければ娘にも不利益が生じるからと脅しつけ無理やり行かせようとした、ということをまずは述べた。
そして、一気にこう続けた。
―――「総理が全く言ってもいないことを能力者の方に吹き込んで、行かないと子供さんたちがまた辛い思いをするなどと言い、能力者の方が行かざるを得ないような形に持っていったということでよろしいのでしょうか?総理は、一切知らないと仰っているのですよね?そうなると、山本議員が勝手に事実でないことを言いだして、能力者の方をおびき寄せたということになりますよね?」
官房長官は相変わらず、回答を先送りにするべく『現在精査中であるため、お答えを差し控えます』と繰り返した。
お抱え記者はそういう回答を受けても一切不快感を見せず、同様の、質問を繰り返した。
―――「山本議員が録音された音声の中で話していた言葉は非常に強いもの、きつい言葉でしたよね?あのような内容を総理が発言するとは信じがたいのですが、総理がこのようなことを言えと指示したのでしょうか?」
―――「山本さんはなぜあんなにまで能力者の方を釜谷さんの待つあのビルに行かせようとしたのでしょうか?総理は官邸にいらしたわけですし、そんな指示を出していないと仰っているわけですよね?山本議員は釜谷さんと何らかの事前の話し合いなどがあってのことだったのでしょうか?」
いきいきとこの記者が投げかける質問は、それなりに興味をひく内容だった。
回答が得られないことはもちろん誰もがわかっていたが、それでもさすがに官房長官のほうを見つめ、回答を待つのが普通だろう。
しかし、その会見場にいる記者たちは、自分のノートやパソコンに向き合っていた。
ある者はペンをものすごいスピードで動かし、ある者は高速でパソコンに文字を打ち込んだ。
下を向いて、机だけを見て。
官房長官はまだ何も答えていないにもかかわらず、だ。
そして、いつも通りに官房長官は丁寧な口調でよく耳にする言葉で回答した。
『個別の案件については、お答えを差し控えます。先ほども申し上げた通り、詳細については現在精査中ですのでお答えは差し控えます』
お抱え記者はそれでも食い下がった。
ただ、食い下がられても官房長官はそれほど不快を感じていない様子だった。
―――「山本議員は日頃からあのような口調で、能力者の方に接していたのでしょうか?総理はいつも能力者のみなさんを国にとって大切な方々だと話されてましたよね?山本議員が総理の言葉に忠実であるというなら、あのようは言い方や発言はしないと思うのですが」
官房長官はそれでも丁寧に続ける。
「先ほども申し上げましたが、個別事案についてはお答えを差し控えます。議員個人の向き合い方はそれぞれだという部分がありますから、こちらではお答えは差し控えます」
さて、こうして同じ記者が立て続けに質問し続けている状態であるが、他の記者はそのことを気にしている様子はない。
そして、その会場で『お抱え記者』以外に手を挙げる者は一人もいなかった。
先ほどから同じように、記者達は自分のノートやパソコンだけを見つめ、ペンや指を動かし続ける。それだけなのだ。
官房長官はいくら自分がお決まりのフレーズで質問をかわしているからと言って、全く自分を見ることもせず、また、質問者のやりたい放題の連続質問を放置しているこの異常事態に唇をかんだ。
これではまるでボイコットのようではないか!
官房長官はそう思った。
挙手をするものが一人もいないこの状態では、官房長官本人も、今回の進行役の内閣広報官が指名することはできない。
不愉快でたまらなくなった官房長官は記者達を睨みつけたが、下を向いている彼らはその視線には気づかない。
壇上で一人、まるでそこにいない者であるかのように扱われ、まるっきり無視をされた官房長官は静かにこう言った。
「ほかに質問がないようですのでこれで会見を終わります」
それでも壇上を去る際にはしっかりと一礼して退室した官房長官とは違い、お抱え記者はわざとらしくため息をついた。
口元が小さく「なんだよ」と動いていた。
さて、その男は会見室から出て行かない。
不快な気持ちになったのであれば、さっさと退室すればいいだろうに。
お抱え記者は、会見室も見まわした。
そうせずにはいられなかった。
定例会見が終了したというのに、そこにいる記者たちは、いまだにペンとパソコンを打つ指を高速で動かしていたのである。
この会見場で何が起きているのか?
手を高速で動かす彼らは一体何をしているのか?
声の出し方を忘れてしまったというのだろうか?
そのお抱え記者は最後まで理由を知ることができなかった。
さて今。陰湿なサイキッカーが何を話しているか。
ーーー(いいか、メモしとけよ。あの水谷はこう思ってたんだ。
ーーー(「余計なことを!ミキの小物秘書が!」「間抜けな記者共が!」「蚤のような、ゴミのような存在のミキの間抜け猫が!」ってね。
ーーー(笑っちゃうぜ!これは今朝の話だぜ?どうやら山本の秘書の男二人がベラベラと話したことが気に入らなかったらしいぜ。
ーーー(秘書官の男も聞いてたから。でもまあ、うんとは言わないだろうけどよ。
ーーー(あー、でもな。その秘書官に対してこんなことを思ってたぜあの女。
ーーー(「支配される側のくせに、生意気に何かを訴えようとするなら容赦はしない」だとよ。
ーーー(知ってるだろ?山本は水谷には絶対にさからえないって言ったこと。だからさっき、そこで突っ立っている『お抱え記者さん』にいいつけて、山本の暴言やパワハラを印象付ける質問をさせたんだよ。
ーーー(考えてもみろよ。普通だったら、空飛ぶ女と権藤と、もう一人の秘書の体調を聞かねえか?
ーーー(こいつのした質問は全部、山本を追い詰めるものなんだからさ!
ーーー(あとは水谷はよくこう言うことを思うんだよ。
ーーー(いや、口に出すこともあるぜ?知ってたか?釜谷の秘書は水谷の手下なんだ。
ーーー(あの女にはよく言ってたぜ。いいか、水谷の口癖はこうだ。
ーーー(「なんとかなるのが私。なんとかするのがお前たちよ」てな!
ーーー(水谷は自分を女王と思ってんだよ。
いつまでもこの場に留まり、パソコンを打ち続ける彼らを見つめながらお抱え記者は思う。
『俺への嫌がらせか?』
『俺が一体何をしたって言うんだよ!』
佐倉が笑いながら言う。
ーーー(いいか、このお抱え記者さんはいつだったか、地方に飛ばされた官僚さんのことを散々にこきおろした記事を書いて、その後すぐに総理の言った通りのことをそのまま記事にした奴なんだよ。その内容の検証もなく、本人に確かめることもせずにだ。いいか、この件に関わることを確認したかったら、こいつの部下の男に聞くといいぜ。俺は面識もないが、まともな奴だ。きっと面白いことがわかるから。名前はたしか……
議員会館でパソコンを見つめる佐倉の顔は楽しげだった。
お読みくださりありがとうございます。
次回はもう一つの会場の話です。




