68.佐倉の羽が飛ぶ
―――昼前。
麹町が執務室に入ると、憔悴しきった秘書が早足で近づいて来た。
その秘書は麹町にべたっと、縋りつきそうなほど接近し、耳元で「お話があります」と囁いた。
蚊を払うように手を振ってその秘書から顔をそむけた麹町は、奥に座る古くからの側近の男に「人数はどうだ?」と訊ねた。
その男はすぐに答える。
「ご安心ください。充分ですので」
「若手は?」
「ですから問題なく。私の想定をちょっと超えたくらいですから。全て私にお任せいただいているのでは?」
「わかっておるわ、ただ聞いただけじゃ。そっちは任せるが奴を完全にアレするまではいつも通りにお静かにってやつでやれ。こっちはこっちでちょっと色々勝手をするから。あの泣き虫を使ってのう」
「泣き虫のスカッと君ですね。彼はいい!私は彼が気に入りましたよ、なかなかの人物です。彼の友人も素晴らしいですよ。絶対に使えます。何をさせるおつもりで?尾崎対策があると伺いましたが」
こう訊ねてきた側近に目配せをした麹町は、離れたところで泣きそうな顔をしている若手の秘書に「席をはずしてくれ」と言いドアを閉めさせた。
「そういえば、山本のところの黒田を入れることにしたから、今の男は上手く切ってくれ。ちょうどいいところを紹介してやってもいい。あいつは釜谷の秘書に余計なことを言いおったんでな。本人が一番わかっとるからもう責める必要はないがの。知人の孫だから、まあ優しくしてやってくれ」
「はい、彼の就職先の件は承知いたしました。それで山本先生のところの黒田君ですね。よろしいんじゃないでしょうか、彼も使えますよ。しっかりしてますし人柄もよろしいかと。でもスカッと君はどうされるんです?」
「ああ、あの泣き虫に何ができる?元々こんなところで生きていけない男だよ。あの子は今後もずっと個人的にこき使って働かせるつもりだから別にいい。あとしばらくの間はここでも徹底的にこき使っていじめるとするよ」
「そりゃ可哀そうに!解放してあげないんですか?」
「当たり前じゃ。全く、しょうもないマザコン息子をなんとか助けてやらにゃあならんから。まずは空飛ぶレディーが回復したらそっちのほうをな。マザコンスカッとは――もしかしたら、空飛ぶレディーのために山本の所に入ったんじゃないか?どうもおかしい」
「ははっ、まさか!彼はお父さんの事業を継ぐために、そうですね、人脈形成ってところですか?まあ山本議員のところじゃあまりメリットがあったとも思えませんが。先生との繋がりは今後大きいと思いますよ。彼のお父さんはかなりのやり手で防災の方の会社もグループで持ってますからね。恐ろしく堅実経営をされていますよ。今後面白いことになるんじゃないですかね」
「お前もそう思うか!あの子はまあ、しょうもない泣き虫ではあるが、いい男だ。実にいい子なんじゃよ。お前の父ちゃんもきっと同じように思っただろうよ」
「そうかもしれませんね。先生がやっとやる気になってくださったんで私も嬉しいですよ。きっと父もね。私もスカッと君のことは気を付けて見守りますよ、まあまず水谷総理は手を出せないでしょうが、あの人は何をするかわかりませんから」
「そうしてくれ――他の連中は本当に『お静かに』動いているだろうな?油断せず確実にやってくれ。今日の尾崎との会議室のやつの後で、クズがすり寄ってくるだろうが放っておけ。わしの花道にクズもカスもいらん」
「尾崎さんとの後ですり寄ってくるかも、と。なるほど、承知いたしました――まあスカッと君と黒田君が多少やらかして失敗してもいいですよ。私がなんとかしますから。そこんところはお任せください」
「おう!とにかくもう少しの間、この部屋はガランとさせておけ。若い連中が動く時は大胆に思いっきりやらせていい。けちけちするなよ?浅草の事務所も存分に使えよ、ここはとにかくがらんどう事務所に見せておけ。大将が戻る頃には落ち着くじゃろうて」
「わかってますよ。それでは、スカッと君のお手並み拝見といたしましょう」
◇◇◇◇◇
―――こちら佐倉と黒田。
佐倉と黒田は既に記者クラブへのプレスリリースの投げ込みもFAX送信も済ませた。
そして、厳選した担当記者へ直接の電話連絡を入れたり、メールも組み合わせてできるだけの告知を行っていた。
麹町がさりげなく予約した議員会館の会議室。
開始時刻は『午後四時三十分』。
黒田が話していた通りプレスリリースには麹町が会長を務めるの議連の名前が使われた。
いかにも、なタイトルでインパクトもなし。
ーーー『~事前防災・資源エネルギーを語る~安心できる社会への道筋』
ただし参加者に想定外の名前の記載があった。
誰もが知っている天敵同士の二名が仲良く名を連ねていた。
そして、官房長官の定例会見は『午後四時』いつも通りの予定。
今日の今日の当日告知であるから、定例会見の後で記者がこちらに流れてくれることを見越しての時間設定だったが、佐倉は集まる記者の頭数については全く気にしていなかった。
きっと麹町が予想する人数よりももっと、面白いと思えるほどの人数が議員会館の会議室を埋め尽くすだろうと予想していた。
全体の進行については先生方と尾崎、そして麹町のほうで自由に進めてもらうことになっており、研究会に参加していた先生方の席を前方に集め、なだれ込んだ記者たちから離すように、前列を陣取る形で先生方の席を作っておいた。
尾崎の席と佐倉の席は隣り合わせ。
官房長官の定例記者会見をライブで見れるよう、佐倉は席にノートPCを開いて待っていた。
今日の黒田はこの会議室において全体の調整役。
何が起きても冷静にそつなくこなせる黒田は頼りになる秘書だ。
彼がいるだけでこうした研究会や会見の時は安心ができる。
佐倉はこの日、フリーの尾崎の隣で『記録を取りながら黒田の補助をする』というラクで素敵な役どころを確保した。
佐倉はずる賢い言い方で、麹町が黒田の採用を検討しているということをにおわせて、既に黒田の採用は決まっているという事実を隠し、黒田が張り切って面倒な仕事を一手に引き受けてくれるようにうまく立ち回った。
首尾よく尾崎の隣の席を陣取った佐倉は、久しぶりに爽やかな微笑みを浮かべていた。
ここでそれなりの作業をしている姿を来場者に印象付けつつ、佐倉はそれとは別の大切な作業をする必要があったためだ。
今この部屋に居る者は、優しげに微笑む佐倉が何かを企んでいるなど、かけらも疑っていなかった。
◇◇◇◇◇
官邸1階の記者会見室。
午後三時四十五分。
官房長官の定例記者会見開始予定時刻の十五分前。
着席した記者の数人が頭が痛いのか、熱を測るかのように額に手を当てている。
「最近冷房がきついとどうもね」
「確かに。温度差が激しいと頭が痛くなるんですよ」
最近はよくある光景だ。
顔見知りの記者同士が効きすぎると感じる冷房について談笑している。
すると、前の席の記者が後ろを向いてきた。
「わかります、僕もさっきから頭が痛くて」
「効きすぎてますかね?僕はいつもは冷え過ぎなくらいが丁度良いんですが、」
その時だ。
三人の額に『キィーン、キッ』というぼんやりした音、あるいは刺激のようなものが走った。
「あ痛っ!」
「いてて、」
「吉田さんもですか?頭がちょっと、」
ーーー(痛かったか?悪いね記者さん。
意地の悪そうな男の声が聞こえた。
「ん?誰だろう?」
三人の記者はあれっ、と思い、まずは後ろを振り向いた。
三人仲良くだ。
後列に座っている記者はぼんやりと資料を見ており、何か声や音に気が付いた様子はない。その近くの記者も同様に溜息をついたり目をつむっていたり、誰かの声が聞こえた様子は全くなかった。
「今痛かったですか、って聞こえましたよね?」
「聞こえた聞こえた。悪かったとかなんとか。んん?どっきりのアレじゃあるまいし」
「ああ!芸能人のやつか。こんなとこで?まさか」
太った記者が笑っている。
ーーー(あんた、呑気でいいね。大丈夫だよ、もうズキンとくることはないよ。
ーーー(今のところあんたら三人だけにしか聞こえないはずだから静かにしろよ。
ーーー(余計なことを言わないよう気を付けて。危険だから。
「は?」
「なに!なんなの?」
ーーー(おっと!余計なことを言うなって言っただろ。馬鹿なのか?
ーーー(静かに聞けよ?わけがわからないだろうが、そのうちすぐわかる。
ーーー(いいか、あんたらの頭に今、直接語りかけているのは誰か?
ーーー(あんたら三人には一生わからない。いいか、四時からくだらない定例会見が始まるから、その時にまずは色々わからせてやるから。その時に芸能人のドッキリじゃないことがわかるからよ。
「ちょっと!君は誰ですか?どういうことでこんな、」
ーーー(おっと!……はあ、ダメな奴を選んじまったのか俺は。あのね、
ーーー(声を出されるとヤバいんだよ。いい子だから黙ってろよ?
ーーー(もったいつけるつもりはないよ。おれは政府も把握していない奴なの。
ーーー(誰にも見つけられない能力者。最上級のサイキッカーだよ。
ーーー(今日これから俺の大嫌いな奴をぶっつぶすからよ、
ーーー(特別にあんたらに、素敵な素敵な極秘情報を提供してやるよ。
ーーー(ここにこれから来る記者さんの中で、嫌いじゃない奴にだけこうやって、
ーーー(素敵な情報を提供するつもりだよ。でもさ、
ーーー(俺の嫌いなお抱え記者さんの頭の中にだけは声を入れないつもりだから。
ーーー(どうせ今日もあのお抱え記者が、山本の暴言のことをしつこく聞いて、
ーーー(水谷が言ってもいないことを勝手に嘘ついて空飛ぶ女に吹き込んだ、とか
ーーー(そういう話を何度も何度も、しつこく印象付ける会見になるだろうよ。
ーーー(いいか、だからそれは録音してりゃいいの。わかったか?
ーーー(あの記者が、山本と釜谷が示し合わせてあのビルに空飛ぶ女をさ、
ーーー(夜遅くに呼びつけて釜谷の新しい愛人にしようとしたとか、
ーーー(そんな風にあんたらに印象付けるだけのくだらない会見なんだよ。
ーーー(小心者の山本が、勝手に総理が言ってもねえことを、
ーーー(空飛ぶ女に嘘ついて吹き込むはずがないんだよ。いいか、
ーーー(この事件は水谷が企んだことなんだよ。
ーーー(あの女はな、空飛ぶ女を新しい愛人として釜谷にあてがうために、
ーーー(山本に命令してビルに行かせたんだよ。それで、自分の手を汚さずに、
ーーー(山本になんて言って空飛ぶ女をおびき寄せるか細かく指示して、
ーーー(あのビルに行くように指示したんだ。
ーーー(今日の夕方この会見の後で、ある場所でその証拠が提示される。
ーーー(提示されなかったら、俺がそうなるようにこうやって脅すから、
ーーー(絶対にこの事件の全容が解明されるはずだ。
ーーー(それを知りたきゃ、頭を使えよ。
ーーー(だってよ、そうしたほうがいいと思わねえか?どうだよ?
ーーー(これ以上あんたらは、水谷のようなクズをのさばらせたいのか?
ーーー(水谷は下劣で恐ろしい女だよ。
ーーー(いいか!あの女はな、空飛ぶ女を釜谷の不倫相手に仕立て上げて、
ーーー(国民から軽蔑されるように仕向けて、これから先は子供を人質に、
ーーー(まさに子供のことで脅しつけて、子供を傷つけたくなかったら、
ーーー(言うことを聞くようにって脅して、色々なことをさせようとしたんだ。
ーーー(いいか、あいつは、あの女は!
ーーー(空飛ぶ女を奴隷みたいにしようとしたんだよ!
ーーー(これは、俺が直接水谷の頭に入り込んで知ったことだから。
ーーー(さらに言うと、フリーの真面目記者さんの尾崎の配信は正しいよ。
ーーー(あいつはすごいネタを持ってる。
ーーー(奴のところにはこれから先、驚くようなネタが入るよ。
ーーー(いいか、俺に声を出して何かを訊いたりするなよ?もしそれをしたら、
ーーー(お前の頭から去るからな。いいな?わかったら頷け。三回頷け。
記者は胸を押さえた。
三人の記者は震えていた。
そして、彼らはやっぱり記者なのだ。
すぐに三回、しっかり頷いたのだ。
ーーー(わかってくれてよかったよ。俺もこれをするとかなり疲れるんだ。
ーーー(だから休み休み、情報を流してやる。
ーーー(だからいいか、定例会見の最中はお抱え記者さんの質問は、
ーーー(録音だけして、静かに俺の話をようく聞いて、立派な記事を書いてくれ。
ーーー(声を出して集中を切らすなよ?
ーーー(お抱えさんにだけしゃべらせときゃいいんだから!
ーーー(俺は二度は言わない。訊き返しは受け付けない。
ーーー(だから静かに、いい子に、集中して聞け。
ーーー(じゃあ俺は、同じように他の記者にもやりに行くからしばらく消えるよ。
佐倉の羽が蜘蛛の巣のように広がった。
お読みくださりありがとうございます。
明日も佐倉の企みが続きます。




