67.間抜け猫から招き猫へ
「余計なことを!ミキの小物秘書が!」
こともあろうに朝っぱらから議員会館前で記者連中に捕まって、佐倉と黒田がペラペラと山本ミキの間抜けな性質についてしゃべりだした哀れな映像はすぐに水谷に共有された。
佐倉と黒田は山本をかばっているわけではなかったが、山本は水谷総理に絶対に逆らえない議員であるということを二人してペラペラとしゃべりまくった。
「間抜けな記者共が!」
これは水谷の可愛がるお抱え記者のことだ。
ーー(言われたこともちゃんとできない馬鹿共めが)
ーー(言いつけた通りにあの暴言をミキの関係者にしつこく問いただすんじゃなかったのか?)
ーー(何の役にも立たない間抜けめが)
水谷がもはや怒鳴り声を隠さなくなった。
しかし秘書官の立ち姿は落ち着いたものだ。その目にはもはや怯えもなければ困惑もない。
――「蚤のような、ゴミのような存在のミキの間抜け猫が!」
水谷は秘書官がいるのも気にせずに大声を出した。
秘書官が顔色を窺いながら怯えたように聞いていることもない。
こうして怒りを露わにするところを見ても、その秘書官は何も言わない。動かない。
この男の、怯えたような顔で自分に媚びてくる姿が嫌いではなかった。
気に入ってやっていたのに。
支配される側のくせに、生意気に何かを訴えてこようとしているなら容赦はしない。
お前はされる側の人間でしょうが。
する側の女王にそんな目をむけるとはね。
「仕事もせずにそこに立っているのはなぜかしら?時間がないのだけれど」
水谷は手入れの行き届いた綺麗な顔を見せつけながらこう訊いた。
「失礼しました。午前の定例会見での質疑についてですが、一部の記者が、」
「あなた、もういいわ下がって頂戴。午後の定例会見のことならもう決まっているから。終わった会見のことは今はいいわ」
水谷の話し方にいつものような余裕はない。
相変わらず指先まで神経を行き渡らせたようなピンと張った手つきと色気を含んだ目つきを見せつけてくるが、総理のそれが、その秘書官を魅了したり動揺させることはもはやなかった。
今までもよく、この総理はこんな仕草をしていたはずだった。
それをこの秘書官は美しいと感じていたというのに。
今はもう、この生き物を見ていることが辛い。
まるで、まるでそう――人ならざる者の仕草だ。
これは、動物や虫のおどけた求愛行動のようではないか。
気味が悪い。
「失礼いたしました」
秘書官はすぐに下がった。
ーー(なんとかなるのが私。女王とはそういうもの)
ーー(なんとかするのがお前たちじゃないの!)
水谷はどこへ行くのか。
泥水の鏡のある場所なのか?
まだ少しの間は銀色の輝きの中の自分の顔を見つめられるのか。
◇◇◇◇◇
こちらは山本ミキの事務室。
黒田と佐倉が顔を見合わせてため息をつく。
「あーあ、こんなに忠誠心に溢れた猫はいないよな。佐倉君のせいで渋谷のあの像の隣に『二匹の忠猫像』が立ってしまうんじゃないか?僕たちに電話の一つもかけてこない山本先生は今どこにいるんだか……」
「えええ忠猫像ですか?それ、イマイチですよ黒田さん。これはどうです?『二匹の招き猫』ってのは?『間抜け猫』じゃないですからね?そこんとこ間違えないで下さいよ」
「はあ?それこそイマイチだよ!いいことは何も招けてないじゃない!やって来たのは記者連中だけじゃないか。山崎先生に呆れられたよ全く。さっきすれ違いざまに『お前は馬鹿なのか?あんなとこ通って』って怒鳴られたんだからね。ああもう全く」
「ええっ、嫌な感じですね。でも大丈夫ですよ黒田さん、今後は麹町先生が黒田さんに、」
言いかけたところで麹町からの電話が鳴った。
佐倉が電話に出ると、麴町の第一声は「はあーっ」という弱弱しいため息の音だった。
この件での警察との一連のやり取りは全て麹町が対応していたので高齢の身にはきつかっただろう。
佐倉が心配そうに「先生、少しホテルで横になって休まれた方が」と言いかけると、麹町は急に張り切ったような声を出してきた。
「そんな場合か馬鹿者が!スカッとよ、釜谷の奴は昨夜は酔っぱらって眠ったもんでアレを見ていなかったそうじゃ。間抜けめが!奴は今からホテルの部屋で任意聴取となる。映像や音声は空飛ぶレディと権藤の分も先生がちゃんと複製してあるから安心しろ。今から釜谷にも証拠を見せて、徹底的に突っつくからもう逃げられまいよ。あと、釜谷の秘書も任意聴取に応じた。あの女もこうなったら誰からも助けてもらえんことを思い知っただろうよ」
「麹町先生!じゃあこれで安全は確保されたということですね。総理が手を出せなくなりますよね?」
「そのことは問題ない。もし奴の身に何かがあればどうなるか、警察はわかっておる」
「よかったです。まさかもう言い逃れは出来ないですよね」
「任意聴取後に、どうせ数時間もすれば容疑が固まりそのまますぐ身柄確保となる。だからもうこっちは心配いらんよ、わしも今からそっちに行く。わしの方は片付いたんじゃ。ところで山本は来ておるか?」
「いいえ。部屋は黒田さんと私だけです」
佐倉が答えると「はあ、わかっておったわ!あいつのことはいい。ところで、議員会館の会議室をとったんじゃが、じきに先生がそっちに行くから対応してくれ」
「何のために会議室を?」
佐倉が訊ねると麹町が言う。
「わしが会長を務める議連の、ほらお前も出たろうが!事前防災・資源エネルギー議連の関係で、外部の専門家や関係者を招いてのヒアリング、あれじゃよ。会議室に事故の日に参加していた研究者や技術者の先生達をありったけ集めて呼んで、意見聴取や成果発表ってことでの――クッ、」
麹町はこう言って、まるで笑いを堪えているようだった。
「実際はまあ、――スカッと尾崎のヒアリング会じゃ!奴の方は先生から声掛け済で、事故の日の研究会の参加者もほとんどの先生が来る。いや、先生は全員って言っておったか?これで水谷を揺さぶってやれ!尾崎の奴は、わしの名前を夕べの配信じゃ一切出しとらんから、わしが会議室を予約しようが何をしようが誰も全く疑っておらん。ただの研究成果の発表会だと思っておる。でも実際はスカッと研究会開催ということじゃ!」
麹町は興奮していた。
ここで一体何をやろうというのか?佐倉は胸が震えた。
麹町にそれを訊ねようとしたのに、麹町がすぐスマホが壊れそうな大声を出してきた。
「いいか、午後の官房長官の定例会見に合わせた時間に記者共を呼びつけろ!半分くらいは来るだろうよ、わしと尾崎の楽しい研究会のほうに!」
「なんですって!奴らを呼んでどうするんです?」
佐倉は慌てて訊ねた。
「麹町の告白タイムだ!」
◇◇◇◇◇
佐倉と黒田はまだ山本の秘書であるにもかかわらず『スカッと尾崎と麴町研究会』の準備をするはめになった。
しかし、黒田は生き生きとはずんだ表情で「今度は招き猫がまともな記者を集めるのかな、ね、佐倉君?」などと言って、うきうきとこんなことを言った。
「ねえ、定例会見に誰も行かなかったら最高じゃない?なんか思わせぶりなプレスリリースの投げ込みをしたくなるじゃないか!記者クラブへの投げ込みになんて書こうか?――『麹町×尾崎対談 空飛ぶ事前防災』とかは?なんちゃって!ふふっ、まあダメだけどさ。真面目にどうしようか、ひとまずまあ『事前防災・資源エネルギーを語る』とかにしておくか」
「ですかね。それで麹町先生が参加することを記載して……あ、」
「佐倉君?どうしたの?」
「黒田さん、今なんて言いました?」
「え?エネルギーを語る?ナンチャッテ?ふふっ」
「いえ、定例会見に誰も、誰も行かなかったらって言いましたよね?」
「言ったけどさ、そりゃ無理だって。あいつにそんなボイコットみたいなことしたらこの先排除されるからね?記者だって命がけなんだから」
佐倉は英介の言っていた記者会見のことを思いだす。
ーー(でも本当に一人だけが質問しているんだけど、誰もその人を見たりしないし、質問に答えてくれている人のことも見ないんだ)
ーー(質問している人はテレビでよく見かける人だけど、その人が質問しても全く興味がないっていうか、勝手に質問してろよっていう感じで無視してるみたいに)
ーー(よくわからないけど、沢山いると思う。記者の人は何か一生懸命字を書いてるみたい。すごい必死な感じで書いてた)
ーー(知らないけど、とにかく、質問する気が全くないみたいなんだ。かあちゃんと権藤さんが今どこにいるかとか、そういうことを、その一人の人が質問してた)
英介は尾崎さんがいたかどうかわからないと言っていた。
だとしたら、答えていたのは誰だ?
英介はわからないと言っていたが、官房長官の定例会見の可能性が高い。
そうなら、もしそうなら!
「佐倉君、まあムカつくのはわかるけどさ。僕だってあいつは好きじゃないよ?でも波風立てると面倒だからやっぱり無難なプレスリリースにしとこうよ」
黒田はのんきな声で話しかけてくる。
「ですよね」と笑いながら返す佐倉の頭の中に、最高の記者会見の情景が浮かんだ。
いったん英介に確認しよう、佐倉はそう思った。
そしてすぐ、電話をかける。
「かあさん?英介が言ってた記者会見の主催者だけど、官房長官かどうかって確認できる?忙しいのにごめんね」
佐倉の声は甘い。
麹町が猫なで声だと言っていたが、黒田の耳にもそう聞こえた。
ーー『ちょっと待ってね』
佐倉の母が答える。後ろで父がすぐ口を出してくる『どうしたの璃久さん、また烈か?』
母が英介を呼んだのだろう、スマホで検索して官房長官の顔写真を見せたのだろうか。
英介の声が聞こえた。
ーー『そう!このおっさん。イヤな話し方だったんだ。調査中ですとか言ってさ』
英介が電話に出るのかと思って待っていたら父親が電話を代った。
ーー『どうしたんだ烈?市谷さんたちの様子はどうなんだ?全く連絡も寄越さないで、皆こっちは気が気じゃないってのにさ』
相変わらずガミガミとうるさい父だった。
ただ、いつもそうだが怒っているのか笑っているのかわからないような声を出してくる。
「とうちゃんは本当うるさいんだから。病院のスタッフさんに悪いと思いながら1~2時間おきに確認を入れてるよ。容態についてはまだわからないよ。わかったらすぐ連絡するから。とにかく、とうちゃんは母さんにあまり面倒かけないでよ。水もちゃんとやってよね、言われた通りのペースで水遣りしてよ?わかったの?母さんと話してたのに全く!じゃあね」
佐倉もまた同じようにうるさいのだが、本人は気づいていないようだった。
黒田が呆れてこう言った。
「佐倉君、君こそお父さんにガミガミと何言ってんの?それに何?お母さんのことは優し~く『母さん』とか呼んでるくせに、親父さんは『とうちゃん』って!父母差別?親差別?酷いね今の。父ちゃんがかわいそうじゃないか。英語だとなんていうの? discriminate between……母と父?」
「はぁ、黒田さん。前から思ってたんですけど、友人に黒田さんにとてもよく似たダジャレ王がいるんですよ。暇さえあればダジャレを考えてて、これも言ってみようあれも言ってみようって。好きな女の子にそれを言って喜んでましたよ。相手の女の子がまた笑ってあげるもんで喜んじゃって」
「なんだよもう。今のはダジャレじゃないよ。だいたいあれじゃ君のとうちゃんが可哀そうじゃないか!まあいいよ、プレスリリースの投げ込みだよ今は。さっさとFAXもしないとね」
佐倉は黒田の言葉で閃いた。
ーー(定例会見に誰も行かなかったら最高じゃない?)
――本当にそうだね、黒田さん。
――でも定例記者会見には、どうぞ沢山の記者さんがつめかけてくれよ。
――そして誰も口をきかなくなればいい。
――英介が言っていたようになればいいさ。
――奴らのお抱え記者と官房長官だけがしゃべってろ。
佐倉の反撃開始だ。
お読みくださりありがとうございます。
次回からは佐倉の反撃が始まります。またよろしくお願いいたします。




