60.病院にて――麹町にやける。
麹町が用意させた救急病院二階の小さな部屋―――
佐倉はいったん、運ばれた三人の病室の位置を確認するために出て行った。
病院内で最も人目に付きにくい位置の特別療養環境室を確保し、そこに安全に入れるようしつこく看護師と事務長に確認をした後で佐倉は戻って来た。
「麹町先生、三人一緒に最上階の奥の部屋に入れました」
「よし。まず座れ」
佐倉が座ると早速麹町が切り出す。
「末次先生と権藤が通話で繋がっていて釜谷に突き落とされる前の会話が入っているってのは確かなんですね?」
「ええ。僕のボイスレコーダーに入ってますよ。念のためにあの時に権藤さんと繋げてたんです。権藤さんは通話録音機能を使ってるはずですし、僕は念のためにボイスレコーダーに入れたんですよ」
「あんた!それはすごい。早速聴かせていただこう。でも一応複製しといてくれますかね?」
「既にレコーダーで一つ複製しましたが、後ほど小暮君のスマホにも入れておいてもらいますから。内容についてですが、これは本当に恐ろしいことです。僕はちょっと、あまりに――」
「わかっとる。あの男は人でなしの外道じゃ。ちゃんとわかっとる。それで?空飛ぶレディのビデオってのは録れていたか?まあ、あそこじゃ確認のしようもなかったじゃろうが」
「大丈夫だと思いますよ。さっきほんの少し確認しましたが最初のところはよく映ってましたから、その先も大丈夫なはずですし、かなり長い時間録れてました。末次先生のアイデアで、服の布に切り込みを入れてレンズとマイクのところが隠れないようにセットしたんですよ。市谷君が手際よくて驚きました。権藤さんのほうも音声が残っているはずです。市谷君のおかげか、遠山さんのウェアのおかげか、スマホは嘘みたいに無傷だったんですよ」
小暮は説明しながら興奮していた。
「そうか!大将が!あの子は見かけによらず手先が器用で、何でもできる子なんじゃ。見かけはアレじゃが本当に優しい子で……親御さんに何と言って詫びたらいいのか、わし……」
麹町は市谷を思い、やりきれない思いに打ちひしがれた様子だった。
佐倉は急に立ち上がり深く深く頭を下げ麹町に詫びた。
「私が至らなかったんです。市谷さんや権藤さんまで巻き込んでしまい、本当に申し訳ございませんでした。遠山さんも、結局守れず――全て私の責任です。申し訳ござ、」
麹町は佐倉の頭をバシッと手のひらで打った。
「なんでお前が謝る?お前は出来ることをやったろうが!レディのウェアまで用意して、ちゃんと権藤とわしを頼ったろうが、お前は頼る相手を間違えてないだろうが!この馬鹿者が!」
あまりの大声に末次と小暮の身体が椅子からびくっと跳ね上がった。
幸いなことに病室から離れた小部屋だったので病院関係者から注意を受けることはなかった。
「お前が謝る相手は喫茶の店員だ。こんなところまで来させて!全くしょっ中ピーピー泣きおってこの馬鹿が!とにかく聴くんじゃこれを!いちいち立ち上がるなお前は」
佐倉はもう何も言わなかった。
椅子に腰かけて自分のスマホのボイスレコーダーをセットした。
彼らはまず末次の音声を確認した。
空飛ぶカァちゃんの頬を釜谷が叩く前の部分は音声がかなり小さく、聞き取りずらかったが、その後はかなりはっきりと聞こえた。
ーー『このクズが!手を放せ』
ーー『このいやらしい卑怯者が!水谷総理がセッティングしたと言ったな?あの人があんたをここに来させて、遠山さんを呼びつけたんだな?あんたらほんとに最低だよ。なんだって?しおらしく部屋に入れば話を聞くだと?飛ぶだけの体だけの女のくせにだと?あんなふうに殴るなんて!あんたほどのクズを俺は知らないよ』
ーー『お、お前、どうしてここにいる?どういうことだ?』
ーー『どういうことも何も、こんな夜にこんなところに呼び出すあんたらがおかしいだろうが!今の話は俺が全て、全て証言しますよ。あんたらの卑劣ないやらしい行い全てを!』
そして鈍い音。権藤を押す音と共に、空飛ぶカァちゃんが『あっ』と言った声が聞こえてきた。
佐倉がぐっ、と拳を握った。
麹町は「権藤っ!」と言い、眉間に皺を寄せ歯を食いしばった。
小暮もまた唇を噛んだ。
「末次先生、遠山さんの録画を見てみましょう。俺は下から撮ってたからわかるんですが、遠山さんは長身だから窓枠の下の部分が彼女の胸のちょっと下あたりなんですよ。それで、あの男の身長はわかりませんが、奴もまた胸から上くらいだと思うんで、きっと顔も良く映っているはずです。多分、殴ったところも映ってい、」
激昂した佐倉が小暮の言葉を遮った。
「先生!見せてください!あいつが、あの男がはっきり映っているかを」
「はい!見てみましょう」小暮が頷く。
空飛ぶカァちゃんの胸ポケットから映し出された映像。
男たちが顔を寄せ合ってスマホを見つめる。
部屋の中に何があるかもよく見える。
ソファと安っぽいベッド。お酒とつまみ。
そして気味の悪い音楽が流れている。
ーー『水谷総理?遠山です。水谷総理、いらっしゃいますか?』
ーー『きゃあああ!』
ーー『やめてください!』
ーー『ギャアギャアうるさいんだよ。無能の嫌われ者が!役にも立たない体だけの女のくせに!俺に助けてほしいんだろ?だから総理に頼んだんじゃないのか?』
ーー『違います!私は総理に娘のことで話があると言われてここに来たんです。手を放してください、人を呼びますよ!』
ーー『本当の馬鹿だな。人が来るはずないだろうが!あの水谷がセッティングしたんだから。あの人がわざわざここを指定したんだよ。あんたが俺に助けを求めてるって言うから話を聞いてやりに来てやったんじゃないか!こっちが悪いことでもしているかのように言うんじゃないよ。お前なんて頭を使わずにただ体を使って?やれ団地だ、工場だ?そんなもんの点検だけやってる無能のくせに!いっちょ前にわめくんじゃない。しおらしく部屋に入れ!話を聞いてやる。それとも何か?俺がお前を襲うとでも?自惚れるなよ?飛ぶだけの体だけの女のくせに、もったいつけやがって!早く立て、こっちに来い!』
ーー『釜谷先生!手を放してください。本当に人を呼びますよ!』
―――そして『バチン!』と叩く音と映像。はっきりと釜谷の手が空飛ぶカァちゃんを殴った手が写り込んでいた。
その後は先ほどの声と同じ映像。
ーー『このクズが!手を放せ』
ーー『このいやらしい卑怯者が!水谷総理がセッティングしたと言ったな?あの人があんたをここに来させて、遠山さんを呼びつけたんだな?あんたらほんとに最低だよ。なんだって?しおらしく部屋に入れば話を聞くだと?飛ぶだけの体だけの女のくせにだと?あんなふうに殴るなんて!あんたほどのクズを俺は知らないよ』
ーー『お、お前、どうしてここにいる?どういうことだ?』
ーー『どういうことも何も、こんな夜にこんなところに呼び出すあんたらがおかしいだろうが!今の話は俺が全て、全て証言しますよ。あんたらの卑劣ないやらしい行い全てを!』
―――(鈍い音。権藤を強く押す釜谷がはっきり写り込んだ!)
ーー『あっ!』
そして、空飛ぶカァちゃんが飛び、抱え込む映像。
全く何が何だがかわからない。
空飛ぶカァちゃんが一瞬のうちに権藤を捉えたのだろうか、鈍い音と衝撃でぶれる映像。
真っ暗になった画面。
台風の風音を部屋の中で聞いているかのような音。
ザザザーッと何かが擦れるような雑音。
ドン!という衝撃音。
ズシャッ!という何かが倒れるような音。
佐倉がドスの利いた声を漏らす。
―――「殺してやる」
「スカッと!」麹町が立ち上がる。
そして佐倉の頭を叩く。
「この馬鹿もんが!物騒なことを言うな!釜谷はこれから命を狙われるかもしれないんじゃ!あの水谷が放っておくわけなかろうが!それをカッとなって全く、何を言い出すんだお前は!口が裂けても言うんじゃない。先生方、こいつに馬鹿をさせるようなことはしませんから、今のはどうか、どうか聞き流してくだされ」
「いや。僕も気持ちはわかりますから。僕らは遠山さんが山本議員に脅された時のことも知ってるんですよ。あんなに卑劣な奴らにお上品でいられませんよ」
末次もまた目がぎらついた。
それに小暮も続く。
「その通りです。山本とこの男、そしてあの総理は死んでもいいくらいのカスですよ!」
「脅された時のこと?」ピクっと反応した佐倉が訊ねた。
「ええ、研究会の廊下の休憩スペースで、遠山さんが山本に怒鳴られて、酷く侮辱された音声があるんですよ。あの女は本当のクズです。我々四人で録音したんです」
小暮が低い声を出した。
あの時の山本の声が蘇ったのだろうか、小暮は「あのクズが!」と怒鳴り、麹町を驚かせた。
「今すぐ聴かせてください」
佐倉が願い出ると、麹町がはーっと長いため息をつく。
そして机を指でトントンと叩く。
「聴かせてくれ先生」
◇◇◇◇◇
麹町と佐倉は山本の卑劣な声を聴いた。
二人して憤り、激昂し、あの時に市谷がしてしまったように『バン!』と音を立てて机を叩いたりした。
ひと通り聴き終えた後で、麹町が「ちょっと戻してくれ」と言ったので、小暮が「どのあたりですか?」と訊ねると「類は友を呼ぶというところだ」とむっつりと言ってきたので、巻き戻してそこに合わせてやった。
麹町は初めはむっつりと聴いていたが、山本が言った部分、
ーー『あんな男を助けるなんて、やっぱり類は友を呼ぶってことね』
この部分を聴き終え、空飛ぶカァちゃんがそれに答えた部分を聴き直した時、
口の端が上に持ち上がりヒクついた。
ーー『類は友を呼ぶとは私への誉め言葉ですか?でしたらそれは本当に光栄なことです。私は議員の先生方のことは詳しく存じ上げておりませんが、権藤先生は本当に素晴らしい方です。それから、麹町先生もとてもご立派な方だと思っております。私の両親は昔から麴町先生を支持してきました。うちのほうでは浅草と言えば麴町先生です。山本先生も同じようにお二方をリスペクトされていると思っておりましたが、どうやらご様子が違いますね』
そして、麹町はそのスマホを手に取り、自分でも巻き戻してそれを耳に当てた。
佐倉は完全に呆れかえり、二人の先生は笑いを堪えた。
狭い室内でこの部分が何度も流される。
ーー『麹町先生もとてもご立派な方だと思っております。私の両親は昔から麴町先生を支持してきました。うちのほうでは浅草と言えば麴町先生です』
さて、空飛ぶカァちゃんが麹町を称賛し続ける音声で溢れたこの部屋に『コンコンコン』とノック音が響いた。
扉を開けると英介と静、彼らの祖父母。そしてもう一人、穏やかな表情の実直そうな少年が立っていた。
お読みくださりありがとうございます。
次回は子供たちが登場します。
ぜひ続きも読んでいただけたら嬉しいです。




