56.英介からの電話
泣き虫佐倉を正面から見つめ、麹町が言う。
「また泣くか、このマザコン息子めが!スカイツアー企画の時もそうだったな。あの時も今にも泣きそうな顔をしおって全く!しょっ中メソメソしおって、しっかりせんか」
むっつりと黙り込んだ佐倉の顔を覗き込んで麹町が笑う。
さて、二人がそろそろ店を出ようかと立ち上がった時だ。
麹町の秘書の大男、市谷からのメールが入った。
そしてどうしてだか、その連絡は同時に起こった。
佐倉にも英介から電話が入ったのだ。
◇◇◇◇◇
――そして少し前。こちらは研究会の開催会場を出た五人。
麹町の秘書の大男・市谷が運転する車には五人の人間が乗り込んでいた。
運転者の市谷、権藤、准教授・末次、助教・小暮、そして空飛ぶカァちゃん。
山本に挑発されたからではない、というには無理があるだろう。
空飛ぶカァちゃんは怒りに震えていた。
大切な子供たちを侮辱され、弱みに付け込むような誘い文句で罠を仕掛けてきた水谷総理と山本ミキに対する怒りだ。
なぜ水谷が自分を狙ってくるのかわからないが、空飛ぶカァちゃんは山本のこの言葉にやられてしまった。
ーーー『空飛ぶカァちゃん!あんた、ちょっとばかり熱があるからって総理がせっかくセッティングしてくださった面談に行かなかったら世間でなんて言われるかわかる?
ねえ、あんたは娘のことより自分の体が大切な母親って後ろ指をさされるの。このことが広まったら、またあんたの娘も息子も軽蔑されるのよ。そんな母親を持ったってことでね!
総理もどう思われるかしら?きっともう知人の娘さんのいじめを止めてはくださらないでしょうね。それでもいいの?あんた娘のことはどうでもいいわけ?』
これを言われた空飛ぶカァちゃんは、自ら水谷の罠にのるしかなかったのだ。
末次先生も小暮先生もこれを止めた。そしてもちろん権藤も。
ここまでせかして行かせようとするのはおかしいからと、空飛ぶカァちゃんを説得しようとした。
しかし、空飛ぶカァちゃんは「私のせいで、あの子達にこれ以上肩身の狭い思いをさせたくないんです」と言い、どうしても行くと言って聞かなかった。
ただ、佐倉に言われた通りに『GOの防火スーツ』を着たまま現場に向かうと言った。
山本や水谷の言いつけなんて守っていられない。子供たちのためにも自分の命を守らなければならない。
空飛ぶカァちゃんは権藤や市谷、そして先生方に、もし助けていただけるならば、万が一火事が起こった場合は一時火消しや消防署への連絡などで協力してほしいと頼んだ。
権藤は「佐倉君に申し訳が立たない、どうかお願いだからやめてくれ」と懇願したが、空飛ぶカァちゃんは頑固に行くと言い張った。
権藤は何も言わない市谷に「君もやめるべきだと思うだろう?麹町先生だってあんなにうるさく言ってたじゃないか」と加勢を求めたが、大男・市谷は言いずらそうにこう答えた。
「はい。そう思って今日は何がなんでも遠山さんを守るつもりでした。
でも、子供ってのは親を悪く言われるのは本当に辛いんです。親だっておんなじです。
俺みたいな息子を持って、俺の親はいつも酷く言われたり馬鹿にされてたから、俺てっきり、俺のこと邪魔に思ってるんじゃないかってずっと思っていたんですよ。でも違ったんです、いつも信じてくれてました。俺が悪く言われても何かがおかしい、真実は他にあるんじゃないかって、信じてくれてたんですよ。さっきの遠山さんみたいに、ずっと俺を信じてくれたんです。だから俺も一緒に行きます。
重いけど、俺を背負って飛んでくれたら遠山さんを守りますよ。俺だってあんな奴に、あることないこと言わせたくないですから」
「市谷君!絶対にこれは罠だろうが!どう考えたっておかしいじゃないか!」
「おかしいのはわかります。でもあの総理は恐ろしい人なんです。あの人のことはあなたもよくご存じでしょう?子供を盾に取って脅したのに遠山さんがそれに乗らなかったら別の方法を取ってきますよきっと。だからいったんその場所にだけは行ったほうがいいかもしれないです。俺が守りますから、水をかぶって助けに入りますから」
権藤がどう言っても、市谷は空飛ぶカァちゃんにくっついて水谷総理との面談にボディーガードとして参加すると言い出す始末。
権藤は「そんなことをあの総理が許すわけがないし、どうしても行くというなら俺が行く」と言った。
自分を頼ってくれた佐倉の信頼を絶対に裏切るわけにはいかない。権藤はそう思っていた。
「だいたい、いくらなんでも君を背負って三階まで飛ぶのは無理だよ。俺なら何とか背負って飛べますよね?俺が三階の窓の下にへばりついて見張りますよ。工事の足場が組んであるらしいから見つからないように窓の下に隠れていますから。それで何か危害を加えられそうになったら、部屋に飛び込みます。それでいいですね?でもこれだけは言わせてもらいますよ。佐倉君は本当にあなたのことを心配してるんです。佐倉君がいたら絶対に止めると思いますよ、間違いなく!」
空飛ぶカァちゃんは、佐倉の名前を出されると辛そうに顔をゆがめたが、それでも行かないとは言わなかった。
権藤は、はあーっと深いため息をついた。
「なら俺は下で見張ってますよ。自力で登れたら三階まで行きます」市谷が言う。
そして、全くの部外者の先生たち、末次も小暮も最後まで見届けると言ってくれた。
「どうせホテルに帰って寝るだけなんだし、何時までだって協力しますよ。あんな女の声を聞いたらいてもたってもいられませんからね」
「そうですよ。確かに、行かなかったら後であの人に何されるかわからないし、こうなったらこっちはこっちで協力態勢を整えましょう」
こうして空飛ぶカァちゃんら一行は、市谷の運転する車で通称『ピンクビル』に向かっていった。
◇◇◇◇◇
―――英介からの電話。
「どうした英介、何かあった?」佐倉がたずねる。
ーーー『佐倉さん、母ちゃんは今、家にいるよね?あのビルに行ったりしてないよね?
俺さっきちょっと寝ちゃって、それで夢見たんだ。イヤな夢を。
母ちゃんが窓から突き飛ばされた男の人を助けようとして飛ぶんだ。それであのビルの裏のところの壁にぶつかって、二人して動かない!全く動かない!』
「英介!」
ーーー『佐倉さん、少し前に母ちゃんに電話してもずっと話し中だった。電話に出ないんだ。あの時は誰かと電話で話してるなら大丈夫かと思ったんだ。でも佐倉さん、母ちゃんどこにも行ってないよね?もうこんな時間だし、絶対に家にいるよね?大丈夫だよね?』
英介は何かを懇願するように聞いてきた。
「英介!ちょっと待って」
佐倉が麹町を見る。
麹町は青ざめている。
「先生!市谷さんのメール、なんでした?まさか、まさか……」
麹町が震えた声で言う。
「スカッと、大変なことになった」
「先生!なんなんです?大変なことって?先生?!」
「権藤とあの子が、釜谷に押されて、」
「押された?釜谷に?」
これに応えた麹町の声は、電話の向こうの英介にも聞こえた。
麹町の声は驚くほど弱弱しく小さかったが、英介の耳にはオケの演奏のようによく響いた。
ーーー「よくわからんのだが、うちの大将が二人を受け止めようとして横から?横から走って、二人に当たって受け止めたらしいんだが、結局大将は二人の下敷きみたいになったらしい。大将も二人と一緒に運ばれたそうだ。大将は意識があるらしい。このメールは大学の先生が大将のスマホから代わりに、わしに。
スカッと、あの二人は……権藤とあの子は、ビルの裏の塀に体をぶつけて倒れ込んだらしい。今、病院に運ばれたそうだ。意識がないらしい。研究会にいた大学の先生が付き添っ、」
ーーー『うわああああああああああ!』
英介の叫び声が聞こえてきた。
そして、静と、彼らの祖父母の慌てた声も。
英介を呼ぶ声が、佐倉の耳に突き刺さる。
佐倉は何も言えず、力が入らず、スマホを取り落とした。
意気地なく震えている佐倉の腕をすぐに麹町が引っ張った。
「何をやってる!早く立て!車で病院に行くんだ、この馬鹿もんが!」
佐倉は震えたまま立つことができない。
もう一度麹町が叫ぶ。
「この馬鹿が!お前が使いもんにならなくてもわしは行く!だからわしを連れてけ、早く車を呼べ!そうするしかなかろうが!」
そして麹町は人形のように力が抜けた佐倉を立たせるために店員を呼んだ。
「おいあんた!こいつを外に連れ出してくれ。頭が悪くて馬鹿になっとるから無理やり連れ出せ!勘定は今度するからとにかく頼む!身内が命に係わる怪我をしたんじゃ、頼む!」
麹町の剣幕に、二人の男が奥から出てきてくれた。
彼らは三人がかりで佐倉を立たせ、店から外に出した。
そして、麹町は自らタクシーを探すためにきょろきょろしながら道路ギリギリのところに立っている。
議員会館にいればこんなことにはならなかった。
なぜ今日に限ってわざわざタクシーも通らないこんなところに来てしまったのか。
見かねた店の店員が、危ないですよと声をかけてきて「僕が立ちますからお下がりください」と言ってくれた。
「あんた恩に着るよ。必ず勘定しに来るから、全部しっかりやりに来るから。んで、ついでにこいつを殴ってくれ」
「そんなことできませんよ!」と店員は言うが、
「年寄のわしが手を痛めてもいいのか?頭をガツンとやってくれ!時間がないから早くゴンとやってくれ!人の命がかかってると言っただろうが!早く!」
やけくそになった店員が「訴えたりしないでくださいよ」と言いながら、申し訳なさそうに、しかし麹町の睨みが怖くて、思い切り佐倉の頭を殴った。
佐倉が少し、息を吐いた音がする。
目がぎらぎらと潤んで唇が白っぽくなった佐倉を見て、麹町は眉を寄せた。
タクシーはつかまらない。
麹町にタクシーアプリを使うやり方なんかわかるはずもない。
やはり秘書に連絡するしかないかと思いスマホを手に取ったが、すぐに腕を下ろした。
麹町はなぜか、それをするべきではないと思ったのだ。
ーーー(今、あそこの奴らに知られてはならない)
麹町が自分で言っていたカンのようなものだった。
しかし焦りが募る。
「頼む、頼むから」と口にしながら、車をつかまえるために道路に立ってくれている店員を見つめることしかできなかった。
しまいに麹町はとうとう道路におりて行き、タクシーを探している店員の肩を掴んだ。
「あんた、どうか頼む。わしらを病院まで連れてってくれ。頼む、どうか、どうか頼む。この馬鹿はダメだ、つかいもんにならん!こんな時間にすまないが……どうか、なんとか助けてくれ!」
麹町の必死の形相に店員が顔を見合わせる。
そして、三人のうちの一人が申し出てくれた。
「わかりました。店の車で僕が行きます。僕は運転しなれていますから。店長いいですよね?本当に困っていらっしゃるのに、そのままにしておけませんから。僕からもお願いします」
店長は迷っていたようだが、結局は頷いた。
よくこの店を訪れる佐倉を知っていたし、もちろん麹町の顔を知らない者はいない。
この重鎮を乗せて運転するなど、何かあった時のことを考えたら断るべきかもしれないが、ここまで動転した彼らを放っておくことはできないと思ったのだ。
別の店員が佐倉のスマホを麹町に手渡す。
「この方、いつも明るくて落ち着いていらっしゃるのに、こんなに……」
麹町が店の店員たちに深く頭を下げる。へたれこんだ佐倉とは違う。
店員は恐縮しきりで、お返しのように深く礼をする。
本当に情けない佐倉が際立つ。
後部座席に座らせられた佐倉の隣で、麹町は言う。
「お前がしっかりしなくてどうするんだ?あの子を助けるんだろうが!いいか、これ以上権藤に借りを作るな!奴は、何の見返りもなしにお前を助けようとした男だろうが!それにお前は子供たちを守ってやらにゃあならんだろうが!」
運転手役の店員は麹町の怒鳴り声にビクッとしたが、それでもとにかく事故だけは起こさないようにと必死だった。
まるで、初めて高速道路を一人で走った時のように緊張していた。
こんな様子の佐倉と麹町を、無事に病院に送り届けるまで気を抜くことはできない。
あまりの衝撃か絶望かわからないが、ここまで力の入らなくなった人間を見ることはなかなかない。
そして、これほどまでに必死の形相の麹町を……あの格好つけの爺、外では紳士を気取った麹町がここまで慌てふためく姿を目の前で見た店員は、何かとんでもない事故が起こったに違いないと思った。
どこの誰が病院に運ばれたのかはわからないが、その店員もまた、彼らの無事を心から祈ってくれた。
どうか、どうか。この人たちの大切な人間が無事でありますようにと。
ここまでお読みくださりありがとうございます!
次回もこの続きですが、権藤や空飛ぶカァちゃんたちの動きを説明しています。
お読みいただければ嬉しいです。




