55.覚醒触覚・爺(2)
以前、空飛ぶカァちゃんと遠山公男が離婚の話をした個室のある喫茶店に入った二人は、山本ミキと釜谷の秘書・橋本菜月の密談の内容や、空飛ぶカァちゃんの様子などを話し合っていた。
この時間は個室が使えないということだったので仕方なしに端っこの席を陣取り、佐倉は“声が漏れないように”羽で空気の境界線のようなものを張り巡らせた。
これは店内にいる他の客には見えないし、当然麹町にもわからない。
山本と橋本菜月の密談について話し終えると、麹町は珍しく黙り込んだ。
どうも他の客が気になるようで、麹町が難しい顔で首を伸ばしてきょろきょろと店内を見回しているうちに、居心地の悪くなったらしい二人組が店を出て行った。
その後も、誰もが知っている政治家である麹町が、眉間に皺を寄せながら首を伸ばして睨みつけてくる視線に耐え切れず、カップルの女性のほうが『もう出ようよ』と彼氏をせかして店をあとにした。
このカップルが最後の客だったので、漸くホッと溜息をついた麹町が驚くほど小さな声でこんなことを言った。
「スカッとよ、わし、もしかしたら目覚めたかもしれん」
「先生、一体何に目覚めたんです?まさか、アイドルに目覚めたとか言わないですよね?」
「馬鹿もんが!なんでわしがそんなもんに目覚めにゃならん!」
ーーー(すぐ怒るんだから。冗談なのに全く)佐倉がニヤつきを押さえる。
「違う!そんなどっかのねえちゃんに興味ないわ。そんなもんじゃない」
「ではなんです?何かご趣味とか……もしかして、歌、音楽とかですか?!」
佐倉は昔、透明な世界で出会った頃の麹町が、いつものんきに陽気な歌を歌っていたことを思い出して微笑んだ。佐倉は続けて言う。
「先生の声は温かみがあってよく響くから、本格的にボイストレーニングでも始めたんじゃないかと思ったんですよ」
「わしがボイストレール?……声が響く?ふん、まあよく歌が上手いと言われるがな」
爺もまんざらではないらしい。
「そうでしょう?そう思ったんです」
「まあ昔からな。それより、ここだけの話になるんだが……わし、最近色々とわかるんじゃ、妙にカンが冴えて頭がもぞもぞする時がある。さっきだって山本と釜谷の秘書のコソコソ話がよく聞こえた。どう考えてもおかしい。年取って最近は前ほど耳が聞こえんのにさっきはっきり聞こえたんじゃ。ものすごくはっきり」
佐倉はすぐさまこう聞く。
「まさか先生、そのこと誰かに話したりしてないですよね?」
「いや、うちの大将には……スカッとも知ってるだろうが大きな体のうちの秘書で、市谷っていうんだが、あれには話した。やつは呆れて笑ってたがな」
「もちろん存じ上げております。市谷さんは行き会った時にはいつも小さく会釈してくださるんですよ。ありがたいことです。でも、他の方には話していませんよね?先生、念のためにあまり話さない方がいいと思うんです。危険ですよ、もし、」
「わかっとる。ただ権藤の友達の話を聞いて、ちょっとわしも思い当たることがあって」
「思い当たることってなんです?何か、体に変化でも?」
佐倉が慌ててこう聞いた。
「スカッとはこういうのを全く信じないほうかと思ったが、そうか、気になるか」
「気になります。だって、」
それは気になるだろう。
麹町には何度か羽を飛ばしたことがある――
偶然のことだったが、佐倉は、麹町を陥れようとする者達の接触に気づいたことがあった。
その時、麹町がはっきりと意識できない程度に……きまぐれに何かがひらめいた、といった形になるように調整して、ちょっとした“声掛けの刺激”を与え、危険を避けるように誘導したことがあったのだ。
ただ、それはほんの数回のこと。
麹町が、“最近色々とわかる”と言ったが、最近佐倉は麹町に対しては全く羽を飛ばしていなかった。
それに、“頭がもぞもぞする“、“小さな声がよく聞こえる“という現象。それは覚醒前に現れる現象としてよく言われていたことだ。
ーーー(もっともっとサイキックの世界本を観察していればよかった!そこそこ観察したからって理解したつもりでいたが、細かい現象についての理解が甘かったな)
今更遅いが、その頃サイキックにほとんど興味のなかった佐倉はそれほど真剣には観察していなかった。
覚醒前の体に起こる症状や、個々の力の大きさによる反動の衝撃の具合、その力をどのくらい保持していられるか等についてはどの世界本、時間軸でも大差なかったので、あまり細かく分析していなかった。
生まれ落ちてから力が発動するまでの時間の目安だったり、力の種類、サイキック同士の伝達の方法、生まれ変わり時の力の引継ぎ等、その他佐倉が興味を持った部分にのみ時間をかけて観察していたので知識に偏りがあった。
麹町がこうなるきっかけを作ったのは間違いなく自分であるとわかっている佐倉には、また一つ、責任の重さがのしかかってきた。
麹町が続ける。
「もしかして、スカッともカンが冴える時があるのか?わしは、わしは最近ずっとおかしいんじゃ。頭から何かが生えたような気がすることがある。言ってみればまあ、触覚か?」
佐倉は、英介の好きな『覚醒触角チェダー』を思い出して吹き出しそうになった。
「触角ですか?もしかして、頭がもぞもぞして痒い感じがするとか?」
「おう!もしやスカッとも頭が痒いのか?わしは、実は……指もなんか痒いんじゃよ。なんか人差し指がピリピリするんじゃ。何かの病気なのかと思ったが、カンが冴える時だけ指もぴりつくから」
ーーー(こりゃ笑い事じゃないな。これじゃまるでチェダーの世界じゃないか。作者はもしかしたらサイキックなのか?調べてみる必要があるな。触角は羽のことだろうが、指のぴりつきが気になるな)
佐倉が考えこむ中、麹町がとんでもないことを言い出した。
「わし、あの空飛ぶレディと話してると妙な感じがするんじゃ。全く何も見えやしないんだが……あの遠山さんもな、触覚があるような気がする。あの子が能力者だからなのか?」
この発言には驚かされた。
佐倉はついびくっとして、ケーキの皿の端にのせられたフォークの柄を手で押してしまい、軽く浮き上がったフォークは席を超えて転がっていってしまった。
店員が慌てて片付け、新しいフォークを持ってきた。
麹町がかわりに店員に「あんたすまんね」と声をかけ、佐倉には呆れて、
「全く何をやってるんじゃスカッとは。そんな驚かんでも、あの子は能力者なんだから超能力の触角みたいなのが出たとしてもおかしくなかろうが。
もしかしたら、あの子もわしみたいに目覚めるんじゃないかと思ってのう。
山本みたいなやつらに……あの子は繊細な頭脳労働ができていないだとかなんとか、酷い言われ方だったろう?かわいそうに、きっとだいぶん傷ついたはずじゃ。あいつらは容赦なかった」
麹町は党内での空飛ぶカァちゃんの言われようをよく知っていた。
正直さほど興味があったわけではなかったが、思考・意識感知をするという三人のサイキックと比較され、時々行われる全体での報告日にはきまって意地の悪い言葉と視線が彼女を晒し上げた。
いつもこう言われるのだ。
ーーー『団地の壁の亀裂点検と屋上チェックねえ、後は地層の点検。色々体を使って偉いね君』
いやらしい目でこう言われ、笑われる。
悪いことをしているわけでもないのに。
気弱でおとなしく見える空飛ぶカァちゃんは、女性議員からだけではなく、男性の議員からも様々な言葉の嫌がらせを受けていた。
女好きの釜谷元一議員はその筆頭だった。
その状況をよくわかっている麹町は空飛ぶカァちゃんに同情的だ。
わしみたいに、などと言ってもうすっかり覚醒した気でいる麹町が佐倉には微笑ましい。
佐倉は麹町の覚醒についてはさっきまでは少しばかり懐疑的だった。
しかし麹町が『空飛ぶレディの頭から何かが出ている気がする』と言ったことで、自分が麹町に飛ばした見えない羽の痕跡が麹町の何かを目覚めさせ、こういった小さな覚醒に繋がっていくことを確信した。
ーー(その力を保持する時間、使える量、そういった部分は小さなものかもしれないが、カンのいい人間に羽で刺激を与えるとこういうことが起きるのだろう。
サイキックが不用意にそれをすると、味方だけでなく敵にもサイキックのお仲間が少しづつできていく可能性があるということか?水谷も、山本も、釜谷のカスも、覚醒するかもしれないってことか?
サイキックがこうやって広がっていくというならそれは、進化なのか?面白くもないが、興味深い。
私にとってこれは、深化といったほうがしっくりくるな。あそこにいた時より、はるかに精度があがってきているのが自分でも怖い)
「スカッとよ。こういう力は、自分だけの宝だとは思わんか?」麹町が言う。
「宝?」
「そうだ。空飛ぶレディの力は、あの子が使いたい時にだけ使えばいい力だ。水谷や山本のようなクズが便利に使っていいような力じゃない。これはあの子だけのもので、あの子が大切にする者のために使うべきだ」
佐倉は声が出せなかった。ただ、しっかりと頷く。本当にその通りだ。
「スカッとよ。わしはあの子を開放してやりたいんじゃ。お前もそうだろう?ずっとそう思っていたんだろう?あの子が、スカッとに感謝してると言ってた。助けてくれたんだと……お前が、辛い時にいつも力になってくれたと。今日、そう言って泣きそうにしてた」
この夜、麹町の前で佐倉の目からはとうとう涙がこぼれ落ちた。
お読みくださりありがとうございます。
次回は大変な事件が起こりますが、麹町爺がすごく頑張りますのでぜひまた読んでいただけたら嬉しいです。




