54.覚醒触覚・爺(1)
さて、山本の指示により直帰したはずの佐倉。
麹町から『山本をとことん足止めしてやった』という得意気な連絡を受けた佐倉は、その時の山本の様子や話の内容の聞きとり、そして、今後の具体的な方針について話をつめるため、麹町と二人で官舎近くの喫茶店にいた。
佐倉は会館内の部屋で話をするつもりだったのだが、なぜか麹町は外で話したいと言い出した。
その理由を聞いた佐倉に、麹町は『なんとなく……今回は外の方がいい気がする』などと言って、佐倉にこっちには戻ってくるなと言った。
そして、今日の昼間に空飛ぶカァちゃんから聞いたという『個室のある喫茶店』で話をするんだと言ってきかなかった。
なぜそんなことを思ったのかはわからないが、自分はハイヤーで行くので佐倉は勝手にタクシーか何かでそこに来いと言い付けてきたので、佐倉はその指示通りにその喫茶室で合流したのだった。
麹町の意図は全くわからなかった。
しかし、なんとなく佐倉もそうしたほうがいいようにも思えて、空飛ぶカァちゃんが離婚の話し合いをしたあの喫茶室で落ち合った。
このことが吉と出るか凶と出るかはわからない。
ただ彼らはその時、二人揃ってそうしたほうがいいと思っていたのだ。
◇◇◇◇◇
その少し前。
空飛ぶカァちゃんが、権藤と麹町の秘書の体の大きな男と一緒に研究会に出席していると聞いた佐倉は、これに安心して、一足先に例の『肌色みたいなピンク色のビル』を確認しに行くことにした。
ありがたいことに山本ミキからは直帰してくれということだったので、早速タクシーでその場所に向かった。
従弟の美樹夫が話していた通りに、そのビルの前に立つとなんとなく胸騒ぎがして落ち着かない気分になり、ここと関わってはいけないよ、と言った従弟の気持ちがよくわかった。
ビルの外観やまわりの状況はまさに英介が話していた通りだった。
隣のビルとの間に通行止めの大きなガードフェンスが置いてあるため、ビルとビルの間を抜けて裏側に回ることはできない。
また、表通りにある入り口からはビルに入れない。
そして改修工事の足場とメッシュシート。これも予知の通り。
ビルの佇まいを表したキーワードと状況把握の正確さ。
この予知のセンス思うと佐倉は今後が不安でならなかった。
これは危険すぎる。
これだけは絶対に人に知られてはならないと思った。
政府お抱えの三人のエセサイキックなどと違い、これほどまでに正確な予知をする人間がいることを知られたら大変なことになる。
佐倉は自分の能力の全てを使って何としてでも英介を守らなければならないと思っていた。
これはもはや自分の責任なのだから。
英介の潜在意識に余計な刺激を与えてしまったことで、きっと今、英介は頭がパンパンに膨れ上がるような感覚を覚えているだろう。
ーーーあの時の自分がそうだったように。
まだ幼かった佐倉が完全に覚醒するまでには幾たびかの段階を踏んだが、その最初の時の衝撃はとてつもないものだった。
可愛らしい小さな頭から、髪の毛の本数なんかよりももっと沢山の羽が飛び出すのだから。
静の言っていたテグスと羽はもちろん同質のものであるが、佐倉の羽はより細く、強く、そして生き物のように激しく飛び出していった。
最初の時は父親に抱かれている時だった。
気持ちよさそうにウトウトしていたのに急に『うわあああああぁぁー!』と大声を出してすぐ気を失って高熱を出したらしい。
そして、気を失っている間、夢の中で色々なことを思い出した。
ーーー自分が、糸数万里であったこと。
ーーーそして、透明な本の中に……今、自分が生きているこの世界に飛び込んだことを。
ーーー自分を生んでくれた母は、糸数万理がまるで実の娘のように慈しんでいた大切な女性であり、父親は厳しい言葉しかかけてやれなかったたった一人の甥だった。
長い間苦しみ続けたこの二人を透明な書棚の前で見守りながら、それを見続けるのが耐えられなくなった時には、逃げ出すように他の透明な世界本を眺めたり、時にいたずらをしたりしながら過ごしたあの時間が、小さな頭から飛び出した羽に蓄えらえれていることを知ったその瞬間ーーー
何かが爆発して飛び散り、そして、その時一緒に星屑のように宙に舞ったその無数の記憶たちが、急に意思を持ったようにシューッと一直線に、無限の羽の中に吸収されていくような感覚だった。
父と母が枕元でずっと泣いていて、熱かった頭がだんだんと冷えてきて、そして自分の息が楽になってゆく。
そんな数日間が佐倉の覚醒の時だった。
その時まで幼い子供として過ごしていた佐倉は、まだその大いなる記憶を受け止めきれず混乱した。
年相応の甘えん坊だった佐倉が、その覚醒以降、急に大人の頭脳に切り替わったわけではなかった。
佐倉は幼児の生活そのものを満喫していたし、昔、味わえなかった様々なことを体験しているうちに、元々の性格もあっただろうが、子供らしいわがままやわんぱくさ、甘え、そんなものを行使できる貴重な時間に溺れていたので、それを手放す気など毛頭なかったのだ。
記憶の整理をするために頭を急にフル回転させて、うっかりまた脳の温度を上げてしまわないように、あまり深く考えないようにしたり、敢えて思い出さないで奥に奥にと押し込むようにして、重くて膨大なデータを整然と仕分けられる年齢になるまで、意識的にぼんやりと過ごすようにした。
佐倉がこうして自分を守ったこと、これは本能のようなものだった。
佐倉烈は父と母に甘えつくし、それを喜ぶ両親がたっぷりと可愛がり、姉にはベタベタと猫可愛がりされていつも膝の上に乗せられていた。
その姉は自身の出産もあり、夫と共に数年の間は実家で過ごしていたので、年の離れた弟である佐倉を甘やかし、ちょっとしたわがままを言ったりするとかえってそれを喜び、ちやほやしたり、からかったりしながらその成長を見守っていた。
時々、幼かった佐倉は頭の中の整理に失敗し混乱することがあり、最初の覚醒時と同じようによく熱を出した。
そんな時は家中の者が大騒ぎをして泣いたりわめいたりするので、小さな頭の佐倉のほうは、自分のためにここまで大騒ぎをする父と母、姉と義兄、そして多くの温かい人々の本物の優しさを感じながら、心の中で『みんな、大丈夫だよ』と言いながらこっそり慌てふためく彼らを見守っていた。
そんな時代を過ごした佐倉には、じきに覚醒すると思われる者が注意すべきことと避けるべきことが十分にわかっていたのに、つい英介にビルの外観のことや予知の内容のことをしつこく問い詰めてしまった。これは悔やんでも悔やみきれない。
ーーー(きっと大変なことになるだろうから、事前に説明しておく必要がある。遠山さんの事故をうまく防げたら、英介にきちんと話さなくては)
佐倉の頭はこのことでもフル回転していた。
お読みくださりありがとうございます。
次回も佐倉と麹町爺の会話です。その次からちょっと不穏な展開に入ります。




