53. 破壊遺産の破滅の序章(3)
いつものように打ちひしがれず、生意気にも口ごたえを続ける空飛ぶカァちゃんをやり込めようと、山本はいったん別の話を持ち出した。
ーーー『あんた本当に調子に乗るようになったのね。そういえば、最近離婚したそうだけど、あんたみたいな女に愛想が尽きたんでしょうね。旦那さんは同じ大学?それとも別?あんた確か文系だったわよね、どうせ大学も旦那さんより格下なんでしょ?
私の友人が理系の国立大学で助教をやってるけど、そこの卒業生はだいたい同窓生同士で結婚することが多いそうよ。でも時々格下の……例えばまあ、チャラついたインカレの女とか、この前のことで本村先生の秘書に盾突いた派遣の女みたいな、まれにそういうのと結婚するのがいるそうだけど、大抵うまくいかないって言ってたわ。あんたも結局離婚に至るんだから、まあそういう原因があったんじゃないの?
原因と言えば……そうそう、娘さんのことだけど、』
空飛ぶカァちゃんは勇敢にも破壊遺産の言葉を遮った。
「職業や学校は無関係だと思います。その助教の方、どういう意味で仰ったかわかりませんが、呆れた考え方だと思います。同窓生同士じゃないからうまくいかなかったとか、くだらない決めつけです。山本先生もそんな考え方をお持ちなんですね」
ーーー『あんた!いい加減にしなさいよ。私の友人をくだらないですって?あんたなんかとは格が違うのよ?あんた、ろくに売れもしない本を訳したことがあるそうだけど、どうせそれだって恩師に色目でも使って頼み込んでやらせてもらったんでしょう?だってそれっきりじゃないの!能力があったらその仕事をしているはずでしょう?佐倉君みたいに何か国も話せるならともかく、あんたみたいなのなんてどこにでもいる間抜けと同じよ!
ああもう時間がないわ。あんたの娘、かなり酷いいじめにあってるのよ。嫌われて友達もいないんですって。何度かロビーで会った時は普通っぽい子だったけど、あんたほど暗くてビクビクしたみっともない性格じゃないにしても大人しそうな子だったもの。でもね、いじめられるのには絶対に本人に原因があるんだから』
今度は空飛ぶカァちゃんが言葉に詰まる番だった。
静は学校の話をほとんどしない。
会って話すのはほとんど英介のことばかりだ。
メールでもそうだ。英介の新しい学校生活がどんな様子だとか、英介の新しい友達が家に遊びに来た話だったり、英介の背が急に伸び始めたとか、そんな話ばかり。
静は学校の友人のことを『良くも悪くも互いにベタベタしない感じで、今はお互いに距離を測っている段階だね。まあ居心地は悪くないよ』などと言っていた。
なんて大人びた言い方をするのだろうと思ったが、英介と違って特に仲の良い友達ができたとか、どんな子がクラスにいるとか、そういう話を聞いたことがなかったことに今更ながら気づいた。
(もし本当に、学校で辛い目にあっていたら?卑劣な嫌がらせをしてくる生徒が、あの総理の知人の娘だとしたら、静が何をされるかわからない!)
空飛ぶカァちゃんは想像するだけでたまらなかった。
もう完全に、山本が威勢を取り戻した。
ーーー『ねえ、全部あんたのせいよ。これ見よがしに空を飛んで見せたりするからマンションに住んでいる方は本当に嫌がっていたみたいね。あんたみたいにパッとしない女は、ちょっと目立ちたくなってやったんでしょう?そのことが中学でも噂になったようよ。海難事故のこともそう、あんたが子供を助けるのを躊躇したことが娘さんを追い詰めたのよ。結構エスカレートしているらしいけど、まああんたには話せないでしょうね。母親思いの娘さんだというのは確かみたいだから』
山本は容赦なく続けた。
制服や体操服を汚されたとか、ノートや筆箱を隠されたとか、体育のペア組はいつも一人ぼっちで、誰にも口をきいてもらえないとか、やけに具体的に並べ立ててきた。
しかし、空飛ぶカァちゃんは、何かがおかしいと思った。
あの静が、そこまでされて何も問題を起こさずにいられるだろうか?
誕生日に浅草の祖父に買ってもらった筆箱を上履きで踏みつけられた時に、体の大きい相手の子を抑え込んで背中をそらせる技をかけて泣かせるような子だ。
幼馴染が乱暴な男子生徒に目をつつかれて大変な目にあった時に、お前にもお返しだと言って平手とグーでしこたま殴りつけるような静が?
空飛ぶカァちゃんは、所謂(静の)暴力のことで中学側から連絡を受けたことはない。
もちろんいじめのことは学校側が隠すかもしれないが、もし静が何かをされたならば、それなりにやり返すだろうと空飛ぶカァちゃんは思った。
無言の空飛ぶカァちゃんに山本がたたみかける。
ーーー『あんた、何も聞かされていないと思ってるんでしょ?本当に馬鹿ね。私立の学校がいじめのことを保護者に言うわけないじゃないの!学校は隠すものなの。むしろ和気あいあいとして、じゃれ合っているとか言ってくるわよ。むしろ加害者を褒めたり持ち上げたりしてクラスの序列を作ろうとする先生も多いのよ。それに娘のほうは母親を思って黙っているの。それくらいわからないの?』
確かにそうだ。
学校側からは成績も良く、落ち着いた学校生活を送っているとしか聞かされていない。
それが本当だと思い込んでいたが、面倒なトラブルのことを正直に知らせない可能性もある。そういう学校は多いと聞く。
空飛ぶカァちゃんは黙り込んだままだ。
権藤が書き入れたメモを見せる。
ーーー(嘘に決まってる!)
大男もそれに続く。
ーーー(そんな具体的なことが水谷にわかるわけがないです。こちとら経験者だからわかります)
空飛ぶカァちゃんが頷く。
「でも、」と言いかけると、今度は山本がそれを遮って話し出す。
ーーー『だから総理が何とかしてあげようと思ったんじゃないの。あんたが土日に家に帰れるようにしてあげて、娘さんを支えられるようにしてくださるそうよ。だからその話をしたいってことなのに、あんたは熱があるとか辛いとか、自分のことばっかり!今すぐ行きなさい、すぐに!
内密の話だし、気分転換に別の場所を確保してくださったのよ。あんたの処遇については意見がわかれているからね。もっともっと管理するべきだって話も出ているのよ?
とにかくすぐに行って、近くに着いたらビルの横から裏に回って3階まで飛びなさい。窓を開けて待っていらっしゃるから、行けばすぐにわかるわ。わかったわね?』
山本は救いようのない女だが、哀れなことにこの時の山本は、水谷総理が話してきたことは全て真実だと思っていた。
空飛ぶカァちゃんを思ってご親切な処遇改善を施し、無価値な能力者にすぎない空飛ぶカァちゃんのために一役買ってやろうと手を差し伸べたと信じていた。
だから当然、中学でのいじめの話も本当のことだと思っていたのだ。
そのたわ言を真実だと思い込んでいた山本は、なかなか言うことを聞かない空飛ぶカァちゃんを憎々しいと思ったし、総理の不興を買うことが恐ろしくてついつい脅しのような言い方でせかした。
ーーー『ちゃんとした服で、タクシーを飛ばして、近くに着いたらビルの横からそっと飛んで、三階の電気がついている窓から入りなさい。ビルが修繕中で管理人が出払うことが多くって、玄関から入るのは手続きが大変だそうよ。あなたは飛べるから簡単でしょ?総理はもう待っていらっしゃるの、早く行きなさい』
それでも『はい』と言わない空飛ぶカァちゃんを、イラついた山本はこう呼んだ。
ーーー『本当にイライラするわね!そういえば、あんたが地元で何て呼ばれているかって?
ねえ、あんた息子から“かあちゃんかあちゃん”って呼ばれてるんですってね。
ぴったりじゃない。私、知ってるわよあんたのあだ名を。
みっともない空飛ぶカァちゃん!』
山本ミキの笑い声が響き渡った。
破壊遺産の週刊誌の見出しを、佐倉が笑った時のように。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
次回は佐倉と麹町爺の密談と佐倉の羽の覚醒に関するお話です。
またどうぞよろしくお願いいたします。




