52. 破壊遺産の破滅の序章(2)
さて、山本が続ける。
ーーー『メモしなさい。今から言うビルに行きなさい』
空飛ぶカァちゃんが「はい」と答える。
そして、准教授が代わりにそのビル名をメモする。
ーーー『あんたに恩情をかけてくださった総理が、今後のあんたの活動を少し軽くしてくださるそうよ。週末には家に帰れるようにと考えてくださるそうなのよ。でも、党内にはそれに反対する者たちも多いから、まずはあんたの意思を確認したいからって面談の機会をくださったのよ。あんた、感謝しなさいよね』
空飛ぶカァちゃんがまた蚊の鳴くような「はい」と言った時、今度は助手のほうがメモを見せてきた。
ーーー(でもかなり熱があって今まで横になっていたと言って。明日にしてほしいって)
空飛ぶカァちゃんがびくびくしながら言う。
「すみません、実はかなり熱があって今まで少し横になっていたんです。明日にしていただくわけにはいかないでしょうか?」
ーーー『はぁ?ふざけないでよ!あんたに連絡するまでにこっちはどんな思いをしたと思ってるの?私はずっと麹町……とにかく、熱くらいで甘えたこと言わないでちょうだい。わざわざ食事のセッティングまでしてくださったのに我儘を言うのはやめなさい!今すぐに行きなさい。今すぐよ、すぐ!』
絶対にダメだと首を横に振る男たちの指示通り、空飛ぶカァちゃんは勇気を振り絞ってもう一度断りを入れた。
「すみません、立ち上がれそうもないんです」
ーーー『あんた、本当に調子に乗っているわね。あのトレーナーをもう一回雇ってもいいのよ?いい?佐倉君にはそれを止める権限なんてないんだから。最近は私もあんたのトレーニングを見てあげてなかったから、どうも甘やかされているようね。みっともない姿をさらしてトロトロ走るあんたを見たら、佐倉君も呆れるわよ。厳しいトレーナーが一番だってわかるはずよ』
空飛ぶカァちゃんが口を噤む。
もともと「はい」としか言っていなかったが、その二文字すら出てこない。
小さく、山本のせせら笑いが聞こえた。
ーーー『あんた、これは総理が直接お話しになると仰っていたことだけど、今日のことはあんたにとってとても大切なことなのよ。いい?あんた、娘さんのことが大切なら行くべきよ』
山本は総理が指示した順番の通りに、陰湿な誘い文句を口にした。
これを聞いた四人の男たちの音のない声の大合唱、まさに口パクが始まった。
ーーー((((娘さんだと?))))
ーーー(クズめ!)
ーーー(そう来たか、ふざけるなよ)
ーーー(子供を盾に取ると)
空飛ぶカァちゃんは驚いて、すぐさま「娘がどうかしたのですか?」とたずねた。
ーーー『総理から伺った話だとね、あんたの娘、中学で酷いいじめにあってるそうじゃないの。総理の知り合いの娘さんが同じ中学に通っているんですってよ。これあんたが原因なのよ?あんたが』
びくっと肩を震わせた空飛ぶカァちゃんは声が出なかった。
いじめにあっているなどと静は言っていなかったし、勉強も頑張っていて学校生活は順調だと話していた。
しかし、もし本当にいじめがあったとしたら、本当のことを話してくるだろうか?
―――(小学校の卒業間近になって、やっと友人たちの当たりが柔らかくなったから大丈夫だよと笑って話していた静が……何か言われても睨みつけてやってるからどうってことないよと、威勢のいいことを言って力こぶを見せていたあの子が、私に本当のことを言うはずがない!)
空飛ぶカァちゃんはそう思った。
何も答えない空飛ぶカァちゃんを馬鹿にするかのように、笑い混じりの息を吐いた山本が続ける。
ーーー『私はあんたが地元でなんて言われてたか知ってるのよ。親しい人に自分が飛べることを自慢していたそうね?それなのに、海ではすぐに息子の友達を助けなかったそうじゃないの。ギリギリになって仕方なく助けたんですってね。人間性を疑うわ、あんたの。海であんたの本性が出ちゃったことは、小学校のみんなは知ってるみたいじゃない?今も時々SNSに海水浴の参加者のご父兄がその時のことを書いているみたいよ。あんたはいつも自分可愛さに立ち回るって』
佐倉から海難事故の真実を聞いている権藤は首を振りながら怒りを滲ませた。
そして、同じように麹町からこの話を聞かされていた大男のほうは思わず大きなこぶしで机をバンと叩いた。
当然その音は、破壊遺産のスマホを直撃した。
ーーー『ちょっと何の音?あんたまさか、物に八つ当たりでもしているの?本当にみっともないわね』
調子づいた山本は麹町以上にしつこい。
ーーー『海ではボランティアの仕事もろくにしなかったそうね。助けられた男の子のご両親が呆れていたそうじゃないの。あんた本当に責任感がないようね。そういう人間だと私は知っているからあんたに厳しくしているのよ?それに、友達を見捨てるなんて、息子さんも息子さんよね。まあ母親を守りたかったんでしょうけど』
山本は決定的な失言をしてしまった。
英介を侮辱する発言を聞いた空飛ぶカァちゃんは正気に立ち返った。
そして、はっきりと言い返した。
「山本先生、私はあの日海水浴場で、母親として子に恥じない振る舞いをしていたつもりです。そして息子もそうです。息子は、英介は、姿が見えなくなった友人を昼前からずっと探していて、他のボランティアのご父兄の方、友達にもずっと声をかけて気にしていたんです。最初に監視員さんに声をかけたのも息子です。息子の友人ならそのことをみんな知っています。
山本先生、息子が友達を見捨てようとしたという発言、取り消してください」
静かに怒りを滲ませた空飛ぶカァちゃんの話し方に山本はたじろいだ。
今までこの女性にどんな物言いをしても、何かを言い返されたことも、すごまれたこともなかった山本はすぐに言葉を返せなかった。
空飛ぶカァちゃんは続ける。
『英介は本当に友達を助けたくて必死だったんです。私を見つけるとすぐに助けてほしいと懇願してきました。もちろん私もそのつもりでした、息子から言われるまでもありません。だからすぐに飛んだんです。でも……英介は自分のせいで私がこうなったと……自分が頼んだせいで私が、あなた方に管理されるようになったと、ずっと責任を感じているんです。
山本先生、私も、私の家族も、あの日まで私が飛ぶことを誰にも口外しておりません。地元の方で私が飛ぶことを知っていた方は誰一人おりませんよ。私は自分でもこの力が恐ろしくてたまらなかったんです。知っていたのは夫と娘と息子だけでした。私が自慢していたと言っていた方とはどなたなんでしょうか?山本先生はご存じなんですよね?』
間抜けの格下とみなす女に、こうもはっきりと言い返された山本ミキもまた我に返った。
ーーー『あんた、この私に向かってよくもそんな口がきけたものね!あんたの言い訳を信じる人間がいるとでも思ってるの?親子揃って見苦しい!あんたの自慢話の相手が誰かって?そんな、名前まで知らないわよ!あんたが一番よく知ってるんじゃないの?そんなことどうでもいいことよ』
山本は声を張り上げるが、それで空飛ぶカァちゃんの怒りを押さえつけることはできなかった。
空飛ぶカァちゃんは更に続けた。
これを権藤も、大男も、大学の教員たちも止めなかった。
『親子揃って見苦しいとはどういう意味でしょう?飛ぶ女の息子もまた見苦しいと?私は息子も娘も、友達思いの優しい子だと思っています。山本先生には見苦しく見えるのですね』
山本が言い返す。
ーーー『あんた、本当に良識ってものがないようね。目上の者にそんな言い方をするなんて呆れるわ。あんたの今の言い草を知ったら佐倉君も驚くはずよ。彼はいつも礼儀正しいもの。
だいたいあんたのせいで本村さんがあんなことになったんじゃないの!
権藤を乗せて飛ぶなんてみっともない!あんな男を助けるなんて、やっぱり類は友を呼ぶってことね。
あんな男、よくもまあ議員になれたものよ。あいつのとこに集まってる奴らもおんなじよ。
麴町先生もよくあんな邪魔を許したものだわ、全くおかしいわよ。まあ、あんたみたいな人間にはわからないでしょうけど』
権藤は唇をぎゅっと結び、スマホを睨みつけた。
さっきの大男のように“バン“と机を叩きたくなったが、その後で山本が空飛ぶカァちゃんに罵声を浴びせる声を聞くのも嫌だったので腕を組んでスマホを睨むだけにとどめた。
しかし、一度この山本という卑怯者に、なんとか立ち向かえた後の空飛ぶカァちゃんはスラスラと口から言葉が出た。
人間というものは誰かのために怒る時こそ勇気が湧いてくるものだ。
「類は友を呼ぶとは私への誉め言葉ですか?でしたらそれは本当に光栄なことです。
私は議員の先生方のことは詳しく存じ上げておりませんが、権藤先生は本当に素晴らしい方です。それから、麹町先生もとてもご立派な方だと思っております。私の両親は昔から麴町先生を支持してきました。うちのほうでは浅草と言えば麴町先生です。
山本先生も同じようにお二方をリスペクトされていると思っておりましたが、どうやらご様子が違いますね」
(3)へつづく
お読みくださりありがとうございます!
次回(3)でこのエピソードは終わります。
山本ミキの卑劣な言葉がムカつきますが、こいつはじきにザマアされますのでしばらくご容赦ください。
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