05.海難事故と友達
6年2組の全員を興奮させた“空飛ぶカァちゃん誕生の日“の話は、世間で語られている内容とは全く違っていた。
空飛ぶカァちゃんは自分からわざわざ名乗り出て国の役に立ちたいなどと言ったわけでもないし、地元でこれ見よがしに空を飛ぶ姿を見せつけて、頼まれてもいない親切で周囲に遠巻きにされていたわけでもない。
これらは全て悪意に満ちたくだらない噂で、そのほとんどが嘘だった。
英介が5年生の春、通っていたそろばん教室のサマーイベントで毎年貸し切りバスで行っていた遊園地が廃園になったため、そのかわりとして当初は教室として初めての『夏の果物狩りのバスツアー』が提案されていた。
大好きな教室の先生からこのツアーの話を聞き、英介はとても楽しみにしていた。
しかし、5月の終わり頃のこと。
英介の友達の母が有志で立ち上げた地域のレクリエーションサークルから、合同で泊りがけの海水浴に行かないかという声がかかった。
そろばん教室の先生は、高齢の自分が海水浴で子供たちを安全に見守ることは難しいと判断し、この提案を断ったのだが、レクサークル側が、それでは『教室としてではなく自由参加ではどうか?』ということを言い出してきて、沢山の子供たちが海水浴へ流れることになった。
果物狩りバスツアーと日程もかぶっていたこともあり、結局そろばん教室としてのサマーイベントは中止となってしまった。
英介は桃狩りを楽しみにしていたし、せっかく企画してくれた大好きな教室のおばあさん先生が気の毒だという思いが強く、空飛ぶカァちゃんともその話をして、自分は海水浴には参加しないつもりでいた。
しかし、このことで友達のアキラとぎくしゃくしてしまい英介は落ち込んでいた。
それを見かねた先生が『英介君、果物狩りはいつでもいけるよ。私が元気なうちに一緒にまた行こうよ』と言ってとりなしてきたこともあり、英介も結局は海水浴に参加することになった。
初めての泊りがけのイベントということもあり、レクサークル側では保護者のボランティアを募った。
インドア派の空飛ぶカァちゃんはずっと断っていたのだが、結局アキラの母に押し切られ、空飛ぶカァちゃんも泊りがけイベントのボランティアへの参加が決まった。
英介も最初は乗り気ではなかったが、2年生の頃から一緒にそろばん教室に通い、英介の一番の友達だったアキラとの二泊旅行。行きのバスに乗り込んだ瞬間から二人は大はしゃぎだった。
初日は砂浜でスイカ割りをしたり、ビーチボールで遊んだりしながら遊びまわり、夜はちょっとした花火で大いに盛り上がった。
別に臨海学校や林間学校のように何かを学ばせるというものではないし、基本的な決まりを守りさえすれば、自由に好きなように海水浴を楽しめるといった趣旨で開催されたサマーイベントだった。
泳ぎに関しては、英介はクロールと平泳ぎ、かろうじて背泳ぎができるくらいの腕前でしかなかったので、わざわざ海岸から離れて深いところまで泳ごうなどとは思わなかったし、実際、初日にうっかりして大人の足がギリギリ底に届くような深みにはまり、パニックを起こしそうになったこともあり、二日目は、英介はずっと砂浜で大人のビーチバレーを見学したり、参加した子供たちみんなで泥砂を体に塗って泥だらけになったり、一人ずつ砂の中に埋もれてみたり、そんなふうに過ごしていた。
昼ごはんの時間になってアキラがいないことに気が付いた英介は、まずアキラの母親にたずねた。
「おばさん、アキラがいないけどトイレかな?ずっとみんなで砂かけして遊んでたんだけど、いつの間にかいないんだ」
「ああ、アキラちょっと泳いでくるって言ってたわよ。ほら、もうすぐ水泳の大会があるから思いっきり泳ぎたいとかってね」
「そうなんだ、でもあまり深いところまで行くと危ないんだ。俺、昨日流されそうになってさ、足がつかない、ってなってびっくりしたんだよ。誰か一緒ならいいんだけど」
英介は心配そうに遠くを見ながら、アキラの派手な赤い水泳帽を探したが見当たらなかった。
アキラの母親は「大丈夫大丈夫、あの子泳ぎだけは達者だから。お父さんが追いかけるって言ってたから心配いらないわよ」と言って、英介には心配しないで遊んでいなさいと背中をポンポンたたいて日よけテントに入ってしまった。
英介はなぜか胸騒ぎがして、その後で他の保護者ボランティアにも同じようにアキラがいないことを告げたが「お父さんが追いかけたっていうなら大丈夫なんじゃないかな。アキラ君は泳ぐのすごいじゃない?どちらにしろ見つけるの大変よ」と言われてしまい、仕方なく砂浜の教室のみんなのところでモヤモヤした気持ちで遊んでいた。
途中でアキラの父親から母親にメールが入り、泳ぎ疲れたアキラと一緒に昼ごはんは大きなホテル側にある海の家のほうで軽く食べるから、そちらはそちらで食べてくれと伝えてきた。
この連絡を聞いて英介はホッとしたのだが、その後もアキラがこちらに戻ってくることはなかった。
昼にみんなで焼きそばを食べて、低学年の教室の子たちが英介に砂の城を作ってとせがんできたので、それに夢中になっているうちに、いつの間にか午後3時近くになっていた。
アキラがまだ見当たらないので、英介がもう一度さっき声をかけた保護者ボランティアにたずねたが、「それがアキラ君のお母さん、テントの位置を移動したみたいで場所がわからなくって困ってるのよ。お父さんも見当たらないの。一緒に泳いでいるのかしら?もうそろそろ戻らないといけないのにね」と少し心配そうにしていた。
英介は、レクリエーションサークル側から参加している学校のほうの同じクラスの女の子たちにも声をかけてみたが、誰もアキラのいる場所がわからなかった。
みんなで沖のほうをじっと見つめてみたものの、やっぱり赤い水泳帽は見つけられなかった。
英介は母親(空飛ぶカァちゃん)を探したが、遠くの方で小さい子の面倒を見ていてトイレに連れて行ったり、泣く子を抱っこして宥めたりしている姿をみとめて、この時は知らせに行けなかった。
英介はなぜかどうしてもアキラのことが気になって、更に別のボランティア参加のお父さんにも話してみたのだが『親子で泳いでるんじゃないの?あの親子、泳ぎすごいから大丈夫だろ』と面倒くさそうに言われ取り合ってもらえなかった。
それからすぐのことだった。沖合でサメの背びれのような目撃情報があったという遊泳制限の呼びかけがあった。スピーカーから大音量のアナウンスが流れ、砂浜はちょっとしたパニックになった。
子供の名前を叫んで探している大人の声。
『ええっサメ?嘘でしょ』とふざけた感じの黄色い声。
早く海から出るようにという大人の怒鳴り声に、英介は震えあがった。
すぐに監視員に友達が昼過ぎからいなくなっていることを告げると、その監視員が驚いて、今すぐの確認と救助が必要だと叫んで海の家のほうに向かって走り出した時に、海の家の前で母親がきょろきょろと誰かを探しているところを見つけた。
英介は「母ちゃん!」と大声で叫んで駈け寄った。
空飛ぶカァちゃんは人目もはばからず、ああよかったと言って英介をぎゅっと抱きしめた。
一緒に砂の城を作っていた子供たちは全員海の家に戻ってきたのに英介がいなかったので不安になったようだった。
アキラがいないことを告げてから、二人はずっと砂浜で救助の進捗を伺っていたが、
「赤い帽子の少年が沖にいる」「やつの背びれが見えたらしい」
そんな話が聞こえてきた。
アキラの母親は昼ごはんの後に夫からの指示で、別の海の家で昼食をとっていたアキラと父親側に近い位置に日よけテントを移動した後、そのままテントで眠ってしまい、アキラがなかなか戻らないことに気が付けなかったようだった。
アキラのお父さんがそのお母さんを怒鳴りつける声が聞こえてきて、英介はびくっとして母ちゃんの腕をぎゅっと掴んだ。
その時、空飛ぶカァちゃんが英介の手を上から優しく包み込んで、そっと撫でてくれたことを英介はずっと覚えている。大丈夫大丈夫と安心させてくれた手だった。
救難船が間に合わないとかなんのかんのと大騒ぎとなっている砂浜で、なぜか英介にははっきりと『赤い帽子の子、もしかしたらまずいかもしれない』という声が聞こえた。
そして、なぜか空飛ぶカァちゃんにもそれが聞こえたようだった。
どこから聞こえたのかわからない。
しばらくして、アキラのいる場所が右前方にある岩場を目印にして、かなり沖のほうだという話が耳に入ってきた。
英介は「母ちゃん。アキラが、アキラがサメに!どうしよう!」と言いながら涙を浮かべた。
「母ちゃん、アキラを助けられないかな?秘密にしないといけないってわかっているけど……もし救助の人が間に合わなかったら、アキラが死んじゃうよ」
「母ちゃん、アキラ助けてよお願い」
空飛ぶカァちゃんに迷いはなかった。
でも英介には母親が迷っているように見えた。
それを自分が無理やり行かせてしまったのだと、自分が泣いて頼んだから、大勢の人前で飛ぶ羽目になったのだと。全てが、自分のせいだと思った。
次回で『空飛ぶカァちゃんと英介の海難事故』の回顧はひとまず終わりです。




