47. 使い捨ての飛ぶ女(2)
深夜遅くの一通のメールから始まり、その後電話で打ち明けられた佐倉の告白は衝撃的なものだった。
権藤は佐倉から、友人の一人が空飛ぶカァちゃんの危険な未来を予知したことを打ち明けられた。
痛ましいその内容――『でもあの総理ならやりかねない』、権藤はそう思った。
今までも、不自然な事故やスキャンダルがあの総理の敵となる相手に絶妙なタイミングで降りかかることがよくあったからだ。
実際、自分たちの中にもわけのわからないスキャンダルで潰された者がいたので、権藤は総理の卑劣なやり口が想像できた。
今回、なぜその相手が空飛ぶカァちゃんなのかはわからないが、多分彼女は巻き込まれる形での被害者なのだろう……そう思うと一人の政治家として、彼女をなんとか守ってやらなければと権藤は思う。
(以前彼から『もし遠山さんに何かあったら助けてくれますか?』と切羽詰まった表情で問われたことがあったが、それがこのことだったのか?)
権藤はこの夜『空飛ぶカァちゃんの初めての海難事故』についても真実を聞かされた。
息子と同い年の英介という少年の苦しみ、悲しみ。
佐倉がその少年とその子の姉のために、どうにかして空飛ぶカァちゃんを助けたいと思う気持ちは痛いほど理解できた。
普段はこちらがどんなに真っすぐな思いをぶつけても、にっこり笑ってうまい具合に話をそらしてくる佐倉が、今日は直球で助けを求めてきた。
権藤にとって佐倉は、初めて会話をした時から不思議なことになぜか心惹かれる相手だった。
距離を置こうとしているのか、それとも親しくなることを喜んでくれているのか、佐倉の表情からは間違いなく自分に対する親愛の気持ちが窺がえるのだが、何かを隠しているような、不安を感じているような、そんな態度が目についた。
権藤が好むまっとうな正義感を持ち、見かけとは違い情に溢れた佐倉と知り合えたことを嬉しく思っていたため、佐倉の中にある心配ごとや隠し事のようなものが、もしこのことであったならばできるだけ力になりたいと権藤は思った。
佐倉は不安のすべてを吐き出すように早口で話した。
なぜかこうなったのは自分の責任で、自分が全てなんとかしなければいけないのだと、そんなふうに思っているかのような口ぶりだった。
ーー『麹町先生に助けてもらうのが手っ取り早いとは思います。でも、このことを予知した友人が麹町先生のところにいる若い秘書の方がなんとなく不安だって言うんです』
ーー『それに、釜谷先生(水谷総理の愛人の議員)の秘書の女性がなにやら暗躍しているみたいなんです』
ーー『週末に権藤さんがどこかに動かれる時には遠山さんを調査と称して連れ出すわけにはいきませんか?平日は俺が何とかしますので。俺がガードできない時に都心にいさせるのは危険なんです。絶対に水谷総理に近づけたくないんです』
ーー『土砂災害の研究会とかだけじゃなくて、それこそ権藤さんが地方へ行かれるときになんとか理由を付けて同行させられませんか?俺が、絶対に山本先生を説得しますから!』
佐倉は必死だった。
なんとしてでも空飛ぶカァちゃんを守りたいという切実な思いが伝わってくる。
いつそれが起こるかわからない以上、できるだけ総理との距離を離しておきたいという気持ちもわかるが、山本が空飛ぶカァちゃんを管轄している以上できることは限られてしまう。
権藤は何とかしてやりたいと思ったが、こればかりは自分の力ではどうすることもできもないということがわかっていた。
その夜の追い詰められた様子の佐倉はいつもの澄ました話し方ではなく、俺が俺がと興奮し、前のめりで痛々しかった。
権藤は佐倉の話を細かくメモしていたが、しばらくブツブツ言いながら何かを書き込み、電話中だということを忘れたように、じっと考えこんでしまった。
佐倉は佐倉で空飛ぶカァちゃんの飛行予定表を確認しながら頭をフル回転させていた。
二人が黙り込んで数分が経った。
そして、権藤は『やっぱり、麹町さんに頼むのがいいと思う』と言った。
権藤は何とか自分が麹町に頼んでみるので、サイキックの予知のことを麹町に話してもいいかと佐倉にたずねた。
ただ、そのサイキックが佐倉の友人であることを正直に打ち明ければ、間違いなく後々厄介なことになるだろうし、麹町としても立場上それをずっとそのまま見逃してやり、放置することはできないだろうから、まずはそのサイキックの現在の状況について、いったん嘘を交えたらどうかと佐倉に提案した。
その提案の内容はこうだ。
例えば……と言い、権藤は考え考えゆっくりと話し出した。
――「その予知というものが、実は非常に不安定なものであり、最近は予知が外れることも多くなっていて、日に日にその能力が衰えてきている……それで、予知をした友人というのが、とても体が弱くて、予知をするたびに体調を崩している。予知は体に負担をかけるみたいで、そのためこのことを隠している」
権藤は「どうだろう、こんな感じのことを麹町さんに伝えるのはどうかな?友人の体のことが心配ではあるけれども、それでも遠山さんの状況を思うと心配でならない、ってことを訴えるんだ。こんな風にやってみるのは?」こう言って佐倉の返事を待った。
佐倉が何も答えないでいると、権藤は「ああ、うん、確かにそんな嘘の説明は自分では言いずらいよね」と言い、そのサイキックが『自分の友人』ということにしてもいいから、と申し出たのだ。
「俺がまず佐倉君にこのことを打ち明けたところ、君が遠山さんのことをひどく心配して動揺していたって俺から麹町さんに話すよ。あと、今頼れるのは麹町先生だけだからと佐倉君が言っていたと話してみよう。なんだかんだ弱者に優しい人だから、聞いてくれると思うんだ」
権藤はこう言った。
ーー『でもサイキックを隠していたってことで権藤さんが困ったことになってしまうじゃないですか。だからやっぱり俺の、』
「いや、いくら俺を目の敵にしていても、麴町さんは根が優しい人だからね。仮に、この予知をした人が君の友人だって正直に言ったとすると、あの人のことだからこっそり会わせろとかなんとか言いかねない気がするんだよ。でも、俺の友人だとなると、あの人は逆にそういうことは言わないと思うんだ。なにせ自尊心の塊のような人だからさ。
麹町さんは大嫌いな俺に、体の弱い友人に会わせろとか、多分言ってこないよ。
それに俺が、体の弱い友人のことを思って隠しておいてもいいところを、遠山さんが心配で佐倉君に打ち明けたってなったら、多分麹町さんは文句いいながらも助けてくれるよ。先に佐倉君が話すよりいいと思うんだ。だいたい今、佐倉君は冷静に話せないだろう?まず俺が話してみて、それでダメだったらその時こそ直球で佐倉君が話した方がいい。もし助けを求める順番が逆だったら、あの人は絶対に聞いてくれないよ」
権藤はわがことのように親身になってくれた。
佐倉は彼を見ていると、いつもいつも味方でいてくれた父が思い出された。
権藤といると、自分が女性だった頃に、守られ、庇われ、助けられていた時の感覚が蘇った。
時々くだらない冗談を言ってからかってきたり、自分こそ辛いだろうに無理をして笑ってくれた父との思い出が溢れてしまうのだ。
もちろん別人だ。
違うのだとわかっていても、懐かしい父親との日々が目の前に浮かび漂うので、佐倉は権藤に近づくのをやめられなかった。
佐倉は初めて会った時に瞬間で、権藤が父と縁のある人間であることがわかったのだ。
亡くなった父とはもちろん別人ではあったが、佐倉の羽がその縁を教えてくれた。
(ああ、こんなところにいたんだね。私は会いたくてたまらなかったのに。涙が枯れるほど泣いたのに!お父さん!)
――『マリー、パパって呼んでよ。今風にさ、ほらちょっと呼んでみて。エリーは呼んでくれたんだよ?』
――『ええっ、いやだよ。お父さんはお父さんよ。甘えん坊じゃあるまいし私は呼ばないよ』
佐倉は権藤を見ながら、よく父親とのやり取りを思い出した。
そして、佐倉のとうちゃんが『パパと呼んでくれよ』というたびに、いつもいつもその時の父の声が蘇った。
佐倉が静に話した透明な書棚の透明な本のこと――
この本の中には、沢山の人生がほとばしっていた。
本によっては物凄い速さで時が流れているのに、また別の本を開くと、なぜかゆっくりとそれぞれの人生が育まれているように見えた。
不思議なことに時の流れのスピードは一定ではないようだった。
そして、多くの本の中には、姿形を変えた懐かしい人々が生きていたのだ。
佐倉は長い年月をかけてこれを観察しているうちに、その本が透明であるうちは、その本の中に飛び込んで新しい人生を始められることを知った。
自分がそこに飛び込んでしまえば、新たに生まれ変わってしまうため、もう自分が生きて死んだこの世界に戻ることはできなくなってしまう。
しかし、自分が生き、そして惨めな死を迎えていたこの世界に、飛び込んで戻る勇気もなければ、戻ったところで誰も幸せになれない状況が二十年以上も続いていたのだ。
そんな中で、あちこちの透明本を観察しているうちに、佐倉はあることに気づいた。
ーー(この本……あの本にも、亡くなった双子の妹の魂がいること)
ーー(自分の魂の色だと思ったら妹だったこと)
ーー(妹の魂が生きている本に手を伸ばして入れると、その中に少しだけ干渉することができること)
ーー(妹が存在しない本は、ただ眺めることしかできないこと)
そしてこう思った。
―――『妹が存在しない本にうっかり入ったら大変だ。その瞬間生まれ変わってしまうから、観察したり見るだけにしなくてはならないんだ』
こんなふうにして、佐倉は双子の妹の体を借りて、あるいは双子の妹の影のようにその近くに立ち、数多くの透明本でちょっとした干渉……おせっかいをやきながら、やきもきしながら過ごしていた。
その中で佐倉は、権藤の魂と同じ本質を持つ男たちに出会った。
魂というものには、それぞれ独特の色というか、温度のようなものがあるようだった。
どの透明本を見ても権藤の魂を持つ者は体の中に同じ色を持っていて、同じ温かさを宿していた。
そして、そのうち佐倉は、かつて自分をひどく傷つけた下品で悪辣な人間の魂の色と温度を見つけてしまった。
それは色々な透明本の中に潜んでいて、いつも佐倉の大切な人を脅かしていることを知った。
どの本の中でも敵と味方がはっきりとしており、佐倉はこれを慎重に確認しながら、自分の脳にその色と温度を覚え込ませた。
どうやら、どのような生をその魂が生きようと、敵と味方の関係性はずっと変わらないらしい。
そのことを知ると、佐倉はより慎重に、自分が生きて死んだ世界の透明本を観察するようになった。
それがどんなに辛くとも、悲しくとも―――
奴らをいつか叩き潰すために!
その敵が結婚したり子供を産んだり、何かをやらかしたりという気分が悪くなるような情報を徹底的に頭に入れ込んでいった。
佐倉がもう一度、この世界に生まれ落ちた瞬間はただただ喜びに溢れ、大好きな女性の腕に抱かれ、自分を溺愛する父親の体温に溺れていたが、透明な書棚の前で過ごしていた佐倉の無限の羽が覚醒し、全ての記憶が戻った瞬間に、その幸せに色付きの魂の記録がくっついてきたのだった。
覚醒し成長した佐倉は、その後様々な理由から山本の秘書となったが、この生で権藤と再会した瞬間から権藤の力になりたいと思っていた。
彼に近づくことが目的で秘書になったわけではなかったが、どうしても懐かしくて、彼が大好きで、その思いが溢れて仕方がなかったのだ。
そしてこれは麹町についても同じだった。
透明な書棚の前に立ち続けた佐倉は、沢山の透明な本の中で麹町のような魂を持っている男を数えきれないほど見てきた。
しかし、他の多くの人生の観察に夢中になりすぎて、うっかりしてしまうこともよくあった。
あちこちと珍しい世界を生きる人々の観察に夢中になっているうちに、いつの間にか麹町や権藤の魂が過ごす透明な世界本が、佐倉にとってのタイムリミットが訪れたために、ちょっとした干渉ができなくなり、彼らが生きた証は過去のものとなり、色を持ち、自動的に透明ではない書棚に入れられていった。
そのさよならの時は急に訪れる。
驚くほどゆっくりと時が流れていたというのに、それでいてあっという間に過ぎてゆく。
我々が持つ人生と同じでつかみどころがない。
その中で、麹町と権藤はどんなふうに姿を変えどんな時代を生きようと、いつも世の中を良くしようとして戦っている男だった。
その時から祖父のようであり、叔父であったりもしたし、兄や従弟でもあった彼らを、佐倉は本当に愛していた。
ここで出会った時から、今度こそ絶対に彼らを守りたいと思っていたのに、情けないことに守られるのは佐倉のほうとなってしまっていた。
――(今回のことが片付いたら絶対に恩返しをしよう。自分の能力の全てを使って彼らの力になろう)
佐倉はいつもこんなことを思っていた。
お読みくださりありがとうございます。
次回は(3)です。麹町爺と権藤のやり取りほか、卑劣な総理のつぶやきです。




