45.羽とテグスと触角の秘密(2)
「とうちゃん……」
「言っておくが何度もノックしたぞ」
「それはわかるけど、とうちゃん、どこから聞いたの?」
「陰湿な目つきのあの女が自分だけ降ろせって遠山さんに何か酷いことを言ったところ」
はあぁ……と佐倉はため息をついた。
「とうちゃん、わかってると思うけどこのことが誰かに知られたら、」
「知り合いのサイキックって、英介君のことだったのか」
佐倉の父は、なぜあれほどまでに息子が焦って防火スーツを用意しようとしていたのかを瞬時に理解した。
とにかく今すぐ入手してほしいと頼み込んできて、どんな時でも防火スーツを着用させないと大変なことになるからとその日のうちに届けさせた息子。
――(もしこの事故を防げなかったら英介君がどんな気持ちになるだろうか。だからあんなに焦っていたのか)
佐倉は自分の父親が英介を追い詰めるような人間ではないとわかっていたが、不安そうに目を見開いている英介を見て「とうちゃんに知られちゃったけど大丈夫だよ英介。この人、総理も山本のことも大っ嫌いだから」と言って英介の背中を叩いて落ち着かせた。
「当たり前だ、あんな奴ら顔も見たくないね」
「わかってるよとうちゃん。英介、言うの忘れてたけど、やけど防止用の防火スーツはもう届けてあるんだよ。とうちゃんと母さんが遠山さんのところに持ってってくれたんだよ」
英介の背中に手をあてたままで佐倉がこう言うと「えっ、もう?」と英介が驚く。
「ああ、あの日の朝すぐにとうちゃんに電話して手に入れてもらったんだ。でも俺は麹町先生の通訳があって行けなかったから代わりに届けてもらったんだよ」
英介は佐倉の父を見つめて、目に涙を浮かべた。
ありがとうと言おうとしたのに、ほっとしたのとありがたいのとで胸がいっぱいになり、なかなか言葉が出てこなかった。
代わりに静が言った。
「ママのためにありがとうございます。佐倉さんのお母さんにもお礼をつた、」
こう言ったところで、今度は佐倉の母が半開きだった引き戸を全開まで引き開けた。
「遠山さんのところにお邪魔して、色々なおしゃべりをして本当に楽しかったのよ。本まで貸していただいて、お礼を言いたいのはこっちなのよ静ちゃん」
母親の登場に、佐倉はまた長いため息をついた。
「母さん、夜なのにそんなに果物を切って!もういいよ、入って」
「お父さんがやっぱりクラフトビールを持ってくって言うから、果物をと思ったのよ。ごめんね、私にも聞こえたわ。知り合いのサイキックって言ってたからてっきり、透くんとか慶次くんたちの誰かのことを隠してそう言っているんだと思っていたの。まさか英介君だったなんて」
佐倉の母は安心させるように微笑んでこう続ける。
「大丈夫、きっと大丈夫よ。遠山さんにも話したんだけど、烈はすごくカンが働くのよ。私たちもね、直前で助かったことが何度もあるの。だからお母さんもきっと大丈夫よ」
静も英介も、瞼にたまっていた涙が零れ落ちた。
大丈夫、大丈夫と落ち着かせようと声をかけながら、佐倉の母は姉弟の背中をゆっくりとさすった。
なにかあるといつもこうしてくれた母親が、やはり同じように静と英介を慰めているのを見て、少しだけ笑みがこぼれた。
「母さん、今日は特別だよ。みんなで夜中に果物パーティーだ。とうちゃんもビールをくれたしさ」
「烈はあとが怖いからな。でも英介君にビールを持ってこいと言わせるなんてとんでもない息子だよ。お客さんに何をさせているんだよ」
「英介に取りに行かせれば、とうちゃんならくれると思ったんだけどね」
この夜、三人で話すつもりだった空飛ぶカァちゃんの救出作戦会議は、結局佐倉の親も交えてのものとなってしまった。
しかし、大人たちが知恵を出し合っても場所の特定はなかなか進まなかった。
英介が見たものは空飛ぶカァちゃんを中心とした映像だったため、特定に必要な建物の表側の情報がほとんどなかった。
英介は思い出そうとしてもわからないらしく、なぜか全く人の気配が感じられなかったという。
佐倉は、もしかしたら廃ビルなのかとも思ったが、ちゃんと足場を組んで養生用のシートをかけていて、一部のシートを外していたとなると、工事が終わりつつある状況なのかもしれない――そう推察することもできる。
こうなると、自分よりずっと情報収集能力に優れた友人にいつものように助けてもらうしかないかと思い、メールをするためスマホを手に取ったところで、父親が誰かに電話をかけているのが見えた。
いったいどこへ?焦る佐倉が止めにかかる。
「とうちゃん、ちょっと勝手なことは、」
“待て”、と手を広げられ、父親から言葉を遮られたところで、電話の相手が自分の歳の離れた従弟だとわかった。
佐倉の友人、例の『身体・精神保健調査員』咲太郎の父親である。
どうやら佐倉の父は英介から詳しい話を聞いていくうちに、英介が言っていた“肌色みたいなピンクっぽい色のビル”、というのが引っかかっているらしかった。
従弟との電話で佐倉の父は――「そうかもしれない。悪いが明日か明後日か、できるだけ早く現在のビルの写真を撮って送ってくれ」と頼み、他にもあれこれ指示を出して電話を切った。
「とうちゃん、何かわかったの?」
「いや前にあいつの友人がレンタルオフィスを探していた時に、付き合いで見に行ったらしいんだが、そこが確か肌色のビルだって言ってたんだ。でも中に入った時になんとなく気味が悪いからって契約しないようにさせたって、あいつは言ってた。条件も良かったらしいんだがね。ほら、あいつもそういうの気にする方だからさ」
「ああ確かに。それでそこは契約しなかったんだね?」
「そうそう、結局私が紹介してあげたサテライトオフィスに入ったんだよ。肌色のビルのところは入ってすぐにイヤな気分になったとか言って、契約をやめさせたそうだよ。でもその後すぐに、その近くで殺人事件が起こってさ、やっぱりあそこはやめておいてよかったとか、そんな話を思い出したんだ」
「ふうん、相変わらずそういうカンが冴えてるよね。そこが息子の咲太郎とは大違いなんだよな」
佐倉がこう言うと、「そんなこというと咲子君にしかられるぞ。なんたって息子命なんだから」と言って笑いながら口に人差し指を当てた。
「佐倉さんのお父さん、肌色のビルのことなんだけど、俺もちょっとイヤだなと思ったんだ。よくそういう色の家とかあるし、綺麗だなって思うこともあるんだけど、あそこはなんか気味が悪かった。もしかしたらそこなのかな」英介が不安そうにこう言った。
「いや似たような色のビルは結構あるから違うかもしれないけど、まずは写真を見て、もしそこだったら何かしらの手を打てるだろう?だから念のためにね」
佐倉の父がこう言うと、英介はゆっくりと頷いた。
「そういえば英介君、今の電話の相手ね、さっき英介君が綺麗だって言ってた一階の絵、あれを描いた子なのよ。私の姉の子供なのよ」
佐倉の母がこう言って英介の背中を撫でた。
「ええ、そうなの?あの絵すごく綺麗だよね!俺、ほんとに綺麗だと思ったんだ」
英介がこう言うと、顔を見合わせた佐倉の両親が本当に嬉しそうだった。
佐倉もまた嬉しそうに笑いながら言う。
「息子のほうはぽけーっとした奴なんだけどね。あの人はちょっと強面だけどすごいアーチストなんだよ。それなのに、いまだにとうちゃんにこき使われてかわいそうなんだ」
「ええっ、かっこいい!すごい人なんだね。でも、わざわざ建物を見に行ってもらうの悪い気がするんだけど……もしかしたら違うかもしれないのに」英介はだんだん声が小さくなっていった。
「英介、こうなったら信用できる人の手を借りて、ひとつづつ潰していくほうが早い。そういうことをしていると、もしかしたら運命が変わって起こらなくなるかもしれないじゃないか」
佐倉がこう言うと「そうなのかな、そうだったらいいんだけど」と言う英介の肩を佐倉の母が抱きしめた。
そして静のほうは、その小さな頭を佐倉の父が撫でてやった。
火事が起こる場所の特定に時間を費やしすぎたので、そろそろ静のサイキックの話をするために両親を部屋から追い出そうと佐倉が考えていると、ベッドに寄りかかって英介がカクンカクンと頭が船を漕いでいた。
佐倉の母がうまく誘導して奥に敷いた布団に座らせると、英介はそのままコテンと寝ころんだ。
余程張り詰めていたのだろう、抱えていた秘密を打ち明けられたことで体の力が抜け、くたっとした人形のように眠ってしまった。
さて、佐倉はまだ週明けの対応のことで頭がいっぱいだったし、静もまた目が冴えていて眠れそうもなかった。
佐倉の母は「眠れない時に無理に横になっても疲れは取れないものね、下に降りて話したら?私たちはもう寝ようと思ってるから眠気がくるまでおしゃべりするといいわ。明日はゆっくり起きればいいんだから」と言って部屋を出て行った。
同じく部屋を出ようとした父親が引き戸の前でこう言った。
「もし場所を特定できたとしても、そこでずっと張り付いて待ってるわけにもいかない。今回は誰か権限のある人に協力してもらったほうがいい。麹町って議員になんとか助けてもらえないのか?母さんが良さそうな方だと言っていたが」
「とうちゃん、わかってるんだ。でもかなり面倒な人なんだよ」
「全て話さなくてもいいじゃないか、烈ならうまく言えるだろう?なんとか遠山さんを山本から切り離して、麴町さんのラインに入れられないのか?そうすればあの総理だって、そう簡単に彼女を好き勝手できないだろうから。山本や烈なら総理がいいようにできたとしても、さすがに麴町さんは無視できないだろうからね」
「そうなんだけど、麹町先生の秘書についてはまだ人となりがわからないんだ。それでなかなか決心がつかないんだよ」
「そうか、他に誰か信頼できる方がいればいいんだが」
「うん、今のところ権藤さんくらいしか思いつかないよ。でも権藤さんはこの件じゃ何の権限もないし、むしろ山本も麴町先生も彼を避けてるから無理なんだ」
「そうか、まあ父さんも考えてみるが……英介君がこのことで自分を責めるようなことにならないようにしないといけないね。全く悪くないのに自分が悪いと思っているふしがある」
「その通りだよ。英介はずっと自分を責めているんだ」佐倉は辛そうに言った。
顔を顰めて考え込む息子の肩を佐倉の父がポンポンと軽く叩いて言う。
「これからはいつだって味方でいるからって言っといて。“グリーングリーン“で眠くなる英介君には静ちゃんと烈だけでなく、私も母さんもついてるよってね」
こう言って笑いながら階段を降りていく父の足音を聞きながら、佐倉は『パパのこともパパと呼んでくれよ』と言って寂しそうに笑っていた父の姿を思い出した。
どんなに意地悪を言っても、いつだって大切にしてくれた父。
『どんな時でも味方でいるよ』――この言葉は、糸数万里だった頃に大好きな父親がよく言ってくれた言葉だった。
そして本当に、いつもいつも味方でいてくれた父だった。
そして、同じように静は佐倉からこの言葉を聞いた。
『静ちゃんと英介の味方でいるよ』――
高崎の古い喫茶店で佐倉がこう言ってくれたことを静は思い出す。
「あの言葉、佐倉さんのお父さん譲りだったんだ。さっきも思ったけど佐倉さんはお父さんに本当にそっくりだね――ね、虹色の音符、あれに出てくる“お父さん“っていうのは糸数万里さんにとって大切なお父さんだっただろうし、そのお父さんにとっても大切な娘だっただろうけど――でも、この家の佐倉さんのお父さんにとっては、佐倉さんはたった一人の息子なんだよね」
佐倉が顔を上げると静が言う。
「私、ハーブに水を遣りすぎる佐倉さんのとうちゃんが大好きになっちゃったからさ、これからは私は“とうちゃん”の味方にもなるよ。佐倉さんにあんなに虐められたらかわいそうだもん」
奥で寝ている英介の、寝返りの衣擦れの音が聞こえた。
その音のほうを見つめながら佐倉が言う。
「本当だね、静ちゃん。そうしてあげてね」




