44.羽とテグスと触角の秘密(1)
――二階の佐倉の部屋の隣。
「ここは以前は姉が使っていたんだよ。今日はここで寝てね」
英介と静は佐倉の姉の部屋に案内された。
今でも子供を連れて家族でここに来た時にはこの部屋を使うため、机もベッドも配置は当時のままだという。
英介が「こっそり忍び込んでるみたいでなんか落ち着かないや」と言うと、静もまた同じように感じていたようだ。
「確かに。なんかベッドを使うのは悪いよ、私も布団で下で寝る。そうしてもいいでしょう?」
「平気だって。俺の従兄の息子とか……まあ俺の友達なんだけど、そいつとかも使ってるし、従兄の奥さんとか俺の友達とか、もう色々な人が泊まってるんだよ。静ちゃんも気にしないで使って」
そして佐倉は姉のベッドに腰かけてこう言う。
「さあ、本題だよ」
◇◇◇◇◇
――夕食の後。
誰にも邪魔されず安全に、じっくりと話ができるこの機会。
佐倉は食事の後すぐに二人を二階に上げようとしたのだが、佐倉の両親は静と英介を気に入り、なかなか開放してくれなかった。
飾ってある絵を描いたのが誰だとか、畑の野菜の話だとか、しまいには佐倉の子供の頃のアルバムを持ち出してきたりするので佐倉も困り果てていた。
極め付きに佐倉の父が、最近リフォームしたという自慢のお風呂に入るようすすめてきた。
二人共遠慮してなかなか入ろうとしなかったのだが、佐倉の母が泡が出たりマッサージ効果のある強い水圧がとてもいいからと強く勧めてくるので、勢いにおされてまず静が風呂に入った。
確かに強い水圧で背中を押されて気持ちが良くなりゆっくりと寛いだ静の後には、結局英介も待ってましたとばかりに風呂に入った。
その間に佐倉は仕方なく、母親の空飛ぶカァちゃんに関する予知のことで安心して二人と話ができるのは今しかないと言い、あの子たちはまた連れてくるからと言い聞かせ、ようやく二人を連れて二階に上がれたのだった。
さて、佐倉の言う本題というのはもちろん英介の予知のことだ。
英介は自分が全て話さないといけないと思い緊張していて、チラチラと佐倉を見ては下を向き、しまいには両手で目を覆って大きなため息をついた。
佐倉は助け船を出すべきか悩んだが、なんとなく英介を待っていたら、ついに英介が言いにくそうにこう切り出した。
―――「佐倉さん、俺わかったんだ。手相の先生のせいだったってことが」
「「は?」」佐倉と静の声が綺麗に揃った。
「別に手相の先生やあそこに連れて行ってくれた佐倉さんを責めてる訳じゃないんだよ。この間、手相を見てもらったでしょ?あの時にあの先生がねえちゃんや俺のこと、何も話してないのに色々と当てたじゃないか。よく考えたらおかしいよ、あんなに当てるなんて変だよ」
英介はうん、うん、と何度も首を振って「やっぱりおかしいよ」と言った。
そして、佐倉に申し訳なさそうにこう続けた。
「もちろん俺が勝手に予想したことだから違うかもしれないけど……あの先生って実は超能力者でさ、手を見つめながら何か力みたいなものを送り込んだんじゃないかと思うんだ。もちろん先生がわざとそうしたって決めつけてるわけじゃないよ?無意識にそうしちゃってる可能性もあるからね。でも、佐倉さんは年に一回は見てもらってるって言ってたでしょ?もしその度に何か念力みたいなものを送られちゃったとしたら……」
英介はここまで言って、自分が勝手に佐倉の能力のことを話しそうになったことに気が付いて、うっかり口走る直前でなんとか口をつぐんだ。
佐倉はこれに気付いて、すぐに静に羽を飛ばした。
ーー(静ちゃん、俺の力のことは静ちゃんは全く知らなかったことにして。今初めて聞かされたってことにしてね。実は俺のサイキックのことを英介にはちょっとだけ話したんだけど、静ちゃんのことはまだ何も知らせていないんだ。だから、英介の話を聞いて静ちゃんも俺も、今思い切って告白するってことにしよう。いいね、絶対に笑ったりしたらダメだよ)
ーー(わかってるよ佐倉さん。英介にまずしゃべらそう)
ーー(了解)
「つまり……佐倉さんが手相が好きなのは別にいいんだけど。俺、実は最近変なことがあったんだよ。ねえちゃんはビックリすると思うんだけど」
英介はここでまた黙り込んでしまった。
佐倉も静もしばらく話し出すのを待っていたら、英介はまた頷くように首を何度も振って「よし!」と言った。
「変な題名だからねえちゃんは絶対読まないと思うんだけど、佐倉さんは『覚醒触角チェダー』って知ってる?最近うちの学校で人気のネット小説なんだけど。隣のクラスの良太って友達に教えてもらったんだ」
「「チェダー……」」またもや声が揃う。
「覚醒触角チェダーだよ」
「ダサっ!絶対読まないよそんなの」拍子抜けした静が言う。
「だから絶対読まないだろうって言ったじゃないか!でもかあちゃんの本箱の変な詩なんかよりずっと面白いからな……実は、それの中で、主人公のチェダーが他の人には見えない触角を使って、覚醒させたい相手の人差し指から能力を注ぎ込むんだよ。それで、超能力を注がれた相手は数日後には力が覚醒するんだよ」
これを聞いて、静は呆れただけだったが、佐倉は笑いを堪えるのに必死だった。
鼻も口元も、必死に力を入れて佐倉は耐えた。
「英介、母さんのところに行ってドイツのビールを貰ってきてよ、とうちゃんのお気に入りのビールだから俺が行っても多分くれないから。でも英介が行けばきっともらえると思うからさ」
「うん、いいよ」英介は素早く降りて行った。
佐倉は真っ赤になって肩を震わせた。
「笑っちゃダメって言ったの佐倉さんなのに。何がそんなにおかしいの?チェダーっていうのが?」
「そりゃおかしいだろう、覚醒触角って!静ちゃんがダサいとか言うから笑っちゃったんじゃないか」
「だってそんな題名きいたら読む気もしないよ。やっぱり英介はアホだった」
「でもチェダーって名前がかわいいじゃないか、触角で人差し指から注ぎ込むって!」
佐倉はお腹を押さえて声を出さずに笑い続けた。
下から母親と英介の声が聞こえてくると、笑いすぎてベッドから床に滑り落ちた佐倉は慌てて手で口元を覆った。
「お父さんが子供の前でお酒を飲むなって言ってるのよ。でも梅酒を持ってきたわ。二人のはアルコールなしの梅ジュースよ」
こう言って佐倉の母は静にニコニコと笑いかけた。
「とうちゃんの逆襲か。ゼラニウムのことで俺がうるさく言ったからか」
「きっとね。またガミガミ怒られたって言ってたわよ」
「まあとうちゃんには後でフォローしておくよ、いつもみたいにね」
「二人が来てくれてお父さん嬉しそうなのよ。今度は一緒に出掛けようとかって言ってるのよ」
英介と静が嬉しそうに顔を見合わせると、佐倉の母はうんうんと頷いてからすぐに部屋を出て行った。
さあ話の続きだ。
「それで?触角と手相がどうしたって?」佐倉が促す。
「うん、手相の先生があの時に人差し指で俺の手の線を指さして、このマークがあるといいって言ってたでしょ?多分その時じゃないかと思うんだ。チェダーは相手の人差し指に力を注ぎ込むけど、あの先生は逆に自分の人差し指からそのマークに力を注ぎこんだんだ、きっと」
「あんた一体何の話してんの?チェダーがそうしたからって手相の先生が何したっていうのよ。チェダーは触角から注ぎ込んだんじゃないの?」
静が、まるで生きている人物のことのようにチェダー、チェダーと何度も言うので、佐倉は必死で笑いを堪えた。
「だから、先生には触角がないからさ。先生は触角の代わりにきっと指先から能力を注ぎ込んだんだ」
「はあ?誰に能力を……あんたまさか!チェダーみたいに覚醒触角が出たっていうの?」
静は英介が、自分と同じように頭からテグスが出てしまったのかと思った。
「それで?どんな触角がでたっていうのよ!」
「覚醒触角はまだ出てないんだ。でも俺、」
佐倉はもう耐えられなくなってしまった。
「ちょっとごめん、食べ過ぎたみたいでお腹が」と言って部屋を出て行った。
トイレに駆け込んだ佐倉は中で思いっきり笑った。
もちろん音が漏れないようにガードして。
ーー(全く!二人して笑わせるのはやめてくれよ。これから辛い話をしなきゃならないってのに。だいたい覚醒触角ってなんなんだよ)
佐倉は、真面目な顔で触角の話をする二人が可愛くてたまらなかった。
しばらく笑っていたのだが、静が“触角”という言葉に敏感に反応していたことを思いだすと、シビアな現実に引き戻された。
ーー(今日ここに来てからあんなに楽しそうにしていた英介が、遠山さんの予知のことを話さなければならないってのに!あの子はどんなに辛いだろう……馬鹿みたいに笑ってる場合じゃなかった)
佐倉が急いで部屋に戻ると英介が「よかった佐倉さん、お腹大丈夫?」と心配そうに訊いてきた。
もうよくなったよ、と頷くと英介が言った。
「佐倉さんが戻ったから言うけど……俺さ、先のことがわかることがあるんだよ。この前佐倉さんに相談したんだけど、ねえちゃんには言いずらくて言えなかったんだ」
「えっ?先のことって未来のことがって意味?」
「うん。いつのことなのかはわからないけど、実は、かあちゃんがあの総理大臣を助けるために火事になった部屋まで飛んで総理を助けるんだ。それで、その後なんだけど、総理に後ろから押されて……頭を打って倒れて、目を覚まさなくなるのが見えたんたんだ。それで佐倉さんに、」
「ママが!目を覚まさなくなる?あの総理にそうされたの?」
「うん、火事の現場には総理の旦那さんもいたんだけど、あの総理、自分だけ助かればいいみたいな感じでさ。でもそれをかあちゃんは放っておけなくて、総理を窓から下におろした後に、もう一度飛んで旦那さんを助けたんだ。その時に脚にやけどして、その旦那さんを下ろした後で、あの総理に押されて倒れたんだ。そこに鉄の棒みたいなのが倒れてきてかあちゃんが、」
「ママが!ママがあの人に押されて?」
静は震えていた。
英介は頭に投影された映像を、先日よりも具体的に伝えてきた。
「かあちゃんが病院で寝てるのも見えた。目を覚まさなくって、俺、」
「遠山さんはなんていう病院に……いや、まずは現場からだ。英介、火事の起きた場所だけど、遠山さんは外側から部屋に入ったんだね?それとも中から上がっていったの?」佐倉が訊く。
「外から。ビルの後ろ側のほうはもう足場だけになっていて、そこはカバーはかかってなかった。多分、古い感じのビルっぽくって、周りを工事現場で使うみたいな鉄の棒で囲んでいるみたいなんだけど、鉄骨?鉄筋とか?よくわからないけど、前の小学校の壁の補修の時に足場を組んでたでしょ?あんなふうな感じだった。それの外側をメッシュみたいな感じのやつで……中が少し見えるみたいなカバーで囲んでいるんだ。だけど、総理が見えた方の窓はもうカバーが外されていて足場だけになっていて、ビルの裏側っていうのかな?なんか裏口っぽくて、塀みたいなのがずっと道にそって続いていて、その向こうは多分、川とか海?とかなんだと思う」
佐倉は初めて聞いた新たな情報に驚いた。
「カバー?養生用のメッシュシートのことか?もしかしてマンションとかの大規模修繕工事か?英介、場所の見当はつかない?駅の周辺かとか、住宅地なのかとか。もしかして、また何かそういう映像を見たのか?」
「また見たってわけじゃなくて、時々どうしてもそのことを思い出しちゃうことがあって、その度にはっきりしてくるんだよ。なんか肌色みたいな……ピンクっぽい感じのビルなんだ。表側と横側のほうにはまだそのメッシュのシートがかけてあったんだけど、そのシートは中が透けて見える感じなんだ。灰色とか黒みたいな色なんだけど、なんかちょっと色の感じが気持ち悪いんだよ。あの総理はシートがかかっていない足場だけの窓のそばに立ってた」
「マンションじゃなくて、ビルなんだね?駅の近くか、それとも郊外か、そういうのはわかる?」
「多分、住宅地とかじゃない感じ。ビルとかお店とかについてはわからないけど、でも全体的に古い感じなんだ」
「ちょっと待って、特定できるかもしれないからメモする」
佐倉はこう言うと、今聞いたことを細かくメモした。
突然恐ろしい話を聞いた静は、まだ気持ちの整理がつかないらしく何も言うことができなかった。
佐倉が次々に質問してくるので、英介はそれに一つ一つ答えていくうちに、少しずつ頭の中が整理されていくような感覚を覚えた。
「佐倉さん、隣の建物との間が狭いんだ。そこに鉄の棒みたいなのが置いてあった。多分そこに、表の通りから人が入ってこないように、工事現場によくあるオレンジと黒の縞々のフェンスで入れなくしてあるんだよ。
母ちゃんはビルの裏側みたいな裏口っぽいほうから飛んで行って、総理を抱えて降りたんだ……でもすごく感じが悪い人で、俺、すごくイヤだった。かあちゃんが総理の旦那さんに一生懸命声をかけるんだけど、あの人まずは自分を降ろせみたいに言うんだ……それでその時に、かあちゃんに何か酷いことを言うんだ」
「なんだって?あいつが遠山さんに何か言ったんだな?」
「うん、すごい嫌な目つきなんだ」
「それで?あいつを降ろした後にもう一度助けに飛んでやけどをしたんだね?」
「そう。そのおじさん、服に火がついてるみたいだった。かあちゃんは多分そのせいでやけどしたんだよ。総理の旦那さんを助けてあげたのに!総理がかあちゃんを!」
英介はここで言葉を止める。火事の状況を話しているだけで英介は不快でたまらない様子だった。
「英介、総理は結婚してないんだ。その男は多分総理の、」佐倉が言い淀む。
静が低い声で言う。「不倫とか、愛人なんでしょ?だから119番せずにママを呼びつけたんだね」
「ああ、そうだろうよ。あの女ならやりそうだ!」
佐倉がこう言ったところで、何か、軽いものがパサッと落ちる音が聞こえた。
佐倉がはっとして振り向くと、ドイツのビールと沢山のお菓子を抱え持った佐倉の父が、既に引き戸を開けて立っていた。
数回ドアをノックしたというのに、部屋の中の三人は全く気付いていなかった。
「烈、火事を予知したサイキックって、」
実家で気が抜けて、空飛ぶカァちゃんの事故のことで気がせいていた佐倉は、音漏れのガードも響き方の調整も全くしていなかった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
次回も英介の予知の話ですが、その先の話からは総理や山本、権藤や麹町爺も登場します。




