43.誰かに話したかったこと
「烈と私の世界だって?しずちゃんは素敵な言い方をするんだね」
佐倉の父が優しく微笑んでくる。
それを見て佐倉も微笑む。
「英介は俺の歌に惚れそうって言ってくれたけど、静ちゃんもこの曲が気に入ったみたいだね」
静は何も答えない。
静の頭の中は、あまりにも辛く悲しい、それでいてとても美しい時の流れの余韻でいっぱいで、今は何も考えられなかった。
佐倉の父が言う。
「この曲、なんか泣けてくるだろう?昔の事が蘇って結構辛くなるんだけど、でも幸せな懐かしい思い出も湧き上がってくるような気がしてね、だからよく歌うんだ。烈の声はなかなかいいだろう?」
「俺より咲太郎のほうが上手いよ。あいつは顔に似合わず甘い声だから、この曲にはすごく合ってる」
「烈のほうが上手いと思うけど」
「すぐ親バカになるんだからとうちゃんは」
ーーー(透明な書棚の前で過ごした佐倉さんの日々。
佐倉さんは、お父さんとお母さんの苦しい日々をずっと見つめて過ごしたんだ。
会いたくても会えない二人を見るのが辛すぎて、怖くて、その透明な本になかなか入れなかったんだ!ずっとひとりぼっちで!)
静は涙を堪えた。
一粒でも流れ落ちたら絶対に止められないと思った。
だから堪える。そして顎を上げ首をかしげて言う。
「はい、いい歌詞だからちょっとだけ泣けてくるかも。だってバイオリンの音が泣かせるんだもん」
「そうだよね、私もそう思う。弾いてるとほんと泣けてくるんだよ。さあて、今度はしずちゃんの好きな歌を弾くよ」
「はあ、とうちゃんはすぐ泣くからね全く」
呆れ声の佐倉がもう一つ椅子を持ってきて「連弾しよう」と声をかける。
佐倉の父は頷いて、何も言わずに弾き始める。
すると英介が得意気に言う。
「これは俺も知ってるって!『別れた人』って曲だよね?」
これを聞いた佐倉の父が音を外して笑いだした。
佐倉も吹き出して「英介はお笑い要員か?ちょっとやめてくれよ、続けられないだろ」と言ってお腹を抱えて笑い出した。
静はさっきの映像の余韻のせいで笑えなかった。
いつものように英介の頭を叩き「ほんとバカ!『別れの曲』だよ」と言ってため息をついた。
ーーー(別れた人って、もう!ほんと英介はとんでもないバカだ。とてもじゃないけど笑えない。
さっきの映像、あれは絶対に佐倉さんのお父さんとお母さんだ。きっと好き同士だったのに結ばれるまでにすごく時間がかかったんだ)
佐倉が笑いながらジーッと静を見つめてくる。
その視線が辛い。
目をそらして斜め下を見ていると、もう一度別れの曲が鳴り出した。
恥ずかしい間違えをした英介も佐倉のお母さんも笑っていて、静だけがさっきの映像を引きずっていた。
その後も連弾で「聞いたことがあるような曲にしようか」と言って何曲か弾いてくれた。
恥ずかしい間違いをしたくせに、英介は人差し指を振るって指揮者の真似をしたりして楽しそうだ。
ーーー(佐倉さんが見せてきた映像のせいで、こっちはたまらない気分なのに、四人だけで盛り上がって酷いよ佐倉さん)
じゃあ最後に、と言って弾いた曲をまた英介が「俺これは知ってる!グリーングリーンだ」と今度こそと張り切って叫んだ。
と、また音が外れて曲が止まる。
佐倉の母がお腹を押さえて笑い出す。
「英介君面白すぎるわ!これはグリーングリーンじゃ――」
笑ってしまい言葉が続かない。
「ええっ?でも俺、音楽鑑賞の時間に聴いた気がするんだけど。なんかこう、眠くなる感じの」
「グリーングリーンは眠くならないよ英介!」
四人で更に盛り上がっているのを見ていたら、静は馬鹿らしくなってきた。
「ほんとにバカ!グリーンスリーブスだよもう」静もついに吹き出した。
「英介のせいでもうこの曲は弾けないよ、これから先グリーンスリーブスは間抜けな曲にしか聞こえなくなったじゃないか!しょうがないな、とうちゃん、母さんの好きなブラームスのワルツ変イ長調いこう!」
佐倉が真っ赤になって笑いながら言うと、佐倉の父は「了解」と言って弾きだした。
(あ、この曲知ってる。結構好きかも)
すると、静の頭にまた佐倉の『羽』から映像が送られてきた。
(なにこれ、ここは本屋さん?……これって佐倉さんの手?)
ーーー大きいが白くて綺麗な手が一冊の本を手に取る。
ーーーパラパラと本をめくると見開きのページの挿絵が見える。漁師たちが漁から戻ってきた場面。
(ママの翻訳した本だ!)
ーーー佐倉の手がパラパラと適当に本をめくってゆく。
ーーー原作者の紹介と考察のところ。
ーーーそして、佐倉の手が翻訳者のあとがきのページにたどり着いた。
ーーー本が急に目の前に近づいてきた。きっと顔の近くに本を寄せたのだろう。
ーーー佐倉の目が文字を追っている。そして、それを読み上げる。
ーーー『敬愛する翻訳家である糸数万里先生……』
(佐倉さん、手が震えているみたい)
ーーー誰かが佐倉を呼ぶ『おーい、もう戻ろうぜ。何見てんの?』
ーーー『どうした烈、えっ?お前泣いてんのか』
ーーー『そんなに感動的な本なのか?』
(誰だろうこの人達。佐倉さんの友達かな?)
ーーー『透、金貸して。財布、車に置いてきちゃったんだ』佐倉が頼む。
ーーー『いいよ。えっ、お前何冊買うの?5冊も買うのか?』
ーーー佐倉が頷く。そして他の誰かが言う。
ーーー『なんだ?知り合いが書いた本とかか?売上げに貢献したいなら同じ本屋で大量に買わない方がいいぜ』
ーーー『そうそう、あちこちの本屋で買ってやった方がいいよ』
ーーー『そうだな』佐倉はそう言うと2冊だけ取り上げる。
(それでも2冊買うんだ佐倉さん)
急に映像が途切れる。
そして、また違う映像が送られてきた。
(あれ?これって、この家?ここでテレビ見ているみたい)
ーーー夕方のニュースが流れている。
ーーー“驚くべきことに、海上テストでは2時間半以上続けて飛行を……“
ーーー“あっ!今、今、海に落ちた模様です!かなり波が高いですが、船はどこに……“
(これ、ママの飛行テストのニュースだ!佐倉さん見てたんだ)
次は夜のニュース。
もはや疑いようもないが、政府のお抱え局によるお抱えニュースの時間。
山本や本村も時々呼ばれたことがある番組。
そして、ここでは政府の方針を批判することもなければ、野党の至極真っ当な政権批判を決して取り上げないふざけたニュース番組。
(あっ、山本が出てる!)
ーーー“山本さん、しかしこの方だけは精神感応の能力が全くないそうですが不思議ですね。他の方々は皆さんそれぞれが優れた感覚をお持ちなのにどうして……“
ーーー“ですが、空を飛べるということは我々が当然行けないような場所にいつでも好きなように飛んで行けるということですから。それはどうなんでしょうかね、一般人からするとちょっとそれは、怖いというか、言葉は悪いですが不安を感じますよね、もしこの方が高層マンションなどの……”
ーーー“それは防犯の観点からという意味でしょうか?それはちょっと言いすぎのような気がし……”
ーーー『ふざけるなよ、お前らみんな殺してやる』
(この声、佐倉さん?佐倉さんがこんなこと言うなんて……)
そしてまた急に場所と時間が切り替わった。
もう静も慣れてきた。
きっと佐倉の羽の中から印象深い瞬間が切り取られているのだ。
普段抑え込んでいる記憶や思いが大雑把に流れ出て、それが勝手に、信じて繋がれる相手にだけ送られてしまうのだろうか。
ーーー『母さん、やっぱり俺、いったんあの人の秘書になるよ。もちろん長くはやらないから安心して。ちょっとやりたいことがあるんだ。ある程度片が付いたらまともな仕事につくから』
ーーー『れっちゃん、あんな人の秘書になるの?』
ーーー『何を考えているんだ、給与面だってそれほどいいってわけじゃないだろう?烈も面接の練習で受けただけって言ってたじゃないか!』
ーーー『あの女の秘書をやりたくてやるんじゃないよ。ちょっと他にやりたいことがあるだけ。それが終わったらちゃんととうちゃんの仕事を手伝うし、言うこと聞いてちゃんと、』
ーーー『とうちゃんは、父さんは反対だ。ろくでもない奴らじゃないか!母さんの気持ちを考えたら、』
ーーー『わかってるよ。でも俺が行かないとダメなんだ』
(佐倉さん!もしかして、ママのために山本のところに入ったの?)
また映像が切り替わる。
(ここ、きっと山本の部屋だ!だって黒田さんがいるもの)
ーーー『佐倉君、あなたの能力には期待しています。素晴らしい語学力をお持ちですね。私も本村先生も期待していますよ』
―――『助かるよ、翻訳は頼むよ。これからよろしくね』
ーーー『これからどうぞよろしくお願いします』
(なにこれ、なにこれ。佐倉さんどうしてこんなことを)
今度もまた場所が変わった。
ーーー『先生があの方をぞんざいに扱っているという噂がSNSレベルで広がっていま……今後はお任せくださ……先生の評判に関わる問題ですからね、あの空飛ぶお方を大切にして十分に気遣っている山本先生を前面に押し出し……』
ーーー『そ、そうよね?あの記事ってまだそんなに見られているのかしら?』
ーーー『先生、小さな記事を甘く見てはいけません。ここだけの話ですが総理の先週の週刊誌の……』
ーーー『佐倉君、あの無能な能力者のことはあなたに任せるわ』
ーーー『私にお任せください』
(佐倉さん、ママのためにあんな人の秘書になるなんて!)
すると、静の頭の中に佐倉の声が聞こえてきた。
佐倉はピアノを弾きながら、普通に会話をしているように語りかけてきた。
ーー(静ちゃん、遠山さんのことはもちろん理由の一つではあるけど、それだけじゃないんだ。そのうち順を追って話すけど、今の政権には他にも潰したい奴がいるんだよ)
ーー(でもさっき、秘書になる気はなかったって、)
ーー(まあね、でも中に入ってみなきゃどうにもならないこともあるんだよ。だから逆にこれで良かったんだ。ただなんとなく静ちゃんに知らせておきたくなったんだ。ごめん、でもこれじゃ恩着せがましい感じだよな。どうも感情的になると余分なものまで送られてしまうみたいだ)
ーー(佐倉さん、ママは全然気づいてないのにどうして、)
ーー(遠山さんには言わないでくれよ?私が勝手にそうしたかっただけだから。遠山さんは私の恩人みたいな人なんだ。あの本に書いてくれたことが本当に嬉しかったんだ。あのひと言で、寂しく終わった私の人生が突然意味のあるものに変わった気がしたんだ。惨めな灰色で終わった人生に綺麗な色を与えてくれたのが遠山さんだったんだ)
佐倉と佐倉の父親の鳴らすピアノの音がここで終わった。
佐倉の羽と静のテグスがするりとほどけてゆく。
佐倉が今まで誰にも言えなかったこと、言うつもりもなかった秘密を、こうして共有できる者が現われたことは救いだった。
母親を政府に奪われた小さな姉弟の悲しみが、数十年にわたる佐倉の苦しみと絡み合って、そしていち早くテグスを伸ばした姉・静が、佐倉の傷ついた羽を少しだけ解放させてくれたのだ。
羽を飛ばして佐倉と静が語り合う横で、英介も、佐倉の両親も幸せそうに笑っていた。
束の間の、あたたかな昼下がりだった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
今回はわりと明るいエピソードだったのではないでしょうか。
次回は英介の予知に関するお話です。お読みいただけたら嬉しいです。




