39.防火スーツを届けよう(2)
玄関先で防火スーツの使い方や手入れの仕方についての簡単な説明が済んだら長居せずに失礼するつもりだった佐倉の父と母は、空飛ぶカァちゃんにお時間があればぜひお茶でもと丁寧にすすめられ、断り切れなくなり、二人揃って上がらせてもらうことになった。
空飛ぶカァちゃんの住まいは古ぼけた日当たりの悪い部屋だった。
簡単なリフォームはされていたが、むき出しの配管や電球、昔ながらの病院によく見られるやけに白い玄関の壁色は冷たさと孤立を感じさせ、外観も内装も取り壊される寸前の古いビルそのものであった。
入ってすぐの左奥にチラリと見えたひんやりと寂しげな小さな和室にパイプベッドが置かれているのを見た佐倉の父母は、政府の彼女の対する扱いに怒りを覚えた。
――(烈から聞いてはいたがこれほどとは……子供と別れて暮らさせているだけではなく、こんな部屋を与えるなどと!)
ここで一人で暮らすというのは、どれほどに辛く寂しいことだろう。
空飛ぶカァちゃんがお茶を入れている間、佐倉の父母は顔を見合わせ、いたたまれない思いで声もだせなかった。
ただ、西日の当たる十畳ほどの居間には、そこには似つかわしくない上質の二人掛けソファとひじ掛け付きの一人掛けソファ、そして脚のラインが綺麗なアンティークスツールが、明るいオレンジ色のラグの上に置かれていて、ガラステーブルの上には折り紙で作られたバラが置かれていた。
このバラを見つけた佐倉の父が「これは烈が作ったんでしょう?」と問いかけると、空飛ぶカァちゃんはお茶をすすめながら嬉しそうに頷く。
「はい、そうなんです。佐倉さんが作ってくださったのですが、これは“川崎ローズ”というバラの折り方で、なんと一枚の折り紙で作られているそうなんです。これが一枚で出来ているなんてすごいです」
「ええ、知っていますよ。あの子は折り紙が得意なんです。このバラは小さいころから沢山折って、大切なお友達にだけあげていたんです。あとはお世話になった方とか……大好きな方にしかあげないんだと言って」
佐倉の母がにっこりしてこう言うと、空飛ぶカァちゃんは嬉しそうに微笑む。
「それは嬉しいです。佐倉さんには私のほうがよくしていただいているんです。バラも嬉しかったのですが、このソファー、佐倉さんのお友達の会社で販売されている商品だったそうなのですが、住宅のモデルルームに置いていて傷ができた処分品だとかで、わざわざ持ってきてくださったんです。お友達の方と一緒に車で運んできてくださって、私、本当に申し訳なくて。
私にはどこに傷があるのかわからないのですが、処分するものだからっておっしゃるんです。もしかしたらすごく高価な、」
すると、佐倉の母が慌てて言葉を挟む。
「た、たぶんプロが見るとこれはもう売り物としてはダメだという傷があるのかもしれませんね。我々素人にはわかりにくい部分があるとよく聞きますから。それに、実際こういった家具は処分するにもお金がかかるものですし、それで遠山さんに無理やり押し付けたってことだと思いますよ」
「いいえまさか押し付けるなんて!こんなに素敵なソファーをくださって、感謝の気持ちでいっぱいなんです。ここで暮らし始めた頃は本当に……その、辛いことも多かったのですが、佐倉さんが担当になってくださってからは色々なことが良くなって、私本当にありがたくって、本当に私は」
空飛ぶカァちゃんは今までに佐倉がくれた温かい気遣いや思いやりの言葉をぐっとかみしめ、佐倉の両親に深々と頭を下げた。
自分は本当にその親切に救われたんだと言って空飛ぶカァちゃんは涙ぐんだ。
「いえいえ!あいつは担当なんですから、ちゃんと環境を整えなきゃいけない立場なんですよ。遠山さんがありがたがる必要はないんです」
佐倉の父がこう言うと、母のほうも続けた。
「そうですよ。わけの分からない危険な業務をさせてばかりだったっていうじゃないですか。そんなやり方間違っていると私は思いますよ」
「正直、佐倉さんが改善してくださるまでは私、かなり辛くて、毎日この部屋で落ち込んでいたんです。でも最近はこのソファーに座ってゆっくりと本を読んだりとか、佐倉さんの真似をしてバラを折るのに挑戦したりしているんです。バラの折り方の拡大コピーを下さったのですが難しくてあまり綺麗に折れないんです」
それを受けて佐倉の父が得意そうに言う。
「私も実は得意ですよ。最近はあいつもなかなかのもんだと言ってくれるんですよ。孫が小さいころは色々と折ってやったものです。すごく喜んでくれましてね」
「それはすごいですね。どんな形のものを折るのですか?」
「恐竜とか動物とか、ロケットとか、まあ色々とね。同じ折り紙作家の折り方なんですが、烈とはちょっと方向性が違いますが子供が喜びそうなものを折って、孫の気をひいてたんです。あの子が8歳くらいの頃かな?孫のために本を見ながら必死に折っているといつも下手くそだって溜息つくんですよ。そういうのをジジ馬鹿っていうんだよ、なあん言われて」
空飛ぶカァちゃんはニコニコ笑いながら「恐竜なら息子に見せたら喜びそうです。私の下手くそなバラにも喜んでくれて。娘には素敵なハイヒールを折ってあげたりしているんですが、折り紙って楽しいですよね」
折り紙の話で盛り上がったところで『あっ!そうだ』と言って、防火スーツのことを思い出した佐倉の父が『これを言い忘れたら、また烈に怒られてしまう!』とため息をつきながら、息子からのメールを見ながらあれこれと説明を始めた。
丁寧な説明書付きの商品なので、取り扱いについては簡単に。
そして、息子から言われた通りにメールを読み上げた。
――まず一番最初に着る時は、このとんでもなくダサいウェアを着ること。
――着ている時は恥ずかしそうにビクビクとして、物悲しさを漂わすように。
――マシなタイプのウェアを着るのは少しだけ待ってほしいということ。
メールを読み上げる途中で佐倉の父は『一体なんなんだこれは!ほんとに馬鹿らしい!』などと言ってハーッと息を吐く。
しかし、それでも大人しく最後まで読み上げ続ける。
――大切なのは、それを着て議員会館内を辛そうな顔でうろつくこと。
――初めて着るときは自分がチェックするので一緒に山本の部屋に入ること。
――山本に初めて見せる時は、全身が格好の悪い姿になるように徹底すること。
と、気まずげに、申し訳なさそうにこれを読み上げた。
「あいつが言うには、あの山本って奴はどうやら遠山さんに嫌がらせをして憂さ晴らしをしているらしいと――例の破壊遺産だかなんだか知らんがみっともない馬鹿をやらかしたり、不倫問題だかなんだかでも問題を起こすあの女が、いい感じのウェアを着て颯爽と歩き回る遠山さんを見たら、何かまた嫌がらせでもしかねないからと、まずはこれを着るようにとしつこく私に言ってきたんですよ。
両脚の上のほうに『GO!』って書いてあるのをまずは着ろと!
本当にいちいちうるさいやつなんですよ。今日もウェアの写真をスマホに送れと言ってきて、本当に神経質な子で」
佐倉の父がこう言うと、空飛ぶカァちゃんは苦笑いを浮かべた。
「佐倉さんがそんなことを?山本先生のことは、私を励ますために時々悪く仰ることはありましたが、憂さ晴らしで嫌がらせをするかもと仰っていたなんて」
空飛ぶカァちゃんは普段の佐倉を思い出しながら、少し首を傾げた。
「でも、私も烈の言う通りにしたほうがいいと思いますよ。そういう人間には用心してかからないといけません。だいたいなんですか、ヘリに乗せなかった事件!
そういうことをする人ですから何をしてくるかわかりませんからね。ここはちょっと我慢して、このウェアを着てあの山本って人を満足させればいいんですよ。これ以外はなかなか素敵なウェアですからね。山本に会う時だけこの『GO!』を着ればいいんです」
佐倉の母は堂々と山本を呼び捨て、「あの人、本当に意地悪そうな人ですからね」と言った。
「承知いたしました。佐倉さんのおっしゃる通りにいたします。私を心配してそう言ってくださったんですもの。でも急にどうして防火スーツが必要だと思われたのかしら?」
空飛ぶカァちゃんは不思議そうにこう言った。
佐倉の父母は顔を見合わせ、声を落としてこう切り出した。
「烈はこの部屋にカメラや盗聴器はないからと言っていたのでお話しますが、これは絶対に口外しないでください」
空飛ぶカァちゃんが頷くと「実は、あの子の知り合いのサイキックが、遠山さんが火事の現場で危険な目に合いそうな気がすると言っていたそうなんです。その方の能力のことはまだ政府には知られていないのですが、その方が遠山さんの身を案じて、烈に忠告してきたらしいんですよ。それであの子が私に防火スーツを入手するように連絡してきたんです」
それを聞いて、空飛ぶカァちゃんは息をのんだ。
予知の能力だろうか?火事の現場で危険な目に合うなどと……
空飛ぶカァちゃんはもし自分に何かあったとして、残される二人の子供を思うとたまらない気持ちになった。
「とにかくそれで、烈は遠山さんに完全防備できるスーツを着てもらいたくて、こうして私が届けにきたわけです。本当は今日一緒にこちらに伺う予定でしたが、麹町さんの通訳で呼ばれたらしくて来れなかったんです。
どうか、あいつの気持ちをわかってくれるなら、仕事では毎日これを着てください。いつどこで火事の現場に呼ばれるかわからないからって烈は言っていました。
もちろん、そういう現場には行かせないようにするとあいつは言っていましたが、自分が不在の時に山本から言われた時が怖いからと」
「山本に行けと言われても、そういう時は仮病を使うんですよ。わざと倒れたっていいんです。もしそれを無理に行かせようものなら、後で大変なことになりますよって言って脅してやりなさいね。
命がかかっているのですから、そのくらい強く言わないとダメですよ。何も遠山さんが火事の現場にまで行く必要はないんですよ」
佐倉の父も母も真剣だった。
妙にカンが冴える時がある息子が、あれほどまでに防火スーツを準備しろと大騒ぎをして、今日のうちに届けろなどと無理をいったことは、この父と母にも奇妙で不吉な胸騒ぎと、なんとも言葉にできない緊張感をもたらした。
佐倉の父母は本能的に、この警告だけはしっかりと空飛ぶカァちゃんに伝えなければならないと思った。
「あの子は昔から妙なカンが働くことがあるんです。そのおかげで助かったこともありますし、逆にヒヤヒヤさせられることもありましたが、結局あの子の言う通りにしてよかったことのほうが多いんです。ですからどうか、普段からこれを着て過ごしてくださいね」
佐倉の母は懇願するようにこれを言った。
また、父のほうもこう続けた。
「ええ、あいつのカンが外れたことはほとんどないんです。どうか、自分の身の安全を第一になさってください。それと、あいつの知り合いでサイキックに目覚めた方がいるとは今日聞いたばかりなんですが、このこともどうか内密にお願いしますね。もし知られたら大変なことになる」
空飛ぶカァちゃんはゾッとしながらもしっかりと頷いた。
「わかりました。ご心配いただき本当にありがとうございます。佐倉さんにはもちろんですが、お二人にもご迷惑をおかけして本当にすみません。私のためにここまでしていただき、申し訳ございません、ありがとうございます」
空飛ぶカァちゃんは、今まで他人のサイキックについて誰かと話したことがなかった。
予知に係るサイキッカーは、海外では一部、事件解決や犯罪者の自白の引き出し等の捜査協力で使われることがあると聞いてはいたが、まさか自分自身のことを予知され、それが身の危険を予感するものだとは。
――(佐倉さんに聞いたらもっと詳しく教えてくれるかしら?)
空飛ぶカァちゃんは自分の心臓の音が部屋中に響き渡っているような気がした。
早い鼓動がおさまらず、頭の中も熱くなってきた。
それほどに、今聞いた予言は不吉に思えた。
――(いつも穏やかで冷静な佐倉さんがお父さんをせかして、今日の今日でうちに持っていくように言うなんてただ事じゃない。きっと、佐倉さんが聞いた予言はもっと具体的で危険な内容だったに違いない)
空飛ぶカァちゃんは胸元をぎゅっと握った左手で押さえながら深く息を吸い、自分を落ち着かせようとした。
「大丈夫、大丈夫ですよ。今までもあの子が事前に手を打ったことで、助かったことが何度もあったんです。きっと今回も同じですよ。今日聞いて、すぐにウェアが手に入るのもラッキーなことですよ。本当に『GO!』のウェアは処分予定だったんですから」
佐倉の母が立ち上がり、空飛ぶカァちゃんの背中をさすりながら言った。
がっくりと落ち込んだ様子の空飛ぶカァちゃんを見て、佐倉の父がおどけた顔でパンと手を鳴らした。
「よし!どれ、せっかくだから『GO!』を着てみてくださいよ。山本を喜ばすスタイリングをしようじゃないか」
「何を言ってるの?そんな気分じゃないでしょう」
佐倉の母がたしなめると「いやだってさ、意外と遠山さんが着たら格好が良い感じになりそうな気がして、念のためさ」
佐倉の父がふざけてぱちりとウインクしてくるので、空飛ぶカァちゃんは少し気が抜けて「わかりました、ちょっと試着しますね」と言って奥の和室に入っていった。
すぐにふざけたことを言って、とか、また烈にしかられますよ、などと妻に叱られながらも、それでも嬉しそうに笑っている佐倉の父。
夫婦の穏やかな会話が聞こえ、空飛ぶカァちゃんは(素敵なご両親に育てられたから、佐倉さんもあんなに優しいんだわ)と思った。
それに、着替えているうちに心臓が落ち着いてくるのが自分でもわかった。
――(私を落ち着かせようとしてくださったのね。佐倉さんはお二人の両方にそっくりだわ)
『GO!』のウェアを試着した空飛ぶカァちゃんが戻って来た。
「いかがでしょう?山本先生を満足させられそうですか?」
「おお!『GO!』じゃなくて、これじゃNOだよ。なんかカッコいいじゃないか!」
佐倉の父が目を見張る。
「ほんと!なんか素敵だわ!遠山さんスタイルがいいからカッコいいわ。どうしましょう、これじゃ山本が満足できないじゃないの」
佐倉の母も笑いだす。
「じゃあこれでどうでしょう?」
空飛ぶカァちゃんが手ぬぐいをねじって額に巻く。そして、白いタオルハンカチを胸のポケットにぐしゃぐちゃにして押し込んだ。
「いいね!それで行こう!でももっとぐしゃぐしゃの薄汚れた手ぬぐいを使った方がいいんじゃないか?」佐倉の父が張り切って大声で言う。
「カッコ良さがだいなしだけど、山本をだますには仕方ないわね。山本に見せたらすぐにタオルをとらないとね」母のほうも大満足の様子だ。
「ついでに髪を三つ編みにしておさげにすれば奴はもっと喜ぶんじゃないか?」
佐倉の父がこう言うと、母も空飛ぶカァちゃんもぷっとふき出した。
「わかりました。丸い眼鏡も用意してスタイリングを仕上げますね」
空飛ぶカァちゃんがこう言ったところで、三人はそのまままたソファに腰かけた。
ここでまた空飛ぶカァちゃんが、コーヒーを入れますのでぜひというので、佐倉の父母はそれに気持ちよくうなずいた。
ここで一人、寂しく暮らしている空飛ぶカァちゃんが少しでも気を紛らわせるなら、ずうずうしく長居をした客人になろうじゃないかと二人は思った。
空飛ぶカァちゃんがニコニコしながらコーヒーとチョコレートをすすめた時のこと。
「そういえば」――と言って窓際に置いた棚から一冊の本を取り出した。
「こちらは先日佐倉さんにお貸しした本なのですが、お知り合いの方の本だそうですね」
空飛ぶカァちゃんが佐倉の母にそう訊ねた。
「えっ?」
そう言ってその本を受け取った佐倉の母は目を大きく見開いた。
それは『虹色の音符 糸数万里』と著された古い本だった。
ここに静がいなくてよかった。
もし彼女がここにいたら、佐倉の透明な書棚や不思議な本のことも、そして虹色の音符の作者のことも、きっとわかってしまっただろうから。
お読みくださりありがとうございます。
次回は、静が佐倉に貸し出した本についてです。
最近新しく『Black Notes』というものを書き始めましたのでよろしければぜひそちらもお読みいただければ嬉しいです。
そちらはややゆっくり目の展開となりますが、その分じっくりと話を進めていく予定です。
いつもありがとうございます!




