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37.英介の記憶力

 空飛ぶカァちゃんと夫・公男の離婚からひと月がたった。


 この件の関係者にとって、英介がこのことをどのように受け止めるかということが一番の気がかりだったが、(はた)から見ても、英介がこのことを気に病んだり自分を責めるような発言をすることもなかったので、静も佐倉もほっと胸を撫で下ろした。

 

 実際のところは、英介はいまだに空飛ぶカァちゃんが政府に連れていかれる原因を作ったのは自分だと思っており、その延長線上に両親の離婚があると考えていた。

 つまり、全ての始まりが自分だという、その苦しみをまだなお抱えていた。


 しかし、英介の家庭の事情を打ち明けられた竜介(りゅうすけ)が、学校で離婚に関する話題をうまく避けようとしたり、家族の話をしないようにしてさり気なく気遣ってくる姿を見ているうちに、英介はまわりに気を遣わせてばかりの自分が恥ずかしくなり、空元気にでもつとめて明るく振る舞った。

 そのうちに胸の痛みの欠片は心の奥深くにまで抑え込まれ、それが顔を出さなくなっていった。


 英介は、たとえ少しばかり辛かったとしても前に進んでいくしかないのだと思っていた。


 離婚の事情はさておき、最近の英介には新しい悩みがあった。

 時々、これから起こることがなんとなくわかる時があるのだ。

 もちろん感じていた予感とは少し違う場合もあるが、だいたい当たってしまう。


 その日は、ふいに隣のクラスの友達がバスケットの試合で足を痛めるという、そんな映像がやけにはっきりと頭をよぎった。

 あまりにもはっきりとしたイメージが頭の中に映像として映し出されたので英介は不安で仕方がなかった。

 しかし英介は、友達の試合前に怪我を予感したなどと、とてもじゃないが言えなかった。

 それこそ縁起でもないし、予感が外れて何も起こらない可能性だってあるのだから、そんなことでクラス対抗戦の盛り上がりに水を差すのはイヤだった。


 どうか何も起こらないでくれと願っていた英介だったが、今回英介が見た映像の通りに、本当にコートの端っこのところで、その少年は味方チームのフォワードに足を踏まれて倒れた時に足首を挫いてしまったのだ。


     ◇◇◇◇◇


―――英介の予感が当たってしまったバスケットボールのクラス対抗戦の日。

 

 今年度の6年生は2クラス。

 体育の授業でクラス対抗のバスケットボールの試合が行われていた。

 3週間に渡り、数チームに分かれて試合をして最終的に勝ちクラスを決めるイベントに大いに盛り上がっている時のことだった。

 

 その日の5~6時間目の体育では英介と竜介が試合に出る番だった。

 静ほどではないにしても、英介は運動神経も良かったし、毎日クラスで練習をして皆で盛り上がっていたので英介は試合をとても楽しみにしていた。


 昼休みのこと。

 隣のクラスのひと際背の高い、ミニバスでセンターをやっている子がやってきて竜介と英介に声をかけてきた。

 

 「俺んとこ、英介達のチームとは当たらないんだって。やっぱバスケやってる俺らはミニバスの奴らがいるチームと当たらせるんだってよ。先生が言ってたよ」

 「マジか!よかったあ。良太と当たるの怖かったんだよ、絶対リバウンドとられるじゃん」

 英介がこう言うと、竜介も「ラッキー!」と言って二人でパンと手を合わせる。


 そして、良太という隣のクラスの子が笑いながら「せっかくお前らのシュートをバンバン止めてやろうと思ってたのにな」と言った時のことだ。


 英介の頭の中で、ピシッと何かがはじけたような音がした。

 痛かったわけじゃない。

 ただ、イヤな情景が浮かんだのだ。

 英介には、良太が足首を捻る姿が見えた。


 そのことを何も告げないまま始まった良太の試合。

 試合を見ていた英介はとにかく気が気じゃなかったが、ついにその瞬間が来てしまった。


 今回初めて頭の中に浮かんだ映像が現実と完全にリンクした。


――(良太がリバウンドを取った後に仲間にパスを出す)

――(シュートを狙う良太がコートの外側に走り込む)

――(パスだ!ボールをこっちへと良太が声を出す)

――(ドリブルで抜け出したフォワードの子が、良太にパスを出す)

――(パスを出した子が前のめりに転びそうになり左足を出す)

――(倒れ込まないように踏ん張るつもりで出した右足が良太の足を踏みつける)


 この瞬間映像がリンクした!

 良太はシュート体制に入っていたが、膝を曲げてジャンプしようとした時に強く踏まれ倒れた。

 その時の良太の倒れ方は、英介の頭に焼き付けられた映像と全く同じだった。


 英介は『自分が言わなかったせいだ』と思った。


――(でも、なんて伝えたら?

 かあちゃんの時のようにギリギリまで黙っていても結局言うべきだったのか?

 今回は捻挫自体は軽かったからまだいいとしても、もしもっと酷い何かを感じたら?

 竜介が大怪我をするとか、もしそんな予感がしたらどうすればいいんだ!)


 「英介?」

 竜介に呼ばれるまで、英介はぼんやりと良太が倒れたコートの端っこをじっと見つめていた。

 何度も声をかけられるまで、なかなか気がつかなかった。


 保健室から戻って来た良太が、足を踏んだ友達を気遣って、

 「ゴール下じゃなくって、外からポーンと入れてみたかったんだよ。慣れないことするからバカやった」

 良太はこう言って笑っていた。

 友達思いの優しい奴。


 良太の気遣いはよろけて足を踏んだ友達に向けられていたのだが、英介はその言葉がまるで()()()()()()()言葉のように感じられた。

 良太がそう言ってくれてホッとしたのだ。

 そして、自分が恥ずかしかった。


 英介は全く、何も悪くないのだが、それでも恥ずかしくて仕方がなかった。

 まるで自分がこの事態を招いたような気がしていたのだ。


 英介の様子がおかしいと感じた竜介は、すぐに声をかけた。

 「お前まで怪我したり、試合に集中できなくてつまんなかったらイヤだから。

 だからいったん悩み事は忘れろ。後でいくらでも話聞くから」


――(また竜介に気を遣わせてしまった。本当に自分は情けない。

 考えても仕方ない。今は竜介と楽しもう、これ以上心配かけないようにしないと。

 でもありがとうなんて言ったら、竜介はきっと恥ずかしがるから、それは心の中で言おう)


 「おう!また聞いてくれよな」

 英介はそう言って微笑んだ。


 この日、英介と竜介のチームは僅差で勝利した。


――(現実を振り切って前を向こう、友達の優しさに同じものを返せる男になりたい。今日勝てたのはなんか縁起がいいじゃんか!)


 この時の英介は、たとえ新しい悩みを抱えていたとしても、今の自分が誰かのために何ができるか、自分がどんなふうに変わっていけるのかと、ただ前を向こうとしていた。

 未来を思うことが、まだ不安ではなかった時だった。

  

     ◇◇◇◇◇

 

 メールで約束をしていたタイミングで、静は部屋で佐倉に電話をかけた。

 英介がお風呂に入っている時のこと。


 『なんだって?記憶力がものすごい?』

 「そうそう。あいつって、もの覚えがいいんだよ。ウイリアム・ブレイクって知ってる?悪魔と天使がどうのこうのってやつ

 『知ってるよ。静ちゃん珍しいね、彼の詩が好きなの?』

 「まさか!ママの本棚にあったからちょっと読んでみただけ。その時に英介もいてさ、私はわけわかんなくってすぐに飽きたんだけど、なぜか英介がね」


 『英介が?あの子がブレイクを気に入ったって?英介の歳でハマるのはちょっと気になるな。妙な宗教とか団体がそれに無理矢理関連付けてあの子を取り込もうとしてきたら、』

 「ああ違う、違うって!悪魔とか天使とかそんなのに興味持ったわけじゃないの」


 『それならいいけど。まあでも組織化された宗教を批判している詩人だから、真にヤバイ連中ならあの詩を利用して目を付けるってこともないか……なあんて過保護だよな。いや、今は小学生でも危ないだろう?』

 「うん、確かに怪しい感じがする。なんか肉の壁が残って悪魔の宮殿が建ったとかなんとか?ほんとヤバイ詩だよね」


 『その気持ちはわかる。でも絵は嫌いじゃないよ。なんかリアルだから。きっと本当に頭の中でアレを見て描いたんだと思うとね』

 「ええええ私はイヤ。ママもあんなのが好きだとか、もうママの趣味が分からないよ。まあいいけど……今は英介の記憶力の話だって!

 あいつね、あれを見た次の日の朝に、すらすらと肉の壁の宮殿がどうのこうのって読み上げたんだよ!適当に言ってるのかと思ったら。何度も何度も怖い声で私に言ってきて笑ってるから本で確認したらね、なんと、一言一句間違ってないの!」

 『それはすごいね。そんなに読み込んでたの英介は』

 「違うんだよ。英介はさらっと読んだだけで、なにこれ変なの、って言ってすぐに読むのやめたのに、次の日にスラスラ読み上げたんだ。なんか、甘美な羊飼いがどうとかいうやつとかも」

 『無垢の歌、だっけ?』


 「多分それかなあ?確かにそんなに長いわけじゃないけど、他にも暗唱してみろって言って読み上げさせたんだけど、ちゃんと覚えててスラスラ言えるの。英介は一生懸命読んでたわけじゃないし、さらっと見ていただけなのにおかしいよ。実はね、もっと子供の頃のことだけど、百人一首も一日か二日で覚えたんだよ。おかしいよね」

 『それはすごいね。英介は大量記憶系のほうなのか』

 「ああなるほど!そういう力もあるのか。そんなにさらっと覚えられるってムカつく!私なんて単語覚えるだけでキーキー言ってるのに」

 『ああわかる。一度に覚えようとすると頭が熱くなったりしてね』

 「そうそう!夜覚えたら朝もう一度確認しないと忘れちゃったりするんだよ」


 『静ちゃんは頑張ってるね。私の母もかなり頑張り屋さんなんだけど、なんか似てる』

 「あ、またマザコンがでた!もし今もママって呼んでたらヤバイんだからね」

 『いやあ呼びたいけど、困らせたくないからね』

 「ほんと残念過ぎるよ佐倉さん!それがなかったらモテただろうに」


 『別にいいさ。ところで、英介に何かおかしな様子はない?静ちゃんをじっと見つめてきたりとか』

 「それはないけど、最近またちょっと落ち込んだりしてる気がする」

 『そうか。やっぱり自分を責めているんだろうね』

 「多分そうだと思う」

 『これからも静ちゃんは注意深く見守ってね』


 この時、佐倉も静も、英介の異能はとてつもない記憶力を源にして発現する“何か“だと思っていた。

 まだ英介に、その“何か”が降りかからないでほしいと願っていたのに、その日はわりとすぐにやって来た。


     ◇◇◇◇◇


 夜遅くのコール音。英介からの電話だった。


――『佐倉さんお願いだよ、かあちゃんに仕事させないで!大怪我して目を覚まさなくなるんだ。

 あいつのせいで、あの総理大臣のせいなんだ。誰かわからないけど総理の旦那さんみたいな男の人を助けようとしてかあちゃんは脚に少しやけどするんだ。かあちゃんその男の人を助けてあげたのに、あの総理がかあちゃんを後ろから押して怪我をさせるんだ!かあちゃん目を覚まさないんだ』


 佐倉は本能的にこれが覚醒だとわかった。

 英介の力は大量記憶なんかじゃない。

 未来予知!

 これはとんでもないことだ。

 絶対に、これだけは誰にも知られてはならない。



 

 







 

お読みくださりありがとうございます。

次回は久々の山本ミキと佐倉のとうちゃんの登場です。

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