36.信じるのは大切な人だけでいい
―――英介の部屋。
「それはもう決まった話なのか?」英介の友人、竜介が心配そうにこう聞いた。
「ん、かあちゃんに言われた。姉ちゃんは仕方がないって。父ちゃんからはメールが来て、やっぱりもうそうなるしかないんだって言ってた」英介が答えた。
「マジか」
「マジ」
英介の部屋は狭く、四畳ほどしかない。
もともとは祖父母が物置として使っていた部屋だ。
今はそこにロフトベッドが置かれ、二人はベッド下に置かれた机の横に座って話し込んでいる。
「なんか俺、姉ちゃんがあまりにあっさりしてるから驚いちゃってさ……姉ちゃんはあきらめろって言うんだ、会いたくなったらいつでも父ちゃんに会えるからって。確かにそうかもしれないけど、母ちゃんが本当はどう思っているのかが心配なんだよ」
「そうか、確かに本当のことはわからないだろうな。お前に落ち込んでるところ見せたくないだろうから、こう、元気な振りしたりしてる可能性もあるよな」
「そうなんだよ!それなのに姉ちゃんは冷たいよな。昔からきっついんだよ、暴力でぐいぐいやってくるんだぜ、マジで怖いんだ」
「マジか!どんな姉ちゃんか会ってみたいな」
「外面だけはいいから竜介にはわかんないよ。俺にだけ意地悪なんだ」
「マジか!」
「もうすぐ帰ってくるよ。今日は竜介の家の人にも言ってあるから夕飯一緒に食べれるな。帰りにじいちゃんが家まで送ってくれるって言ってたから俺も一緒に車に乗ってく」
「悪いな。今日はばあちゃんちのほうの用事で母ちゃんたち遅くまでいないから助かったよ」
「うちのばあちゃんが、それなら竜介連れて来いって言ったんだから気にすんなよ」
こそこそ話に盛り上がっていたところで、静が帰って来た。
いつもならいきなりドアをバンと開け、『帰ったよ』と偉そうに言ってくるのに、今日はノックをしてからドアを開けてきた。
静は「お友達が来てるんだよね、いらっしゃい。ゆっくりしてね」と声をかけた。
英介はその態度に呆気に取られ、あんぐりと口を開けた。
そして静を一目見た竜介はのほうは、思わず「か、かわいい!」と声を上げた。
英介は「なに言ってんの?そんなお世辞言わなくていいよ。悪魔みたいな姉ちゃんなんだからな!さっき教えてやったろ?」と抗議したが、竜介は首を振った。
「バカ言うな!美人は美人!悪魔だなんて全く何を言ってんだお前は」
竜介にこう言われて、英介は更に口を大きく開けた。
「ケーキまだ出してないじゃないの、おばあちゃんがせっかく買ってきてくれたのに何やってんの?ごめんね、この子ぼんやりだから」
静は優し気に竜介に話しかけた。
「いいえ!ちゃんとおやつ食べてます。ありがとうございます!」竜介も至極礼儀正しい。
静は「ほら早くケーキを持ってきなさい」と言って英介の首根っこを軽く掴み、立たせ、竜介からは見えない位置で、意地悪そうな顔でニヤリと笑って見せた。
英介はこれに怒って静の頭を手のひらで叩いた。
祖母が「あらあらそんなことしちゃダメでしょう。静ちゃん大丈夫?」と声をかけたのも癪に障った。
「ばあちゃん、わかってないじゃん!今の顔見た?いや~な顔して笑ったんだぜ!俺にだけ見えるようにして笑ったんだって」
英介がいくら言っても、皆、静の味方だった。
祖父は仕事がまだ少しかかるとのことで、祖母を含めて四人での早めの夕食が始まった。
英介に親切にしてくれて、今は特に仲良くしているという竜介に、祖母も静もニコニコしながら御礼を言った。
英介が元気になったのは竜介君たちのおかげだとか、前よりも楽しそうだとか、いい友達ができて本当に嬉しいだとか、耳まで赤くなるほど褒めちぎられ、竜介は恥ずかしそうだった。
ちらりと静を見ると優しそうに笑っていて、竜介はサッと目をそらし、英介に「こんな姉ちゃんがいるなんて羨ましすぎる」とまで言った。
英介は、「ちょっと、竜介は人を見る目を養わないとまずいって!姉ちゃんが可愛いっていうなら、俺だって可愛いってことになるじゃんか!よくそっくりだって言われるぜ?でも竜介はそんなこと思ってなかっただろ?制服着た年上の女子を見て勘違いしただけだって!」と言ったが、これを静は笑い飛ばした。
「あんた、自分も可愛いと言われるはずだってバカじゃないの?そんな似てないわよ。それに竜介君は女子に対しての礼儀を持ってああ言ったのよ。なのに何言ってんの?佐倉さんに言いつけようかな」
静にこう言われると、英介はギリギリと唇を噛みながら睨みつけた。
「佐倉さんって、お母さんの飛行の担当をしているっていう?」竜介がたずねた。
「そうそう。担当してくれて、ずっとよくしてくれてるの。東京湾スカイツアーの企画書の見本をくれた人よ」
「ああはい!知ってます。俳優みたいにカッコイイ人ですよね?一回だけテレビで見たことがあります。あの議員のそばにいたのを見ました」
「そうそう、竜介君のスカイツアーね、麹町さんっていう偉い議員さんも知ってるのよ」
静がこう言うと、竜介が「えええ!あの爺さん?」と大声を上げた。
「そうよ、佐倉さんがスカイツアーのこと話したんだって。そしたら麹町さんが感動したみたいで、ちゃんとした企画書を持ってきたら花丸を、」
静がこう言った時、英介が遮った。
「姉ちゃん余計なこと言うなよ!せっかくビックリさせようと思ってたのに!佐倉さんと話して、竜介たちには秘密にして、花丸もらったのを見せて喜んでほしかったのに、なんだよもう!」
「ええ~そんなこと知らなかったもん。ごめんね英介」
「余計なこと言って!ほんと酷いよ姉ちゃんは」英介は真っ赤になった。
「ごめんごめん」と言いながらも全く反省した様子もない静に怒って、英介は思いっきり静の脛を蹴っ飛ばした。
英介の一撃。
この蹴りは、かなりいいところに入った。
まずいと思った英介はすぐに椅子から立ち上がりリビングのほうに逃げ出したが、遅かった。
公男(静と英介の父親)が言っていた高速ジャンプでソファーの背を難なく飛び越え、音もなく着地した静はすぐに英介を抑え込んだ。
両足を抱え込んで、背中をエビぞりに反らせる静の決め技が入った。
英介の哀れな姿を見ても、竜介は「すげえ!マジかっこいい!」と言うばかりで助けてはくれなかった。
腰を押さえた英介が、ソファーに腰かけると、静はわざとらしく脚を引きずりながらやってきて、座ってから脛に湿布を貼った。
竜介が「大丈夫ですか?」と声をかけると、にっこり笑った静が「いつものことだからね」と言う。
さっき大ジャンプを見せたばかりの元気な静なのだが、竜介は英介よりも静を心配している。
祖母が三人分のココアを持ってきて「まだゆっくりしていってね、おじいさんが帰ったら送るからね」と声をかける。
英介がねえちゃんは部屋に戻れと言っても、静はテレビを付けてご機嫌な様子で動こうとしない。
しまいには英介そっちのけで竜介と楽しそうに話している。
「竜介君はうちのママのこと、頑張ってるって言ってくれたみたいだけど、前のところでは色々言われて、私も英介も学校でちょっと辛いこともあったんだ。だから嬉しかった、ありがとう」
静は心から言った。
竜介はすぐに「俺も本当のことを教えてもらうまでは知りませんでした。英介もお母さんも全く悪くないし、おかしいのはそいつらのほうだし、だから別に俺らがお礼言われるのも変だから」と返す。
静と英介は、竜介の言葉を聞いて顔を見合わせる。
英介はまだ不服そうだが、静は嬉しそうに笑う。
「よかった!中学でも仲良くしてね。でも、もし英介がうちのママみたいに空を飛ぶようになったらさすがにちょっとイヤだよね?」
静がこう問うと、竜介はすぐに答える。
「正直、英介と会う前だったらどんなふうに付き合っていけばいいのかって、ちょっとは考えたかもしれないけど、今は英介を知ってるから全く悩むことはないです。飛んでもイヤじゃないし、もし他の力とかで、物を動かしたりとか……そういうふうなことになってもいいです。だって英介のせいじゃないし」
「本当に?」
「はい。そのことで落ち込んでいた英介が、飛んで誰かに悪さをするわけないし、こいつだったらきっと、お母さんみたいに人を助けたりすると思うし。なんかそう信じられるっていうか、そう思うし」
静が続けてこう聞く。
「よかった。でもさ、政府のお抱えサイキックみたいに、人の心を読むとかの力だったらイヤじゃない?」
ニコニコ笑っているが、静の心臓はドキドキ。
竜介の鼻を見ながら答えを待つ。
「心か、英介に心を読まれたらか……どうだろう?もし俺が何かに困っていたら、英介は何も言わなくても助けにやってくるってことか?好きな子のこととかもバレるのか。
うーん、そうなるとちょっと恥ずかしいけど。
でも、もしそうなったとして、すぐには言えなかったとしてもさ、きっといつかは俺には知らせてくれるだろ?それに心を読まれるのがイヤだっていったら、英介はそんなことしないだろ?だからまあ、別にいいかも」
静はこの答えに満足したようだった。
――(ガキのくせに、いいこと言うじゃん。気に入ったよ。佐倉さんにも知らせよう)
「そっか。竜介君は男らしいね。英介も見習いなさい」
静は満足そうに英介にこう言った。
「姉ちゃんなんなの?もう邪魔すんなよ。俺と違って部屋広いんだからいつまでもリビングにいるなよ」不貞腐れた英介は顔をそむける。
「女子の部屋を広くするのは当たり前だよ。荷物が多いんだからしょうがねえだろ?」
竜介にこう言われて黙り込む英介。
静が笑いながら言う。
「ありがとう竜介君。もし今後、君が口から火を吐く能力者になっても絶対に守ると誓うよ。非難する奴がいたらぶっとばしてやる」
「マジでほんとカッコイイ!」
この後、祖父が返ってくるまで、静は英介と竜介のそばに座って二人を観察した。
もちろん頭のテグスは伸ばさずに。
◇◇◇◇◇
金曜の夜。
佐倉は、部屋に友人たちを招いていた。
例のふざけた身体・精神保健調査員の咲太郎、〇✕の男の慶次、他三人。
佐倉を含めいつもの六人が集まった。
「烈のダメ押しが上手くいったようでよかったよ。離婚は済んだの?慰謝料ぶんどった?」
「いや、それはまだ。弁護士が入って一般的な金額におさまるんじゃないかな」
「まあよかったよ。俺という調査員のおかげだということを忘れんなよ」咲太郎がこう言うと、もう一人の調査員、透が溜息をつく。
「こいつの暴走は酷かった。あいつの母さんが黒田さんに電話するとか言っててほんとビビった」
「マジか!よくそれ無事だったな」
「ほんとやばかった。あの旦那さんが必死で止めてくれたからセーフだった」
佐倉はにっこりして、「お前らのおかげで今回も助かったよ。ありがとな」と言うと、
「だろ?まあいいよ、またなんかあったら言ってくれよ。何があっても協力するのが俺らだからな」
透がこう言うと、咲太郎もうなずく。
「どうせ休みだったし、それなりに楽しめたよ。しかしあの旦那さん、かなり反省したんだよな?」
「咲太郎はそれが気になるのか?」
「んまあちょっとな。全てぶちまけたって言うから、なんていうか、感心したっていうかさ。
烈の話だと、あの旦那さん言わなくてもいいことまで言ったっていうから、それはそれで潔いじゃないかと思ったんだよ」咲太郎がしみじみと話す。
佐倉は咲太郎に問いかける。
「お前は、あの人が潔いと思うのか?あの時はただ、後ろめたさと場の雰囲気や圧とか、遠山さんの真っ直ぐさに押し負けた部分もあると思うけど――お前はそれでもそう思うのか?」
咲太郎はこう返す。
「ああ、潔いだろうよ。わざわざ掘り返して話す必要もないことを言って謝ったんだぜ。そのことは評価できると俺は思う。あの人、これからきっと、ちゃんと新しい家族とうまくやってくんじゃないかと思う。だって、ちゃんと過去を清算してけじめをつけたってことにならないか?」
「相変わらず甘ちゃんだなお前は。あんな目にあってもまだ、そういう奴らを信じてやるのか?」
「ほんとだよ。遠山さんが先に譲るように謝ったっていうじゃないか。もし彼女がそうしていなかったら、俺は絶対にそうはならなかったと思う」
「確かにな。遠山さんの態度次第でそいつは何も話さなかったはずだぜ」
「そういう奴らを信じて、だまされるのはごめんなんだ」
佐倉の友人たちはそう言って咲太郎に反論する。
佐倉は再度、咲太郎に問う。
「過去を清算してけじめをつけたからって、もう一度そこに戻って人生をやり直せるわけじゃないだろう?それでもお前は、あの男が潔いと思うんだな?」
「ん、俺はそう思うかも。卑怯な真似をして相手を傷つけても、それをずっと後悔して、抱えて、それをちゃんと心から謝ったんなら、許してやってもいいんじゃないか?新しくやり直してもいいんじゃないかって思うよ。
卑怯なことをした奴はもう二度と人生を楽しめないってなったら、大変な奴だらけじゃないか」
咲太郎が答えると、また佐倉の代わりに皆が言う。
「お前のそういうアホなとこ、どうかと俺は思う。お前のお母さんが学校で頭を下げてるの見た時、俺ほんとに気の毒だった。もしあの時、あいつらの悪事がバレなかったら、お前のお母さんはどんな気持ちになったんだ?退学になって、今更そいつらが謝ってきたら、きれいさっぱりなかったことにできるのか?」
「そうだよ冗談じゃない。ろくでもない奴らだった。あいつら、結構悲惨なことになってるが、首謀者のあいつ、平気な顔して会社員やってるぜ」
「近くの学校の女の子で、あいつらに酷い目にあわされた子だっていたんだ。知ってるだろ?そういう奴らの性根は一生変わらないんだよ」
「お前の家族や俺たちがそうされたらどうなんだよ?お前は我慢できるかもしれないが、おれには無理だ。あんな奴ら、叩き潰されて当然なんだ」
彼らはそれぞれが忘れられない傷を抱えており、傷と共に憎しみや怒りを捨てきれていなかった。
佐倉は思う。
――(いつまでも怒りや憎しみを忘れられない人間の人生を、言葉で貶める偉そうな奴らのことを。
別に咲太郎がそうだと言っているわけじゃない。咲太郎は優しい奴だ。
どうやったって消えやしないその怒りを、思いを、持ち続けることがそんなに罪なのか?
軽蔑されるべきは卑劣な者たちのほうだろう?
咲太郎がもういいと言うなら、勝手にすればいい。
ただ、自分は咲太郎を貶めようとした奴らを、きっとずっと許しはしないだろう。
別に今、何か手を出して傷つけてやろうなんて思っちゃいない。
ただ、怒りを忘れないだけだ。
遠山さんの、あの元夫を決して許しはしないだろうが、静ちゃんと英介のお父さんをさらに傷つけようとは思わない。それだけのことだ。
咲太郎は、あの時の咲子おばさんの泣いた顔を忘れられるのだろうか?
あんなに悲しそうに、辛そうに涙を流していたおばさんの心を思うのなら、まるでなかったことのように『あいつらを許してやってもいいだろう』なんて思わないはずだろう?
生まれ変わっても、心根が変わらない咲太郎。きっと優しすぎるんだ。
優しすぎると、大切な人を傷つけることがあるんだよ。
愉快な調査員役の咲太郎よ、あまり物分かりの良い優しい男になるな。
お前がヘラヘラ笑って悪さをしているだけで俺は安心するんだ。
だから、またこれからもこの6人で悪さをしよう。
咲太郎には自分があの時、傷ついていたという事実を忘れないでほしいんだ。
頭を下げる咲子おばさんを見つめてたお前は涙を堪えていただろう?
お前以外の俺たちが泣いてた。お前の代わりに泣いたんだ。
お読みくださりありがとうございます。
次回は英介、そして空飛ぶカァちゃんの話に移っていくところです。




