32.異能覚醒に係る身体・精神保健調査員
―――「お願いしますよ、人の家庭に波風を立てるような調査はお控えいただきたい。あなた方は全部の事情を知っているわけではないでしょう?」
空飛ぶカァちゃんの夫、遠山公男が突然の訪問者の帰り際に言い放った言葉だ。
◇◇◇◇◇
その日、調査員と名乗る二人の男たちが遠山家を訪れた。
彼らは、能力者の配偶者及び子供たちへの『定期的な体調変化等の確認』で訪れたという。
空飛ぶカァちゃんと暮らしていた家族である遠山公男の体に、何かしらの異能覚醒が訪れる可能性もあるとし、健康状態と精神保健面について、時に抜き打ちで調査が入るということだった。
当然ながら、公男の顔を写真で把握していた彼らは、今日の午前中、公男が一人で『ももた産婦人科・内科クリニック』という病院に入っていくところを見かけ、ひとまず声をかけずに病院の駐車場で待っていたらしい。
その後、30分~40分程で病院から出てきた公男と一人の女性が母子手帳を開いて嬉しそうに話している姿を見て、なんとなくその場では声をかけずらく、時間を空けて自宅を訪れたとのことだった。
彼らは今回の訪問調査の趣旨を伝えた後に、言いづらそうに先ほどの女性が誰なのかを問うてきた。
調査員の一人が、
―――『例えば親類の女性の付き添いであったり、他人であったとしても何らかの事情で病院に付き添うことは誰にでもあるので、そうであればそうだと申告してもらえれば全く問題はない』ということを伝えてきたが、その目から軽蔑の視線を感じ取った公男の母が先に声を荒らげた。
「なんでそんなことまで聞かれないといけないんです?うちの息子を調査だなんて!あの人がそうだからってうちの息子は無関係でしょうに!」
鬼の形相でこう言ってくる母親に、調査員の一人が答えた。
「いえ、無関係ではないんですよ。健康面や精神面で何か異常があればこちらとしては全面的にサポートする義務がありますし、もちろんこのことで遠山さんにご迷惑をおかけするつもりはございません。
ですが先ほどのご様子からみて、ちょっと……親密なご様子でしたのでおたずねしたんです。さすがに先ほどはお声掛け出来ませんでした」
「息子が誰に付き添おうが健康の調査とは関係ないじゃないの。余計なことを報告するような真似はしないでくださいね。関係ないんだから」
公男の母がこう言うと、また別の調査員がこう答える。
「そうはいっても、遠山さん……奥様のほうですが、奥様にご主人様やお子様に何か異常が出ていないか報告する義務が私共にはあるんです。奥様はいつも心配しておられるので」
「あの人が心配してようが関係ないでしょ。あの人のせいでこんなことになったのに、何が心配ですか!何も悪くない息子のことで余計なことを言ってごらんなさい、あんたたち調査員とやらの無作法な態度のことをこちらからも報告しますよ」
公男の母はだんだん声が大きくなっていった。
こう言われて二人の調査員は顔を見合わせ、すぐにうなずき合った。
そして、一人がこう訊く。
「わかりました。もちろん事実のみご報告いたしますのでご安心ください。失礼を承知で確認させていただきますが……まさかあの女性が遠山さんのお子様を妊娠されているというようなことはございませんよね?私共としてもそんなことを報告したくはございませんので、そうでないなら何よりですが、こちらとしては遠山さんがあの病院に入っていかれたことは、どうしても報告する義務がありますので……ご親戚か、知人の方の付き添いということでよろしいでしょうか?」
公男も、その母親もすぐには答えない。
「遠山さん?」
と問いかけてくる調査員に、慌てて公男がこう答える。
「あのクリニックに行ったことを報告する必要はないですよ。僕は付き添いで、僕が医師に診てもらったわけじゃありませんので。事実だけというならそれでいいでしょう?」
「いえ、これは厳密な調査ですからそれはできません。ではご親戚の方の付き添いで産婦人科に入って行かれたと報告するということで問題ないですね?」
調査員はボールペンを持ち上げながらこう訊ねた。
「どこに行ったとかまで報告させようとするなんて!あの人がそうさせたの?なんていやらしい!」
公男の母親が大声を出す。
「とんでもない、これは所管責任者からの指示ですよ。遠山さんが私共を使って調査するなど出来るはずもありません。わかりました、異議申し立てがございましたらこちらの様式にてご提出ください」
調査員はファイルから異議申立書の指定用紙を取り出し公男に手渡した。
そして、それとは別に“第三調査課提出用控A“と書かれた青色の用紙を取り出して、備考欄に『通院したクリニックに関する報告業務に異議有』と書き入れた。
横目でそれを見た公男が「お待ちください」と言って、その用紙を横から手を出してつまみ上げる。
「別に異議申し立てとか、そんな大ごとにするつもりはありませんよ。ただ通院について記録して報告するなんてあまりにプライバシーを無視した調査じゃないですか、正直驚いただけです。
ですが、あることないこと報告されると妙な誤解を生むでしょう?ただでさえ大変な仕事をしている妻に、余計な心配をかけたくないんです。ただそれだけです。ですから……会社の同僚の付き添いだと報告してください。これは本当のことですよ?体調を悪くされたので、お送りしただけですから」
公男は平然と嘘をついた。
「そうですか、それならよかったです。不躾な質問をしてしまい申し訳ございませんでした」
こう言って顔を合わせ、ほっとしたように頷き合った二人の調査員は、公男の手から青色の控え書類をサッと取り上げ、ついでに机の上の異議申立書をファイルにしまった。
そして彼らはこの2か月の間に通院した全ての病院について聞き取りをした後で、体調や精神面での変化、ストレスに関するリーフレットを手渡し、一枚の書類を机に置いた。
「同僚の方の付き添いだという報告をさせていただきますが、万が一これが事実ではないとすると、色々と問題が生じます。こちらの欄には、今回の調査で事実のみをお伝えいただいたという署名をお願いしております。よろしくお願いいたします」
公男はわかりましたと言いながらなぐり書きをするように署名すると、荒々しく立ち上がった。
さあもう帰れと言わんばかりの顔つきで。
調査員も立ち上がり、こちらももう用は済んだとばかりに軽く頭を下げてからすぐに玄関に向かった。
そして、帰り際に調査員が言いづらそうにこう言った。
「この度の調査では、奥様でもない別の女性と産科のクリニックの駐車場で母子手帳を覗き込んで微笑み合うという衝撃の場面に遭遇してしまったものですから、少しばかり立ち入った物言いをしてしまいましたが……本当に失礼いたしました。
実は、正確ではない報告を行うと私共にはかなりのペナルティが課せられますので、つい疑るような言い方になってしまうんです。しかし、この内容が事実ではなかった場合、万が一結婚生活の解消などとなった際に不利になるのはご主人様のほうですから、お気を付けていただきたいという気持ちもございまして。私共はそういうことは望んでおりませんので。ではご協力誠にありがとうございました」
これにカチンときた公男が思わず言い返す。
「本当にそんな不幸を望んでいないならいいですがね。あなた方の報告のせいで家庭に波風が立つようなことがあったら責任取れないでしょう?お願いしますよ、人の家庭に波風を立てるような調査はお控えいただきたい。あなた方は全部の事情を知っているわけではないでしょう?表面だけを見ての邪推はやめていただきたい」
「もちろんです。遠山さんご一家が健やかにお過ごしになることが私共の願いです。それでは失礼いたしま、」
去り際の言葉を最後まで聞かずに、公男は玄関ドアをバタンと閉めた。
奥で母親が『黒田さんに抗議の電話しようか』と言い出して、公男が必死に止める。
余計なことをして大事になったら逆にまずい。
あの調査員が妻に何を言うのか、不安で仕方ないがまだ決定的な証拠を握られたわけではない。
わけのわからない調査員に、この先邪魔をされたくはない。
離婚してしまえばこっちの勝ちだ。
こうなったのは誰のせいなのかは妻が一番よくわかっているはずだ。
飛ぶ力か何か知らないが、本当に気味の悪い力だと公男は思っていた。
皆、知らないだろうが……しばしば妻は寝ている間に天井まで浮いてしまい、天井に当たるとひっくり返って顔を下に向けて眠るのだ。
本人はぐっすり寝ているので気が付いていない。
公男は下で寝ていると、浮かんだ妻がもし目を開けたらと思うと恐ろしくて眠れなかった。
浮いている妻はもともと寝相が悪いこともあり、時折、天井の壁をずるずると這うように移動して公男の真上に来ることがあった。
公男はその真下で寝るのが怖くて、落ちてこない側の床に布団を敷いて寝たこともあった。
一度、天井に浮いた妻がゆっくりと降りてくる姿を目撃した時に、夢を見ているのかわからないが、妻が嬉しそうに笑っていて、恐怖のあまり部屋から逃げ出してことがあった。
それでも、朝になると公男は優しく妻に接してやった。
最初にそれを目撃した時に「なんか天井まで浮いていたよ」と伝えたのだが、びっくりさせてごめんなさいと何度も何度も謝ってきたので、そうされるのも鬱陶しくて、もうそれっきり、よく夜に浮いていることは伝えなくなった。
また、時々寝言で『私が飛べたら助けられたのに』とか『なんで死んでしまったの?』などと言って泣いたりするのだが、朝それを聞くと全く覚えていないらしい。
夢を見た記憶もないようだった。
同じような寝言を繰り返されると、夜中に声が聞こえただけで恐ろしくなった。
公男は思う。
『そんな事情を全部話してやったら、さっきの奴らだって今度は俺に同情するだろうよ。そんな女と暮らしてみろよ、気がおかしくなるからな。静や英介までああなったら耐えられない』
公男は新しい職場で中学の同級生だった女と再会した。
元々公男に好意を持っていた女だったので、関係が深まるのはあっという間だった。
入社後ほどなくして親密になり、ひと月ほど前に彼女の妊娠を知った。
驚きはしたが、公男はそれを迷惑だとは思わなかった。
―――(空飛ぶ女が生んだ子供ではなく、普通の女が自分の子供を身ごもった!)
このことは恐怖と不安でいっぱいだった公男には『嬉しくないわけではない』、という程度には喜ばしいハプニングだった。
公男はいつも静と英介のことが心配でならなかった。
尋常ではない運動神経の娘と、とてつもない記憶力の息子。
自分の子供でありながら、空飛ぶカァちゃんが生んだ子供たちは公男にとって不安の種となった。
自分は並みの運動神経で、空飛ぶカァちゃんは酷い運動音痴。
にもかかわらず、静の運動能力は普通じゃなかったし、ぼんやりした甘えんぼうの英介はとてつもない記憶力の持ち主だった。
神経衰弱や百人一首の時の暗記力を見て、英介の物覚えの良さにはぞくりとさせられることがあった。
英介の記憶力については、思い返せば幼稚園の時からである。
ちょっと記憶力がいい子なんて沢山いるし、自分の息子がそれならいいことじゃないかと思っていたが、妻が異能に覚醒した二年前からは、その子供たちの能力も公男にとっては不安要素でしかなくなった。
普通の女が普通の子を産んでくれたら―――
(あのお腹の中の子だったら、安心して子供と向き合えるのか、もう心配せずに日々過ごせるのか)
異能が発現した空飛ぶカァちゃんのそのまんま全てを受け入れるということ。
もはや彼女への恐怖に支配された公男には、そんなことは出来るはずがなかった。
◇◇◇◇◇
さて、この日公男のもとを訪れた『異能覚醒に係る身体・精神保健調査員』という男たち。
この二人こそが、既にプロの調査員を雇って確実な証拠をつかんでいた佐倉の友人である。
職務に忠実な調査員を装い、公男を刺激するためにつっつきに来たのだった。
「俺もなかなかのもんだったろ?まさに公務員、融通の利かない調査員って感じが出てたろ?」
「バカ!あんな調査員がいるか?何が『不利になるのはご主人ですよ、お気を付けくださいね』だよ!そんなこと言ったら普通クビだよクビ」
「まあいいさ、どうせ山本ミキらには言えやしないんだから奴らは。ちょうどいい具合の時にやってやるさ」
「烈がニタニタする顔、久しぶりにみれるな」
「いい波風立ててやろうじゃねえか!やってやるぜ」
お読みくださりありがとうございます。
次回は調査員の最後の一押しと、空飛ぶカァちゃんと佐倉の楽しい会話です。ちょっと息抜き回です。




