31.透明ではない書棚にアルバムをしまおう
静と英介の父、遠山公男とその相手の女に関する証拠集めが始まった。
手配するのは佐倉の友人たち。
彼らが、佐倉はこの件には直接関わらないように言ってきたからだ。
やりすぎて何をしでかすかわからない佐倉を、子供たちの父とその女への攻撃準備に関わらせるのはまずいと思った彼らなりの配慮である。
有能な彼らのおかげで、じきに恥知らずな真実が明るみに出ることだろう。
佐倉がしたことと言えば、空飛ぶカァちゃんへの定期連絡時に、離婚に関する作り話をして彼女に危機感を持たせようとしたことぐらい。
内容はこうだ。
―――『友人の離婚話のことでどうしたらいいか悩んでいる。どうやらヤケになって自分から先に離婚を言い出したせいで、親権のことや慰謝料のことでかなり不利になっているらしく、毎日のように電話で相談されてどうしたらいいかわからず困っている』という大嘘。
佐倉の友人は誰も離婚などしていないし、半分はまだ独身だというのに本当に縁起でもない。
話をしている途中で次第に顔を曇らせていく空飛ぶカァちゃんを見て、こんなタイミングでまずい例を出してしまったと慌てた佐倉は、とにかく話をそらそうとして、面白くもないダジャレを仕掛けて気をそらそうとしたのだが、空飛ぶカァちゃんはそんな哀れなダジャレには反応をみせず、眉間に皺を寄せて考え込むばかりだった。
しまいには「親権、もし親権を…」などと呟いて、佐倉の持ちだした嘘話のせいですっかり気落ちしている様子が見て取れた。
慌てて英介や静の話題を振っても、かえってそれが不安を呼び起こさせた。
山本ミキや事務の女の子に対しては気の利いた語り口で、相手を気分よくさせるのが得意だと思っていた佐倉だが、思考をシャットダウンしている状態の空飛ぶカァちゃんの前ではいつものそれが通用しなかった。
中高時代から『佐倉にかかればどんな奴でも彼女ができる』と言われていつも調子に乗っていたが、結局は相手の思考を読めるからという部分が大きい。
恋愛経験が全くない佐倉には男女間のあれこれやドロドロ事案は荷が重すぎた。
佐倉は空飛ぶカァちゃんに気づかれずに彼女の頭の中に例の糸を伸ばすことも出来るのだが、万が一そのことがバレて空飛ぶカァちゃんから軽蔑されたらと思うと、とてもじゃないがそんなことをする気にはなれなかった。
そもそも、いま空飛ぶカァちゃんが離婚を欲しているかどうかの確信もないのにくだらない嘘で混乱させる必要はなかったのだ。
佐倉は自分のこの失敗は隠したままで友人たちに証拠集めをせかした。
―――『全て完璧に準備しておかないとまずいんだ、でも急がないと』
こんなふうに焦る佐倉の様子にも慣れている佐倉の友人たちは口を揃えてこう言う。
―――『まあ落ち着け。いい感じにザマァしてやるからおとなしく見ていろよ』
最強の友人、心強い仲間たち、彼らとよく似た性質・姿の者たちもまた、かつてあの空間にあった透明ではない書棚のほうに収まっていた。
◇◇◇◇◇
静が帰宅すると、英介が電話口で『やったあ!』と大声を出しているので、口パクで(どうしたの?)と聞くと「ばあちゃんが俺たちにお小遣い送ってくれるって!」と言ってご機嫌な様子だった。
静は別にどうでもよかったが、英介が余計なことをしてきた。
ちょっと待って姉ちゃんに代わるね、と言ってスマホを渡してきたのだ。
うわっ、と思ったが出ないわけにもいかない。
英介に変に思われるのもまずいと思い、ここは機嫌よく電話にでるしかなかった。
「おばあちゃんこんばんは。元気にしてる?」
―『静ちゃん、今帰ってきたの?遅かったんだね。英介にも言ったけど今度お小遣い送ってあげるからね。全く、お父さんが気が利かないんだから、たくさん入れとくね』
いつも通りに、祖母は私たちにはとても優しかった。
確かに英介に甘いところもあったが、何か、特に酷い扱いをされていたわけではなかった。
ただ、母親の立場がこういうことになってからは、電話でちょっとした意見の相違があったり、母親についての真実を話しているだけなのに『やっぱりお母さんのことは贔屓目に見てしまうよね。親孝行でやさしいんだ静ちゃんは』などと言われたりするので、そんなんじゃない、本当のことだものと言って言い返すことがよくあった。
ちゃんとわかりやすく説明すればわかってくれると思っていたし、母親のことを誤解されるのがイヤだったのでムキになっていた自覚はあった。
その上で、先日の父親の『音になっていない声』が伝えてきた内容を思い出すと、さすがに胸が痛んだ。
静は、父親に子供ができたことを祖母は知っているだろうと思った。
そして、こう問いかけた。
「わあ、ありがとうおばあちゃん。最近パパはどう?元気でやってる?新しい職場に嫌な上司とか同僚がいたりしてないかな?あと、イヤなことがあったりとかしてない?」
―『ええっ?まさか、あの子は大丈夫だよ。お人好しで人を悪く言うような子じゃないから人に好かれるんだよ。だから誰かに悪く思われるようなことはないから心配いらないよ。静ちゃんは心配性だね。ずっとパパっ子だったからね』
いつもこんなふうに言われるたびに、なにかしら言い返していた。
パパっ子ってわけじゃないし、父親が“人から好かれる性格かどうか“ということについては全く意見が違った。
祖母の言葉に言い返すたびに、まるでお前の母親はそれとは真逆だと言わんばかりの余計なひと言が返ってきていた。
例えばこうだ。
―――人があれこれ酷い噂をたてられるのには多分理由がある。
普段から家に閉じこもりっきりで地域の友人を持たない人とか、人の忠告を素直に聞かない人っていうのはいざという時に助けてもらえないことがある、だからそういう人間にはなっちゃいけない―――とか。
母親のことを、暗にこう言ってくるのだ。
祖母のこういう発言を聞くたびにいつも憤っていたし、そうじゃないことを必死で伝えようとしては失敗してきた。
静は、本当に自分は馬鹿だったと思った。
話が通じない人に何を言っても無駄なのに、祖母だという、ただそれだけの絆にしがみついて、わかってもらえると、自分なら正しく伝えられると信じ込んでいたのだから。
祖母にとって静は、生意気にも親切なアドバイスをはねのけてくるだけでなく、母親を妄信していて父親や祖母の意見には耳を貸さない視野の狭い娘にしか見えていなかったのだとようやく気付いた。
静は今、この祖母が喜ぶような素直ないい子でいようと思った。
「そっか、それならよかったあ。たしかにそうかもね、パパはおばあちゃんに似て明るくて面白いからきっと会社でもうまくやれるよね。私心配しすぎちゃったよ。そういえば、この前送ってくれた服を着て英介と二人で写真撮ったんだよ。送るから見てね。おばあちゃん、おじいちゃんもだけど、これからも体に気を付けて元気でね」
―『あれま!これからしばらく外国にでも行く人みたいに言うんだね。しっかりしてきたねえ、お姉ちゃんだねえ』
嫌味なのか、本心なのかわからないが、祖母は今回気を悪くした様子はなかった。
話が噛み合わなくても、時に意見が合わなくても、それでも大事に思っていた祖母だった。
静は祖母にこう言ってみる。
「おばあちゃんが前にもっと地域の友人を持たないとダメだって言ってたでしょ?
それ、その通りだったよ。英介だけどね、新しい学校で近所の友達が沢山できて前よりもずっと元気になったんだ。いい友達がいっぱいできて本当に楽しそうなんだよ。
受験はしないで中学もみんなで地元に行くって約束してるんだって。お祭りとかの行事にも参加するみたいでさ、ほんと地域の繋がりって大切なんだなって私も思ったんだ。ナイスアドバイス、おばあちゃん」
―『へえ、そうなの、それはよかったけど。まあでもここら辺の地域はもっとのんびりだよ、英介みたいな子にはここら辺の小学校も合ってそうだよねえ、実はうちのすぐ隣の子で、』
「たしかに!英介は本当のんびりしてるもんね、今の小学校の子たちもかなりのんびり系でガキっぽい子が多いみたい。類は友を呼ぶの類友ばっかでつるんでるみたい、ね、英介!」
静は佐倉の真似をして無神経に明るく話を遮ってみた。
もうどうでもよかった。
「ふふっ、いま英介に代るね。学校の話すると止まらないんだよ英介」
こう言って英介にスマホを渡しながら、静は祖母によく聞こえるように、
「おばあちゃん心配してくれてたんだから、学校の話をして安心させてあげて」と言った。
英介は「うん!」と素直に言って電話を代わり、学校の話をペラペラとよくしゃべった。
祖母がそれをどう思ったかはわからないが、英介は「姉ちゃんと新しい服着て撮った写真も送るけど、ちょっと先になるけど、みんなでお祭りの写真も撮ってばあちゃんに送ってあげるね」と嬉しそうに話していた。
静は、英介を祖父母のところに行かせるつもりなどこれっぽっちもなかった。
佐倉には何かしら助けてもらうことになるかもしれないが、絶対にここでの生活を守りたいと思っていた。
もし、あちらに行くことになったりしたら、英介はせっかくの友人を失うだけでなく、父親の新しい家族のことで遅かれ早かれ傷つくことになる。
冗談じゃない。
英介を守るためならパンチでも何でも繰り出していくらでもやり合ってやる、そんなふうに思っていた。
でも、テグスの力を携えた自分には、父も祖母も、もはや敵ではない気がした。
大人だからといって、子供より常に正しくあるわけじゃない。
選択肢をいくつも持っていて、現実的に物事を進められるからといって、その先に間違いが起こらないと断言はできない。
あの日、父の頭の中を覗いたことで受けた衝撃は悲しみや怒りだけじゃない。
自分のせいではないが、ちょっぴりの罪悪感だってあったのだ。
知りたくて知ったわけじゃない。
それでも、知らないでいたら、まだしばらくの間はなくさないでいられた絆が断ち切られてしまった。
これからは祖母に真っすぐな思いを、怒りや悲しみの感情をぶつけることはもうないだろう。
そうやってこれからは斜めの位置から父や祖母を見つめることになる。
佐倉さんも頭から糸が伸びた時から、そういう気持ちになる相手が沢山いたんだろうなと、静はしみじみそんなことを思う。
―――(そういえば、ヤバイ透明な本の話には『虹色の音符』の作者の話も出てくるのかな?佐倉さんが話したくなったらじっくり聞かせてもらおう)
さて、英介が機嫌よく電話を切った。
特に祖母から何か言われた様子はない。
ほっとした静は更に思う。
―――(写真はこちらでもアルバムに入れよう。
お祖母ちゃんやパパと一緒に撮った写真を集めて、新しい綺麗なアルバムを買ってそこに入れよう。
そして、佐倉さんが言っていたみたいな透明でないほうの書棚に大事にしまっておけばいい。
もう、そこに入ることは出来ないけど、時々それを眺められればそれでいいんだ)
次回は佐倉の友人たちが登場します。




