26.3人の能力者への囁き(1)
権藤が空飛ぶカァちゃんに協力を依頼した土砂災害の警戒区域の地質調査は順調に進んだ。
ドローンが入りにくい部分の地表の植生など、専門家と無線で会話しながらの撮影には空飛ぶカァちゃんの飛ぶ力は大いに役立った。
人が立ち入れない場所で言葉のわかるドローンが飛んでいるようなものなのだから、研究者にとってこれほど使い勝手のいいカメラマンはいない。
空飛ぶカァちゃんは無線で彼らの声を聞き、いつも丁寧にすばやく作業した。
事前に言われていたことでなくても気づいたことがあれば、首から下げたメモ帳に書き入れ、写真と映像とともに提供した。
権藤の要請を終えた後にも色々な自治体から声がかかり、空飛ぶカァちゃんは文字通りあちこちに“飛ばされる“状況が続いた。
彼女がその地域を飛んだという事実と共に、もともと専門家の持つ地質解析のデータや研究内容が良い意味で注目を集めるので、それに伴って多くの自治体で砂防工事計画の推進に繋がっていった。
今まで後回しにされていた地域でも工事計画が見直され、特に地方の自治体においては今まで以上に議会での議論が活発化したことは権藤の狙い通りだった。
それに、空飛ぶカァちゃんは息子の友人を助けたあの日から、なにか不気味で異質な者として扱われ、何の罪もないのに叩かれ馬鹿にされてきたので、こうして役に立つ者として声がかかることで、大切な子供たちの立場を少しでも良くすることができるなら、たとえどんな危険なことでも進んで引き受けるつもりだった。
自治体の首長も、研究者も、空飛ぶカァちゃんの働きを高く評価し、彼女はその働きに対する、あの時に聞けなかった感謝の言葉を沢山受け取った。
あの海の日、空飛ぶカァちゃんも英介も、誰かのありがとうが聞きたかったわけじゃない。
ただ『よかった』『アキラが助かって本当に良かった』と、そういう安堵の言葉が聞きればそれでよかったのだ。
―――『どうしてかあちゃんをあんな目でみるんだ?かあちゃんがいなかったら大変なことになったのに。俺が、俺がお願いしたからいけないんだ』
あの日英介が、こう言って泣いていたことが忘れられない。
空飛ぶカァちゃんは、このことを思うだけで涙が滲んだ。
英介は正しいことをしようとしたのに、助けた友人に睨みつけられ、その少年の父と母は自分の責任から目をそらそうとして、海から救い上げた空飛ぶカァちゃんを責め立てた。
―『助けられるならもっと早く助けられただろうが!』
―『アキラがサメに襲われていたらどうするつもりだったんだ!』
―『今までこそこそ隠していたのか?』
―――(何度もアキラを心配して、アキラの母親やボランティアの保護者に声をかけていた英介の前で、よくもあんなことが言えたものだ)
ボランティアで参加した空飛ぶカァちゃんは、砂浜の手前の方で小さな子供たちの面倒を見ていたので英介やアキラの行動について細かく把握していたわけではなかった。
高学年の子供たちの世話の係は、同じくボランティア参加のアキラの母親の担当だった。
そのアキラの母親は、日よけテントで寝てしまったというのだから無責任極まりない。
後に英介からも、他のボランティアからもあの日の事情を聞いた空飛ぶカァちゃんは怒りに震えた。
レクリエーションサークルの保護者ボランティアの一人からは、空飛ぶカァちゃんの身が“政府預かり“になった直後に『自宅宛てに』電話が入った。
それを受けたのは夫で、彼はその電話を親切な心遣いだと思ったようだった。
静は『もうママが家からいなくなったって知っているだろうに今更?何のために?』――こう言っていた。
そして、『空飛ぶカァちゃん宛てに』そのレクサークルの保護者ボランティアの女性から直接のメール連絡が入ったのは、その電話からしばらく後のことだった。
参加した保護者の電話連絡先やメールアドレスは当然知っていたはずだが、その時まで彼女が空飛ぶカァちゃんに連絡をとることはなかった。
―『環境が変わったところだから忙しいかなと思ったし、なんとなく連絡しずらくて』
彼女は最初にこう書いてきた。
アキラの両親との関係もあるだろうから連絡しずらいというのは理解できる。
ただ、空飛ぶカァちゃんは何度も断っていたのに強引にボランティアに参加させられていたのだ。
レクリエーションサークルの代表の一人として、まずは連絡をしてくるのが筋だろう。
本当のところは、いくら海水浴での真実を知っていたとしても、評判が地に落ちた空飛ぶカァちゃんに自分のほうから連絡するのがはばかられたということなのだ。
英介の小学校や地元では、なぜか空飛ぶカァちゃんの悪い噂ばかりが流れ、中でも酷いものでは『アキラをなかなか助けようとしなかった』というものや、空飛ぶカァちゃんは『全くボランティアの役目を果たしていなかった』というものまであった。
誰が、どうしてこんな噂を流したのかわからないが、そのうち、海水浴に参加していた英介の友人の女の子二人がこの噂に反発した。
―『事実と違う!』
―『むしろ寝ていてアキラを探していなかったのはアキラのお母さんのほうだ!』
―『英介はずっとアキラを心配していた』
―『英介のママはずっと小さな子たちのトイレの世話や食事の手伝いをさせられていて大変そうだった』
彼女たちは真実を語ってくれた。
気性の荒いアキラに反発するのは勇気がいることだったかもしれないが、もう我慢ならなくなったのだろう。
しかし、もうその頃には英介は学校で全く笑わなくなり、いつも一人でぼんやりしていたそうだ。
英介はそろばん教室もやめてしまった。
保護者ボランティアの一人が空飛ぶカァちゃんにメールを寄越してきたのは、女の子達の正義の告白が少しばかり広がって、アキラとその母の立場が揺らぎかけてからのことだった。
さて、その保護者ボランティアからのメールはこうだ。
―『昼前からずっと英介がしょっちゅう沖の方を見つめてアキラを気にかけ、アキラの母や自分に声をかけたりしていたこと。
自分はアキラの母親を信頼して任せていたから、まさかアキラが一人で泳ぎに行ったままだとは思ってもみなかったこと。
そして、サメの情報が入ってからすぐに監視員にアキラがいないことを知らせたのは英介だったというのに、それを知っていながら御礼も謝罪もしないというのはアキラの両親がおかしい。
もしかしたら妙な噂を流しているのはアキラの母親かもしれない、かばってあげたかったけどサークルで幅を利かせているのでなかなかできなかった』
というような、言い訳とアキラの両親の態度を批判する内容だった。
―――(だからなんだというのか?それを今私に言ってどうするのか?
英介があんなに苦しんでいるのに、今更そんなことを言って何かが良くなるとでもいうのか?
私が一緒になって怒りをあらわせば、それに同調し慰めてやったということで、あなたの心の重さが少し軽くなるの?
本当に彼らが酷い態度だったと思うのなら、参加した子たちや学校のクラスのみんなに、飛ぶ女を気味悪がって叩いている世間様に!SNSでも何でも使って真実を広めてくれればいいのにとさえ思った。
ただ自分の罪悪感を消すためならば、こちらの立場にたって一緒に怒っているなどと、わざわざメールで教えてくれなくてもいい)―――
それでも、従来律儀な性格である空飛ぶカァちゃんはそのメールに丁寧なお礼のメールを返した。
『このたびは、ご心配いただきありがとうございます』で始まるメール。
―――(ありがとうだなんて、自分が使っても使われなくても、なんて不快な言葉になってしまったんだろう)
空飛ぶカァちゃんはこのメールに対してお礼の返信をした後に、どうしても消化できない怒りや悲しみを、その傷ついた心を、どうしてかつい正直に電話で夫にぶつけてしまった。
辛い立場に立たされた自分たち家族、何よりも子供たちを思い、今度ばかりはきっと一緒に怒ってくれると思ったから。
しかし彼は、電話とメールを寄越したその保護者ボランティアの気遣いや優しさを、今更だとか、罪悪感を拭いたいのだろうとか、そんなふうに受け取る空飛ぶカァちゃんに驚いたようだった。
傷ついている妻をひどく責めるようなことは口にしなかったが、やんわりとそれを諫め、英介が学校で気まずくなるだろうから、なるべくそういうことを言わないようにと言った。
そして――『アキラ君の両親だって混乱していただろう?』と言って、彼らのその時の気持ちも考えてあげなきゃいけない、子供を思うあまり気持ちが昂っていた人間を非難するようなことはやめるようにとも言った。
さらに、家族がバラバラになってしまったのは辛いけど、だからといって人の気遣いや優しさを素直に受け取らず悪くとるようなことはしないでほしい、そういうところは直したほうがいいよとまで、夫は言ったのだ。
そしてその夫は、英介の、友達を思う優しい心をこんなふうに表現した。
ー『どうせ救助の人が助けただろうに。まだ子供だから自分のおかあさんがすごいってところを見せたかったのかな。静なら、多分だけどいったん我慢して、助けろなんて言わなかっただろうな』
空飛ぶカァちゃんはもう無理だと思った。
もともと怒りの観点が違いすぎる。
こうまでものの見方が違うとは。
楽しさや嬉しさの観点がズレていても別に問題はないが、この気持ちを理解できない人間が夫であるというのは、空飛ぶカァちゃんにとって絶望に等しかった。
物わかりのいい人間になって、口先だけの声掛けをありがたいと思えという夫。
とある無責任な父母の立場を思いやって、彼らの暴言をなかったことにしようとする男。
他者への思いやりと感謝について、講釈を垂れる勘違い男。
それでも、自分は耐えなければと思っていた。
あの時、一番傷ついたのは英介だったのだから。
英介が昼前からずっとアキラを気にかけて、その母親やボランティアに声をかけていたにもかかわらず、彼らはその声かけを軽く流し、真剣に耳を傾けなかった。
無責任にもテントで眠ってしまうような母親や、好き勝手に泳ぎにいってしまったアキラの父親に差し出す思いやりなど絶対に持ってやるものか!
空飛ぶカァちゃんはそう思った。
空飛ぶカァちゃんは物静かで心優しい女性だが、彼女の夫のような『見かけいい人』の言葉を軽蔑していた。
こういう人間が語る思いやりの考え方こそよほど人を傷つけることを、今までの結婚生活で思い知らされていたから。
海難事故の後。空飛ぶカァちゃんが他人へ伝える心からのありがとうは、そろばん教室のおばあさん先生が海水浴のことを知ってからすぐに、英介と空飛ぶカァちゃんの立場を心配して励ましのメールを送ってくれた時――その返信に添えられた御礼の言葉が最後だった。
そのメールの中でおばあさん先生は、
―――『私がいけなかった。英介君はきっと私のことを思って、3人でも4人でもいいから一緒に桃をもぎに行こうって言ってくれたのに、私が海水浴に行ったらとすすめてしまった。余計なことをしてしまい本当にごめんなさい』
涙が止まらなかった。
本当の優しさを持つ人は、やっぱり人の優しさがわかるのだ。
空飛ぶカァちゃんは涙を流しながら返信の文字を打った。
このメールへの返信の文字には、空飛ぶカァちゃんが心を込めて訳した、たった一冊の翻訳小説を書いた時より熱い思いで溢れていた。
◇◇◇◇◇
ここは、3人の精神感応能力者の住む高層マンション――
彼らの住まいは9階。
そして、その真上の部屋は佐倉の友人の名前で部屋が借りられていた。
この部屋は実家暮らしの山崎慶次(20話に登場・佐倉の友人)という男が住んでいることになっている。
佐倉は、時折一人でここを訪れ、真夜中に階下を見つめて声を出さずに口だけを動かす。
『ちょっとカンがいいだけのろくでもない噓つきめが』
『今度また総理のために調子のいい嘘をついたら今までのことをバラすからな』
『そろそろ潮時だよ。お前、もう何も読めないだろ?』
『その力、完全になくなったらヤバいぜ?』
『お前にヒントを与えるのもそろそろ終わりだ』
『あの男が裏切ってるってのはお前の推測通りだよ』
『あの女に、色仕掛けでもなんでもしてヤツを繋ぎとめるしかないって言ってやれ』
『動きがあったら教えてやる。それまではおとなしくしていろ』
『他の奴らに言うなよ?俺のチクリでやってきたってバレたらクビだからな』
『クズが』
―――(まただ!こいつは誰なんだ?)901A号室の男の心臓が音を立てる。
―――(なに?また私に言ってきてる。どうして教えるの?)903Aの女が泣きそうだ。
―――(この声ほんと誰?ジジイみたいな汚ったない声、ほんとヤダ)902Aの女はイライラ。
水谷総理の三匹の飼い犬に、時折響く声がある。
彼らはいまだに自分にだけ聞こえる声だと思っているようだ。
最初に不気味な声が聞こえた時、その情報があまりにも現況に即していたので、3人は悩んだ末にそれぞれがその声から与えられた情報について書きだした文書を提出した。
その後も何度かその声の促す通りに報告したところ、その指摘の正確さに驚いた総理や本村が信頼してくれるようになった。
3人が同じような内容を報告してくれば、彼らの力がだいたい同程度で、しかもそれなりに使える能力であると判断できる。
時には内容に多少の食い違いはあったが、見方を変えれば微妙に正解に寄っているようでもあり、そんな報告を聞くにつけ、かえって信憑性が高まったりした。
実はその食い違いについては、声の主がうまく与える情報をコントロールした結果である。
彼らは信頼を得て次第に大胆になり、自分が持つかすかな直観に、総理や本村が喜びそうな肉付けをして報告するようになっていった。
陰湿な声の主はこれを止めなかった。
時々気まぐれのように現れて、罵りながら彼らに少しだけ情報を与え続けた。
時々頭に響いてくる意地の悪い囁き声は、彼らにとって今や命綱となっていた。
最近は他人の思考が読めないことが増え、それが発覚しようものなら自分はどんな扱いをうけるのだろうか?そんな不安でいっぱいの彼らにとって、あの声は気味は悪いが救世主だった。
さて、その声の主。
気味の悪い救世主、佐倉烈。
その男の囁きが3人のサイキッカーを追い詰めていく。
こんにちは。お読みくださりありがとうございます。
次回(2)は総理大臣と山本ミキがちょっとだけ登場します。
本日はもう一つ、『紳士協定!~俺たちのクライシス・モメント2~』を7時30分に投稿しますので、お読みいただけたら嬉しいです!
二つ目の短編で、前回の『半目勝負!~クライシス・モメント~』の続編のような短編です。




