23.空飛ぶカァちゃんの屋内フライハイ
午後1時50分。
地下鉄から会館までの連絡通路をマスク姿の権藤と空飛ぶカァちゃんの二人が走る。
そして、遅れて走る黒田。
トレーニングでそれなりに鍛えられた空飛ぶカァちゃんよりも走るのが遅い黒田は息も絶え絶え。
「遠山さんすみません。こんなことに巻き込んで」権藤が言う。
「全然です。むしろお役に立ちたいです」小さな声で空飛ぶカァちゃんが答える。
「よかった!そう言ってくれて」
数段駆け上がる。曲がる。進む。降りる―――少し先に地下1階の入り口が見える。
入口扉の前に立っていた本村のお仲間議員の女性秘書が権藤を見つけると、慌ててスマホを取り落とす姿が見えた。
―――(まさか、俺が戻ってこないか念のために見張ってたのか?)
その女性秘書はすぐに拾い上げてどこかに電話をかけている。
―――(どうせあいつの秘書にかけるんだろ)権藤が意地悪く笑う。
「でもいくらあの秘書さんがすぐに知らせたとしても、既に奴らのあの人数。対応の速さがすごすぎるだろ」
さあ。中に入ると、もうわらわらと奴らの秘書やら手下やらが湧いているのが見えた。
―――(何人いるか?5人、8人か?もっと奥にもいるぞ)
会議室は一番奥。とてもじゃないが辿り着けない。
権藤が予想した通りだ。
―――(まるで辻に追い込まれた悪者じゃないか!どっちがだ?!)
この場合は通路を塞いで通せんぼをする手下たちのほうがよっぼど悪者だろうに。
口元を歪ませた本村のお仲間が鋭い目つきで頷き合う――(いいか、こいつだけは絶対に通すな!)
誰もそれを声に出して言ってはいないが、権藤にだけはそんな声が聞こえるらしい。
それに権藤がこう返す。
「そうかよ。ああそうかよ、勝手に通せんぼすりゃいいさ」
しかし、ここまで囲まれたら身動きが取れない。
「こりゃ想定を超えてるな。遠山さん、こいつらの上を止まらずに飛んでくのは厳しいですよね?」
権藤がこうたずねると、空飛ぶカァちゃんが首を横に振る。
そして小さくこう答える。
「いいえ。山林とか、森とか、それと比べたら楽勝です」
そして、とうとう空飛ぶカァちゃんが前に出る。
まるで権藤をかばうように両手を広げて。
彼女はまた小さな声でささやく。
「権藤さん、私の背中におぶさってください。おんぶです、おんぶ。両手で首から肩にしっかりつかまって。それで両足で挟むみたいにしてください、カエル脚みたいにガチっと」
「ハァもう……マジで俺カッコ悪い。でもお願いします!」権藤まで小さい声で言う。
さて『黒田さんごめんなさい後からゆっくりきてください』という空飛ぶカァちゃんの小さな声が、疲れ果てた黒田に聞こえたかはわからないが、権藤を背負った空飛ぶカァちゃんは、すうっと垂直に浮かび上がったかと思うと、すぐに鳥が羽を広げるように90度体を倒した。
ここまではスローモーションのようにゆっくり。
翼はないが、その長い両手が羽毛に隠れた骨のように空を操り風をまとう。
飛ぶ―――
シューッと風を切る音がする。
奴らのいる方向ではなく、誰も人がいない右方向の広く短い廊下へ滑らかに進んでいく。
そして、つきあたりの壁の直前で速度を落とし、ゆっくりと方向転換。
空飛ぶカァちゃんは小声でつぶやく。
「あそこの金属扉を蹴ったらスピードを上げて一気に飛びます」
「え?」
権藤の「え?」にはただこう答える。
「はい。行きます」
空飛ぶカァちゃんのスニーカーが金属製の扉を蹴った。
飛ぶ―――
奴らのいるところに向かって。
シューッシャーッ、シャッ―――(空飛ぶカァちゃんと権藤にしか聞こえない風音を立てて)
だんだん速度が上がる。
奴らのいる長い廊下に緩やかなカーブで入っていけるように、左の壁ギリギリのところを飛ぶ。
権藤は焦る。
すぐ先で右に向かってカーブを付けて曲がらないといけないのにどんどんスピードが速くなってる?
「え?え?ちょっと、遠山さん?ヤバイよちょっと!待って、これ、」
権藤の声には答えない。
「待って、待って、ちょっと遠山さん?あいつらの、」
空飛ぶカァちゃんは聞こえているんだか無視しているのか、権藤には全く答えずに前だけを見つめている。
そして、左の壁ギリギリのところからクイッと記者会見の会場に通じるたった一つの道、長廊下に入った!
シャッ、キュッ、クイッ――うまく曲がった。
『えっ?ギャァァァァァァァァァァ――!』
情けない権藤の叫び声が響き渡る。
「ちょっと、ちょっと待って遠山さん!俺、ちょっと落ちる、待って、お」
空飛ぶカァちゃんが何か言ったようだが、声が小さすぎて権藤には聞こえない。
権藤は必死でしがみつく。
『やだ、やめ、ぐあああ――!ちょっと、』
物凄い速さだ。天井ギリギリのところを滑るように飛ぶ。
シャーッシューッ、シューッ―――
真っすぐ―――
本村の手下が二人を止めようとジャンプして手を伸ばす。
廊下の中ほどで待ち構えていた背の高い男が長い手をのばすが、スピードが速すぎで払われてしまうほどに速い。
哀れな権藤は天井に頭が当たりそうで怖くて、もうずっと『うわあああああ――』と絶叫中。
このままじゃ奥の壁に激突してしまう。
権藤は更に叫ぶ。
『ぎええええええァァァァァァ――』
しかし空飛ぶカァちゃんは、なんてことないように壁の直前で急停止。
そして一度脚をおろして方向転換。
すぐに左の会議室を見る。
また飛ぶ、奥のほうへ。
権藤がまたなにかまた叫ぶ、もう天井ギリギリではないのに。
空飛ぶカァちゃんはゆとりのある速さでやや上を滑り飛んでゆく。
そして、途中から目をぎゅっとつぶっていた権藤は、急にふわっとした柔らかい空気の膜につつまれた。
エレベータが止まる時の余韻のような感じだ。
その揺れでやっと力が抜けた。
しがみついて叫んでいるだけだった権藤が目を開けると、そこはもう本村の会見場の前だった。
ハアハアと肩で息をしながら権藤が言う。
「ちょっともう俺って、救いようのないカッコ悪さ、息子に見られたら他人のフリされそうだ」
「いいえ、最高にカッコいいと思います。結構全力で飛んだのにすごいです」
空飛ぶカァちゃんが笑う。
「怖すぎるよ、ジェットコースター苦手なんだ俺」
権藤はもうフラフラである。
そうして、会議室前の丸椅子から黒づくめの大男がニヤリとして立ち上がり、扉を開けた。
息も絶え絶えの権藤と、いきなりの空飛ぶカァちゃんの登場に、一拍おいて大きな歓声が上がった。
可哀そうな生贄二人が記者に問い詰めらそうになっているところに、まるでヒーローのように現れた二人だが、悪の手下をヒーローが助けてくれるはずもない。
震えあがった彼らには、空飛ぶカァちゃんと権藤は、空飛ぶ刑事が手錠を持ってやってきたようにしか見えなかった。
◇◇◇◇◇
―――(少し前)
平然とした様子で『事実無根。全く無関係のことなのに、間違った噂が横行して迷惑している』といった体で本村は会見に入った。
質問が続く……
『でもカフェにいた沢山の方が、山本さんの秘書の方に事務の女性が“ある議員の方から”の差し入れだと言ってお菓子の箱を渡しているのを見たと言っているんですよ。その議員とは誰なんですか?』
記者がたずねる。
―――「私はよくわかりません」と本村。
『救急車で運ばれた麹町さんと秘書の男性は、本村さんの秘書のいたずらで運ばれたってもっぱらの噂ですよ。誰の指示でそんなことをしたんですか?』また別の記者が問いただす。
―――「私が知るわけないじゃないですか」同じように答える本村。
こういったやり取りがしばらく続いた後、佐倉お気に入りの“尾崎記者”がこう聞いた。
『ではお聞きしますが、権藤さんが派遣事務員の方二人を、ここに居たら危ないから連れて行くと言ったのはなぜでしょうか?お菓子の箱も誰にも渡すなと大声で言っていたそうじゃないですか?』
―――「ここに居たら危ないって?その発言のほうが問題じゃないですか?何かの陰謀じゃあるまいし、それこそ、そこにいた皆さんに対して失礼な話じゃないですか」
本村は用意していた応えを返す。呆れたように首を振りながら。
『しかし権藤さんが事務の方を守ろうと、こうまで言ったことが重要じゃないんですか?権藤さんが録音した音声に、あなたとあなたの秘書の名前があったそうですが、それは事実ですか?』
―――「事実無根です。そんなものをどこでお聞きになったんですか?聞いてないなら聞いてから質問してください」本村が怒りを抑えてこう返す。
『秘書が食べ物に危険な毒物を入れたという噂が出たのはなぜなんでしょうか?普通、こんな恐ろしい話がでるわけないですよね?』松嶋記者が問う。
―――「ですから私が知るわけないでしょう。毒物が入っていたんですか?麴町先生も秘書も体調を崩されましたが、回復していらっしゃいますよ。不確かな情報を発言しないよう気を付けてください」
本村が怒りをあらわにするが、記者はさらにこう続ける。
『お菓子を食べて倒れたなら毒物かもと考えても別におかしくないですよね?では、何が入っていたと思われたんですか?』
―――「何が入っていたか?そんなことわかるはずないって申し上げていますが」本村が声を荒らげる。
尾崎がまたこう問う。
『あなたの秘書がいたずらしたという噂が真実なら、指示をしたのは本村さんですか?』
本村はなぜ何度も尾崎記者が質問してくるのかと思い、進行役を睨みつけたが、視線を逸らして何も言わない。仕方なしに本村が答える。
―――「何でもかんでも私の指示で動くとか、そんな大人が、社会人が、いるわけないでしょう」
さあ、ここで本村のお抱え記者が手を挙げた。そして指名される。
『本村先生の秘書の方が自発的に、何かいたずらのようなことをしたという可能性はあるんですか?』
本村がわざとらしく肩を揺らす。悲壮な表情を作った本村はこう返す。
―――「そんなことがあるとは思えません。指示待ち人間という言葉がありますが、彼らは指示を受けないと動けないようなそんな社会人ではありませんし、くだらないいたずらをするような人間ではないと信じています」
(いつまでこれが続くんだ。もういい加減、時間だと言ってお開きにしろ!この無能め)
本村はいら立ちが頂点に達していた。
そこで丁度いい具合に控室の扉から二人の男が入ってきた。
下剤を入れたと言って笑っていた二人。
彼らの隣には本村の第一秘書が寄り添うように、彼らを押さえつけるように、ぴったりとくっついていた。
ぴったりくっつき秘書が二人の男に何かささやく。
彼らは答えない。震えているようだ。
進行役に向かって本村の秘書がこう告げる。
―――「公務のため質問はこれで終了です」
なぜここで二人の若い男が控室から出されたのか?これは意味深で不穏だ。
(多分この後、記者の奴らに追いかけまわされる……)
彼らの頭の中はそんな不安でいっぱいだったはずだ。しかし、そのほうがまだマシだった。
わあっと声が上がったため、下を向いていた二人は思わず顔をあげた。
そしてもう、そのまま動けなくなった。
恐怖で足がすくむとはこういうことを言うのだと、彼らは初めて知ったのだ。
そこに権藤がいたのだから。
次回は本村&若い秘書終了の回です。




