21.佐倉の〇と✕
多少顔がやつれてしまってはいたが、背筋を伸ばしてしっかりと立っている息子の姿を見て安心したのか、病室を訪れた佐倉の母は浮かんだ涙をそっとぬぐった。
「あの子が、お姉ちゃんがメールをくれて、あなたが食べ物に毒を入れられたって。
小物の悪党が毒を入れてきたって何?でも体はぴんぴんしてるってどういうことなの?」
こう言って佐倉のお腹と背中を両手で挟みゆっくりとさすりながら、その母は怒っているのか嘆いているのか、もう何が何だかわからない様子だった。
すぐに佐倉は猫なで声をだした。
「母さん驚かせてごめんね。また姉ちゃんが俺の冗談を鵜吞みにしたんだね。実際は毒じゃなくて下剤。くだらないイタズラでちょっとやられただけだよ。
姉ちゃんが旅行先から今朝電話でね、日曜日にみんなでご飯食べようとか言ってきてさ、それで一応今の状況を知らせだけなのに母さんを脅かすなんて、後でほんと怒っておくよ」
―――(母ちゃん相手にそんな甘ったるい声を出しおって)
権藤も麹町もだいたいこんなような気持ちだった。
「お願いだからふざけた言い方でごまかすのはやめて。あなたに巻き込まれて一緒に倒れられた方がいるそうじゃないの、その方に、」と言いかけ、その母は奥のベッドで体を起こしている麹町を見つけると、ハッと息を呑み、まるで滑り込んで土下座でもするかのように駆け寄って「この度は息子が申し訳ございませんでした」と深く頭を下げた。
麹町も権藤もあまりの速さに驚いてしまい、すぐに言葉を返せなかった。
心から申し訳ないと息子のためにそうしている姿は痛々しかった。
そのまま頭を下げ続ける母親に、麹町は慌てて「いやそれは違う。むしろ息子さんを巻き込んだのはわしのほうで、この子がとばっちりを受けたと言ってもいいくらいだ」と言ったが、その母は顔を真っ赤にして詫び続けた。
見かねた権藤が顔を覗き込むようにしながら佐倉の母の肩をそっと叩いて体を起こすように促し、ゆっくり上げたその顔を見て、今度は権藤のほうが「あっ!」と言って口を押えた。
「もしかして、文化会館で話を聞きに来てくださった方ですよね?終わってから受付で質問もしてくださって」
声をかけられた佐倉の母は目を見開いて驚き、そして少しだけ微笑んだが、すぐに「まさか権藤さんにまでご迷惑をおかけしたんですか?」と言い、辛そうにまた深々と頭を下げた。
権藤がこれに答える前に横から口を出した麹町が、小物の悪党がやらかしたという今回の件について、ことの顛末を話してやった。
それは丁寧に紳士的に、そして佐倉のような優しい言葉遣いで。
最後は「ってことで、権藤君はわしらを助けようとしてはくれましたが、この男はこれっぽっちも被害は受けてないから。この通りぴんぴんして馬鹿みたいに元気だから」という言葉で締めくくった。
そうだったんですか、と言って自分に丁寧な御礼の言葉を重ねる佐倉の母を見ていると、権藤はついさっき聞いた選挙の話を思い出してなんともいえない胸の痛みが蘇った。
何か言わなければと思いながらも言葉が出てこず、いえいえと首を振ることしかできずにいた。
息子の体の回復具合を確認でき、迷惑をかけたであろう相手にお詫びができてホッとした佐倉の母は、病室に長居しては体にもさわるからと早々に退室しようとしたのだが、佐倉が母親のために帰りの車を呼ぼうとしたり、それを断る母親と言い合いになったりして、なんだか嬉しそうに母を見つめる姿を見て――(こりゃとんでもないマザコンだな)と麹町と権藤が思ったのは言うまでもなかった。
それに、最初に慌てて部屋に入ってきた母親がつい呼んでしまっただろう『れっちゃん』という呼びかけを気にもしていない様子をみて、もうかなりの重症なのだとすぐにわかった。
麴町爺も権藤も(今度みんなの前でれっちゃんと呼んでやろう)とそれぞれがしめしめと思ったりした。
帰り際、権藤はやはり居ても立っても居られない気持ちになり「あの時せっかく応援してくださったのにがっかりさせてしまい申し訳ございませんでした」と頭を下げた。
こう言ったところで何がどうなるわけでもなかったが、あの日、文化会館で話をした教育費のことや、“誰でも、いつからでも、学びたいと思った者がそうできるチャンスを与えてもらえる社会“について、帰り際に熱心に質問をされた時の情景が蘇って、佐倉とは違って心根のまっすぐな権藤はこうせずにはいられなかった。
「まさか!がっかりなんてするはずありませんよ」佐倉の母は驚いた様子だった。
続けて「どうしてそんなふうに思われましたか?私はもうずっと最初から応援しているんですよ。もちろん今もです。そんなふうに誤解なさらないでください」と言った。
佐倉はすぐに調子よく目をそらした。
そしてこうも続けた。
「あの時はもう、急に湧いてきたみたいに変な人達が偉そうに。ここぞとばかりに非難して言いたい放題、SNSやYouTubeとかも酷い有様でした。支持者ががっかりしたと思うなんて、それこそ本当に大間違いですよ」
これを受けて、権藤も麹町もなんとなく佐倉をじとりと見つめた。首の動きが本当に揃った。
そして、佐倉の母は申し訳なさそうに続けた。
「私、実は権藤さんにお詫びしたかったんです。今度またお話を伺う機会があったら、その時にちゃんとお伝えしないといけないなって思っていたんです。でもそれが今日まさか、」と声を詰まらせた。
権藤も麹町も「「お詫び?」」と声を揃えて聞き返したが、佐倉はわけがわからない様子で口をぽかんと開けていた。
「はい。実は私、なんていうのか『炎上』っていうのをしてしまって……」
「「「炎上?!」」」今度は3人の声が揃った。
「その、権藤さんが全く言ってもいないことや、真実をちょっと交えて嘘の情報を流し続けるジャーナリスト?評論家?……みたいな人がいて、ああいう方をジャーナリストとかって言っていいのかしら?その人があまりに嘘ばかり書くものですから、つい言い返したんですXで。そしたらそれに結構賛同してくださる方もいて、逆にすごく攻撃的に私を追い詰めてくる人達がいたりして。炎上っていうのをやってしまいました。きっと迷惑をかけてしまったと思います、私のせいで」
「母さん、まさかあの時ずっと落ち込んでたのって、Xのせいだったとか言わないよね?」佐倉が驚いて聞いた。
「それだけじゃないけど……結局、私のせいであの評論家みたいな人に色々言われてしまって。レベルの低いのが支持者の中に少しいて、そういう馬鹿を引き寄せるのも本人が持つ資質だとか、それが残念だとか、そんなような感じで。結果権藤さんまで評価を下げるような感じになってしまって、本当に申し訳なくて」
慌てて権藤が首を左右に振りながら否定しようとしたが、佐倉は横から口を挟んだ。
今日の佐倉は本当にいいところで邪魔をする男になっていた。
「どうして俺に言わなかったの?俺がやりこめてやったのに」
こんなふうに、佐倉が自分を『俺、俺』と言うのを、麹町も権藤も初めて聞いたような気がした。
ネットにあげる前に見せてくれたらよかったのにとか、俺が知らないアカウントなんじゃないかとか、束縛系彼氏のようなことを言い続ける佐倉を見て、これこそ、とある“年齢イコール彼女いない歴男“の秘密なのだと権藤は思った。
40半ばにさしかかり、それなりに包容力が備わってきた権藤は、そんな哀れな佐倉をうまくなだめて、きっともうマザコン息子から逃げ帰りたがっている佐倉の母をうまく逃がしてやった。
後ろのベッドからは麹町が呆れて笑っていた。
「スカッとのれっちゃんのことはわしに任せて、もう安心してくだされ」などと言ってその母に優しく手を振った。
本村の秘書のことで殺伐としていた病室は、佐倉の母の訪問で色の違う風が流れたようだと麹町は思った。
さっき出た話じゃないが、誰かの政策に共感してそれに願いを託すことも、独りよがりの“口撃“をしてしまったのではと後悔することも、その温かい支えに感謝したりとか、あるいは自分のように組織の屋台骨を支えているという矜持を持っていたりとか、そういった様々な思い全てに〇と✕をつけて正否を断じるなど出来るはずもない。
佐倉の友人の言う〇と✕は、自分のように長い間、どんなに苦しくとも何があろうとも前へ前へと進み続けてきた者たちへの不遜な挑戦のようにも思えた。
それでも、今回の『佐倉の〇と✕』を麹町は支持しようと思った。
それ以外にあるはずがないと思った。
今日、佐倉の母がはっきりと言った言葉、
―――『ずっと最初から応援しているんですよ。もちろん今も』
それが、あの忌々しい権藤に向けての言葉であったとしても、あの母の『ずっと応援している』という言葉は麹町の心にまでも優しく響いた気がした。
それは、長七郎が時々言ってくれる言葉そのものだったから。
さて、この生意気な権藤に麹町は言う。
「権藤よ、証拠は存分に使え。スカッとのれっちゃんと徹底的にやれ」
ここまで読んでくださりありがとうございます。
明日は久々に山本ミキの再登場です。破壊遺産をまたよろしくお願いいたします。
また、『空飛ぶカァちゃん』の番外編になりますが、短編で一本書いたものを投稿する予定でいたのですが、うっかり消してしまったり、なんだかんだとあって本当は6日に投稿する予定だったのにできませんでした。
間に合えば、近日中に投稿しますのでぜひお読みくださいませ。
佐倉の中学時代のお話となります。




