20.無神経なスカッとよ
麹町がブザーを鳴らすと、年配の看護師がやってきて「また大きな音を出して!麹町先生は本当に言うことを聞かないんだから」と小言を言った。
それでも怒っているわけではなさそうだ。
「音出したのはわしじゃない。こいつだよ」麹町は権藤をツンツンと指さす。
両掌を上に向けて「そりゃその通りなんですがね」と権藤。
「おねえさんよ、何とかこの荷物を部屋の外に連れ出してくれ。そこにへたばってんのを見るだけで体に障る。このままだとスカッとの兄ちゃんがまた具合が悪くなるかもしんねえよ?おねえさんスカッとの兄ちゃんだけひいきしやがるんだから」
「それはそうですよ。佐倉さんみたいに感じのいい患者さんならひいきしますよ。全く何がおねえさんですか。それで?この方どうされたんです?」
気のいい看護師さんが、すぐにしゃがみ込んで本村の秘書の背中をさすりながらたずねると、
「あああ、とんでもねえクズだよこいつは。わしとスカッとをこんな目に合わせたカスの手下だよ。早く追い出してくれ」
「年なんだからイライラしないの。血圧あがりますよ」
彼女はすぐに秘書を助け起こし、その秘書を外に連れ出してくれた。
残された三人、麹町、佐倉、権藤。
妙な組み合わせの三人が顔を見合わせた。
リラックスしているのは佐倉だけ。
権藤は気まずそうに腕を組みだすし、麹町はもう壁の方を向いている。
佐倉はにっこりするだけで何も言わない。
実はこういうのがいたたまれない性分の権藤は自分が何かしゃべらなければと思った。
ただ麹町の前ではそんな気遣いを見せる気にもなれない。
佐倉をチラリと見ても何の反応もないので仕方なしに、“昨夜の返事だ“とばかりにこう言った。
「俺はこの録画と音声を無駄にしませんよ。でもこれだけは言っておきますが、これは別に俺たちのためってわけじゃないです。あの人たちの汚いやり方が許せないからですからね。
俺は昼にちょっと一人で紅茶を飲もうと思って給湯室に行ったんですよ。今月からあそこに色々な味の紅茶が置いてあるって聞いたもんで。そんで湯を沸かす間、衝立の後ろの椅子で寝転がってたんですよ。そしたら奴らがとんでもないことを話しだしたもんで、とにかく録音しなきゃって思って。佐倉さんがどうのこうのってのが聞こえてびっくりしたんですよ」
「あんた、うちのスカッとをどうして知ってんだ?」麹町がたずねた。
「ああ、佐倉さんとは前に名古屋であったんです。そこを起点に台風被害のことでまわってたんですよ。その日スタッフと別れた後にホテルのロビーでひっくり返りそうになって――熱があったんです、自分でもわかってなくて。それでその時、出張だった佐倉さんがちょうどいらして助けてくれたんですよ」
「スカッとがか?」
「ところで、この前も気になったんですが、そのスカッとってなんです?」
「スカッとってのは、そりゃあ――秘密だ。余計なことを聞くな」
「そうですか、まあいいです。とにかく助けてくれて、ロビーの端の大きめのソファーまで連れてってくれてしばらく一緒にいてくれたんです。たしか、あの時もう帰るとこだったんですよね?」
「いえ、次の日が祭日だったから泊まるか迷ってたんです。結局泊まって正解でした。あの日新幹線かなり長い時間止まっちゃったみたいでしたから」佐倉がそう言うと、
「そうそう、佐倉さんって運がいいんですよね。あの日は色々な話をして、なんかこう楽しかったですよね」
「はいとっても。お話とても面白くて、その話をしたら母が喜んじゃって。母は権藤さんを支持していましたから。もう長いことずっと」
権藤はぎょっとした。よくもまあ麹町の目の前でこんなことが言えたもんだと思った。
「それはありがたい。嬉しいですが、でもまたどうして?佐倉さんとは考えが違うんですか?」
「いやあ、私は別にどっぷり党とかにつかっていませんから。目の前の仕事に精一杯尽くしているだけです。そうやって過ごしていてもその中で素晴らしい出会いがありますから。
麹町先生がまずそうですし、もちろん権藤さんだってですよ。それから、昨日助けてくれた事務の皆さんや黒田さんだってそうです。党に所属しているからその方を好きになるわけじゃないですし、数は少ないですが私はそれでいいと思っています」
権藤はまたよくもまあ平然とこんなことをペラペラ喋るもんだと思った。
それでもこれからの佐倉の立場を思って、この非常識な男のためにこう言ってやった。
「確かに中にはちょっとそりが合わない方もいますもんね、俺も同じですよ。でも佐倉さんは立派です。山本さんのためにあんなに――そのせいで、なんか佐倉さんまでネットで色々言われてて、そういうのみると俺ほんとに、」
「いやあ、そんな立派なもんじゃないですよ。今自分がするべき最優先の仕事ではありますし。でもまさか権藤さんは、私が麴町先生に対して思うのと同じような気持ちで山本先生のところにいるとか、思っていらっしゃいませんよね?」
この言いように流石に驚いた二人は、またまた息もぴったりにキュッと素早く顔を見合わせた。
二人の同じ仕草に佐倉はクスッと笑った。
「おいスカッとよ!そんなことはここだけの話にしとくんだ。一体お前は何を言い出すんだ?山本の秘書のくせに大っぴらにそんなことを、言うのは、とにかくまずい。とんでもなくまずい。わしだから、その、いいが。お前は本当に何を言い出すんだ全くこの馬鹿者が!」
「そうですよ。佐倉さんはしっかりして慎重な方だと思っていましたが――今はちょっと体力も気力も落ちて、その、ちょっと気が抜けてますかね」と権藤からも謎のフォローが入った。
「いいえ。今回のことで情けない自分自身を見つめ直しました。あ、ちょっと扉閉めますね。ほら、誰が聞き耳立てるかわかりませんから。このお二人ですとかなりアレですからね」
ニコニコしながら佐倉は扉を閉めに行った。
そして戻ってくると、普通の神経ならここでは言えないようなことをしゃべりだした。
「山本先生のことでネットとかで私の対応についての書き込みがあるのは承知しています。友人からもずっとうるさく言われてました。中高からの友人がいるんですが、そいつが言ったんです。
『そうやって山本議員を守ってる姿が永遠にネットに刻まれりゃいい。それでもまずは友人として俺が率先してあの議員を必死でかばってるお前の“良い画“を保存しておくよ』って。ほんと意地の悪い奴ですよね」
こう言うと、麹町はむっつりと眉を顰め、権藤の方は気まずそうに笑った。
佐倉が続ける。
「その友人はちょっと変わった奴なんですが『選挙では全ての候補者に〇か✕のどちらかを付けるようにすればいい』とか言って、点数とか比率だとか何だか色々細かく計算したりしてね。
仲間内ではまたかって、みんなでいつも呆れてたんですが、『✕』の得票数が比例に関わるようになったら面白いことになるってずっと言ってて。まあ確かに面白い結果が出てくるかもしれませんが――そいつ、しょうもない男ではありますが根はいい奴で。
実は朝、そいつから同窓会のことでメールがあったんですが、話の流れで今回のことをちょっとだけ話したんです。そいつに言われました。もういいかげんちゃんと〇と✕を見せろと」
「〇と✕だと?」麹町が問う。
「はい。別にそいつも例の破壊遺産のことを言ってるわけではないんです。あれはもちろん大変な失言ではありますが、あれは人として許すことのできないような失敗じゃないですよね?もちろん大使にご不快な思いをさせてしまいましたが、多分山本先生に悪気があったわけではないと思うんです。単純に大失態ではありますが」
権藤が渋い顔をしながら頷く。
「まあ、わざと挑発した訳ではないとは思います、が」
麹町が咳ばらいをして先を促す。
「アレの話はいい。〇の✕の話だ」
「はい。山本先生の元で仕事をして、あの方の人となりを知る機会を与えられましたが、それについては色々と思うところはあります。お二人はあまりご存じではないかと思いますが――特に、遠山さんへの対応については私も驚いた部分が多いです。ですが、今回のこと、起きてしまった世界遺産の失敗の件については、私がお助けするのは当然だと思っています。友人が呆れるのもわかるんですが。
実は私なりに、この仕事をいま懸命にやっている理由ってのがあるんですが――それでも、大切な友人をがっかりさせ続けていたのは確かなんです。
だから、本村先生のことでは絶対にあいつをがっかりさせないつもりです」
麴町は「スカッとよ、」と一度、名前を呼ぶのみだった。
なんとなく消耗させられてしまったような麹町が気になって、権藤は話を変えた。
「さっき仰ってましたが、お母さん、せっかく応援してくださったのにがっかりさせてしまったかもれませんね。申し訳なかったです」
気まずい時に無理やり絞り出す話題で墓穴を掘ることはよくあるが、これがまさにそれだった。
「いえいえそんな。がっかりとかそういうことはないでしょうが――母は前回の選挙の後でかなり落ち込んでしまいましてね、なんかこうひどく傷ついていたというか――あの結果がショックだったのかわかりませんが」
これを聞いた麹町爺の喉がひゅっと鳴った。
爺はまたよくもこいつは本人に向かってそんな余計なことを言えたもんだと思った。
「スカッとよ!さっきからお前は何を言うんだ?そんな、お前の母ちゃんの考えてることなんてわからんだろうが、傷つくだ?何を言ってんだお前は」
麴町は権藤の様子が少しばかり気になったのか、ここでひとまず佐倉を叱った。
いくらなんでも面と向かってこんなことを言われちゃあ天敵権藤も気の毒だと思えたのだ。
「別に結果がどうとかそういうことじゃないんです。母はずっと、権藤さんの政策にとても共感していたから。
実は、母は家に金銭的な余裕がなかったこともあって進学を断念したんです。それで高卒で働き始めて若くして結婚したんですよ。でも嫁ぎ先ではあまり大切にされなくて――その後に離婚して父と再婚して幸せになったんです。
父から聞いたんですが、中高時代、母はとても優秀で、どの教科もどんなテストも一位しかとったことがなかったそうです。父は昔からそれを知っていたから、再婚してから大学に入るように言ったそうで、私を身ごもりながら私立大学に通ってちゃんと卒業したんですが、母は父の勧めがあったからそれができましたが、母の友人の中にもすごく優秀なのに進学を諦めた方が結構いたみたいなんですよ。
だからきっとあなたをずっと応援していたんです。
あの選挙で結果があんなことになって――母はもう何週間もの間、抜け殻みたいでした。
本当に心から権藤さんを応援していたから、勝手に気持ちがそんなふうに。なんとなく自分が否定されたような気持ちになっていたのかも」
権藤はこれを聞いてずきりと胸が痛んだ。
「そうだったんですか――」権藤はこうしか言葉にできなかった。
麹町も権藤もむっつり黙り込んでしまったので、佐倉がひとまず声をかけようとした時だった。
コン、コン、コン、とリズム良くノック音が響いた。
佐倉がどうぞと答えると、アイボリーの生地にユリの花が大きく描かれた綺麗な柄のブラウスに、黒に近い深い紫色のロングスカートをはいた美しい、年かさの女性が入ってきた。
そして佐倉を見るなり「れっちゃん」と言って涙ぐんだ。
「「れっちゃん?」」
麹町と権藤。さっきから気の合う二人の声はやっぱり揃っていた。
病院の回は次回で終わりです。また新しい人物が登場します。




