18.麹町爺の危機(3)
カシャカシャと写真を撮られた本村の部下の一人が「なんだよお前ら。そのスマホ寄越せよ!」と怒鳴りつけ、事務の女の子たちにすごんだ。
縦も横も大柄な男に大声で怒鳴られて、女の子が平気でいられるわけがない。
体が縮こまり、二人はくっつきながら一歩後ろに下がった。
本村の子飼いたちは大股で近づいて「ほら!出せよ!」と怒鳴る。
そしてせせら笑いながら「いつでも切られる派遣ちゃんが!」とわめき散らした。
女の子達が恐怖で動けなくなり、目に涙を浮かべて抱き合っている姿を見てますます興奮した大柄なほうの男が、まるで今にも殴り付けそうな勢いで腕を空中で空振りしながら面白がって女の子たちを脅かした。
しかし、やりすぎるとまずいと思ったのか、背の低い方の男が「驚いちゃった?冗談だよ。でもなんで写真なんか撮ったの?そういうのよくないよ。上に言うよ?いいの?」とたたみかけた。
ニヤニヤと口元を歪めて、怖くて何も言えない女の子たちに「人の写真を撮るとか、君ちょっと非常識だよ。スマホを寄越せって言われても仕方ないよね?ほら、出して。早く」と脅しの言葉を吐いた時だった。
「ごめんね我慢させて。怖かったね、もうこっち来て」
こう言いながら権藤一朗太が衝立の後ろから姿を現した。
女の子達が震えながら権藤のそばに行くと「本当に偉いね。勇気があってすごいよ」と言いながら、二人を自分の後ろにかくまった。
そして、二人のスマホを指さしながら、
「それ、気持ちが落ち着いてからでいいから、後で他の事務の子に送っちゃって。念のために。録音もコピーしておいて、これも念のため」と言ってから、念押しするように「今は無理しなくていいんだからね」と彼女たちの顔を覗き込んだ。
二人の男は「権藤先生、これは別に……」と、蚊の鳴くような声を出した。
今更どうしようもないだろうに。
こともあろうに、本村の敵に見られてしまったのだから。
権藤は「君たちの行為はひとまず録画したよ。ああ今も進行中。まずいんじゃない?なに?非常識なの?一体誰が?複数の下剤を佐倉君の食べ物に入れたって?あんた怖いね。怖い怖いあんた、右腕空振りさせてさ、殴る真似か?ヤクザもびっくりだ。なに、さっきのアレ、冗談だったの?ほんとに?あー怖い冗談はやめたほうがいいんじゃないですかね?恐怖で動けなくなっちゃってたよこの子たち」と、早口でまくし立てた。
そして「もう食べさせたのか?佐倉君に!ふざけるなよ!」と大声で怒鳴りつけた。
本村の部下は震えあがり、もう一言も口にできなかった。
権藤は彼女たちに「佐倉君はどこにいるか知ってる?でもどこで食べてるかなんてわかるはずないか」と声をかけた。
麴町爺のお気に入りは二人仲良く声を揃えて、
「「わかります、知ってます!多分ですけど!」」と叫んだ。
それからは早かった。
三人はものすごいスピードで走り出した。
動き続けるコピー機をほっぱらかして、三人は地下のカフェに向かった。
しかし、彼らが着いた時には地下のカフェはもう大変な騒ぎになっていた。
こちらはこちらでとんでもない有様だった。
さて、ここで何が起こっていたかというと―――
まず、本村の部屋付きの年配の事務員が(当然何も知らずに)佐倉のところに長七郎和菓子店のお菓子の箱を持ってきた。
この事務員は本村の部下から『誰からの差し入れであるかとか、いちいち言わなくていいから。もししつこく聞かれたら、山本先生からだと思うと言っておくように』と言いつけられていたので、言われた通りに「佐倉さんがこれを好きだと聞いたとかで、持っていくようにと仰っていたみたいです。私もさっきうちの秘書さんから渡されたんです。お茶うけにどうぞってことで」と言ってニコニコしながら佐倉に箱を差し出した。
この事務員は、当然それは連日遅くまで作業している佐倉への、好意からの差し入れだと思っていた。
佐倉はにっこり笑って受け取って「わざわざありがとうございます。私などに差し入れてくださるなんて、どちらの方でしょうか?」と事務員に聞いたところ、
「私も詳しくはわかりませんが、さっきうちの秘書の方が持ってこられて……多分山本先生じゃないかってことでしたよ」という返事だった。
佐倉にはこの時、この生真面目な事務員が嘘をついていないこともちゃんとわかっていた。
佐倉は「そうだったんですね。ありがとうございます。もし別の方だったとしても、御礼を言いたいのでわかったら後で教えてくださいね」と言って深々と頭をさげた。
受け取った後、佐倉は箱のリボンが縦結びになっていることに気づき、何かがおかしいと思った。
だからすぐに食べようとしなかったのに、最悪のタイミングで麹町爺がやってきた。
「よーう、スカッとのにいちゃん。ここで昼飯とってるって聞いたもんだから来たんだよ。実はわしも頼みたいロシア語の翻訳があるんだよ」
いつものように威勢よく片手をあげて近づいてきた。
爺はすぐに長七郎和菓子店の箱に気が付いた。
「また買ってきたのか。スカッとにいちゃんも好きだねえ」と機嫌よく話しかけたが、佐倉が「いえ、どなたからなのかわからないのですが、たった今差し入れにいただいたんですよ」と答えると、
「そうか、なんで食べないの?しょっちゅうパクパクやってるくせに。せっかくだから食おう、みんなでさ」と言い出した。
麹町爺はリボンの縦結びだとか、そんなことは全く気にせずに、自分がもらったわけでもないのにさっさと箱を開けた。
爺は佐倉に断りもなくお菓子をパクリと口に入れ、そして御親切にも、もう一つ菓子を手に取って、
「ほら、食べろ」と言って、孫の口に入れるかのように佐倉の口にあてがった。
こうなるともう佐倉は食べるしかなかった。
噛んでいる途中でこれは味がおかしいと思ったが、大切にしている菓子店の、お気に入りの菓子を美味しそうに食べている麹町爺をがっかりさせたくない気持ちが勝った。
佐倉は愚かにも、その一つを丸々食べきってしまった。
それからそのまま50分か1時間かそこらが経ち、休憩も終わろうとしていた頃。
今週は毎日残業が続き、昨日はほとんど徹夜状態でろくに食べ物を口に入れていなかった佐倉が真っ青になり椅子から崩れ落ちた。
これに麹町爺は驚いて立ち上がり「スカッとのにいちゃん?!どうした?」と声をかけたが、佐倉は既に声も出せなかった。
そして、それからすぐに麹町爺まで「わしもなんか腹が痛い」と言ってお腹を押さえ始めた時に、権藤と事務の女の子たちが駆け込んできたのだ。
権藤はまず、麹町が椅子から倒れないように後ろから支えた。
床に倒れこんで背中を丸めている佐倉のほうは、既に黒田が膝に頭を載せてオロオロしながら背中をさすっていた。
そして、事務の女の子たちは涙を流しながら救急車を呼んだ。
(まだ呼ぶんじゃない!)と叫びだしたい者たちがいたようだが、それを言い出せるはずがなかった。
―――(これはまずい)
―――(面白いことになりそうだ)
―――(まさか麹町先生が倒れるとは)
―――(なってこった!)
それぞれの立ち位置で、今後の展開を思って頭を抱える者もいれば『今ここで記者を呼んでけしかけたら面白そうなのに』とほくそ笑む者もいた。
権藤は麹町の背中をしっかりと支えながら、黒田に向かって、
「この菓子の箱は誰に何を言われてもあんたが持っていろ!中味ごとだ!絶対に誰にも渡すな!」と叫び「箱と一緒に救急車に乗り込むぞ!」と、誰に向かってかわからないが大声をだした。
本村はここにはいなかったが、近くのテーブルに座っていた彼らの仲間が震えあがった。
床の上で佐倉は息も絶え絶えに「麹町先生を早く医者に」とだけ言って、気を失ってしまった。
「佐倉君!佐倉君!」と権藤が呼びかける声は、佐倉にはすぐに聞こえなくなった。




