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139.スパルタ静を恐れる者がまた一人

     ◇◇◇◇◇


 静と佐倉が喫茶店で話をした翌日の昼。

 空飛ぶカァちゃんの小さな部屋で、卒業式の話題が出た時のこと。


 「ええっ?お嬢さんの卒業式に出るなと言われたんですか?で、その日に静岡に行かされたと?」

 秘書官補の小野(おの)が声を荒らげた。


 空飛ぶカァちゃんが頷くと、小野が「山本!あの人、本当にクズですね。お嬢さんもかわいそうに。なんてひどい。それで、その、今年もやっぱり……」と気の毒そうに訊ねた。


 「いえ、佐倉さんが飯田さんにかけあってくださったみたいで、もしかしたら出席できるかもしれません。今の小学校の生徒さんは息子を受け入れてくれて、転校初日からよくしてくれたそうなんですよ。ですから私もお礼を言いたかったので。ほんの少しの時間でもいいので挨拶したいなと思っているんです」


 「ああ!そのこと聞きました。ほんとに転校前の小学校の連中ときたら!お嬢さんの受験の数日前に階段から突き落としたそうじゃないですか!クズですよクズ!それに比べてお嬢さんのグーパンチ事件が格好良すぎですよ。うちの子は感動しちゃって、もうアレですよ、推(・)し(・)っていうらしいですね。テスト前の勉強会が楽しみでしょうがないみたいなんです。運動神経もすごいみたいじゃないですか、もうSNSですごい話題ですよ。男子でもかなわないとか」


 小野は娘の先輩となる静のことに興味津々で、保護者による配信についてもよく知っていて、娘の方は先輩となる静のことを色々調べているらしかった。

 空飛ぶカァちゃんは栄太郎のことを話したかったのだが、小野は静が一年時の予習のために示した学習プリントの話が止まらず、なかなかその話が出来なかった。

 小野の娘が言うには『完璧すぎて死ぬ』だそうだ。

 帰宅するとプリントの読み込みに夢中で、やる気がみなぎってものすごいらしい。

 

 話が途切れたところで、空飛ぶカァちゃんは「実は」と切り出した。


 「実は、もう一人のその、テスト前の勉強会のメンバーのことなのですが、娘から聞いたようなのですが息子がそのお子さんに話してしまったようなんです。もう結構前に――私が仕事でお世話になっている方の娘さんが同級生になる予定だと。息子は友達だからということで何も考えずにしゃべったみたいです。私は二人共合格してからお話ししようと思っていたのですが……」


 「ああ、そんなの構いませんよ。どうせ同級生じゃないですか、それに男子だったらそんなに接点もないでしょうし平気ですよ」

 小野は全く気にしていないようだった。

 ただ、空飛ぶカァちゃんの次の言葉を聞いて、目と口が限界まで広がったようになってしまった。


 「実はそのお子さんのことなのですが、おしゃべり息子がベラベラとしゃべったみたいで――私、そのお子さんのお父さんに念のため確認したのですが、“同級生になるのでしたらぜひよろしくとお伝えください”と仰って、ぜひとも小野さんにご挨拶もしたいと――小野さん、実はそのお子さん、権藤さんの息子さんなんですよ。栄太郎君と言ってとても礼儀正しい、優しい息子さんで、うちの息子ととても仲良くし、」


 小野は広がり切った目を空飛ぶカァちゃんに向けて、かなり長い泣き言を漏らした。

 どうやら、相当権藤に苦手意識があるらしかった。


 「遠山さん!いえ、細川さん!なぜそれを早く言ってくれなかったんですか!えええっ、権藤さんってあの権藤先生?ちょっと、私あの人苦手なんですよ。あんな、コミュ力の塊みたいな人はイヤですよ!ええっ、ちょっと、いや、悪い方じゃないのはわかります。わかりますけれども、あんなグイグイ来られたら私ちょっと。娘だって多分――あああっ、もう大変なことになりました。あの方の息子さんなら、ええええっ、もう学年でも目立つグループとかでこう、ウェイウェイ調子に乗った感じとか?それこそガンガン強気に色々せめてくるみたいな?ちょっともう、どうしたらいいんです?はあああ~」


 空飛ぶカァちゃんは、小野のこの反応にこそ驚いてしまったのだが、小野を落ち着かせるためにふんばった。

 珍しく身振り手振りを使って、小野の興奮をおさめようとした。


 「いえその、栄太郎君はお父さんとは全く違うタイプなんです。権藤さんは、せっかく同級生になるなら仲良くしてほしいと仰って、息子さんのことを伝えてほしいって仰ったんです」


 「権藤先生の息子さん……ああ、はい。はあ~っ、何て仰ってたんですか?」

 小野はもうやけっぱちのような気分になっていた。

 権藤の息子のせいで、娘の平穏が脅かされたような気がしていた。


 「はい。権藤さんも息子さんのことをとても心配されていて、実は栄太郎君は小学校で結構辛い目にあっていたようなんです。とても真面目で、遠慮がちなお子さんで、中学受験をした理由もお友達関係の部分が大きかったようなんです。このことは伝えて構わないと仰ってました」


 これを聞いて、小野の気分が少し上がったようだ。

 なんとなく、ちょうど良い、目と口の開き具合になってきた。

 「……と言いますと?友達関係が受験の理由?それは――いじめとかそういう?」


 「なんというか、権藤さんは縁あって同級生になって、お友達になる予定の小野さんのお嬢さんに、息子さんの状況をどこまで話していいものか気にされていたようでした。私はまずはメールで、官邸でお世話になっている方のお嬢さんが同級生だとお伝えしたのですが、夜に電話をくださって、ぜひ仲良くしてほしいとお伝えくださいとのことでした。ですが、栄太郎君のことをすごく心配されているご様子でした。権藤さんは、自分のせいで栄太郎君が小学校で辛い目にあったのではないかと、少なからず思われているご様子でした」


 小野はこれを意外に思ったようだった。

 あの権藤が――快活で明るくて、言いにくいことをズケズケと大声で話し、攻撃的な目つきで相手を威圧する、まさに小野の苦手なタイプだったからだ。

 過去に権藤から、そのような振る舞いをされたことは一度もなかったのだが、小野は権藤を恐れていた。

 まさか権藤が、おとなしくて遠慮がちだという息子のことをそんなふうに心配するとは思いもしなかった。

 

 「遠山さん――細川さん、その息子さんは権藤先生のことで小学校でいじめとか、あるいは無視とか、そういうようなことをされていたと、そういうことですか?」


 「はい、どうやら辛い状況だったようです。うちの息子とは、私の事故の時にしばらく一緒にいることになったのですが――このことはご内密にお願いします。その時にとても仲良くなったようです。息子も転校前の小学校ではかなり厳しい状況でしたので、お互いにその状況について理解し合えたというところも大きかったようです。でも、とても優しくて、思いやりのある素晴らしいお子さんで、息子とは本の趣味とかも合うようで、すぐに仲良くなったんです」


 「そうだったんですか。うちが女子だということはご存じなんですよね?」


 「はい。娘との勉強会のこともご存じです。それで、権藤さんと私が電話で話している時に、栄太郎君が電話の近くに寄ってきたようで、栄太郎君が言ったんですよ」


 「言った。何をですか?その子がなんと?」


 「はい。お父さんが私と電話しているのを聞いていたんでしょうね。栄太郎君は女子が苦手らしいのですが、もしよかったら仲良くしてほしいと。自分は暗くてつまらないと言われてて友達も少ないけど、よかったらって。権藤さんは、暗くなんてないよって仰ってましたが、栄太郎君はお友達関係で色々あったのではないでしょうか、すごくもの静かで、人の気持ちを気遣うお子さんなんです。ですからきっと、お嬢さんがイヤな気持ちになるようなことはないと思います。息子は栄太郎君が大好きで、娘は……」


 小野は不安そうに訊ねた。

 「お嬢さんが、どうか、したのですか?」


 今度は空飛ぶカァちゃんが溜息をつく番だった。

 「はあ~っ、小野さん。不安にさせてはいけないと思いましてお伝えしませんでしたが、娘は女の子にはそういうことはしませんが、どうもその、男子にはキツイらしくって。栄太郎君が例の暗記プリントをちゃんとやってこなかったら背中に技をかけると。そう言って脅しているようなんです。そうは言ってもとても仲良くしているのですが」


 「ええっ?背中に技を?それはどういった、その、プロレス技とかなんでしょうか?うちの子も暗記が出来ていないと技をかけられてしまう可能性が?」

 小野の視線はどんどん下がっていき、とうとう目をつぶってしまった。


 空飛ぶカァちゃんは女子にそのようなことをするとは一言も言っていないのだが、小野の娘の夢みる勉強会は、実際はかなりのスパルタ勉強会となりそうだと、覚悟してかからなければならないと早めに娘に話さなければなどとブツブツつぶやいて、その後は空飛ぶカァちゃんが話しかけても上の空だった。

 

 空飛ぶカァちゃんがなんとか落ち着かせようとして控えめな声掛けをしていたところ、大きめなノック音が響いた。

 どうぞと声をかけると佐倉がニコニコしながら現れた。


 土曜日のことを思いだすと、空飛ぶカァちゃんのほうは顔を見るのが恥ずかしくてたまらないというのに、佐倉は何かを吹っ切ったかのように晴れやかな表情で見つめてきた。

 空飛ぶカァちゃんは思わず目をそらした。


 佐倉は、空飛ぶカァちゃんから目をそらされたことを気にする様子もなく、小野に微笑みかけた。


 「小野さんがこちらにいらっしゃると伺いまして。今日は飯田さんに呼ばれてまして、これからお話しする予定なんですよ。小野さんのお嬢さんが桜のペンダントを気に入ってくださったと聞いて、今日は揃いのイヤリングをお持ちしました。姉がとても喜んでいましてね、実はあのペンダントは姉にとっても大切な思い出のペンダントなんですよ。毎年限定で出しているものでして、石を変えて販売しているんです。ぜひお使いくださいね」


 そして「細川さん、英介と静ちゃんのことでお伝え事項がありますので、夜にメールしますので」と、これだけ言って佐倉は出て行った。


 空飛ぶカァちゃんはろくに返事もできなかった。

 小野は御礼は伝えられたが、スパルタ静の恐怖を引きずっていた。

 

 渡されたイヤリングの箱を開けると、純銀いぶし加工の桜のつぼみのイヤリングだった。

 それを見て少しだけ元気を取り戻した小野は退出する際に「どうか、お手柔らかにお願いしたいとお伝えくださいね。しっかり学ばせておきますので」と言って出て行った。


 空飛ぶカァちゃんはハアッと息を吐き佐倉からのメールのことを思って、自分が何かを期待してドキドキしているのか、それとも子供たちのことで話があると言われたことを心配しているのか、どちらなのかもわからなかった。


 

 その日の夜。

 佐倉からのメールは卒業式のことだった。

 もし、そのメールを見た時の空飛ぶカァちゃんの様子を見た者がいるならば、こう思ったことだろう。


―――なにか、届いたメールは期待はずれの内容だったのかな、と。


 メールの内容は英介の卒業式の件だった。

 今回は息子の卒業式に出席できるというだけでなく、東京湾スカイツアーを企画してくれた子供たちのために、校庭で少しだけ飛行を許可するというものだった。

 飯田が、例の『破壊遺産ツアー』の予行演習というわけではないが、既にSNSでも話題になっている子供たちが企画した東京湾スカイツアーの簡易版として、ツアー発案者を背負って校庭の飛行を許可するというもので、更に水に溶けるタイプの桜吹雪を空から撒いても良く、当日は佐倉と市谷の立ち合いが決まったという。

 

 佐倉は空飛ぶカァちゃんが喜んでくれると思ってこのメールを送った。

 返信はとても嬉しい、と書かれてはいたが、空飛ぶカァちゃんの表情はなんとなくつまらなそうに見えないこともなかった。

 息子の卒業式に出席できることになった空飛ぶカァちゃんの表情は淡々としていた。


 

 お読みくださりありがとうございます。

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