135.マッスル静御前の采配(3)
下を向いていた英介がクイッと顔を上げた。
英介は、あまりにも一方的な静の言い草に我慢がならなくなった。
「俺が?俺がいつ邪魔しようとしたっていうんだよ!何言ってんの?さっきから勝手なことばかり言ってさ、俺が佐倉さんを迷惑に思ったりするわけないじゃんか!勝手に決めつけんなよ!」
静が意地悪顔でニヤリと笑った。いつも英介が腹を立てるその笑い方だ。
その顔を見て、栄太郎はなんとなくこれが急いでいる時や強引に物事を進めたい時の静のやり方なのかと思った。
「うん、静ちゃん、ちょっと今のは僕も言い過ぎだと思うんだけど。英介は別に、」
「栄太郎は、英介がわかってないことを何もわかっていないんだよ。こいつには、はっきり言わなきゃわかんないの。もうパパたちのことは考えてもしょうがないんだから。別に連絡するなとか会うなとか、そんなこと思ってないよ。いつでも会いに行きゃいいと思う。でもママはそうしたいとこれっぽっちも思ってないんだよ。これだけはわかるから。だから、私たちはママがこれからもっと幸せに思える生活を、」
「静ちゃん、まず一回投げよう」栄太郎が口を挟んだ。
静が返事もせずに投げると、またもやストライク。
その余裕の態度にうんざりした英介が静を睨みつける。
そのまま栄太郎が物凄い速さで一投目を投げ、二投目を投げ終えたところで英介に「お母さんたちが心配するから英介も」と声をかけた。
むっつりとした表情で返事もせずに英介は面倒くさそうに投げた。
その間に栄太郎は静に小声でこう言った。
「やりすぎだと思う。英介は佐倉さんを大好きだってわかってるでしょ?あそこまで言わなくても英介は邪魔したり文句言ったりしないと思うんだけど、静ちゃんはどういうつもりで、」
最後まで栄太郎は言わせてもらえない。
「いいから。そんな心配そうにして全くあんたは!どうせ英介が言ってくることなんてわかってんだから。多分俺のほうが佐倉さんとどうのこうのって――」
英介がドンドンとわざとらしく足音を立ててベンチに戻って来た。
「別にかあちゃんがそうしたいなら俺はいつだって応援するし、佐倉さんがその相手なら俺は文句なんてないから、そんなの当たり前じゃないか!だいたいねえちゃんなんかに言われたくねえよ!ねえちゃんなんかずっと言ってたじゃないか、佐倉さんが胡散臭いって!顔がいいのを鼻にかけてカッコつけてるって言ってたろ?俺はそんなことないって最初から言ったからな、ねえちゃんは疑り深くてすぐに人のことを、」
「えええ~?そんなこと言ったっけ私」
静はわざと馬鹿にしたように言った。
英介は怒り出して「言ってただろ?山本ミキの横に立って助けようとしてるからムカつくって!何考えてるかわかんないから怖いとか言って、簡単には信用しないようにしようって言ってたじゃないか!」
「えええ、私が?覚えてないんだけど。私がそんなこと言うかなあ」
栄太郎は呆れて静を睨みつけた。
英介を怒らせてどうするつもりなのか、もしソファスペースで寛いでいる二人が姉弟喧嘩に気が付いて、降りてきたらと思うと気が気じゃなかった。
「ふざけんなよ!いつもそうやってばあちゃんを味方につけて!竜介だってねえちゃんにコロリと騙されて情けないったら!栄太郎は絶対に騙されんなよ?ねえちゃんはものすごく意地悪なんだ。俺にしかわからないようにして笑うんだ。佐倉さんのことだって散々に言ってたくせに!だいたい佐倉さんと仲良くなったのは俺が先なんだ!ねえちゃんは佐倉さんのことを『あいつは自分がカッコいいと思ってるナルシスト』だって言ってたじゃないか!」
栄太郎は「うん、うん、静ちゃんはちょっと言い過ぎだと僕も」と言ってなだめようとしたが、英介は聞く耳を持たない。
静に食って掛かり、意地悪そうに笑っている静を立ったまま睨みつけて、右足を踏み鳴らした。
「ええ~っ、そんな随分前のこと言ってあんた、そんなこと覚えてないわよ。急に怒り出して馬鹿みたい。あんたが佐倉さんがママに色々お節介するのが嫌そうな顔しているから注意しただけなのにさ」
「俺は別にイヤとか思ってないから!ただあんまり佐倉さんが――その、なよなよしたことばかり言うから……」
英介は自分でも何が不満なのか、そもそも本当に佐倉の態度に不満があるのかさえ分からなくなった。
ただ、静にこう言われているような気がした。
――『あんたはパパとお祖母ちゃんのことをまだ大事に思ってるんでしょ?だからママが佐倉さんとどうにかなったらイヤなんでしょ。だからって二人の邪魔をしないでよね』――
断じてこんなこと思ってない!――英介は本当にそう思った。
ただ、初めて見る姿だったのだ。あんな母親の姿を見たことがなかっただけだ。
自分達姉弟以外に向けて、あんなに嬉しそうに、幸せそうにはにかんで、頬が少しピンク色になっている母親を見るのがなんとなく嫌だっただけなのに。
それなのに、静に、まるで自分が母親と佐倉が親しくなっていくのを邪魔して、浮気して子供を作った父親や意地悪なところのある祖母の肩を持つ息子のように言われたことが我慢ならなかった。
栄太郎が、静と英介の顔を交互に見ておろおろして、静が意地の悪そうなニヤニヤ笑いで英介を煽り切ったところで、本人たちがやって来た。
「英介どうした?また静ちゃんに意地悪されたのか?」
佐倉の言い方は優しかった。
大抵の場合、佐倉は英介の肩を持つ。
すぐに栄太郎がこくこくと頷いて「静ちゃんがほんのちょっと、その、決めつけでものを言って、それで、」と言ったところで英介が怒鳴った。
「ねえちゃんが勝手に決めつけたんだよ!俺が、俺が佐倉さんの邪魔してるって言うんだ!違うのに、勝手に決めつけて」
「俺の邪魔を?英介が?一体なんのことを……」
佐倉は訳が分からなかった。
栄太郎は、ああもう、と思ったが英介は止まらない。
「俺は佐倉さんがかあちゃんと付き合ったって別にいいし、結婚だってしたらいいと思ってるのに。姉ちゃんが勝手に色々言ってくるんだ!俺が思ってもいないことを意地悪く言ってくるんだ!」
「ええっ?英介は何を言って……」
ここまで言って佐倉は静を見た。
すました顔をしてペットボトルのお茶を飲んでいる静の姿は、英介からすると確かに腹の立つ態度だろう。
「静ちゃん、また英介をからかったの?英介は優しくていい奴だけど、だからこそ傷つきやすいんだよ。あんまりふざけてからかったらだめだよ?」
佐倉はソファスペースからレーンの方を見た時、なにやら英介と静が言い合いをしているように見えたので、すぐに、隣のレーンの大学生達に話の内容を聞かれないように羽で『ガード』したのだが、実際は、大学生達は英介が『ねえちゃん、ねえちゃん』と言っているので姉弟喧嘩でもしているのだろう、ぐらいにしか思っておらず、特にこちらを気にした様子もなくで大勢で盛り上がっているだけだった。
佐倉は階段上にあるソファスペースで空飛ぶカァちゃんと話し込んでしまっていたので、子供たちの様子をあまり気遣えていなかったことに気付くと、すぐに下りて来たのだが、あまりに興奮した英介の様子に驚いた。
英介が何を思って今、付き合うとか結婚するだとか言いだしたのか、いまだにピンと来ていないのだから佐倉という男はどうしようもないのだと――これだからまわりが動くしかないのだ、と静と栄太郎は顔を見合わせた。
「母さんやとうちゃんがしつこく言ってきたんだろう?ごめんね、きっと悪気はないんだろうけど、あの二人は櫻子さんのことをすごく、」
佐倉はなんとかなだめようと思って、優しい口調で声をかけたのだが、イライラしていた英介に遮られた。
「佐倉さんがいつまでもそんなふうだから、みんな困るんだ。だいたいさ、二人は付き合うつもりはあるの?まわりを心配させて振り回してるのに!もう何が何だかわからない感じなのに!それなのにベタベタして、こっちが恥ずかしくなるくらいに、なんかすごいこと言ってさ!だいたい、かあちゃんもおかしいよ、なんかニコニコしちゃって普通な感じにしてさ!あんなこと言われたら、普通はいいか悪いか答えるもんなんじゃないの?いったい二人してなんなんだよ!」
全く持ってその通りだ―――栄太郎は感心した。
ここでよくそんなにはっきり言えたものだと思ったが、空気を読めないということが最強であることを栄太郎は再認識させられた。
そして、感情的になった英介が最強であることを静はわかっていたのだろう、意地の悪いニタニタ顔を見せつけて、今度は佐倉にこう言った。
「別に私は英介に意地悪なんてしてないよ。英介が、佐倉さんとママが手を握り合ってるのを見て恥ずかしそうにして目をそらしたりしてたもんだから、二人がくっつくのが嫌なのかって聞いただけ。そしたら怒り出して、嫌なはずないだろって。自分の方が私より先に佐倉さんと仲良くなったとか、ママがそうしたいなら応援するとか、佐倉さんが相手なら全く文句なんてないし、そう思うのは当たり前だとか言って怒鳴り出したの。こんなとこで大声で恥ずかしいったら!」
空飛ぶカァちゃんは変装のためにかけていた黒縁眼鏡のレンズ部分に手のひらを当てて顔を隠した。
何かモゴモゴ言っているが誰も聞き取れない。
そして、とうとう一番間抜けな佐倉が恥を知った。
「俺が手を、握ったから?ベタベタしているように見えたのか?まさか!でもそうか、それが恥ずかしかったと?」
こんなことを呟いて、ますます恥をさらしたが、顔を隠している空飛ぶカァちゃんの顔が真っ赤になっているのを見て、少しばかり理解が進んだようだった。
そしてしんから申し訳なさそうに、さらにますます英介を困らせるようなことを言ってしまった。
「櫻子さん、恥ずかしい思いをさせてしまいすみませんでした。別にいやらしい気持ちからそうした訳じゃなかったんです。ただ、なんとなくそうしたくなったんです。あなたは大切な人だから、なぜかそうしたくなったんです」
佐倉の母から託された縁結びの依頼を、どうやらマッスル静御前はやりとげたようだった。
英介と栄太郎をうまく使った静の手腕は見事だった。
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