134.マッスル静御前の采配(2)
静の言葉にまず栄太郎が動揺した。
なにやらデリケートな家庭内の問題に関わる話だと察した栄太郎は、いくら二人と親しくなったと言っても自分がここで聞いていていいはずがないと思った。
「静ちゃん、僕は向こうに行ってるから。佐倉さんにはトイレに行ってくるとか言っておくね」
「いやいい。誰かがいたほうが冷静になれるはずだから。あんたはここにいな。いなくなったらかえって佐倉さんから変だと思われるし、今こっちに気を回されたくないんだよ」
きつい口調ではなかったが、有無を言わせない言い方だった。
立ち上がった栄太郎は、また座るしかなくなった。
静が続ける。
「あの日、パパに呼び出されて高崎に行ってファミレスで話したんだけど、その時に私、あまりにも辛くなって、つい佐倉さんに電話しちゃったんだよ。あの日は権藤さんがあのあたりの地元の人と話をするための交流会とかいうやつに参加してて、佐倉さんは山本ミキに命令されて、交流会の偵察に来させられてたんだって。だから私が電話したら佐倉さん、すぐ行くから待ってろって言ってくれて、高崎の駅で会ったんだ」
「そうだったんだ、それであっちで佐倉さんに会ったのか―――それで、辛くなったっていうのは、どういうこと?」
英介はなんとなく嫌な予感がした。
「別に何か暴力を振るわれたとか、暴言を吐かれたとかそういうんじゃないよ。ちょっと、本当にここだけの話にしておいてほしいんだけど、二人共誰にも言わないでもらいたいんだ、いいね?」
栄太郎はすぐに頷いた。
「うん、もちろんだよ。僕は言うような相手もいないし、お父さんにだって言わない。もしお父さんが何かの時にその話を誰かにしちゃったら、やっぱり議員だから影響力がすごいだろうから危険だと思うんだ。お父さんはそんな人じゃないけど、もしチェダーの最新話で出てきたみたいな『自白誘導機』にかけられたら話しちゃうかも入れないし。だから僕は誰にも言わない。佐倉さんにもね」
「そう言うと思った、わかってたよ」
静がこう言うと、栄太郎は嬉しそうに微笑んだ。そしてこう言った。
「佐倉さんに知られたくないなら、ちゃんと順番に投げた方がいいと思うよ。僕から投げるよ」
栄太郎は隣の人の投げ方を真似て、見よう見まねで投げようとしたが、あまりにもフラフラして危なっかしかったので静がすぐに立ち上がり、自分からやると言い、英介を呼びつけ、持ち方や投げ方を簡単に教えた後で一投目を投げた。
以前に、父親と二度ほどボウリング場で軽い球で遊んだことがあり、中学でも文化祭の打ち上げでクラスでボウリングに行ったことがある静のフォームはなかなか様になっていた。
一投目でストライクを出した静は、ソファスペースの佐倉と空飛ぶカァちゃんが拍手をして「おおおっ!やるね」と声を出しているのが聞えてきた。
なにをやらせても身体を動かすことにかけては静は格好がいいのだ。
その後、栄太郎が投げたがガーターだった。二投目は数本。
英介も同じような感じだった。
そうして、休み休み三人でのろのろと投げながら、静は高崎で起きたことを話し出した。
あの日、父親が何かを話したそうにしているのに、グダグダとくだらない話をし続けるのでうんざりしていたら、急に頭の中に父親の思考のようなものが聞こえてきたこと――静かはそれを二人に打ち明けた。
静は、テグスのことは話さずに「きっとその時、パパが頭の中で強く思っていたんだろうね。言いたいけど言えなくて、でも言わなくちゃとか、そんなふうに思ってたからくだらない話をし続けてたんだと思う」
英介は「父ちゃんはその時、なんて、思ってたの?」不安そうに訊いた。
静は、父親がその時には既に離婚を考えていたことや、子供が出来たことで少し困っていて、その相手の人が周囲の人間に話したりしないように口止めしないといけないと考えていたこと。
そして、母親のことを美人だけど三日で飽きるとか、頑固で気性が激しいからイヤだとか、自分や英介を母親が囲い込んで育てたからああなった、などと考えていたことを話した。
ここまで話した後、また静が綺麗なフォームで投げた。
当然のようにストライク。
隣のレーンにいる大学生のようなグループが「あの子カッコいい!」と拍手をしてくれた。
その後で栄太郎が静の真似をして投げようとしたものの、倒れたピンがさっきより少し増えたくらいでスペアも取れず。
続く英介も似たようなものだ。
しかし、静は何をやらせても別格なのだ。二人共、レベルが違い過ぎて悔しくもなんともない様子だ。
また三人はいったん話に戻る。
「まあそれはそれでショックだったんだけど――私さ、あの日にパパが私だけを呼び出した理由が聞こえたんだ。パパは、英介をどうするかって言ったんだ」
静は冷静だった。もうこのことで父親にどうこう言うつもりもなかったし、自分が傷ついたことをあの父親に知られたくはなかった。
「ねえちゃん、俺をどうするって?どういう意味?」
英介は不安そうだった。
「うん。パパはね、おばあちゃんから言われたそうなんだ。おばあちゃんは私とはそりが合わないから英介だけをあっちに引き取れって。長男だからそうするべきだって言えってね。つまり、私だけママの所に残すけど、英介だけを引き取りたいってことをね、その日私に上手く伝えて、どう思うか探りを入れたかったんだよ」
「えっ、俺だけを」
英介はこれしか言えなかった。
また静が投げる、栄太郎が続く。しかし英介は立ち上がれない。
仕方なくペットボトルのお茶を飲み一休みを装う。
なんとか英介が投げた。もう文字通り投げやりだ。
静が続けた。
「私あの時、結構動揺しちゃってさ、フォークをお皿にガチャって落としちゃったんだ。パパはすぐに私が具合が悪いのかと思ったみたいで、今日は泊っていくかって言いかけたんだけど、すぐに黙ったの。それでね、またパパの考えてることが聞こえたの――その、子供の母親の人が来るかもしれないから泊まらせられないって。あと、おばあちゃんが私を泊まらせることをどう思うかを気にしてたみたい。だから自分からテストがあるからもう帰るって言ったんだ」
これを聞いて栄太郎は唇を噛んだ。どんなに辛かっただろう、悲しかっただろう、そう思ったからだ。
英介は、大きな目をさらに大きく見開いていた。
涙が出たわけじゃない。ただ、愕然として言葉も出なかった。
「うん、これを聞いて英介がどう思うかって、さすがに私も考えたけどね。英介も偉いじゃん、パパの言動でショックを受けて泣いたり喚いたりされたら佐倉さんとママの手前、私が困るからさ。
とにかくもう私、パパの顔をまともに見れなかったんだけど、変に思われたくないからニコニコして、駐車場まで送って手を振った。昔みたいにずっと振った。でさ、だから私はもういいと思ったんだよ。パパのことは諦めたんだ」
静のストライクが続く。ここまで全てがストライク。
大人から見ても格好がいい静は、確かに静御前にマッスルがついてしまうだろう。
静の話を聞き少なからずショックを受けた栄太郎がよろよろと立ち上がる。
それでも、ソファスペースの二人に心配をかけたくなくて、栄太郎は踏ん張った。
今回はスペアを取った。
英介はガーター。
静が本当に伝えたかったこと。佐倉のこと。
「佐倉さんはあの日、いつもみたいに優しかったけど、私をせかしたり、詳しく聞き出そうとしたりしなかったよ。でもね、その時はっきり言ってくれたんだ。
どんな時でも味方でいるって――佐倉さんにはずっと前にそう言ってくれた大切な人がいて、その人はいつでもそう言ってくれたんだって。だから自分は最強でいられたんだって言ってた。それでね、佐倉さんは、私の味方には自分がなるからって言ってくれて、ずっとこれから先は私と英介の味方だからってそう言ったの」
この日のことを思いだすと、静の瞼は涙を支えきれなくなる。
でも強く鼻をかんでみせて、ついでにちょこっと涙をぬぐって、笑って見せた。
佐倉と母親を心配させないように。
栄太郎も同じだった。静のティッシュを勝手に借りて強めに鼻をかんだ。
大きな声で「花粉症になったみたい」と言ったりした。
英介はソファスペースの二人に背中を向けたままベンチに座り、ただ茫然としていた。
静は容赦なく続けた。
高崎の駅で佐倉と合流した後、喫茶店でケーキやプリンをを食べて気持ちを落ち着かせてから、新幹線の中で、佐倉に父親の思考が伝わってきたことを話し、それを親身になって聞いてくれた佐倉は、サイキックのことをよく調べていたらしいので『そのことは誰にも話さないように』と忠告してくれて、離婚問題については必ず力になると言ってくれたことを淡々と伝えた――そして、その日佐倉が来てくれたから、自分はなんとかこらえられたのだと。
父親の微妙に揺れる感情や、祖母から突き付けられた自分へ向けられた刺々しく冷たい感情を、跳ね返す気力はなくなっていたが、あの日の帰りに新幹線で隣に座る佐倉が、自分の代わりに激しく怒ってくれたことで、群馬の家族から向けられた冷え切った悪感情をどうにか無効化できたような気がしたこと。
「英介がおばあちゃんに可愛がられていたのはよくわかってたけど、私はあんたをあっちにやるつもりはさらさらなかったから。あんなとこに行かせるなんて冗談じゃないよ。はっきり言うけど、おばあちゃんは残酷な人だよ、それでもあの人はパパのことを大切に育てた。だからパパはおばあちゃんに愛情を持ってるでしょ?見ればわかるよね?あんたがあっちに行ってパパと同じように可愛がられて、似たようになるのだけは嫌だった。私はあの日、パパにさよならを言われた気がしたし、私も同じだったんだよ」
静が投げ、栄太郎、英介が続いた。
英介は後ろに背中を向けたまま後ろ歩きでベンチに戻る。
「こんな話は聞きたくなかったと思う。でも、あの時パパの思考をキャッチできなかったとしたら、今のこの状態にはなっていなかったと思ってるんだ」
これに栄太郎が頷いた。
「ママと私たちを、山本ミキの秘書になってからずっと、どんな時も佐倉さんだけは私たちの味方だったと思うんだ。あの人、ママを助けたって何の得もないんだよ?結局山本ミキはああなって、仕事だってなくなったわけなんだから。まあ、せいせいしたみたいだけどさ。でも、佐倉さんがしてくれたことは、全部ママと私たちのためじゃないか。なぜ?どうして、って思ったら、そんなの、想像がつくじゃん!あの人、自分じゃわかってないんだよ。だから平気であんなふうに手を握ったりさ、あんなこと言ったりして、もう恥ずかしいったら!でも佐倉さん、ママを励まそうとか元気づけようとかしてるんだよね。まるで女子の友達みたいな感じに見える時があるよ」
静のこの言葉を受けて栄太郎がしみじみとこう言った。
「うん、静ちゃんの言いたいことはわかる気がする。佐倉さんって、なんか女子っぽいんだよね。趣味のせいかもしれないけど、佐倉さんが言ってたんだ。あの人ね、家庭科が得意だったんだって。それでね、佐倉さんの作品って家庭科の教科書に載るくらいすごかったらしいよ。それは佐倉さんのとうちゃんが言ってたんだけどね。綺麗な刺繍で、載ってる教科書を佐倉さんのとうちゃんから見せてもらったんだ。すごかったよ。浴衣とかもササッと縫えるんだって。お料理も得意だし、野菜作りも丁寧で、もともとそういう女子っぽい気質だから、静ちゃんのお母さんのことを親友みたいに思ってるんじゃないかな?僕は手を握ったりとか、ああいうのはちょっと見ていて恥ずかしいけど、不思議とイヤな感じはしないんだ、それに、」
「それに、なに?」と静が問う。
「うん、僕はね、やっぱり佐倉さんって静ちゃんのお母さんがとても好きなんだと思うんだ。だってあんなに嬉しそうにしてるんだよ?優しそうにお母さんのことを見てるんだから――あと、これは秘密って言われているんだけど、佐倉さんって前に僕のお父さんに言ったんだって『遠山さんのことで何かあったら権藤さんは力になってくれますよね?』って。なんかね、力になるってことを最初から信じてくれてるみたいだったから、お父さんは嬉しかったみたい。でもすごく切羽詰まったみたいにそう言ってきたんだって。きっと佐倉さんは僕たちが知らないところでも必死になってお母さんのことを助けようとしてたんだと思うんだ。僕は、そういう佐倉さんが大好きなんだ」
英介はこれを聞いて、さっきのように目を見張った。英介の大きな目は零れ落ちない涙でぎらぎらと光っていた。
静が言う。
「権藤さんはいつもママに親切にしてくれて、助けてくれたんだよね。ママも本当に感謝してて、私ももちろんそうなんだ。佐倉さんったら権藤さんにも頼み込んでたんだ。とにかく、例のGOGOウェアもそうだしさ、私たちを佐倉さんの家に隠したりさ、もうあの人って、なりふり構わずだったじゃない?ママのことが好きじゃなきゃあそこまでやんないよ。私は嬉しいよ、それに佐倉さんだったら、」
静が言葉を止めると、英介がせかした。
「佐倉さんだったら?」
「そうだよ、佐倉さんだったらママを大切にしてくれると思う。パパや群馬のおばあちゃんみたいにママを泣かせたりしない。パールのネックレスを取り返してくれて、ショールもね。それに、佐倉さんはママのためのプレゼントを考える人だよ。自分で作ったって言ってママの名前入りの手作りの刺繍のハンカチを渡したり、わけの分からない古本の全集をママのために探し回って、ママに海外で買ってきた高そうな綺麗なネックレスを、嬉しそうに贈ってくれる人だよ。間違っても腹筋を鍛える男性用のマッサージベルトを誕生日だって贈るような奴じゃない」
英介がぐっと詰まったようになり、完全に下を向いた。
そして、静は宣言した。
「私はママにもう一度自分が本当に好きなことや楽しいことをしてもらいたいんだ。パパはそうさせてあげたいなんてこれっぽっちも思っていなかった。でも佐倉さんは違う。あの人、櫻子さんがやりたいことを何でもできるように俺が道を作りますとかって言ってたんだから!私は佐倉さんが病院でそう言ってるのを聞いたの。だから、いい?英介!あんたがいくらパパが好きでも、佐倉さんのママへの気持ちを迷惑に思ったり、あの人を邪魔しようと思ったりしないでもらいたい」
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