133.マッスル静御前の采配(1)
佐倉の『櫻子さんを守るのは決定事項です発言』がレストランの個室に響き渡ってすぐ、その発言に恥じ入ったのはそれを発した本人ではなく、子供たちと空飛ぶカァちゃんの方だった。
英介と栄太郎はなんとなく見つめ合ってしまい、すぐにデザートをほおばった。
誰のためにそうしたのかわからないが、基本無口な栄太郎は急にペラペラとしゃべりだした。
「僕は食べるのがずっと遅くて、クラスではノロ太郎って言われてたこともあったんだけど、ここの料理が美味しすぎてものすごく早食いしちゃったよ。静ちゃんと英介はもともと食べるのが速いもんね。夏の間一緒に暮らしてたから二人につられて僕も速くなったんだよね。お父さんがびっくりしちゃってさ、お父さんも忙しいからすごく食べるのが速いんだけど、僕はそれに近づいたよ。ははっ」
英介もまた同じだった。
「お、おう、確かにな。栄太郎もやるじゃねえか。男ってもんは女子より速く食べ終わらないとダメだからな。ねえちゃんみたいに意地汚いのは別だぜ?だいたい牛丼の大盛りとか恥ずかしいじゃん!だからマッスルとかって言われんだよ」
英介のマッスル発言に、手を握り合っているように見える二人の声が揃った。
「「マッスル?」」
この二人には返事をしたくもなかったが、仕方なく英介は答えた。
二人のその手を見ないようにして、引き攣った笑いを浮かべながら。
「あ、うん。なんか、姉ちゃんは最近学校で『マッスル静御前』って呼ばれてんだって。名前はおしとやかなのに運動神経がすごすぎるってことで、男子クラスで言われてるらしいって、この間ねえちゃんが、」
これを聞いた佐倉が大声で「なんだって?いやがらせか?いじめなのかもしかして」と顔色を変えた。
そして、まだ誰も、何も答えていないのに「男子が女子にマッスルとか、からかうにしても言い過ぎじゃないか。先生は知っているの?」と静に訊いた。
静はこの時もスマホの録画を続けていて、画面には空飛ぶカァちゃんの手を握ったまま静の方を心配そうに見つめている佐倉が「エスカレートするようなら先生に言ったほうが」と言ったところで、空飛ぶカァちゃんが遠慮がちに口を出した。
「静、嫌がらせみたいな感じで言われているの?それとも、それほど悪気はない感じなの?」
「ああ、平気だって。陰湿な感じで言われたわけじゃないから。期末テスト前にさ、二年生からの混合クラスに向けて男女混合のバレーボールのプチ大会があったんだよ。一年の三学期はそういう行事があるんだ。それでちょっと目立っちゃってね。前から静御前って言われてたみたいなんだけど、あの試合の後からマッスルってのがついただけだから」
静が機嫌よくこう言ったので、この場での保護者二人はほっとしたようだった。
しかし、佐倉は「くだらないあだ名がエスカレートすることもあるからね。その時はちゃんと言うんだよ?いいね」などと言うので、空飛ぶカァちゃんが握られた手を握手するように上下に軽く揺らせて「きっと大丈夫ですよ、佐倉さん、ご心配ありがとうございます」となだめた。
「静ちゃんが平気ならいいんですが」と言いながら、女性の手を男の大きな手でしっかりと握り込んだまま離さず、その相手の女性からは優しい揺らせる握手で『まだ握ったままですよ』と教えらえているというのに、佐倉は自分が非常識であることにまだ気づけなかった。
静は、今日の佐倉の振る舞いや顔付きを見てこう思った。
佐倉は、空飛ぶカァちゃんの前に出ると、無意識に『糸数万理の本質の一部分』が大きく顔を出してしまうのだろう。
そしてその一部分は、きっと糸数万理の魅力的な部分に違いない。
空飛ぶカァちゃんが憧れていたという『マリー先生』のあたたかい部分を認めてもらいたいのではないだろうか。
寂しく死んでいったマリー先生を好いてくれた空飛ぶカァちゃんに、あの頃の自分の心で語りかけたいと思っているのではないか?――静はそう思った。
そして、同じようにとうちゃんの前だと『糸数万理の厳しい伯母の姿』が滲み出るのだろう。
佐倉はきっと、その伯母の部分を、とうちゃんに少しだけでも受け入れてもらいたいと思っているのではないだろうか?
そして、伯母によく似た言動や態度を、とうちゃんが軽く受け入れてくれて――その頃に辛く当たってしまった自分自身の態度を、軽く受け流し、水に流し、笑ってくれるところを見たかったのではないだろうか?
佐倉の前世がどれほど重く苦しいものであったか、静にはわからないし、それを聞きだそうとも思っていない。きっと佐倉も話すのが辛いことだろうから。
でももしかしたら、遠い昔に、まだ糸数万理だった佐倉が、とうちゃんに伝えたかった言葉の続きを上手く伝えられて、そしてとうちゃんが、佐倉の中にまだ生きている糸数万理に対して、なにかひと言でもいいから言葉をくれたなら――『今、ここで生きている佐倉という男』の人生がきっと動き出すのではないかと思ったのだ。
静は思う。
------『佐倉さんがいいと言ってくれたら、あの本を佐倉さんのとうちゃんに渡す時は私も一緒にいようかな。そのほうが手助けができるかもしれないし。二人共ものすごく意地っ張りだしさ』
今日は私が保護者になるか、静はそう思った。
「ちょっと、アイスが溶けちゃうじゃん。いつまでも握手してないで食べなよ」
佐倉はハッとして自分の手を見た。
そして空飛ぶカァちゃんの顔を見つめ「すみません、俺のせいで食べられなかったですね」と言ってやっと手を離した。
空飛ぶカァちゃんのほうは、自分が呆れているのだか恥ずかしくなっているのだか、もうどうでもよくなった。
「本当ですね、アイスが溶ける前に頂きましょう。私、ティラミスも久しぶりです」
この二人の様子を見て、佐倉の母がいつも愚痴をこぼしていたように、本当に佐倉は馬鹿息子だと静は思った。
ただ、母親の空飛ぶカァちゃんがこうなってしまうのは仕方がないだろうとは思う。
しかし、もうちょっとビシッとこの馬鹿息子に指摘してもいいのではないかと静は思っていた。
折角の今日の『第一回 古書との出会いツアー』――もちろんその続きの二回目や三回目は勝手にやれと思っているが、今日だけはおせっかいが必要だ。
静は、パッと見だけは保護者に見える二人をせかした。
「ちょっと早く食べてよ。今からあそこに行くんでしょ?もう本屋は行かないよね?私はボーリングがしたいんだよ。あと卓球もね。英介と栄太郎の二人対私で勝負するんだ。その間ママたちは適当に遊んでればいいじゃん」
佐倉は「櫻子さんはゆっくり食べて」と言ってから会計に向かった。
そして、戻ってくると「あの施設にはカラオケもあるんですよね。歌います?それともお茶でも飲んでいましょうか?素敵なカツラを持ってきたんですよ。黒縁眼鏡とかもありますよ?変装したら気楽にフラフラできるじゃないですか。車の中でお見せしますね」
飯田や佐倉の母の言う、ポンコツ馬鹿息子佐倉は自分の振る舞いを恥じることもなく、食べ終わった空飛ぶカァちゃんの手を取った。
◇◇◇◇◇
食事の後は新しく出来た複合アミューズメント施設に移動した。
今日の目的の本はすべて入手できたことから、ここからは子供たちのための時間となった。
カフェで栄太郎をシゴくと息巻いていた静から許しを得て、今日は暗記テストは取りやめになった。
ホッとする栄太郎に静は「春休みに倍の時間をかけてやるよ」と脅しをかけたが、その後ボーリングを楽しむ子供たちを、佐倉と空飛ぶカァちゃんは一段上のソファスペースで見守った。
レーンの後ろのベンチで、とうとう静は英介にはっきりと訊いた。
このベンチから佐倉達の座るソファスペースまでは階段も含めて十メートルほど。
佐倉が『羽』を使わない限り、ここの声は聞こえないはずだ。
「英介あんた、もし佐倉さんがママに告白したらどう思う?佐倉さんがママにプロポーズとかしちゃったらイヤ?」
英介は口をへの字に曲げて黙り込んだ。そしてゴクッと唾をのみ込んだのが静かにも栄太郎にもわかった。
どうせ英介は、このことを訊ねたら動揺するだろうと静は思っていた。
「あんたは別にそれほどパパが嫌いじゃないもんね。おばあちゃんのこともそれほど嫌ってないでしょ?おじいちゃんはあんまり好きじゃないかもだけどさ」
「ばあちゃんはともかくさ、ねえちゃんは……そんなにとうちゃんが嫌いなの?俺、とうちゃんがかあちゃんに酷かったのは知ってる。真珠のこともスカーフのことも、俺知ってた。それに再婚と子供のこともわかってるし、ばあちゃんが意地悪なのもちゃんとわかってる。でも、とうちゃんはそこまで、」
英介は下唇を噛んで、静から顔をそむけた。
そうなのだ。英介は公男の本性をわかっていないのだ。
そして、表に見える公男の良いところを本当にそのまま受け入れてきたし、嫌な部分はその都度、上手くかわして横に流しながらの親子関係を築いてきた。
それは、多くの家庭で普通によくみかける父親と息子の間柄だった。
そして、英介英介、と頭を撫でて可愛がり、些細なことを褒めてくれ、静より優しいだとか思いやりがあるだとか、友達に好かれる性格だとか、それこそ『お父さんみたいに好かれる性格だ』とほめられ続けてきたので、祖父母に対する親愛の情は、当然ながら静より深い。
確かに母親に対する意地の悪さに気が付いていても、子供のころから自分に向けてくれた愛情のようなものを思うと、英介は祖父母への情が捨てきれなかった。
そして、姉の静が祖父母をあそこまで嫌うことを、少しばかり、ほんの少しだけ、薄情なのではないかと思っていた。
静には、英介がそう思っていることもよくわかっていた。
祖母が、会うと本当に嬉しそうに英介を抱きしめて「英介、会いたかったよばあちゃんは!」と言っている姿は、本当に愛情深いものだった。
静のことはおざなり、とまでは言わないが、本人にだけはわかるような『差別待遇』で出迎えるのだ。
そして、例の『英介だけを引き取れ』の件。
これを父親の思考から読み取った時の静の悲しみを英介は知らない。
静はこの日、状況によっては、自分が少しばかり他人の思考を読み取ることが出来るということを、伝えるつもりだった。
栄太郎もここにいるが、静は栄太郎を信用していたので知られてもいいと思った。
きっと栄太郎は権藤さんに話したりしないだろうし、当然、飯田さんに何かつっつかれたとしても絶対に話したりしないだろうと確信していた。
家に帰って二人きりの時に話すより、英介は今の方が冷静に話を聞いてくれると思った静は、ここのうるさい音の中で話すことにした。
佐倉には怒られるかもしれないが、静は佐倉のために打ち明けた。
「覚えてるかな?私さ、パパに呼ばれて高崎に行ったことがあったでしょ?」
急に話をそらされたようで、英介はとまどったがすぐに思い出したようだった。
「うん、偶然あっちで佐倉さんに会った日のことでしょ?」
「そうだね、でも偶然じゃないんだよ。私が佐倉さんに電話して、駅に来てもらったんだ。そのことを今から話すよ。二人に聞いてもらいたいことがあるんだ」
お読みくださりありがとうございます。




