132.まさにこれは告白の録画?
遅めのお昼の予約だったため、入店したのは午後一時過ぎだった。
佐倉が予約した店は外観もおしゃれな洋館の隠れ家的なレストランで、料理は本格イタリアンだった。
朝から散々連れまわされて、お腹が空き過ぎたと文句を言っていた英介も、入店した途端に機嫌がよくなった。
「俺こんなとこ入ったことない。それに個室なんだね、ガツガツ食べられるじゃん。栄太郎はこういう店とか来たことあるか?」
「まさか!外食なんてずっとしてないかも。実を言うと、さっきみたいなファーストフードもあんまり……ていうか友達とお店に入ったのが初めてだった」
「まあ小学生はなんてそんなもんでしょ。私なんて一人でも平気で牛丼屋とか行くよ。この前同じ学校の男子と鉢合わせしたんだけど最悪だった。こっちは大盛りなのに向こうは普通盛りでさ。あんた達、店では絶対に大盛りにしなさいよね、女子に恥かかせるんじゃないよ」
「静ちゃんの学校は中一だけは男女別クラスなんだよね。面白いよね、これって実は中一の一年間で同性の人間関係を作れ、ってことなのかな?ずっと男女別で生徒会や行事だけは男女一緒ってとこもあるじゃない?栄太郎は女子が苦手そうだから一年間は安心かな?」
佐倉がこう言うと、栄太郎が少し考えてからこう答えた。
「確かに。35人が全員男子だったらその中で気の合う友達が出来る確率は上がるけど。でも、正直ちょっと不安はあります。情けないけど」
「あんた、何かあったら私に言いなさい。さすがに技はかけないけど口で追い詰めてやる。最近はもう開き直ったからね。どうせもうバレてるしさ、私の殴打事件も、ママの離婚のことも。四月からは苗字も『細川静』になるからこの際もう猫被る必要もなくなったから、最近気楽なんだ」
静のあまりにもはっきりとした物言いに、英介と栄太郎は空飛ぶカァちゃんが心配になり、恐る恐る顔を見たが、空飛ぶカァちゃんはにこにこと笑っていた。
隣の佐倉も同じで、静の方を見てこくこくと頷いた。
「殴打事件は勲章さ!静ちゃんはヒーローだよ。あの真実を知って静ちゃんを非難する奴なんて、あの小学校のくだらない野郎だけさ」
そして佐倉はこう続けた。
「苗字が変わるって?いいじゃないか!俺の姉ちゃんなんてさ、母さんととうちゃんが再婚して名前がどうなったと思う?『佐倉さくら』だよ。縁起がいい名前になったって言って自慢にしていたそうだよ。まあ、結婚が早かったからすぐまた名前が変わったんだけどね」
「そうなの?佐倉さんのお姉さん、さくらさくら、って歌みたいじゃん。ねえ、佐倉さんのお姉さんと佐倉さんって似てる?写真とかないの?」
英介がこう言ったので、佐倉がスマホで探して姉の写真を見せたところ、全員が「お母さんと似てる!佐倉さんとも何となく似てる」と同じことを言った。
「そうそう、ブラコンの姉でさ、もう俺が生まれた直後からベタベタかわいがってすごかったらしいよ」
佐倉が機嫌よくこう言ったところで、とうとう栄太郎が思い切ったことを言った。
佐倉の母の願いが叶うかはわからないが、今の栄太郎にはこれが精一杯だった。
「そういえば、佐倉さんはカッコイイからモテるでしょ?結婚とか、考えたことないんですか?」
栄太郎はドキドキしながら言ったのだが、当の佐倉はさほど揺さぶられてはいない。
ちょっと困ったように苦笑いしただけだ。
「栄太郎まで母さんみたいなこと言って。別にどうしたいだとか、何かを決めているわけじゃないよ。ただ、きっと俺みたいな奴は願い下げって言われるだろうからさ――格好つけてるわけじゃないけど、それなりに感じ良くはしてるつもりだし、一応職場とかの事務の皆さんからだって評判も悪くないと思うよ。だけど、慶次も言ってたろ?俺がよく空気をどんよりさせるって。それに自分の性格の悪さっていうか、情けないことをわかってるからさ、それを好きな相手に知られて嫌われたくないんだ。軽蔑されたりしたらもう、マジでどんより固まっちゃうだろうしね」
「ええっ?佐倉さんの性格が悪いわけないじゃんか!そんなこと言う人いないって。慶次さんと咲太郎さんだって言ってたよ?佐倉さんがいたから俺らは六年間うまくやってこれてたって。最高に楽しかったっていってたけど」
英介がこう言うと、栄太郎も同じように「僕もそう思う。飯田さんや麹町さんも、市谷さんも、お父さんだって、みんな佐倉さんが大好きなのに」と言って不思議そうに佐倉を見た。
「ははっ、ありがとうね。でも違うんだ。ものすごく根暗でうじうじした奴なんだ。だからカッコつけていい人やってんだよ。もし本性がバレたら最悪なことになるんだって」
佐倉は明るくこれを言っているようにも見えたが、静は心配でならなかった。
静は、佐倉の中の『糸数万理の部分』が何かをセーブしているのではないかと思った。
そして、とうちゃんに対する佐倉の態度が、静には遠慮がちに見える時がある。
あれだけ言いたい放題、生意気な意地悪を言ったり、からかったりしているが、どこか不安そうな、心配そうな顔付きで父親を見つめるまなざしを静は何度も見てきた。
母親に対するものとは確かに違いがあるのだ。
静はさっき買った『虹色の音符の著者用見本本』――これを佐倉に贈るつもりだった。
これまでにどれほど、佐倉から助けてもらっただろうか?
どれほど沢山の優しさとあたたかさを、自分達にくれただろうか?
もしこれから先、佐倉に、何かを返せるのであれば、その最初になるのはあの本しかないと思った。
でも今日はやめておこうと静は思った。
今日の二人がどんなに嬉しそうな顔をしているか、本人たちに見せてやりたいと思うほどに、ずっと楽し気に笑っているのだから。
静はそっとスマホを取り出して二人の姿を録画した。
どれほどリラックスしていて、楽し気であるか。そして今どんな表情で互いを見つめているか、その優しいまなざしがどれほど相手を喜ばせているのか、本人たちに見せないと分からないのではないかと思った。
デザートが運ばれてくるまでの間、静はずっと録画し続けたが、途中で栄太郎がそれに気づいて、加勢するように逆の方向から二人を録画した。
そして、静がダメ押しでこう言った。
「性格か、佐倉さんが根暗でうじうじしてて性格悪いとかいうんならさ、ママなんかどうなるの?極端な収集癖がある変わり者で、もう変人の域を超えたキモスじゃんか。ママ自分で言ってたよね、本を守るために、よくおばあちゃんとおじいちゃんに嘘ついたって。本が命の変人だよね」
「うん、そうね。あのお義母さんが恐ろしくてたまらなかったのよ。情けないったらないわよね。あの人に大切なものを捨てられないように、あの本は浅草のお母さんから預かってるって嘘ついたりしてさ、惨めでみっともないったら。私を佐倉さんと比べたりしたらダメじゃないの。次元が違うでしょ」
空飛ぶカァちゃんは自嘲的だった。
時々、空飛ぶカァちゃんは、ふいに義母のふるまいや言動のが蘇り、自分自身が嫌になることがある。
よく言われていた。
ーー『こんな汚らしい本を集めて、ダニがいるんじゃないの?捨てなさい』
ーー『いくらいい会社に受かったっていっても、実際は入ってないんだからね。変な自信持ってるならみっともないわよ』
ーー『こんなに若いあの子を子持ちにさせたんだから感謝して尽くしなさい』
こんなことまで言われる自分が惨めだったが、あの頃はどうしようもなかった。
しょっ中、家にやって来てあれこれ言いがかりをつける姑に、まだ若かった空飛ぶカァちゃんは逆らえなかったのだ。
せめて大切にしている本を守るために、空飛ぶカァちゃんはよく嘘を言って本を守った。
ーー「この本の八割方は浅草の母のものです。私の本もありますが、母の本を捨てられると大変なことになります。趣味のお友達と情報交換していてネットにもあげていますから。捨てられたとなると、お仲間からなぜ捨てられたのか、その理由を聞かれることになりますので」
こういった空飛ぶカァちゃんに対して「じゃああなたの本はどれ?」と訊いてきた義母に、ひと言も答えなかった時、義父が怒鳴りつけてきたこともあった。
そんな時はいつも静が代わりに怒ってくれていた。
「でも、前におばあちゃんの趣味のサイトで大変な問題が起こっていたよ。今みたいな家庭内のトラブルでも損害賠償になったんだって。だいたい人の物を捨てろって言う方がおかしいんじゃないの?」
本当にその通りなのだが、静の言いぐさに腹を立てた遠山の義父は、静にゲンコツを振り上げた。
ただ、静の運動神経で簡単によけられてしまったので、腹いせ紛れに空飛ぶカァちゃんを突き飛ばしたこともあった。
人の性格というものは環境によって簡単に変わってしまう。
空飛ぶカァちゃんはそれをよく知っていた。
自分はたしかに変わり者かもしれなかったが、あんなふうにおどおどして、人の顔色を窺うような性質ではなかった。それなのに、遠山の家が自分を作り変えてしまったのだ。
最近は母がよく電話をかけてきて、佐倉のことを色々と言ってきたため、佐倉のことを考える時間が増えていた。
もし、佐倉のように心のあたたかい、優しい、魅力的な人間と一緒に過ごせていたら、こんな思いはしなかったのだろうかと、そう思うとかえって辛くなる。
佐倉という人間には何の傷もなくまっさらなのだ。
自分のように離婚歴もなければ子供もいない佐倉と自分が、同じ位置に立てるわけがない。
空飛ぶカァちゃんはそれがよくわかっていた。
それでも佐倉と一緒にいると、心があたたまり、幸せでたまらなくなって、一人になった時にそれを思い出して辛くなるのだ。
性格の話が出たのでなんとなく気持ちがささくれ立ってしまった空飛ぶカァちゃんは、すぐに笑顔を作ろうとしたのだが、それをする前に佐倉が空飛ぶカァちゃんの手を取った。
もちろんスマホの録画は健在だ。二方向から録画中である。
「櫻子さんを情けないとか、惨めだとか、みっともないキモスだなんて!そんなことあるはずないじゃないですか!そんな意地悪ババアはもういませんから。俺が絶対そんな婆さんから守りますから。これはもう決定事項なんですよ」
これを佐倉は本気で言っているから恐ろしい。
子供たちが聞いているのに言えてしまう神経が普通じゃなかった。
英介も栄太郎も目がテンである。
ここまで言っているのに前に進めない人間には、今日の成果のスマホ録画と、奇跡的に入手した一冊の本が鍵となるに違いなかった。
お読みくださりありがとうございます。




