130.空飛ぶカァちゃんの外出に向けて
政府の管理下に入った直後から、空飛ぶカァちゃんの業務以外の外出については一般国民のセキュリティの観点からも自由な外出は制限するべきだという意見が大半であったため、まずは徹底的に管理することから始めようということになっていた。
乱暴な方針には違いないが『何かあってからでは遅い』という考え方から始まった管理体制だった。
この措置はあまりにも酷い人権無視に違いないが、世界中でたった一人、自由にどこにでも飛んで行ける人間を野放しに出来るものかとまで言われ、何もしていない空飛ぶカァちゃんは、あの海の日以降、まるで犯罪予備軍であるかのような扱いを受けていた。
管理責任者だった山本ミキいわく、勝手に彼方此方飛び回られて上空から見下ろされることによるプライバシーの侵害や、ひところ噂されていたように、もし本当に空飛ぶカァちゃんが高層マンションのベランダを覗くというような罪を犯したら、それは管理者の責任となってしまう。
つまり、山本ミキの管理責任が問われてしまう――そのため、まずは徹底的に空飛ぶカァちゃんの発言力をなくし、自らの立ち位置について何も言わせない状況づくりが必要だった。
そういうセッティングをさせるのに山本ミキを選んだ水谷は、ある意味適材適所を上手く差配出来ていたと言えるかもしれない。
特定の人間を追い詰め、苦しめることによって、気力を奪い精神的に疲弊させ、さらに身体的にも――例のトレーニング等により痛めつければどんな人間も積極的な主張が出来なくなっていくだろう。
水谷は山本ミキならこれをさせる汚れ役にぴったりであるし、彼女なら喜んでこれをやってくれると思っていた。
そして、実際に『佐倉という男』が入ってくるまでは、空飛ぶカァちゃんは正真正銘彼らの奴隷だった。
精神感応の部分で何の役にも立たない能力者など、何か不測の事態が起きた時や国家間で重大な問題が生じた時などに、能力者の解明という健全な見出しを付けた上で『あの女を実験材料として』海外の研究機関にでも渡してやればいい、などと水谷らは本気で思っていた。
誰が水谷をそそのかしたのかというと、あの官房長官である。
実際に某国より『人類のための能力者の解明』という名のもと、身柄の譲り渡しを含む信じがたい申し入れがあったのだが、この話を聞きつけたその国の人権団体が、このおぞましい計画を糾弾し、それを推し進めようとした議員を辞職に追い込んだ。
その議員は他にも、多くの問題を抱えていた議員だった。
金銭授受問題だけでなく、私生活において不道徳なスキャンダル、そしておぞましい性癖についての暴露が続き、辞職だけではすまず現在は収監中で裁判が続いている状態なのだ。
このことで官房長官は他国に対する『飛行能力者の引き渡しというカード』を手放すことになった。
実際、自分の代わりにこのおぞましいカードを使うはずだった水谷は前代未聞の逮捕劇でもう人前に出ることもなくなり、官房長官自身も最近になって自分の周りをうろつく妙な気配に怯えている状態だった。
この危険な気配をもたらしているのは佐倉ではない。
多分、もはや先のなくなった水谷らを支えていた危険な団体が何らかの口封じためにじわじわと脅しをかけているだけなのだろうが、官房長官にとっては初めての恐怖だった。
水谷同様、官房長官は自分がその団体を使う側のつもりでいたのだが、結局は互いに弱みを握り合い、使って使われる、そんな関係なのだ。
次の選挙についてもそうだ。この議員を、この団体をどうするか、もはや互いに命を握り合っているようなものなのだから。
この『人類のための能力者の解明』などというおぞましい申し入れを予定していた某国以外からは、能力者の特別な能力の生かし方についてだったり、能力者の属性の確認方法やその結果の情報共有の提案など、能力者の今後に関する建設的な意見交換が活発化してきている。
先日の懇親会や交流会で、空飛ぶカァちゃんを飯田が言うところの『表舞台』に立たせたことは、結果的に空飛ぶカァちゃんを守ることに繋がった。
水谷らの醜聞は国家の顔に泥を塗る最大の不名誉となり汚点となったが、このスキャンダルによって、空飛ぶカァちゃんが今までどのような立場に立たされ、またどのような扱いを受け傷つき、追い詰められていたのかについて、各国共こぞって、こうなってはいけない最悪のケースとしてその詳細を広く報道したため、この状態となった空飛ぶカァちゃんにあからさまに手を出すことが難しい状況となった。
それは国内だけでなく、他国からも手出しができなくなったということでもある。
懇親会に参加した空飛ぶカァちゃんの様子はテレビやSNSでも流され、控えめだがにこやかに微笑む空飛ぶカァちゃんの美しい容姿が褒めたたえられた。
そして、彼女の翻訳の才能についてや、過去の受賞歴までもが改めて紹介され、文字通り陽の光の下に立った彼女を、かつてのように見下し好き勝手にいいように利用できる状況は完全になくなった。
しかし、国として空飛ぶカァちゃんを保護する体制が整いつつあるとはいえ、連れ去りや暴力などの危険もあるため、このタイミングで空飛ぶカァちゃんを完全に自由にしてやることはできないのだ。
ただ、外出についてはかなり緩やかなり、許可が下りやすくなった。
申請のハードルがかなり下がったので、今までより気軽に外出できるようになったため、佐倉が熱望していた古本屋巡りについてはあっさりと許可がおりた。
今まで通り、必ず付き添いが必要であるが、佐倉にはその『付添人』としての資格が与えられた。
彼女を暴力から守るための体術を行使でき、彼女から信頼をされ、確実に送迎が出来る付添人として、佐倉以上の人間はそれほどいない。
さて、佐倉の両親が願っている空飛ぶカァちゃんと佐倉の結婚問題についてだが、本人たちはまだ交際という段階にすら至ってもいないというのに、佐倉の母だけでなく麹町や飯田、権藤、そして事務所のスタッフの多くが、佐倉の気持ちを佐倉以上に理解していると自負しているため、皆が揃って余計なお世話をやきたがった。
「古本屋だか何だか知らないが、二人でゆっくり行きゃいいだろうが!なんでまた権藤の息子や静ちゃんを連れて行く必要がある?佐倉君は本当の間抜けなのか?」
飯田にこう言われ、佐倉はむきになって言い返した。
「そんなこと、彼女のために決まってるじゃないですか。彼女は離婚したばかりなんですよ。そういう状態で、私とのこのこ出かけたりしたら何を言われるかわからないじゃないですか。だから子供たちがいたほうがいいんですよ。それに、久しぶりに彼女だって子供たちと出かけたいはずですよ。私は状況によっては慶次みたいに女装したっていいと思ってますから。彼女が、何も知らない奴らからあーだこーだと言われないように徹底的にやるつもりですから」
飯田はこれを聞いて吹き出した。
「佐倉君、その心意気は素晴らしいと思う、思うんだがね、そんな馬鹿な真似はやめるんだ。だいたい彼女が困ってしまうじゃないか!そんなデカイ図体して、女装するだって?正体がバレたら総理の方だって大変なことになるじゃないか。そんな、女装癖のある泣き虫秘書が古本屋に出没して写真でも撮られたらどうするんだね?麹町総理のところの秘書が馬鹿やってるとかなんとか、とんでもないことになったらどうするんだね?全く、君は確かに仕事は出来るがちょっとその、女性との交友関係をちゃんと学ばないとまずいよ?どうしてそこまでポンコツなんだ?だからお父さんが心配するんだよ」
佐倉はむっとしてまた反論しようとしたが、市谷と稲葉がお腹を抱えて笑い出したので、そっちの方が気になってきた。
「ちょっと、お二人はどっちの味方なんです?折角の外出なのに、子供たちがいないと彼女だってがっかりすると思いませんか?」
こう言って、二人に加勢を求めたが、市谷も稲葉も二人揃って「わかった、わかったからとにかく女装だけはやめるんだ」と言って笑い続けた。
飯田は「頼むよ小川さん、この子にちょっと指導してやってくれよ。権藤君も言ってたが、これじゃ正真正銘オカン彼氏だって!本当しょうがないよ、彼女が困るんだよ全く、これじゃあね」と言って出て行った。
◇◇◇◇◇
佐倉が待ちに待った古本屋巡りは、静の期末テストが終わった日の翌日、土曜日に大勢で行くことになった。
結局、静と栄太郎に加えて英介も付き合わされることになった。
散々文句をいっていたが、車で移動しながら古本屋だけでなく、子供たちが喜びそうな場所にも連れて行くからと言って、参加させることに成功したのだった。
栄太郎は、まさか本当に静がどこかのカフェで『暗記テスト』をやるはずはないだろうと高を括っていたのだが、一週間前にわざわざ電話をかけてきた静からこう言われた。
「私の『必須暗記ノート』のパート2にすぐに入れるように全部覚えなさいよね」
栄太郎はこんなふうに言われたため、それからずっと机にかじりつくことになってしまった。
せっかく受験が終わったというのにどうして、と言いながらではあったが、それでも栄太郎は素直に言われた通りに静の課題をこなしていった。
英介は栄太郎に頼み込まれて仕方なくこの古本屋巡りに参加することになったが、英介自身、佐倉と直接会って話したいことがあったのだ。
先日の訪問時に自分の頭から伸びた『触角』のようなもの。
これが最近ぴくぴくすることについて、佐倉に相談したいと思っていた。
佐倉が言っていたように、誰かが考えていることが漏れ伝わるとか、聞こえてくるとか、そういうことはなかったが、何かが起こると予感がする時、その触角がピンと跳ねることがある。
ほんの些細なことだ。
クラスで、いつも一緒にいる二人組の女の子がピリピリしているなと思っていたら、なんとなく隣のクラスの良太が頭に浮かんできて、なんとなく今はクラスに来ない方がいいかもしれないと思っていたら、良太のことで女の子が大ゲンカをし出して、良太がオロオロしたとか。
竜介のお母さんがリンゴをくれるような気がして、まさかな、と思っていたらわざわざうちに持ってきてくれたとか、じいちゃんが宝くじを買った時に当たるような気がしてたらなんと十万円あたったとか、そういうことを感じる時、頭からでた『触角』が光る気がするのだ。
誰かに見られたらどうしようと不安になり、ついきょろきょろしてしまうが、誰も気づいてはいない。
自分で引っ込めようとしても、どうやったら引っ込められるのかがわからないのに、いつの間にか忘れた頃に消えてなくなっている。
自分の意志で、その触角をコントロールできないというのは辛いものだ。
英介は触角の制御方法を知りたくなった。
静に聞いても「なんとなくなんだよ。私もひっこめにくい時がある。でも気持ちを落ち着けようとするといつの間にか消える」としか言ってくれない。
英介は現在の平和な学校生活で、これらの能力のことでまた以前のように急に仲間から疎外されたり、大切な友人から距離を置かれたり、そんなことになるのが怖かった。
だから『光る触角』をなんとか隠し、それをコントロールして、今まで通りの生活をするためのアドバイスを佐倉から直接もらいたかったのだ。
ぴょこん、と飛び出した英介の『触角』を見ることが出来る者はこの小学校にはいなかったのだが、一度、孤立を経験した英介にとって、人とは違う能力というものは、確かに素晴らしいものかもしれないが、同時に必ずなにかしらの苦しみをもたらす危険なもののように思えた。
佐倉と空飛ぶカァちゃんの古本屋巡りへの参加を了承した日、英介はまた訳の分からない映像を見た。
卒業式で、空飛ぶカァちゃんが空を飛んでいた。
みんな笑っていて、竜介を紐でぐるぐる巻きにして背中に乗せて飛んでいた。
その映像を見た時、英介の触角はぴん、と誇らしげに跳ね上がった。
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