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129.静流スパルタ開始

 クリスマスも正月も、受験生たちにはちょっとした息抜きにしかならなかった。

 特に静の学校は二月一日の一回のみで決まるため、決して気を抜けない状態だった。

 栄太郎は運がいいのか悪いのか、正月にインフルエンザに罹り二日ほどぼんやりと過ごしてしまったため、回復後は塾と朝晩の学習にそれこそ目の色を変えた。

 権藤は声をかけてもろくに返事もしないほど集中して勉強を続ける息子に感心しながらも、体のことが心配だった。

 自分は中学受験の経験者ではないため、具体的なアドバイスはできなかったが、眠る時間の確保と食事や体調管理に注力した。 

 料理が苦手な権藤は、頑張って作ってもとんでもない見た目と味になってしまうので、早いうちに食事の手作り礼賛をやめた。

 党内の同世代の議員で、昨年息子の受験を成功させたという女性議員によると、苦しい受験期こそ『親の手作りごはん』が大切であると聞かされていたので、退院後はせめて食事を作ってやろうと頑張ってみたのだが、多忙の中、数種類のおかずの作り置き作業は権藤には難しいだけでなく、どうやら全くセンスもないらしく、栄太郎が引き攣った笑顔で「ありがとうお父さん」と言いながら完食する姿を見て、早々に手作りを諦め、栄養バランスのとれた宅配に切り替えた。

 栄太郎は控えめにこの宅配を喜び「これも普通に美味しいから大丈夫だよ」と言いつつ、なんとなく嬉しそうに見えたので、権藤は色々種類を変えつつ試しながら、冬のひと月を乗り切った。


 さて、二月。

 静も佐倉の友人たちも予想していた通りに、栄太郎は受験日翌日の合格発表で見事にサクラを咲かせた。


 空飛ぶカァちゃんがその連絡を受けたのは午後一時半過ぎ。

 静がメールを送って来た。

 その後すぐ、佐倉からも、佐倉の母からもメールが届き、その返信であたふたしていると、コンコンコンとノック音が響いた。

 返事と同時に開いた扉から顔を出したのは、秘書官補の小野(おの)だった。


 「遠山さん!受かりました。娘さんの後輩になれました」


 「おめでとうございます!これでお嬢さんもほっと一息つけますね。もちろん小野さんも。本当によかったです」

 空飛ぶカァちゃんは思わず大きな声を出した。

 

 「本当ですよ、もう気が気じゃなかったです。今日はご馳走をと思うけど、はあ、いつ帰れるか。とんでもない修正が入って悲惨なんですよ。とにかくこれからよろしくお願いしますね。お嬢さんによろしく」

 こう言うと、小野はまた慌ただしく出て行った。


 空飛ぶカァちゃんはこの後すぐ権藤にお祝いのメールを送ったほか、彼方此方に返信をした後で、佐倉からこんな返信を受けた。

――『小野さんのお嬢さんにお祝いを伝えて下さい。あと、後日お祝いのネックレスをお嬢さんにプレゼントしますとね。姉のデザインですとお伝えください』


 忙しそうにしている小野に声をかけるのも申し訳なくて、帰り際にメモで渡そうと思っていたところ、またノック音がしたので返事をすると小野だった。

 「忘れてました!佐倉さんにお礼をお伝えください。例のGOGOウェアですよ、あれを着て娘は勉強してたんです。御礼を言うのを忘れちゃって!」


 「あっ!」と言って空飛ぶカァちゃんは立ち上がり、佐倉からのメールを見せた。

 小野は「ええっ、またそんな、申し訳ない」と言いながらも嬉しそうだった。

 すぐにまた部屋に戻って行ったが、いつになく嬉しそうな後ろ姿に、空飛ぶカァちゃんまで嬉しくなった。

 合格の知らせというものはそれが誰のものであっても顔がほころぶものである。


 そして翌日の昼。

 空飛ぶカァちゃんのもとに、静から超・長文メールが届いた。

 栄太郎には送信済で『小野さんという方の娘さん』に伝えてほしい内容とのことだった。


 入学前にやっておいたほうがいい内容ということで、あれこれ細かく予習分野について書き連ね、英単語と熟語については学校から渡される本の他に自分が入学してからずっとやっていたという単語暗記サイトについての説明と、自分がまとめた各教科の必須暗記ノートをスクショしたものを添付して、これを春休み中に必ずやっておくように伝えてほしいと書いてあった。


 これを見て『うわっ』と思った空飛ぶカァちゃんは、とてもじゃないが小野に伝えることなど出来ないと思った。

 今日の夜にでも静にメールして、もう少し厳選したものにしてくれと頼もうと思っていたのだが、珍しく時間通りに昼休憩を取れそうだと言ってお弁当を持って空飛ぶカァちゃんの部屋に入って来た小野が、真剣な表情でこんなことを言ってきた。


 「お嬢さんに、入学前の予習について聞いてほしいって娘から言われたんです。うちの娘、あまり友人もいなくて勉強だけが取り柄みたいな子なんですが、中学はみんなだいたい同じような学力の子達が揃ってるじゃないですか。だからせめて置いてけぼりにならないようにって、焦ってるみたいなんです。気が小さい子なんですよ」


 空飛ぶカァちゃんは、入学前から予習について考えるなんて立派だと思ったが、静からのあのメールを見せてもいいものかどうか悩んでしまった。

 あまりにも……の内容だったからである。

 ただ、親切な気持ちから送って来たものであるのは間違いないし、わざわざこんなにスクショして、丁寧な説明まで書いてくれたというのに伝えないのは、と思い、どうしたものかと黙り込んでしまった。

 小野は不安そうに「遠山さん?なにか、あったんですか?」と声をかけてきたので、空飛ぶカァちゃんは気まずそうにこう切り出した。


 「あの、私の考えでは、別にこれを全てやる必要はないと思うんですが、娘がさっきこれを送って来て、でも、」と言って静のメールを開いた。


 「娘さんが、どう、されました?」


 不安そうに訊ねる小野の様子をみて、空飛ぶカァちゃんは覚悟を決めた。


 「娘がこれを送って来たんです。もう一人、あの子の友達で合格した子にも同じものを送ったらしいのですが、私はちょっとあまりにも――なんというか、ここまでしなくても、という内容なのですが一応参考までにということで」


 空飛ぶカァちゃんはこう言って静のメールを小野に見せた。

 小野は超の付く長文メールをじっくりと読み始めたかと思うと、急に「ああっ!これはすごい、素晴らしい!」と言い出し、お弁当を脇によけてメールに夢中になった。

 「添付の写真を見ても?」と聞いたと同時に、静の『各教科の必須暗記ノート』のスクショを見て「ああ!すごい!実によくまとめられてる。これをわざわざ?娘さんは本当に親切で優しいお子さんですね。娘は幸せです」と言って褒めちぎった。


 そして「これを私に転送してください」と言ったので、空飛ぶカァちゃんがすぐに転送すると、やっと思い出したように弁当を物凄い速さで食べ始めた。

 あっという間に食べ終わると「これをちゃんとルーティン化したのはすごいことですよ、娘は素晴らしい先輩を持つことが出来ました。ここに書いてありますが、テストの二週間前の数日間なら、もう一人の気(・)弱(・)な(・)後(・)輩(・)と一緒に勉強を見てくれるとあるじゃないですか!うちの子も気が弱くて、それに暗くて――私とよく似たタイプなんですよ。気弱な子というこのお子さんと友達になれたらいいのですが、一緒に勉強しているうちに少しでも仲良くなれたら」


 空飛ぶカァちゃんは言っていいものかどうか迷ったが、これだけは伝えた。

 「実は男の子なんですよ。非常に礼儀正しい真面目そうなお子さんで、息子の友達なんですが、娘とも仲良くしてもらってて、とても素晴らしいお子さんですのできっと、」


 「ああ、男子なんですか!そうですか……息子さんのご友人だと。なるほど、でもまあ、そのテスト前の勉強会で気が合わない女子とやることになるよりマシかもしれませんよね。そうです、きっとそのほうが気が楽かも」

 小野は勝手に納得し、晴れ晴れとした様子で出て行った。

 空飛ぶカァちゃんは小野のスピード昼食を見てなんとなく疲れ果ててしまい、しばらく放心状態だった。


 ここ最近、母親から電話で、佐倉のことで妙なことばかり言われ、なんとなくストレスを抱えていたというのに、静のこの過度な親切がもし逆効果になったらと思うと不安になり、また余計な心配事が増えたようだった。

 母親が言うには、佐倉がどうも自分のことを好いているようで、佐倉の両親もそのことを歓迎しており、できればその気持ちに答えてほしいと願っているということを昨年の終わりの訪問時に打ち明けられたらしく、その後も親同士でそのことについて連絡を取り合っているということだった。

 

 このことは佐倉も当然知っていて、顔を合わせた時や電話で話した時には「父も母ももうすごくて。相当、櫻子さんを好きみたいで色々強引に言ってくるんです。俺が櫻子さんの話ばかりしていたから、余計なおせっかいをやいてるんですよ」などと言ってくるのだ。


 平然と『櫻子さんの話ばかりしている』と言い、さらには『そりゃあ好きになるし尊敬するに決まってるじゃないですか』と話してくるので、空飛ぶカァちゃんは困ってしまうのだった。


 顔を合わせている時には恥ずかしそうに、あるは不安そうに「迷惑だったりしませんか?」などと訊いてくるためこれにどう答えたらいいのか詰まってしまう。

 少しでも返答が遅れると、少し落ち込んだような顔つきをしてくるため、空飛ぶカァちゃんはすぐに必死になってこんなふうに答えてしまうのだった。


 「私だって同じですよ。当たり前じゃないですか、それは好きになってしまうし、尊敬もしていてありがたいという気持ちで一杯なんですから」


 空飛ぶカァちゃんがこう答えると、佐倉は心から安心したようにふうっと溜息をつき「両想いってことならよかったです」と言ってくるのだ。


 佐倉よりはいくらかはマシな男女の友人関係、交友関係を見聞き・体験してきた空飛ぶカァちゃんは、佐倉があまりにも鈍感すぎると、正直に言えば無神経すぎると思ったが、本人に全く悪気がないだけでなく、空飛ぶカァちゃんの自分に対する好意に安心して、ぐいぐいと距離を縮めて来るので困り果ててしまった。


 空飛ぶカァちゃん自身もこの気持ちが恋愛感情であるのか、それとも単なる親愛や尊敬の気持ちからくるものなのかを判断できずにいるのだから、適切な距離を測りずらいのだ。


 このことで同じようにイライラ、そしてもどかしくて仕方ない佐倉の母が、例の『古本屋巡り』について現在どうなっているか息子にはっきりと聞いたところ、佐倉は平然と「英介や栄太郎たち次第だよ。もう咲太郎と慶次は諦めた。あいつらは全く興味ないって言ってさ、勝手に行けとか言ってきて酷いったらないよ」と言っているのだ。


 佐倉の母は栄太郎に春休みの予定を聞くという名目で、さり気なく『古本屋巡り』のことを訊ねたところ、栄太郎が「もう佐倉さんが気の毒だから僕が行こうかと思ってます」と言ってくれたので、これにありがたく乗っかることにした。

 そして、出来れば静ちゃんも誘って、あの間抜けな二人を盛り上げてくれると面(・)白(・)い(・)ね、などと言った。

 本当はそうしてくれると『ありがたい』のであるが、当時者の娘である静の手前、面白いから参加してもらいたいということで、自分でもこの年甲斐もない振る舞いにうんざりしながら精一杯の見栄を張って栄太郎に頼み込んだ。


 馬鹿正直にそのまま伝えた栄太郎に同情した静はついに降参した。

 

 「わかったよもう。佐倉さんのお母さんったら、行ってなんとかしてほしいんだよねきっと。面白くもなんともないんだけど、はあっ――あの間抜けたちをシゴキあげればいいんでしょ?」


 静は「当日はあんたに協力してもらうからね」と言い、計画についてはおって連絡するとのことだった。


 そして、何度も何度もため息をついたかと思えば、急に低い声でこう言った。

 「栄太郎、あんた、私が送った単語暗記サイトはもうダウンロードしたでしょうね?教科ごとの必須暗記ノートはさっさとプリントしなさいよね。その馬鹿らしい古本屋の日にどっかのカフェで暗記具合をテストするから。ママの同僚の娘さんの一歩先をいけるように必死でやりなさいよ」


 「ええええ~!せっかく受験が終わったのに?少しくらい僕も、」 


 言いかけたところで遮られた。

 「あんた、私は今ね、学年二位なの。言い訳するつもりはないけど、二学期はママのお見舞いとかあったりして勉強時間が減っちゃってさ、だから今度の期末は絶対に一位に返り咲くつもり。この私が一年間やってきた内容を教えたんだから、結果を出してくれないとね。わかったの?」


 「ええええ~、待って、でも僕、」


 「今から佐倉さんに古本屋のこと連絡するから。あんた、直前になって来ないとか言ったら英介みたいに背中反らすからね。じゃあね」


 この後、気の毒な栄太郎の叫びを聞いた権藤が、間抜けな佐倉とスパルタ静の愚痴を聞かされた。



 お読みくださりありがとうございます。


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