128.とうちゃんと静の秘密の話
一階のリビングでは、親同士が勝手に、肝心の本人の了承もなく結婚話に合意し、これから住む場所について話し合われていた。
現在、空飛ぶカァちゃんが暮らす官舎では家族の入居には厳格な条件があるため、家族一緒に暮らすのが難しいのではないかということや、せっかく友人と一緒に地元の中学へ行こうと張り切っている英介の気持ちを考えると中学の間だけでも今住んでいる地域に居させてあげたいということなど、色々なケースを想定しての意見交換が行われた。
既に佐倉の父が取り寄せていた、複数の候補地のマンションや、現在佐倉が住むマンションでの一時入居、浅草周辺の物件や佐倉家の増築案など、様々なケースを想定していくつかの物件に絞り込まれた。
しかし、あまりにも急な展開に空飛ぶカァちゃんの父母は時折、息切れしそうになってしまう。
「佐倉さん、本当によろしいのでしょうか?やはり二人も子供がいる娘を――子供も一緒になどと、ご迷惑をおかけすることになるのではないかと」
空飛ぶカァちゃんの父親は、佐倉の両親がぜひこの縁をと一生懸命に説得してくるので、ついその気になってしまうのだが、話がより具体的になってくると急に不安な気持ちが押し寄せてきた。
この両親に限って、遠山の家のようなことにはならないとは思うが、バツイチの娘の立場を考えると、親として自制しなければと考えてしまうのだった。
するとすかさず佐倉の母がにこやかに口を出す。
「ご心配されるのはもっともです。私も辛い日々を過ごしたことがありますから――とても大切にしていたものを姑に捨てられてしまったりとか、当時は本当に辛くて、おかしなことを考えそうになったものです。櫻子さんも本当にお辛かったと思います、形見のネックレスとお祝いのショールのことも聞きましたが、他にもきっと酷い言葉の暴力もあったと思いますし、どれほど辛かったことでしょう。私共は絶対に櫻子さんを苦しめるようなことはいたしませんし、初めて会った時から私たちは櫻子さんを好きになりましたの。もちろん子供たちもですよ?ですからどうか、二人を応援していただきたいんです」
ここまで言われると、また少し前向きな気持ちにはなる。
そうして、戻ったり進んだりとあれこれ話し込んでいるうちに『とにかく気持ちを盛り立てるようにして、そっちの方向に持って行きましょう』ということになった。
されに、定期的に連絡を取り合い、なにか変化が見られたら情報共有をすることになった。
一階の四人は、それぞれに少しの不安と戸惑い、控えめな困惑、そんなものを抱えてしまったが、それでも親が子供を心配する気持ちを共有できたことがありがたかった。
空飛ぶカァちゃんの親として、長い間、娘に対する世間の風当たりの強さに胸がはりさけそうになり、かといって何もしてやれずにいた自分達を情けなく思い、ただ苦しくて、ひと時だって心が休まることのなかった日々に、今日一筋の光のようなものが差した気がした。
娘を望んでくれる言葉が嬉しくてありがたかった。
遠山公男の母親と父親から、娘を気遣う言葉を聞いたことは、たった一度すらもなかったのだ。
むしろ、飛行能力について「知っていたのか?どういうことか?」と文句を言われたことがあった。
それを今日、目の前の佐倉の両親はこんなふうに言ってくれた。
――『櫻子さんの飛行の力も素晴らしい魔法のような力だと思う』
――『初めて会った時から私たちは櫻子さんを好きになりました』
これを聞いて――もし櫻子が佐倉君を望んだら――と想像すると胸が温かくなった。
さて、情けない息子の初恋のために馬鹿な親を演じ切り、伏線張りとお膳立てに奔走した佐倉の母が、最後の仕上げとばかりにコーヒーを入れた時、ちょうど二階から四人が降りてきた。
英介は沢山のお菓子を抱え、佐倉からもお下がりの帽子やバッグをもらってご機嫌だった。
プレゼントのTシャツは綺麗に畳み、お正月に着るんだと言って佐倉にもらったバッグにしまった。
静のほうはまだペンダントを着けていて「このまま帰りたい」と言ったので、佐倉の父を喜ばせた。
英介が佐倉にピアノを弾いてほしいと頼んだので、英介が好きだと言った曲や親世代の懐かしの歌謡曲などを弾きだすと、相変わらず英介は指揮者の真似をして皆を笑わせた。
静がソファテーブルの下げ物を手伝うと、佐倉の父が嬉しそうに「しずちゃんありがとう。今日も烈は口うるさかっただろう?」と話しかけてきた。
いつものやり取りに静はぷっと吹き出した。
「英介が口を滑らせてチョコレートをあげたってバラしちゃったから、今日の夜はガミガミ言ってくるかも!ごめんなさい」
「ええっ、またここぞとばかりにガミガミ言ってくるな。もうギリギリ正常値に入ってるってのにさ!本当うるさいったら」
静は、前から少し訊いてみたいことがあった。
佐倉がピアノに集中しているので思い切って訊いてみた。
「佐倉さんのお父さん、佐倉さんって、お母さんにもとうちゃんにも性格似てないよね?ガミガミうるさいし細かいし、誰に似たんだろう?お祖父さんとかお祖母さんかな」
すると佐倉の父親が目を見張った。
「ははっ、確かにそうだね。かあさんにも私にも似てないな。でも、あいつにそっくりな人がいたよ。まさに烈そのもの、って感じの人がいた」
静はドキドキしてきた。
佐倉は今『羽』を飛ばしてきていない。
とても寛いでいて、安心してピアノに集中している様子だった。
もともと、佐倉は父親や母親には『羽』を近づけないようにしているようなのだ。
そして今もそうだった。
静は、思い切って訊ねた。
「佐倉さんそのものか!ものすごく口うるさそうだね。似てる人って、もしかしてお祖父さんとか?でも――口うるさくても優しいってわかるけどね」
佐倉の父はゆっくりと、口角を上げた。
「いいや違うよ。伯母だよ、私の伯母にそっくりなんだ。意地悪なところとか、口うるさいところなんて、もうあの人そのものなんだよ。私はね――烈には秘密だよ?――烈はあの人の生まれ変わりなんじゃないかって、ずっと思ってるんだ。こんなスピリチュアルなこと言ったりして、馬鹿らしいと思うかもしれないが、多分そうだと思ってる」
静の心臓はものすごい音を立てた。
なんとか声を出すのが精一杯だったが、それでも静は訊ねた。
「へええ!もしかして、虹色の音符の作者の人?確か佐倉さんがそう言ってた気がする」
「そうだよ。それを書いた人なんだ。私はその本を処分してしまって、ずっと後で後悔したんだが、もう後の祭りでね、見つけられずにいたんだよ。それを知った烈が一生懸命に探してくれてたんだ。何年も何年も、諦めずに古本屋をまわってさ――母さんも私も諦めていたのに、あの子は探し続けてくれたんだ。でも、なんとさ!君のお母さんが大切に持ってくれていたんだよ!信じられるかい?例のGOGOウェアを持って行った時に、君のお母さんが本を貸してくれたんだよ。これってもう運命じゃないか?」
静は胸が苦しくなった。
これはきっと佐倉が知りたかったことでもあり、聞くのが怖かったことでもあるのだろうと思った。
佐倉はきっと、母さんに対してもそうだろうが、特にとうちゃんの『心』を知るのが怖かったのだと思ったのだ。
一緒にいても絶対に『羽』をとうちゃんの頭の近くに近づけないし、どこかで緊張感があった。
とうちゃんには全くそれがないのに、佐倉にはなにか糸のようなものが張り詰めているように見えていた。
ここまで聞かせてくれたんだ、もう一つだけ訊きたい、静は思った。
「佐倉さんのお父さんは、その伯母さんが苦手だったの?佐倉さんみたいに口うるさいんじゃイヤになるよねきっと」
佐倉の父は動揺しているようには見えなかった。そして、はっきりと、完全に言い切った。
「苦手だったよ、目が合うだけで震えあがっていたよ。実は伯母のことを宇宙一の意地悪婆さんだと思ってた。だから私は近づかないようにしてたんだ。でもそのせいで、たった一人で死なせてしまったよ。それを後悔するまでにも時間がかかったんだ。そう聞くと私のことを、なんて酷い爺さんだと思うだろう?確かに酷い爺さんなんだよ。それで烈が生まれてさ、あの子がだんだん伯母に似てるって気が付いたんだ。きっとほら、オカルトじゃないけど、守護霊とかそんな感じで烈のことを見守ってるんじゃないかって思ったりしたよ。いい年して危ない人みたいなこと言っちゃったかな。でもそうなんだ、伯母とあの子はとても似ている」
「宇宙一の意地悪婆さんか、じゃああまり好きじゃなかったのか。でも、佐倉さんのことは大好きだよね?ケンカばかりしてるけど、私、それだけはわかるんだ」
「ははっ、伯母は私の天敵みたいだったけど、かあさんにとっては最高の味方だったんだ。それで烈はどうかって?あの生意気な意地悪息子はね――あいつには言うなよ?――私の宝物だよ。あんなに意地悪をされて、どんなに生意気でもさ、最高の宝物なんだ。君のお母さんが君たちを思うのとおんなじさ。多分だけど、伯母を大好きだった母さんと伯母を天敵みたいに思っていた私が育てたから、似てるんだか似てないんだかわからんが、妙な中途半端な伯母のそっくりさんになったんじゃないか?全く恐ろしいよ!」
「なるほど!中途半端なそっくりさんか!わかるようなわからないような」
「だいたいさ、烈の生意気な態度とあの意地の悪さに耐えらえるのは伯母のおかげだよ。悪魔のような伯母だったんだから、よく『悪魔祓いの歌』ってのを作って歌ってたんだ。かあさんには内緒だよ、伯母が大好きだったからね」
静は思わず吹きだした。
「そのメロディ聴きたいな!あとでピアノで弾いてくれる?」
「いいとも!いま弾こう」
そのまま佐倉の父は「交代だ」と言って佐倉に代わって弾きだした。
ついでにおかしなメロディを口ずさんだ。
――『悪魔祓いしたか、たか、たか?たかハーッ、悪魔祓いしたさー』
これを聞いて静はげらげらと笑った。
なかなかドラマチックなメロディーで、三回繰り返してから他の曲に自然に移行させていった。
静にウインクして笑っている佐倉の父を見て、誰もが首をかしげた。
気になって仕方なかったことを確認できて、その答えに安心できた静は『悪魔祓いの歌』が終わってもお腹を抱えて笑っていた。
佐倉を少しくらいは安心させてあげられる秘密をもらった静は、今日のこの訪問に大満足だった。
そのうち佐倉に、父ちゃんと話したこの秘密の一部分くらいは渡してあげたいと思っていた。
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