13.空飛ぶカァちゃんの翻訳小説と佐倉さんの秘密
最近は、静は英介ほどではないにしても、佐倉とメールしたり、時々夜に電話で話したりするぐらいには仲良くなった。
その晩佐倉は電話で英語の発音練習に付き合った後に『静ちゃんも英語がんばっているんだね、なんかそういうの懐かしくて。もうずうっと前のことなんだけど、とっても頑張ってた子がいたんだ。思い出しちゃったよ』
しみじみとこう言って、その後も静が恥ずかしくなるくらい褒めちぎった。
『静ちゃん昨日、遠山さん……お母さんと久しぶりにちょっと話したんだけど、お母さんが翻訳した本の話になってね、ほんと偶然なんだけど、その本持ってるんだよ驚きだろう?』
「ええええ!ママの本を?すごい!売れなかったのに」
『売れなかった?そう?でもすごく良い訳だった』
この夜の佐倉は饒舌で、静が口を挟めないくらにべらべらとよくしゃべった。
『物語に出てくるあの地域の当時の村の産業とかさ、ほら舞台が漁村だったじゃない?
缶詰工場とかそういうの出てきたろ?ほんの数行の部分に全部詰まっていたよ。しつこく表現されてなくてもわかる。
時代背景と作者自身のことを一生懸命に調べ上げて、ちゃんと向き合って出来上がったものはごちゃごちゃと文に入れ込まれていなくてもちゃんと伝わってくるんだ。すごいよ。
たとえば、暮らしてた家とか。そこの居間での過ごし方とか、植物は育てていたのかとかさ。
そこでの暮らしぶりって想像だけじゃどうしても表現に限界があるじゃないか。
きっとかなり細かく調べ上げた上で、作品に忠実に、丁寧に訳していて素晴らしいと思ったんだ。
あの本、共同翻訳になってるけど、多分だけど遠山さんが7割か8割がたやってるよね。
あの翻訳家、たしか遠山さんの大学の先生だろう?奴は前半少しだけじゃない?明らかに違う。
きっとまあ利用されたというか、使われたんだろうね、遠山さんのことだからさ。
まあ、ちゃんと名前を載せてあげただけでもありがたいと思え、ってな感じで言われたんだろうね。お母さんのことだから』
「えええ、そうのなの?ママには詳しく聞いてないんだけど。佐倉さんプロの評論家みたいに詳しそう。でもありがとう佐倉さん、それ、ちゃんとママにも言ってあげてよ。
でも確かにママもそういうこと言ってた。ただ訳せばいいってもんじゃないって。
ちゃんと作者がその時どんなところでそれを書いたのか、身のまわりに何が起こっていたのか、とか色々知ってからの方がいいんだって言ってた。
曲の時代背景を考察するのと同じようにするとかなんとか……なんかそうするほうがいいって言っていたすごい翻訳者の人がいたんだって」
佐倉が何も言わないので「あれ?佐倉さん?」と声をかけると、
佐倉は『ごめんごめん、電話を落としそうになった』と言ってから、ドキッとするほど優しい声で『そうか、遠山さんそんなこと言ってたの?』と静にたずねた。
「うん。たしかその翻訳する人が書いた本を持ってるよ。翻訳したんじゃなくてね、その人が書いたやつ。ママ集めてたもん」
この時、静には佐倉がひゅっと息をのむ音が聞こえた。
同時に、まるで映画の一場面で佐倉の姿が映しだされ、その喉元の映像がシュッと視界に焼き付けられたような、そんな感覚を覚えた。
静は瞬きをしてみたが、実際には多分、なにも見えていないようだった。
佐倉の話し方とか息遣いには、不思議な力が宿っているみたい……静はそんな風に思えた。
この夜の佐倉の声はには性別を感じさせない色気があった。何かにドキドキしているような、そんな様子だった。
佐倉は『静ちゃん、それ、タイトルはなに?』と優しく聞いた。
「虹色の音符っていうの。2冊持ってる。これね、その人が書いたたった一つのオリジナルの本なんだって。ちゃんと引っ越しで持ってきたから私の本棚にあるよ」静はそう答えた。
『2冊?どうして2冊持ってるんだろう?』佐倉がたずねると、
「ママってそういうとこあるんだよね。大切なものは2冊買うんだよ。
読む用と保存用。透明カバー付けて両方とも綺麗に保存してあるよ。古本屋で見つけたって言ってた。なんかパパが呆れてたけど、これがオタクの作法だ、とかなんとか言ってずっと探し続けてたんだ」
『そうか、それは嬉しい。ほんとに嬉しいよ』佐倉はまるで感極まったかのように声が震えていた。
「なんでそんなに?佐倉さんもあの本好きなの?」
『実はあの本を書いた人はね、私の母がとても大事に思ってくれている人だったんだ』
この言い回しがおかしくて、静は「ん?」と思ったが、きっと佐倉は相当疲れているのかと思ってちょっと心配になった。
絶対にあの迷惑な山本ミキのせいだと思った。
静はいつもの佐倉に戻ってほしくて、いつも以上に明るく答えた。
「マジで?ほんとそれすごい偶然!そうなの?」
『そうそうマジもマジ、でもその翻訳家の女性、なんかちょっとだけ変人だったらしいよ』
「へええ、その人の訳した本ならうちに結構あるはずだよ。今度みせてあげようか?」
静は佐倉をどうにか元気づけたくてこう言った。
『え?ほんとうに?たくさんあるって?』
佐倉は今度はすごく焦ったように聞いてきた。
「うん、ママが古本屋で集めまくってたから覚えてるんだ。タイトル覚えてるのは虹色の音符だけだけど、その人の訳はいつも最高なんだって言ってた。ママはオタク気質だからかなり集めたんだって。
化学とかの本とかもあるんだよ。全然関係ない医学の本とかも見つけたら高いのに即買いしてたんだよ。笑っちゃうよねえ」
静がこう言うと、佐倉は『そうか、そんなものまで集めてくれたなんて。そうなのか』と本当に嬉しそうだった。
『遠山さんが翻訳した本の“あとがき“のところでね、彼女の持ち分はせいぜい半ページか1ページ弱かそこらで、それほどなかったってのに、わざわざその翻訳家の名前をあげてくれて、学生の頃から好きで、ずっと参考にしていたって書いてくれてたんだけど、私はそれを見つけた時本当に嬉しかったんだ』
こう言った佐倉の声を、静は本当に美しいと思った。まるで静かな子守唄のように聴こえた。
佐倉がこう続ける。
『そんなこともあって遠山さんの本、実は5冊持ってた。一冊は母にあげてしまったから今は4冊だけどね』
「ええっ、佐倉さんもオタクタイプなの?ママと気が合いそう」
『ああとても合うね。話してると止まらなくなりそうでさ。あいつが、山本先生がいない時に話すと結構長くなっちゃってヤバいんだ。そりゃもうほんとに困っちゃうんだよ』
「いつもママのことありがとう佐倉さん、担当になってくれて本当によかった」
佐倉は少しづつ声が大きくなってきた。
『いやぁこっちこそだよ!本を大切にしてくれてありがとう。
そういや、その人には甥っ子がいるらしいんだけど、その翻訳家の本をもう容赦なく、しこたま処分したって話なんだ。それに比べて遠山さんは素晴らしいよ。あんな古いものを探してまで集めてくれたなんてさ!しかし、その甥っ子ときたら、もうとんでもない奴だよな』
静はすかさず「それマジでとんでもない奴じゃん!身内の本を捨てるなんて、とんでも最悪野郎じゃんか」と答えた。
佐倉はますます威勢がよくなり『そうさ!だからそういう奴は時々虐めてやらないといけないと思うよ』と意地悪そうにクックッと笑いだした。
『ええええー、佐倉さんにやられたら破壊遺産になっちゃうじゃんか!なんたってあの見出しだよ、山本ざまあみろ』
佐倉はもういつも通り。
さあ絶好調という感じで『トンデモ甥っ子野郎を、破壊遺産の威力で虐めてやるか!』
こう言った後、佐倉はふと思い出したようにこんなことを言った。
ーーー『そういえば英介じゃないけど、私は父をもういいかげん長い間、“とうちゃん“って呼んでやってたんだ。小学校の参観日ではわざと大声でさ、変なアクセントでとうちゃんとうちゃんて呼んでやった。
笑っちゃうんだ、父はそれを嫌がって、いつも私にパパって呼んでくれって泣きついてきてさ、でも絶対に呼んでやらなかったんだ。ははっ、誰がパパなんて言ってやるかよ!でも母のことはママって呼んでたよ』
後で思い出して、静はこれを脈絡的におかしいと思った。
ただ、“ママ呼び“に驚いて、その時はそんなことはどうでもよかった。
佐倉の衝撃の秘密を聞いて、静が大声で「ええええ!マザコンじゃん」と叫んだ時に、リビングのほうで英介が「いい加減電話を俺に代れよ!」とわめいているのが聞こえたが、佐倉が何か嬉しそうに、
『そうそう、ものすごいマザコンで有名だったんだ。全く気にもしなかったけどさ』と言ったので、英介の怒り声も、会話の脈略ももうどうでもよくなっていた。
「マジで?なんかやばいよ佐倉さん。英介に言ったら説教されるかもよ」
『英介から説教?そんな生意気許すもんか。破壊遺産になりたくなかったらいい子にしろって言っといて」
静がそれに爆笑すると、佐倉はそれはそれはもう本当に楽しそうだった。
『静ちゃん、次に会う時に虹色の音符、必ず持ってきてね』
切り際の最後の言葉が、静はとても心にしみた。
お読みいただきありがとうございます。
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明日は(うまくいったら)朝の7時ちょっと過ぎくらいに投稿できているはずです。できたかな?
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