124.あなたに渡したいものが沢山あります
12月半ば過ぎ。
かつて、空飛ぶカァちゃんが出席する度に吊し上げられていた『能力者報告会』のような一方的なものではないが、飛行能力を使って参加協力した調査や救助活動等の結果報告と、その後の状況についての最終聞き取りが行われた。
この聞き取りには『精神感応の能力者』の例の三人も、空飛ぶカァちゃんと一緒に参加させられた。
その後で、さらに彼ら三人には、弁護士や脳科学および脳神経医学の研究者同席のもとで行われていた四回目の検証委員会で厳しい追及が続く。
また、研究者らによる厳密な複数回の精神感応の再テストの結果、一般人とほとんど変わらないレベルの結果しか出せなかったため、近いうちになんらかの措置がとられるとのことだった。
水谷・釜谷事件の前までは、吉門や山本ミキらと共に空飛ぶカァちゃんを見下して、肩を揺らせて笑ったり、聞こえるか聞こえないかの声で「今日も団地点検の報告かな」などと囁き合って、小馬鹿にしていたのだが、現在の彼らは虚偽報告や事実の歪曲により意図的に冤罪を仕立て上げたとして、厳しい追及が続いている状態である。
しかし、三人が三人とも「あの時はそういう思考が読み取れたからそう言った」と言い続けており、たとえ真実が明らかになったとしても、単に間違えてしまっただけで計画的なものではないと必死に訴えているのだ。
彼らが水谷の意向に沿わせるため嘘を報告し続け、何の罪もない官僚が左遷の憂き目にあったり、正しいことを言う者が閑職にまわされ人生を狂わされてきたというのに、全く反省の様子もなく、彼らはまるで腐った政治家と同じように自分を守ることしか考えていなかった。
佐倉はこのクズのような三人については、いずれ、だみ声サイキッカーの力で逃げ場をなくし、追い詰めるつもりでいたのだが、最近の佐倉は自分の想いを優先しがちだった。
自分が把握できていなかった空飛ぶカァちゃんの置かれていた厳しい状況や、追い詰められていた彼女の、凍え縮こまっていた心をもっと温めて、ゆったりほっこりしてほしいとそればかり考えていた。
――(なんとなく自分は死んでしまうような気がしていたんですよ。
――(耐えられないから感情というものを封じ込めていたんだと思うんです。
――(静と英介がせめて、せめてもう少し大きくなるまではなんとか生きて……
――(それまで頑張って生きて、そして安心したら死にたいって思ってたんです。
空飛ぶカァちゃんがあの夜に言っていたこの言葉が完全に過去のものになるように、佐倉は彼女がとてつもなく幸せになるよう力になりたいとだけ思っていた。
自分はこの先きっと生きていけるかもしれないと思ったと、佐倉の言葉が次への一歩をくれたのだと、そう言ってくれた彼女を、もっともっと喜ばせたいと佐倉は心の底から願っていたので、自分が空飛ぶカァちゃんに負担を感じさせるほどにやりすぎていることにも気づいていなかった。
――(本当に佐倉さんの言葉が一歩をくれたんです。
こんなふうに言ってくれた空飛ぶカァちゃんの心が満たされるなら、どんなことでもしたいのだとそんなことばかり考えていたのだ。
退院してからは、佐倉は夜に空飛ぶカァちゃんと電話で話すことも多い。
特に懇親会の前日などには確認・注意事項もあり、よく連絡を取り合っていたのだが、佐倉は会話の中で、空飛ぶカァちゃんから公男の話を聞かされたことがあった。
真珠のネックレスやストールのことでは、公男は空飛ぶカァちゃんに後ろめたさはあれど、文句はひと言だって言えるはずもないのだが、自宅にまで追いかけてきたサイキッカーが今後これ以上、自分や母を脅かすことのないように、あの男を煽るような真似をするなと伝えるために、空飛ぶカァちゃんに連絡をよこしたそうだ。
いつ出現するかもわからないサイキッカーの行動を、空飛ぶカァちゃんがおさえることなどできるはずもないのだが、公男はこの先が不安でならなかった。
既に公男の会社では、空飛ぶカァちゃんと離婚したばかりの公男が、その会社を退職した女性社員と再婚する予定であり、しかもその女性が妊娠しているということが知れ渡っているらしく、そのことで厳しい目を向けられている状態らしいのだ。
自業自得であるにも関わらず、公男は「これ以上、人を追い詰めるような真似はやめてほしい」と言い、謝罪もないままに「自分を崇拝するサイキッカーを使って人の人生を狂わそうとしないでほしい。あの男は会社の人間にあることないこと吹き込んだかもしれないんだ。最近、なんか色々言われてるんだよ。だからそういうことはやめてほしい」と懇願してきた公男に対し、空飛ぶカァちゃんは、こうはっきりと言った。
「形見の品とストールを取り上げて、どんなに頼んでも返してくれなかったことについて、ひと言もないとは驚きました。私はあのだみ声のサイキッカーと直接会話したこともないし、あの人が誰かもわからない。だから私はあなたの人生を狂わそうとしたり、追い詰めることはできませんし、ましてや煽るようなことをするつもりはありません」
以前はビクビクして、遠慮がちにしかものが言えなかった元妻の厳しい言葉に、公男は傷つけられたようだった。
「そんな言い方はないだろう……」
冷たく突き放され、打ちひしがれた人間が出すような弱弱しいため息が聞こえた。
電話の向こうで「何を言われたの?公男?あの人、まだ文句があるの?」と公男の母が喚いているのが聞こえた。
空飛ぶカァちゃんはもうこれ以上彼らの声を聞きたくなかったので、英介に連絡する約束があるからと言って電話を切った。
するとすぐに、佐倉から電話がかかって来たのだが、佐倉は空飛ぶカァちゃんの様子がおかしいことにすぐに気付いたようだった。
――『何かあったんですか?元気のない声ですね、どうかしたんですか?』
佐倉はこんなふうに、すぐに訊ねてくる。
出会ってから、いつだって佐倉は自分を気遣ってくれていた。
あの恥ずかしい、トレーニングルームの時もそうだ。
目に涙を浮かべながら、言い聞かせるように何度も『明日は熱を出したことにして絶対に休むように』と、そう言ってくれた佐倉は、その時からもうヒーローだった。
子供たちにとっても、きっと佐倉はそうなのだろうと思っていた。
――『もしかして、遠山公男から連絡でもあったんですか?』
佐倉があまりに心配そうに、優しい声でこう言ってきた時、空飛ぶカァちゃんはつい愚痴をこぼしてしまった。
すると佐倉は一緒になって怒ってくれて、いつものようにソフトな言葉遣いをせずにこんなことを言うのだ。
――『俺がいたら手首をひねりつぶすのに』
――『秘密のデパート一の高額サービス・サイキッカーの会社訪問ツアーその2』
――『ババアの罪の町内放送ツアー炸裂だ!』
こんなことを言われると、空飛ぶカァちゃんは公男のことなどもうどうでもよくなってしまうのだ。
佐倉が自分を励まそうと、あれこれと大げさに話をしたり、今度静ちゃんと英介を連れて美味しいものを食べに行きましょうだとか、あの古書店で初版本が出たらプレゼントしますよ、と言ったりしてくるので、ついつい公男の悪口をこぼしてしまった。
空飛ぶカァちゃんは、公男は根は悪い人間ではないと思っていたし、もちろんいいところだってあることを知っていた。
しかし、公男の人間性や行動そのものを、おかしいなと思うことのほうが多かったのに、公男の言葉や振る舞いに理不尽さを感じたとしても、家族なのだからと、感情を殺して納得しようとしたり、諦めて嫌な部分を忘れようとしてばかりだった。
くだらないことかもしれないが、公男のプレゼントはほとんどが『一緒に使うもの』『一緒に楽しめること』ばかりだったことを思い出す。
公男は、誕生日にはあれが欲しいこれが欲しい、ここに行きたい、これを見たい、と指定してくるくせに、公男が選ぶ誕生日プレゼントは全てが公男自身が楽しむものばかりだった。
結婚してからではない、大学の時からそうだったのだ。
――「一緒に楽しみたいから新しいゲーム機をプレゼントに選んだよ!」
そのゲーム機はずっと公男が使っていた。
――「決勝戦のチケットをプレゼントするよ!大声出して発散してほしいからさ」
この日本シリーズの野球観戦チケットは、後になって父親が行けなくなったのでもらったということがわかった。
――「誕生日は腹筋鍛えるやつにしたよ、大奮発したよ。筋力つけたいだろ?」
腹の肉が気になると言って、ずっと前からカタログをチェックしていたことを空飛ぶカァちゃんは知っていた。だからきっと、誕生日はそれになると思っていたら、やっぱり大当たりだった。
佐倉が初版本を見つけたらプレゼントするなどと言いだしたので、空飛ぶカァちゃんはけらけらと笑いながら公男の話をしてしまった。
「こんなこと言うのって性格悪いですかね。でも一度くらい、私のために、私が使う物をプレゼントしてくれてもいいのにって思いましたよ。ゲーム機なんてなんと二年続いたこともあったんです。笑っちゃいますよね。私は大学時代に必死にバイトしてプレゼントしたこともあったのに」
佐倉は信じられない、と言って公男を罵ってくれた。
きっと誰が聞いても公男が最悪だと思っただろうが、佐倉が怒ってくれるとものすごく安心できたのだ。
「私って、なんかアレだなって――みじめだなとかって思うこともあって。ほんと情けないんですけど、彼は、私のためにそうしたいとは一切思わなかったってことじゃないですか。別に品物の価値のことを言っているわけじゃないんです。腹筋のやつなんてわりと高額でしたしね。でもゲーム機もそうですが、ほとんどあの人が欲しいものだったんだと思うと、なんとも惨めな気持ちになったりして――だから、真珠まで取られた時はもう死にたくなったんです。自分が情けなくて、母にも申し訳なくって!」
こんなふうに、このことを誰かに話したことは一度もなかった。
静だけは、父親のプレゼントを見て「ママのためのものじゃないじゃん!最低!」なんて言って怒ってくれたが、その後で公男がヒステリックになるのがわかっていたので、空飛ぶカァちゃんは喜んだフリを続けてきたのだ。
何をもらっても楽し気に、嬉しそうにしなければならない自分が情けなくて惨めで、消えてなくなりたかった。
この話を聞いて、佐倉が自分に渡してくれる言葉は、全て元気をくれるものだった。
公男を徹底的にこきおろし、馬鹿にして、それでふざけた言い方で笑わせてくれた。
そして最後にこんな言葉をくれたのだ。
――『俺は櫻子さんに渡したいと思うものがありますよ』
――『ぴん、とひらめいた素敵なものがあるんです』
――『自分でも、すごく冴えてるって思いました』
――『でも、だからと言って、今はそれが何かを教えてあげませんけどね』
――『色々あるけど、まずはこれをってものがあるんだけど、秘密です』
その佐倉の言葉がどんなに、長い間柔らかさを失って凍えていた自分の心を温めてくれたか、きっと誰にもわからないだろうと思った。
空飛ぶカァちゃんは佐倉を本当に救世主だと思っていた。
その優しさの表し方も、決断する方向も、判断の鋭さも、全てを心から尊敬していた。
佐倉も、同じように空飛ぶカァちゃんが自分を救ってくれて、希望をくれた大切な人だと思っていたし、どんなに過酷な状況に置かれても優しさと正しさを持ち続け、あんなに素晴らしい子供たちを育て守って来た空飛ぶカァちゃんを、どこからどこまでも崇拝していたのだ。
佐倉の母の判断は正しかったのだ。
この間抜けな二人は、このままではどうにもならなかった。
空飛ぶカァちゃんの両親が静と英介と一緒に佐倉家を訪れる日に。
佐倉の母は、栄太郎が心配していたやり方で――まさに外堀を埋めるつもりだった。
そして、もうじきその日がやってくる。
お読みくださりありがとうございます。




