122.証拠なくとも疑惑有り
懇親会場に現れた、いまだに顔も名前もわからない謎の能力者―――
この男が持つ精度の高い精神感応の能力については、既に多くの人間が認めている。
しかし、たとえこの人物が深い洞察力を備えていて、目の前の事態を解決するための判断力や直観力にも優れた類まれな才能を持っていることがわかっていたとしても、この懇親会で、このサイキッカーが暴露した事実から容易に推測される黒幕・事件関係者と思われる人物が、厳しい事情聴取を受けたり、事件内容について関係各所やメディアからはっきりと疑いの目を向けられるような状況にはならなかった。
実行犯の外国人が個人的な恨みから、それも本人の勘違いから何の罪もない飯田を襲ったということになってしまった。
もちろん今後さらに厳しい追及がなされれば、実行犯の男も自分の身を守ろうと必死に関係者についてしゃべろうとはするだろうが、その証言も自白も、指示をした者がいまだ握っている権力がそれらを握りつぶすことは容易であった。
今回、哀れな実行犯はあの夜、気の進まない犯罪に関わらされたあげく、全ての責任を一人で負わされることになるだろう。
あの会場には、サイキッカーが初めて出没した記者会見の時の記者のように、必死になってメモを取り、ひと言も聞き逃すまいとして必死に耳を傾け、真実を探ろうとするプロの目を持つ者はほとんどいなかった。
もちろん同行者として参加した秘書や、今後の支援を検討していた経営者や団体の中には、途中から素早くペンを動かしていた者もいたが、真実かどうかを正確に判断できない段階では軽々しく世間にぶちまけられるはずもない。
政治家が関わるスキャンダルになりえることを軽く扱うことはなかなかできないものだ。
さて、佐倉というサイキッカーの方はと言うと――今回このサイキッカーが非難の矛先を向けた人物が、なんとも疑わしい人物であり、どうやら卑劣な行為を行っているようだ、と来場者に感じてもらえれば佐倉としてはそれでよかった。
もし、襲撃した外国人になんらかの指示をしていた人物がいたとして、サイキッカーが名指しした人物がそれに関わっているという確実な証拠を提示できていなかったとしても、人間の頭は不確かではあっても――『あの人達は危険だ、関わるにはリスクが伴いそうだ』――そう感じさせられる情報が残り続けるものである。
証拠がなければ、逆にますますそうなっていく。
その疑わしい人物の顔を見ると『本当のところはどうなんだろう?』『安易に関わってはいけない』と思えてきて、彼らがこれまで何を行ってきたのか、今後何をしようとしているのかという、不信の感情が強いストレスとなり、非常に注意深くなっていく。
何かを検討する際、その不信の感情がちらつくたびにそのことを思いだしてしまい、より深く考えるようになるため、彼らに対するマイナスの記憶がたまり続ける。
元・官房長官は思っていた。
――飯田の娘を襲わせるのはやめさせよう。
リスクが大きすぎる。
しかし、何かを決意するたびにこうも思う。
――いや、忘れよう。
というか、自分には何も忘れるようなものはない。
私は、本当に何も知らないのだ。
サイキッカーはこの思考を捉えたのでひとまずほっとできた。
この男は卑劣ではあるが、間抜けではない。
だから飯田さんも娘さんも、今後しばらくの間は大丈夫だ。
ただし、慎重な元・官房長官に対しては『無言の羽』が有効であると再確認できた。
そして北岡は、飯田に対する言い訳に必死だ。
しかし、いくら言葉を尽くそうとしても、飯田からは直接の言葉をもらえなかった。
多忙を言い訳に、飯田の代理の者を通じての伝言で、冷たくこう返された。
―――「よくわかりました」とだけ。
しかし、その伝言を伝えた者は、北岡に直接こう訊ねた。
「トイレに立った後、なぜご自分が案内した衝立のところに戻らず、会場に行かれたのですか?」
北岡はこれにまともに答えることが出来なかった。
「無礼なことを聞くな!」と言って怒鳴り散らし、北岡は自分の秘書までをも呆れさせた。
そしてあの日、飯田に何の相談をしたかったのか、なぜゆったりとしたソファスペースががら空きの状態だったのに、わざわざスツールが二つ置いてあるだけの衝立の裏に誘ったのかを訊ねられると「本当に無礼だ。このことは抗議させていただく」と言い、背中を押すようにして飯田の代理の者を追い出した。
そして、吉門。
能力者の報告会で空飛ぶカァちゃんを吊し上げて楽しんでいたことを暴露されてしまったが、だからと言ってそれを理由に吉門を辞職させることも出来なければ、罪に問うこともできないのだ。
「私は厳しいことを彼女に言ってしまったかもしれないが、彼女を思うがための助言でした」と平然と言ってのける図々しさを持つ女なのだ。
それに、懇親会場で、党の有力者から飯田を連れてこいと指示されれば、吉門はそれに従うしかない。
吉門の行動が今回の襲撃事件に間接的に関わっていたとしても、それを証明することもできなければ、罪に問うこともできないのが現状だ。
どこの誰かもわからないサイキッカーがそう言っていた、と言う理由で吉門を追い詰めることはできないのだ。
だが、あの会場でサイキッカーが伝えてきた言葉を、来場者はこれから先、何度も思い返してはあれこれ自分なりの仮設を立てて行くことだろう。
―――殺さない程度に痛めつけてまず飯田さんを脅し、娘さんまでやられたら、
さすがに飯田さんも今までにみたいに彼らを無視できなくなるだろうから
それを狙っての犯行だったんじゃないか?
危害を加えるということだけでなく、精神的に追い詰めるために、
マスコミを使って嘘を垂れ流したりするかもしれないな。
こんなふうに勝手に謎解きをしてくれるように、今、来場者の頭の中が仕上がっているはずなのだ。
北岡や吉門、そして安全地帯にいると思っている元・官房長官にとって最悪なストーリーが脳内で描かれていくように、ちょっとした刺激を与えてやればいい。
彼ら三人が弱者を――今回は外国人だったが――そそのかし、ただ利用し、邪魔な奴を追い詰めようとした卑劣な犯罪行為は、きっと今までも繰り返されてきたのだと知らせてやればいいじゃないか。
そして、その三人の他にもそれに加担していた人間がいるはずなのだと、それを何度も何度も思い出させて、疑惑と不信の記憶を強化してやればいい。
佐倉はそう思っていた。
さて、この懇親会の翌日は、空飛ぶカァちゃんには休日が与えられた。
まだ怪我が完治していない身体の安静と精神の平静のためという名目だったが、空飛ぶカァちゃんを担当する佐倉が付き添うということであれば、子供たちや両親に会いに行ってもいいとのことだった。
佐倉はさっそく空飛ぶカァちゃんを浅草の実家に連れて行った。
久々に会えた母親と話しながら、空飛ぶカァちゃんは父と子供たちの帰りを待っていた。
空飛ぶカァちゃんの母親は、外で待っているという佐倉を自宅に引きとめ、昼食だお茶だともてなした。
佐倉が友人たちと共に、形見の真珠のネックレスや大切な記念の贈り物であるストールを取り戻してくれたことの御礼だったり、子供たちを守るために佐倉の実家で預かってくれたことをどんなに感謝しているかということを話し続け、改めて、佐倉の両親に迷惑をかけたお詫びと御礼を申し述べたいので一度伺いたいと伝えてきた。
出来るだけ早く両親の都合を伺ってほしいということだったので、佐倉はその場で電話をかけた。
佐倉の母は事情を聞くと、弾むような声でこう言った。
―――「ぜひ!ぜひ近いうちにこちらにお越しいただきたいと思っていたの。あなたがお世話になっているのだし、静ちゃんや英介君と楽しく過ごした時のお話もしたいのよ。できればなるべく早くが嬉しいわ」
こんなに嬉しそうな母の声を聞くのは久しぶりだった。
きっと、英介や静と会えるので嬉しいのだろうと、佐倉はそう思った。
空飛ぶカァちゃんの母親と訪問の日程について確認し、日時を告げると、佐倉の母の「よかった!」と
いう浮かれた声が聞こえた。
「本当にお話ししたいことやありすぎて困っちゃうわね。ものすごく楽しみにしていると伝えて」
急に若返ったような母の声をどうも妙だと感じたが、それでも喜んでいる母の声を聞くのが幸せな佐倉だった。
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