120.絶望的な運動神経でもやればできる(3)
ついに、空飛ぶカァちゃんが再登場を期待していたサイキッカーの時間だ。
まずは空飛ぶカァちゃんにだけ声を響かせる。
入院中もずっと聞いていた優しい声色で。
---(櫻子さん、気が付きました?
北岡は、支援団体の代表とお話をされている飯田さんを
非常識にも、ちょっとすみませんとか言って廊下に連れ出しましたよ。
この男、個人的な話があると言って連れ出したくせに、
宴会場の前室のソファスペースじゃなくて、
わざわざ衝立が置かれた隅っこのスツールのところに案内しましたよ。
失礼な男です。
――(はい、おかしいですよね。
外国人のような男はどこにいるんでしょう?
佐倉さんわかりますか?
---(待って、トイレに妙な男がいます。
なんか独り言をブツブツ言ってますよ。
多分、こいつでしょうね。
櫻子さん、俺は今から会場の連中にぎゃあぎゃあ喚き散らして、
あなたがテーブルクロスを取りやすくします。
それで状況を見て、すぐに飛んでください。
テーブルクロスの予備が置かれた棚の側に移動しましょう。
空飛ぶカァちゃんがこれに頷く。
そして、テーブルクロスが置かれた棚の近くのテーブルにグラスを置くと、サイキッカー佐倉がまた空飛ぶカァちゃんにだけ声を入れてきた。
---(おっと……北岡がちょっとトイレに行くとか言って席を立った。
ああ、飯田さんをあそこに置き去りにするつもりらしい。
トイレにいる実行犯に何か合図を送るんでしょうね。
顔バレしないように合図するんだと思います。まずいですね。
櫻子さん、俺は早口で喚きますから。
テーブルクロスの話がでたらすぐによろしく!
俺もすぐ行きますから。
佐倉はいつも誰に対しても『私』と言っているのに、今日、空飛ぶカァちゃんにだけは自分を『俺』と言って話しかけていた。
空飛ぶカァちゃんはこれに気付いていたが、特にそれを指摘しなかった。
ただ、佐倉がいつもより力強く思えたし、不思議なことにより好ましく思えていた。
多分、ビクついている臆病者の自分を安心させようとして、敢えて男らしい口調で話してくれているのだろうと……そんな風に思おうとしたのだが、自分でも認めたくなかったが、なぜかとても嬉しかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
今回、サイキッカーは話しかけない相手を丁寧に選別できなかった。
もちろん官房長官、北岡、吉門ら、水谷の残党や、偽装野党の連中は避けた。
しかし、その他の議員と駐日大使、大学や教育委員会の関係者および民間団体の出席者については、危険人物か否かを佐倉には選別できず、実際それをする時間もないため、今回は一斉に話しかけた。
あの日の、官房長官の定例会見の時と同じように官房長官の仲間には一切声を届けない。
まずは第一声を入れた――「よーう!こんばんは」
今までのように丁寧に響かせたわけではない。
音質の悪いスピーカーから出たような声で、サイキッカーの第一声が入った。
少し聞こえずらいが、それでも聞き取れないというものでもない。
ただし、サイキッカーの羽で音を遮断されている連中には、彼の発する声は届かない。
――(会場の皆様!麹町のじいさん推しのサイキッカーが来たぜ。
ヤバイことが起きそうだ。いいか、麹町の爺さんの秘書が危ない!
今さっき、なんでかわからないが廊下に連れ出されたと思ったらよ、
北岡とかいう議員が、あのおっさんを無理やり連れ出したぜ。
で、変な外国人の男が、あのデキるおっさんを狙ってる。
いいか、空飛ぶ人はすぐ飛んで助けてやってくれ!
このままだと間に合わない、多分、かなりまずい。
いいか、すぐ飛んで助けてやってくれ!
会場のほとんどの参加者から声が漏れた。
「ええっ?」「何これ、例の奴か?」「デキる奴って、飯田さんのことか?」
「どこに連れ出したの?」「そういえばいない」「北岡さんが?なぜ?」
「空飛ぶ人って、あの人、怪我しているじゃないの」「助けるとか無理でしょ」
そして、サイキッカーは焦ったようにこう言った。
――(空飛ぶ人じゃなきゃ間に合わない!
いいか、なんか武器を持ってるようだ、俺は間に合わない。
この宴会場の前室で、衝立があるところに飛んでくれ!
あんたも武器を持って……いや、武器ってわけにいかねえか。
そうだ!アレを持ってけ!テーブルクロスだ。
それを広げて、上から奴をくるんでしまえ!
行け!
空飛ぶカァちゃんはすぐにテーブルクロスを手に取った。
そして飛ぶ――
サイキッカーは更に喚いた
――(そこの、おい、泣き虫兄ちゃん!お前は空飛ぶ人を追え!
そんで、あのおっさんを助けろ。
早く行け!
空飛ぶ人じゃ足止めにしかなんねえよ。
あの人、怪我してんだから。
頼む、行ってくれ!
そして、佐倉が走り出す。
会場は騒然となった。
しかし、水谷の残党らは何が起こっているのかわからない。
ただ、彼らの慌てる様子をみて不安を感じるだけだ。
すぐそばにいるNPO法人の代表が「誰か助けにいかないと!」と言っているのを聞いて、官房長官がびくりとしがた、それでもすぐに平静を装った。
ここで何かが起こることを知っている人間になってはいけないのだから。
麹町は英介からのメールを思い出し、飯田が本当に会場のどこにもいないことに気が付くとぶるぶる震えだした。
亡くなった盟友の一人息子、大切な飯田が危ないのだ。
自ら出口に向かおうとした麹町を、まわりの議員が止めに入った。
麹町が叫ぶ。
「こいつが言ったことは外れたことがない!誰か、警備員はどうした?」
既に誰かがホテルの従業員に声をかけていた。
さて、空に浮いた空飛ぶカァちゃんがトイレから出てきた小走りの男を見つけた。
男はソファスペースを横切らず、大回りで衝立に向かった。
清掃スタッフの上下作業着を着て、胸元のボタンが開いている。
男は右手を、上着の内側に差し入れた。
衝立の後ろの、飯田が座るスツール。
男は指示された通りにそのスツールを目指す。
衝立まであと、十数メートルくらいか?
男は急に走り出した。
スピードが上がる。
手には英介が言った通り、金槌を持っている。
ソファスペースにいる人間はそれに気づかない。
空飛ぶカァちゃんが後ろから男を追う。
ソファで休んでいる人間は、空飛ぶカァちゃんには気が付いた。
それはそうだろう、人間が空を飛んでいるのだ。
空飛ぶカァちゃんの速度が上がる。
風を切る、風を起こすほど速い。
空飛ぶカァちゃんの姿に気付いた飯田が衝立を押してソファスペースに逃げようとした。
金槌の男がそれを追う。
―――シャーッ、シュッ
空飛ぶカァちゃんが男の頭上を越えた。
男が金槌を振り上げようと振りかぶった。
飯田は倒れた衝立の向こうだ。
しかし追いつかれそうだ。
攻撃対象・飯田を追う男を捉えた空飛ぶカァちゃんが急停止。
―――バサッ、ドッ
手の長い空飛ぶカァちゃんは短い辺を持ち、クロスを男の目の前に広げた。
長いクロスが床まで届く。
スピードを出していた男はクロスを踏みつける。
空飛ぶカァちゃんがクロスを持つ腕をピンと引き上げる。
男が転ぶ。
目の前が真っ白いものに覆われた。
何が何だか分からなくなった男がもがく。
空飛ぶカァちゃんは倒れた男の体にクロスを折りかぶせ、
巻き付けようとするが慌ててしまい上手くいかない。
しまいには空飛ぶカァちゃんは、倒れた男の片足を持ち上げた。
筋力のない空飛ぶカァちゃんにはこれが精一杯。
男が暴れてもがく。
空飛ぶカァちゃんは必死だ。
戻って来た飯田が、男の体にクロスを巻き付けようとしたところで
物凄いスピードで佐倉が走り込んだ。
男の体にのしかかる。
必死に逃げようとする男が、床に落としかけた金槌を右手で掴む。
「佐倉さん危ない!」
空飛ぶカァちゃんが叫ぶ。
佐倉は金槌を掴んだ男の手を捻り上げた。
そして後ろ手に抑えて動きを封じたところで、飯田が男の脚の上に座り込み体重をかけた。
そして、やっと走り込んできた警備員とホテルの従業員が男を縛り上げたところで、空飛ぶカァちゃんと佐倉のボディーガードミッションは終了した。
連れて行かれる男を見送っていたところ、警備員とホテルのフロア責任者から、お詫びと確保に協力してくれたことに対する御礼の言葉を受けたが、当然このあとは状況説明を、という話になった。
飯田を含めた三人は別室に案内されることになったが、佐倉にはどうしても懇親会場で来場者に向かって伝えておかねばならないひと言があった。
佐倉は、この日、来場者を守ることが出来なかったホテル従業員と警備員に向かって言った。
その声はよく通り、綺麗に響く声だったが、氷のように冷たく尖っていた。
空飛ぶカァちゃんも、飯田も、ひと言も口にできない程にぞっとさせられた。
「申し訳ございませんが、我々はこの会の参加者なんです。あの男を制圧したのが我々だからといって……今すぐに状況を説明しろと言われても困ります。まずは彼女の松葉杖と荷物を取ってこないといけませんし、お騒がせした訳ですから会場の皆様に私たちから説明しないといけません。別に、終わりまで会場で飲み食いしたいと言っているわけではないんですよ。少しばかり我々に時間をくださってもよろしいのでは?我々は警備担当者ではないのですから、少しばかりご配慮いただけませんか?必ず、ご説明に伺いますので、どちらのお部屋に伺えばいいのか教えていただけませんか?」
警備の都合上、すぐに一緒に来てもらいたいところだったはずだが、佐倉の静かな抗議の言葉にフロア責任者は何も言い返せなかった。
かなりの間があったが、フロア責任者は震える声でこう言うしかなかった。
「かしこまりました。大変ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。できれば会場のお客様にご説明いただいた後、お早めにお越しいただければ助かります――本当に申し訳ございませんが」
佐倉は、この言葉ににっこりと微笑み「ご配慮くださりありがとうございます」と言ったが、警備員とフロア責任者は背筋が寒くなった。
もし、この状況を遠くから見ている者がいるとするなら、微笑んでいる佐倉を優しそうな人だと言うだろう。
ただ、目の前でそれをされた彼らは、もう状況説明をしなくていいのでとっとと帰ってくれとすら思っていたのだ。
会場に戻った佐倉と空飛ぶカァちゃん、そして飯田は、まず麹町に報告し、来場者には誰一人怪我をすることなく無事に不審者を確保したことを説明した。
そして、挨拶の後すぐ、サイキッカーの声が響いた。
---(今度ばかりは、まずいんじゃねえの?
さっき俺の声が聞こえなかったあんたらのことだよ。
今からここで暴露してやるよ。
お読みくださりありがとうございます。




