116.忘れられない言葉たち
和やかな雰囲気で終わった懇親会の翌週。
飯田は空飛ぶカァちゃんと佐倉に、年内にあと一件だけ大使や海外要人の出席する会合への出席を指示していたのだが、今回の懇親会の結果を受け、予定していた会合の他にもいくつかの交流会に参加するようにとの指示、というより命令が下された。
もともと飯田は、人前に立つことに慣れていない空飛ぶカァちゃんが気後れしたり精神的に追い詰められることがないように無理をさせるつもりはなかったのだが、党内から空飛ぶカァちゃんの参加を希望する多数の声が上がりスケジュール調整を迫られた。
今までさんざん空飛ぶカァちゃんを追い詰め、劣悪な環境に置いたままで放置していたというのに手のひらを返してきたその図々しい議員からの要望については麹町がきっぱりとはねのけたのだが、超党派の議連と業界団体が合同で主催するものの中で、外資系企業の役員と駐日大使からの強い希望があった懇親会については結局は参加させざるを得なくなった。
少しの時間でもいいからということで多数の要望が出されたが、その中から厳選し、規模は大きくともあまりかしこまらないものを選んだのでなんとか出席するようにと言われれば、これはもう命令と同じだ。
結局、空飛ぶカァちゃんは飯田と佐倉がついていてくれるならと承諾したが、かなり気が重い様子だった。
参加することになった懇親会には、三人の能力者と横一列に並ばされて行う定例報告の際に、散々空飛ぶカァちゃんを無能扱いし、何も知らないくせに『人助けと責任感』について説教を垂れることが大好きだった中堅議員と、ふざけて飛ぶゼスチャーをしてみせて空飛ぶカァちゃんを揶揄し『母親なら子供が誇れる振る舞いをしないとね』と軽蔑を滲ませた目つきで非難を繰り返してきた女性議員の支持団体が合同開催する会だった。
大使らと外資のCEOのご指名であれば断ることはできないが、空飛ぶカァちゃんはこの議員らと顔を合わすことが辛かった。
佐倉も飯田も、実際のその現場を見たことはなかった。
佐倉はその報告会に『羽』を飛ばせたこともあったので、なんとなく状況は想像できてはいた。
しかし、実際の状況を目で見るのと耳で聞くだけとでは違うのだ。
毎月のその報告会はまさに『罪人の糾弾』の場、そのものであった。
あまりにも事実と違うことを非難されるので、空飛ぶカァちゃんも最初の頃は何度も否定し、言い返そうとしたのだが、厳しい目つきで睨みつけられるとどうしても震えてどもってしまい、その度に水谷総理に強く言葉を挟まれた。
―――「聞こえませんが?何が言いたいのかもっとはっきりと話してください」
このように、きつく注意を受けた。
そうなると針の筵に立たされた空飛ぶカァちゃんは、もうひと言も言葉が出なくなってしまうのだった。
その後はいつも同じだった。
時間がないから早く言えだとか、話すつもりがないなら最初から黙っていろだとか、泣く真似はやめろとか、そんな言葉が耳に刺さった。
本当に辛く苦しい時間だったのだ。
議員会館の事務所で、空飛ぶカァちゃんは参加を承諾したものの、とうとう佐倉と飯田の前で震えだし泣いてしまった。
その時はちょうど、初日に舌打ちをして空飛ぶカァちゃんを威嚇した秘書官補の女性が部屋で待機中だった。
この後、議員会館の自室で麹町と党幹部の面会予定があり、その際に必要な省庁の関連資料を持って、総理への説明も必要な内容もあるため待機しているところだった。
この女性とは空飛ぶカァちゃんの背中に乗って飛んでから、良好な関係が続いていた。
彼女は高い能力はあるが、性格がきつく口下手で、同僚からも上司からも煙たがられることが多い女性だった。
有能であるがために、若い頃より、要領だけはいいずる賢い人間から厄介ごとを押し付けられてばかりだったために、とにかく面倒ごとの匂いに敏感であった。
あの朝、これから空飛ぶカァちゃんが隣室に控えることになり、また何かやっかいごとを押し付けられる気がして、ついあのような態度をとってしまったことを心から後悔していたし、話してみたところ意外なことに空飛ぶカァちゃんが気さくで親切な女性であり、しかも趣味も似ていて、さらにこの女性の娘の第一志望先が静の中学だったということで話が盛り上がった。
つまり、もし栄太郎が合格すれば、娘と同級生になり、静の後輩となるわけである。
こんな事情もあって、最近は非常に良好な間柄となっていたのだ。
空飛ぶカァちゃんは「わかりました、当日参加いたします」と言った後、目からポロリと涙が落ちた。
これを見た佐倉がぎょっとしておろおろし出すと、すぐに面倒見が良いお母さん役の小川が肩を抱きながらソファに座らせた。
事情を詳しく聞いたところ、最初は内容が内容だけに言いたいことが言えない様子だったのだが、この部屋で待機中の秘書官補の女性、小野が「前に……先生方に言われたんでしょ?能力者の報告会で色々言われていたことは噂で聞いてたから知ってますよ。偉そうに、色々文句を言われてたんじゃないの?想像がつきますから、私だって、」と言い口ごもった。
飯田は彼女が言いたいことがわかるようだった。
小川にもなんとなくそれがわかったようで「まだ総理がいらっしゃるまで時間があるから話してごらんなさい」と促した。
人数分のコーヒーを入れた佐倉が心配そうに見つめていると、飯田が「佐倉君も座りなさい」と言い、稲葉も加わり全員がソファに座った。
飯田の聞き出し方はソフトで上手だった。だいたい想像がついたのだろう。
今、小野も言っていた通り、水谷が総理だった時には、空飛ぶカァちゃんを報告会で泣き出しそうになるほど痛めつけ、圧倒的な立場の者たちが寄ってたかって苛め、毎回叩きのめしているらしいことが官僚たちの間でも話題に上っていたのだ。
最初はここでそんなことを話してもいいのだろうかと躊躇していた空飛ぶカァちゃんだったが、いたたまれなくなったのかわからないが、秘書官補の小野が冷めた声でこう言った。
「遠山さんあなた、まず最初にこう言われたんでしょ?吉門先生あたりかしらね?『聞ーこーえーなーい。モゴモゴ話すなら言わないで。時間がもったいない。口がないなら最初から言わないで。わざとらしく泣くのはやめて』とか、こんな感じだったんでしょ?あとはそうね、釜谷先生とか本村先生?『デキるふりをするな。だから嫌われるんだ、見苦しい』とかよね。山本ミキはもっと酷い……」
これを聞いて空飛ぶカァちゃんはわっと泣き出してしまった。
もうこれだけで、同じような発言があったことが想像できた。
小川が肩を抱きながら、ハンカチで涙を拭いてやり「本当に酷い人達!全くの嘘なのに!」と言い、小野も「本当にそうですよ。私だって……あの頃は言い返したくても言えなかった」と言って唇を噛んだ。
空飛ぶカァちゃんは「小野さん、私も言われました、吉門先生に何も聞こえないって。モゴモゴしてみっともないって!口を縫われたのかとも言われたんです。それにあの人は毎回『母親なら子供が誇れる振る舞いをしなさい』って。私はこう言われて注意を受けたんです。毎回毎回そう言われて、皆、頷いて最後には『責任感がない人は軽蔑されても仕方ない』って言うんです。私は、」
小野が「そんなことを言ったんですか?あんな議員が!あんな……カメラ目線で両手を広げて飛ぶ真似をしてニヤつく女が?最低じゃないですか!」とつい本音を漏らした。
すると、佐倉がこれに続いた。
「本当に最低ですね。あの方のあの真似、ムカつきますよね。ニヤニヤして何がおかしいんだか!私も言われましたよ、馬鹿にしたように『山本先生だけじゃなくて私も守って、猫さん』ってね」
「そんなことを言ったんですか?」小野が言う。
「ええ、嫌味でしたよ。私に向ってよく言ってきたんです『山本さんからはどれだけ良くしてもらってるの?』って。正直言って不快でした」
「佐倉君、そのことは山本議員には報告しなかったのか?」飯田が聞いた。
「一度だけご報告しましたが、あの方は吉門先生には頭が上がらないみたいで。悪気はないと思うけどって仰っただけでしたよ」
佐倉が答えると飯田はため息とつく。
「はあ……なるほどね。君たちはそんな思いをしてきたんだね。全くもってもう……」
「飯田先生は、絶対にそんなこと仰る方ではありませんでした。私はよく先生に助けていただいたんです。私はその、かなり、嫌われていましたから。恥ずかしい話ですがそうだったんです」
小野はこう言ったが、これは事実だった。
確かに小野は同僚からも好かれてはいなかった。
小野がそう言うと、飯田はすぐに「いや、気難しいとは聞いてたけどね。でもまず君は能力が高いから。それに私は嫌な奴とは仕事したくないと思ってるから。それは今も昔もかわらないんだよ。親父も好き嫌いが激しい人間だったから、嫌いな奴を絶対にかばったりしないはずだよ」と言った。
こう言われた小野も気持ちが昂ったのだろう。少しだけ涙ぐんだ。
佐倉がすかさずハンカチを渡すと、小野までポロリと涙がこぼれた。
しまいには空飛ぶカァちゃんが、きっと小野が思い出すのも辛い嫌なことを話させてしまったのだと思い、こんなことで泣いてしまったことを謝った。
「私、大丈夫ですきっと。話を聞いてもらってすっきりしました。だからもし吉門先生がいらしても堂々としていようと思います。お二人が一緒でしたらきっと勇気をもらえますし」
空飛ぶカァちゃんがこう言うと佐倉が深く頷き、責めるような目つきで飯田を見た。
「もし、あまりにも酷い状況があれば、退席してもいいですよね?その場合はそれなりに上手く消えるようにしますから。あとで彼女を責めたりしないでくださいよ」
佐倉のこの言い草に、小野は目を見張った。
飯田は誰もが尊敬する政治家・飯田の息子であり、同じようにどの議員も一目置く、総理の懐刀であり参謀。まさに官邸の司令塔なのだから。
小川と稲葉はもう慣れっこになっていて、はあーっとため息をつくのみだった。
飯田はというとこうだ。
「ああ小野さん、君は生意気なこの男に会うのは初めてだろう?本当にとんでもない奴なんだよ。マザコンで父親にたてつく酷いガキだったそうだよ。遠山さんの前でだけはいい顔をしていて、他には生意気な態度でムカつくんだ。だから小野さんも気を付けなさいよ」
小野がこれに答えないでいると、佐倉が爽やかに微笑んでこう言った。
「この前、遠山さんからお話を伺いましたが、いつも彼女を色々励ましてくださっているそうですね。そういう方がいらっしゃると思うと安心できます。ほら、訳の分からない仕事をさせられると大変ですからね。そういえば初版本を集めるのがご趣味だそうですね?私もなんです。今度、古書店の情報交換をしたいです。これからよろしくお願いいたしますね」
小川と稲葉が言う。これも最近よく聞くひと言だった。
「二人共いい加減にしなさい。親子喧嘩じゃないんだから!」
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