105.栄太郎と佐倉母の恋バナ
九月の半ば過ぎ――静と英介の佐倉家最後の日。
一番辛い時に支えてくれた優しい人々が暮らすこの家、この場所を二人はとても大切に思っていたので、どうしたって笑顔だけの別れにはならなかった。
ここに連れてこられてからの日々。佐倉家の人々はいつだって静と英介と一緒に悲しみ、また共に怒ってくれた。これらの時間を抱きしめながら、またすぐに会おうと約束をして二人は荷物を抱えた。
「今度は浅草のお祖母さんやお祖父さんも一緒に会いましょうね。できるだけ近いうちにまた会いましょう。栄太郎君も二人がいなくなると寂しくなるでしょうけど……でも栄太郎君までいなくなったら私達、もう胸にぽっかり穴が開いたみたいになっちゃうからまだまだ一緒にいてもらわないと困るのよ」
佐倉の母がこう言うと、栄太郎は頬を赤らめぺこりと頭を下げる。
こんなことを言われるのには慣れていない栄太郎だが、ここでの暮らしは栄太郎にとっても充実したものだった。
学校では大抵ひとりぼっちで、父親と比べられることも多く、元々の性格から、言い返さない怒らない、とくればいじめに近い接し方をされることも多かった栄太郎にとって、素のままでいられる友達が出来たのは初めてのことで、まさしく英介と静は、栄太郎にとっての初めての気の置けない友人だった。
空飛ぶカァちゃんはもちろん市谷も、また、権藤の入院も続いている。
呼吸器も外れ、三人共かなり回復してきているが、この入院患者はかなり特殊なケースだ。
空飛ぶカァちゃんの能力が関わったために奇跡が起きたと思われるこの転落事故の患者たちは普通では考えられないスピードで回復し、もうリハビリに入ろうかという勢いなのだが医師の判断はかなり慎重だった。
回診に来る医師は、いつも首をかしげながらこう言うのだ。
「本当におかしいですよ。こんなに回復が早いなんて、しかも三人共なんですから!どういうことなのか全くわかりません」
佐倉が夜に、三人が寝静まったころに部屋を訪れては、体の中に羽を駆け抜けさせるというあの技を使うようになってから、彼ら三人は口を揃えてこう言うようになった。
――『寝て起きるとなぜか前日より元気になった気がする』と。
あの光輝くテグスの主が教えてくれた体のリフレッシュ法は確かに効き目があるらしい。
それもかなりの効果があるようだ。
『これは全く無害だから』と言っていた光輝くテグスの主の言葉を信じ、佐倉は両親にもこれをやってみたところ、齢を重ねた両親には覿面だった。
翌朝目を覚ました時、父は「なぜかわからんが疲れが取れた。どうしてだろう?昔のように力が湧いてきた気がする。久々に熟睡できたのかなあ」と言って不思議そうにしていたし、母は「私もよ、なんていうのかしらササッと動けるみたい。すごく元気になった感じがする……確かに昔に戻ったような感じね」などと言っていた。
しまいには静や英介、栄太郎にもこれをやったのだが、彼らはこの羽の駆け抜け効果をあまり実感することができなかったようだ。
子供たち三人が共通して言っていたことは「なんかお腹がすごく空いた」ということくらい。
なんとなくのリフレッシュ効果程度ということだ。
さて、栄太郎のことだ。
関係者とも話し、結局栄太郎だけは権藤が退院するまで佐倉家で預かることになった。
栄太郎の母の体調も良くなってきてはいるが退院するまでには至っていない。まだ安心できる状態ではないのだ。
何ヵ月もの間、たった一人で小学生の、しかも受験を控えた男の子を一人にさせるわけにはいかない。
朝は小学校の最寄り駅まで佐倉が送り、塾などは校舎を変えて対応することになった。
また、心強い家庭教師が入れ替わり立ち代わりやって来ることになっているので、これからが本番の中学受験生には決して悪くない環境が整っていた。
権藤は「本当に迷惑をかけて申し訳ないけど、佐倉君と佐倉君のご両親が一緒にいてくださるのは、本当に親としては安心でありがたくて。実は俺の両親は他界しているし、妻の両親は地方にいるもんでね。甘えてもいいものだろうか、こんなに長い期間になってしまって」と恐縮しきりだった。
佐倉はそれこそとんでもないことだからと、栄太郎のことは責任を持って保護するし、可能であれば第一志望に合格するよう全面的にバックアップすることを約束したのだった。
そして、当の本人。ここ数年、親しい友達ができなかった栄太郎にとって英介や静と別れるのはかなり辛いようだった。
珍しく栄太郎のほうからはっきりと「メールしたら返事くれると嬉しいんだけど」と言った時、英介から「用がなくてもメールしてこいよ」と返された時、栄太郎の顔がパッと明るくなったのを見た時には、その場にいた者全員の顔まで明るくなった。
それぞれの親の大怪我という特殊な状況で知り合った子供たちだったが、奇妙な縁で確かな友情を育むことが出来た数か月だった。
また近いうちに会うことを約束した彼らは、車に乗り込む前も離れがたい様子だった。
佐倉がエンジンをかけるために先に乗り込みドアを閉めると、佐倉の母は静にそっと声をかけた。息子にはきっと聞こえないほどの小さな声だった。
「静ちゃん、静ちゃんは烈を好きでいてくれるわよね?英介君も、栄太郎君もきっとそうでいてくれるわよね?どうか、これからもずっとこの子を、烈をよろしくね。烈はあなたたちがとても好きみたいなのよ。今回、三人をここに呼んだでしょう?烈はずっと本当に嬉しそうで、なんかとっても幸せそうだったのよ。どうかこれからも変わらないでいてね」
佐倉は音楽をかけたりカーナビをセットしたりしていたので、母が何かをしゃべろうが何をしようが全く気にもしていない様子だっだ。
子供たちは嬉しそうに頷き、静は「もちろん!これからもこっちからつきまとうくらいだよ!」などと言い、佐倉の母に抱き着いた。
何度もお礼を言い涙ぐんだ静を抱きしめ返すと、今度は『とうちゃん』の番だった。
しっかりと抱き合って「本当によかった!」と言い合ってから、やっと彼らは車に乗り込んだ。
走り出した車が坂を下るまでずっと手を振り、残された三人はため息をついた。
「栄太郎君はまだずっといるんだよ、これ以上寂しくさせないてくれよ」
佐倉の父が栄太郎の頭をぐりぐりと撫でると、栄太郎ははにかみながら頷くのだった。
◇◇◇◇◇
さて、残された佐倉家の三人。
「なんか寂しい、人がいなくなるのってなんか辛い。栄太郎君はしばらくいるんだよ?いいね」
佐倉の父はこう言うと、ジョウロを持って庭に出た。
今朝、佐倉に言われた通りに、余分な枝を切り戻してお風呂に入れる準備をするつもりのようだった。
そして居間でくつろぐ栄太郎と佐倉母。
早速、佐倉の母が切り出した。
「栄太郎君がここに残ってくれることになったから、その間は烈も一緒にこっちに来ることになったでしょ?内緒だけど、あの子がいると話しずらいこともあるの。だって、私にはそうでもないけどほら、あの子は口うるさいところがあるじゃない?すぐとうちゃんに当たるからかわいそうなのよ。わかるでしょ?」
栄太郎はクスクスと笑う。
「確かに。でも佐倉さん、口が笑ってるんですよ。だって本当はお父さん大好きでしょ?」
「あら!わかるの?そうなのよ!お父さんったら、またいちいち本気にして怒るから面倒なのよね。栄太郎君はずっとここにいてちょうだいね。栄太郎君の前だと烈はいいお兄さんぶるから面白いのよ。あの子は権藤さんが大好きだからいいとこ見せたいのよきっと」
栄太郎は笑いながらうんうんと頷いた。
「でも僕、佐倉さんは確かにいいお兄さんだと思います。それにカッコいいし――でも、英介のお母さんの前とかだとカッコいいっていうより、なんか可愛らしい感じになっちゃうから面白いんです」
これを聞いて、待ってましたとばかりに佐倉の母はこの話に飛びついた。
「ね、ちょっと栄太郎君に聞きたかったのよ。正直な感想を聞かせてほしいのだけど……烈って、遠山さんといる時どんな感じなの?なんかこう浮ついた様子とか、ニタニタしたりとか、そういう感じは見られたりしない?私もいつも一緒にお見舞いに行くわけじゃないし、私の前だと烈は格好つけるのよね。だからいつもの様子が知りたいのだけど」
「ああなるほど。僕も佐倉さんのお母さんが気になるのはわかります。だって佐倉さんって、英介のお母さんの前だと嘘みたいにはしゃいでるんです。この前なんて、古本屋めぐり行程表というのを作って来て、何を買うかとか、あとその後のレストランとかカフェとか、そういうことまで綿密に計画立ててたんです。僕、ちょっとびっくりしました」
「ええっ?古本屋めぐり行程表?そんなの作って遠山さんに見せたっていうの?ちょっと、まあなんというか……それってちょっとみっともないわね、いい歳した大人がカッコ悪すぎじゃない?」
「ええっ!佐倉さんのお母さん、それはちょっと言い過ぎな気が……だって英介のお母さんもすごく嬉しそうでしたよ。一緒にニコニコして、」
「栄太郎君、それはね、女子っていうものはそういうものなの。相手に悪いと思うからイヤでも喜ぶしかないのよ。どうしてわざわざデートの時に古本屋になんか行かなきゃならないの?もっと素敵なところに連れて行こうとか思わないのかしら?あの子、自分がいくつになると思ってるのかしら。あんな歳になって、そんな!自分が好きなことに付き合わせようだなんて、本当に情けないわね。私から注意してやろうかしら」
「でも英介のお母さんも嬉しそうに本屋をさんを追加したりして、それを赤ペンで佐倉さんが書き込んで楽しそうでしたよ。実は――なんか知らないけど、その古本屋めぐりには僕と英介たちも行くことになってて。しずちゃんは面倒くさいって怒ってるし、英介は絶対行かないとか言ってて。このままだと僕だけが行くはめになりそうなんです。慶次さんと咲太郎さんはふざけんなって。楽しくもなんともないって言ってるから僕、」
「当たり前じゃないの!誰がそんなことしたいのよ!あの子は本当に馬鹿なのかしら?だから彼女もできないのよ。せっかく遠山さんみたいな人が現れたっていうのに馬鹿ね。古本屋だなんて!栄太郎君も付き合うことないわよ、断っていいから。せめて浦安のシーとかランドとか、そういうところに行こうとか思いつかないのかしら」
「僕もそう思ったけど――でも佐倉さんはずっと前から一生懸命計画を立てて、」
「ずっと前から?古本屋計画を?馬鹿じゃないの!情けないわ本当に。帰ってきたら言わなくちゃ」
この日、佐倉母と栄太郎の古本屋巡り廃止計画は滞りなく進んで行った。
しかし、佐倉は静と英介を浅草の家まで送り届けた後、また病院で羽とテグスで語り合った。
透明な書棚で見たもののことや、日常的にサイキックに触れた人間が少しづつ覚醒に近づくのではないかという仮説について、ここ最近の二人はずっと話し合っていた。
お読みくださりありがとうございます。
安らぎの金曜日がやってきました。また来週もよろしくお願いいたします。




