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101.英介の居場所と佐倉の願い

 五人が病院に着いたのは午後七時頃だった。

 幸いなことに病室の三人はまだ起きていたが、なかなか中に入る決心がつかず扉の前で震えているアキラを横で支えている英介たちに目配せをした栄太郎が先に部屋に入り、市谷と空飛ぶカァちゃんに軽く会釈した後、すぐに権藤のベッドに駆け寄った。

 近いうちに呼吸器用マスクが取れるかもしれないという内容の文字盤を見た栄太郎は嬉しそうに父親の手をぎゅっと握ってから「またあとで来るね。ちょっと泣き虫たちの様子を見てくる」と言って空飛ぶカァちゃんのベッドの方に戻って来た。


 やっとのことで決心がついて空飛ぶカァちゃんのベッドの側に来たアキラは、呼吸器や首や足に付けられた器具を見て、まずはそれにショックを受けたようだった。

 こうなったこと全てが自分の軽率な行動から来たということを自覚させられ、その悲惨な結末をまざまざと見せつけられたアキラは、腰が抜けたようにベッドの足元に座り込んでしまった。

 栄太郎が椅子を枕元に寄せると、佐倉がアキラを立たせてやり軽く持ち上げるようにして椅子に座らせた。

 アキラは、少し驚いた様子の空飛ぶカァちゃんにやっとのことでこう言った。

 「おばさん、俺のせいでこんなことになってごめんなさい。あの日からずっとごめんなさい、おばさんをこんな目に合わせて、俺は、」


 空飛ぶカァちゃんは涙を浮かべ、アキラに微笑みかけた。

 筆談機能のついたiPadに「わかってたよ。あの時、ずっと私を呼んでたから」と文字を書き入れた。

 そして更に「アキラ君の気持ちはちゃんとわかってた。今日は来てくれてありがとう」と書いた。

 アキラはたまらない気持ちだった。

 今日やっと英介と静に謝ることが出来たが、空飛ぶカァちゃんの現実を見せつけられ、後悔と自分への軽蔑の気持ちで一杯になり、何度も何度も謝り続け幼子のように泣き続けた。

 

 静がうんざりしたように「全く!これだから男子はダメなんだよ。ピーピー泣いてないであっちにもこっちにも挨拶に行きなさい!ママには事の経緯を私から説明するから。ほらどきな」と言うと、アキラは仕方なく席を立った。

 ベッドから引き離される時も「おばさんごめんなさい、俺のせいで」と何度も言い、涙でぐちゃぐちゃになった顔で権藤と市谷を見舞うはめになった。


 栄太郎から父親を紹介されると、テレビでよく見る政治家・権藤が空飛ぶカァちゃんと同じような器具を付けられて横になっている姿を見て、またここでも「俺のせいですみません」と言い、泣きながら頭を下げた。

 権藤は驚いて何が何だかわからない様子だったが、栄太郎が「あとで僕が説明するから」と言うと、文字盤で「あとで息子から聞くけど、一生懸命そう言ってくれて気持ちが伝わるよ。ありがとう」と伝えてきた。

 アキラはこのベッドでもしこたま泣いて、そしてまた同じように一番重症の市谷のベッドで泣いてしまった。

 同じように「俺が悪かったんです、すみません」と言い謝るアキラに、市谷もまた権藤と同じような言葉を返すことしかできなかった。


 アキラが泣き続けている間、佐倉は静と一緒に空飛ぶカァちゃんの枕元に座り込み、ここに来るまでの経緯と今後の予定について説明をした。

 空飛ぶカァちゃんが、ここまで激しく泣きじゃくるアキラの事情に納得し、全面的に佐倉と麹町の考えに支持を表明すると、佐倉は「良かったです。賛同していただけてホッとしました。ありがとうございます」と言い、空飛ぶカァちゃんにぺこりと頭を下げてにっこりと微笑んだ。

 そして、横に座っていた静はぎょっとしたのだが、この時の佐倉は驚くほど優しい声で「ここ数日留守にしてしまいすみません。これからはまたこちらに来ますから。またたくさん話をしましょうね」などと言っていた。


 そして、佐倉はかなりはしゃいだ様子だった。

 「そうそう、お伝えするのを忘れていたのですが、遠山さんが仰っていた本は全て手に入れましたからご安心ください。実は他にも面白いものを見つけたんです。遠山さんが好きだと仰っていた作家の作品ですが、最初に出た稀少なシリーズが八割がた店頭に置いてあったので店主に頼んで追って全巻揃うように探していただいているところなんです。よくなったら一緒に店に行きましょうね。楽しみで仕方ないです」


 これを聞いた空飛ぶカァちゃんのほうはというと、一瞬大きく目を見開いた後で子供のように目尻を下げて微笑んだ。

 静はこんな表情をする母を見たことがなかった。

 呆れたようなムズムズするような妙な気分になったが、珍しく楽し気な母の様子と子供のようにはしゃぐ佐倉を見ても、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 佐倉の正(・)体(・)を空飛ぶカァちゃんより深く知っている静には、この二人がこんな風にはしゃいでいても、男女のいやらしい何かであったり、離婚したばかりの母であるということを思いだして不安になることもなかった。


 そして、佐倉がこんなことまで言いだしたので静はしんから呆れ返って溜息がでた。

 「遠山さん、一緒に店をまわる時は英介と静ちゃんと――そうだな、邪魔だけど咲太郎か慶次も呼びましょうよ。念のため私は女装しますよ。そこらへんのイヤな連中に何を言われるかわからないですからね。見ていてくださいよ、慶次なんかより美女になって見せますから!」


     ◇◇◇◇◇


 さて、病院を出た時、佐倉は確かめるようにアキラにこう訊ねた。

 「さっきはとにかく君が地方に行くことを止めないといけなかったからお母さんには多少大げさに言ったんだよ。正直言いうとね、麴町先生も今が一番大事な時だからあまり時間が取れなくて、それほど突っ込んだ話が出来なかったんだ。

 でも、この件は秘書の飯田さんという方と私が全面的に任されることになりそうだから君に悪いようにはしないからね。さて、君はどの地域の小学校に行きたいとか――そういう希望はあるかい?」


 佐倉はこの少年を信用できるか、そういう部分を確かめたくてこう訊いたのだが、その答えは佐倉を満足させるものだった。

 アキラはすぐにこう言った。


 「俺が、どこに行きたいか――そんなこと俺は言うつもりはありません。色々考えてくれてそれだけでありがたいのに、そんなこと言うのはおかしいと思うから」


 佐倉はこの答えを聞きこう返した。

 「うん。今そう言った君は立派だと思う。辛いこともあると思うけど頑張ってごらん。でもね、中学に行って三年間頑張って、その後高校に行く時はね、君は自分の実力で好きな高校に行けばいい。勉強を頑張ればどこにだって行けるし、スポーツで推薦だって取れるかもしれないよ?とにかく頑張るんだ、いいね」


 「好きな高校へ、」

 アキラはこう言ってそっと英介を見た。

 英介は頷いて「じゃあアキラの問題は国語だな!漢字を適当に書くのがダメなんだよ。算数理科社会は完璧なんだからさ」と言うと、静が横からこう言った。


 「あんたら、英語を甘く見るなよ?とにかく単語を覚えまくるんだ。誰に何と言われても一年の頃から必死で単語を覚えまくること。単語と熟語をある程度知ってれば高校受験なんとかなるって先生が言ってた。いい高校行きたかったら誰に何を言われても、こっそりやってでもいいから単語と熟語をやるんだよ、いいね?」


 アキラは真剣に言う静に恐れをなして「わかったよしずちゃん、今から単語帳?単語本?そういうのを買えばいいんだろ」と言い、何度も頷いた。


 子供たちのやり取りを聞いていた佐倉はこっそりと自分に呆れ微笑んだ。

 空飛ぶカァちゃんの悲劇を知った時からずっと友人たちに『アキラ親子を絶対に叩き潰してやる』などと息巻いていたのに、その時の自分の感情がさらさらと流れて行ったことを自覚した。


 さっき、もしアキラが『英介と同じ小学校に入りたい』などと言ってきたら、佐倉はアキラという少年に心を開けなかっただろう。

 浅草のあの小学校の子供たちは、最初から英介を受け入れてくれたのだ。

 あの事件後、英介の心を救ったのは竜介やクラスの仲間、隣のクラスの友人たち、彼らだったのだから。

 英介は浅草のあの小学校の仲間と、残りの小学校生活で温かな友情を深めるべきなのだ。

 佐倉はこればかりは譲れないと思っていた。

 英介の友情は、今は彼らに向けられるべきなのだと。

 アキラとの友情は確かに存在し、これからもまた築けるはずだとは思う。

 ただ佐倉は、英介を思って泣いてくれた竜介やその仲間たちの思いが、本当に嬉しくてありがたかった。

 そして佐倉には、英介がいつもそれを忘れないでいることもよくわかっていた。

 英介はアキラを自分の学校に、などとはひと言も言わなかったし、そんなことは考えてもいない様子だった。

 アキラがまた信頼を取り戻し英介らと友情を深めるのはもうしばらく先でいいと、佐倉は心から思っていた。


     ◇◇◇◇◇


 さて、両院議員総会で選出され新総裁となった麹町は、臨時国会が召集されたその日、衆参両院の本会議の首相指名選挙で過半数を握り総理大臣に指名され、皇居での儀式を経て新内閣が発足した。

 佐倉と空飛ぶカァちゃんは、このあとまた麹町と飯田に振り回されることになるのだが、今(・)は(・)無(・)職(・)の佐倉は、空飛ぶカァちゃんとの古書店巡りを夢見て少しだけ幸せだった。



 お読みくださりありがとうございます。 

 誤字脱字は気がついたら訂正しておりますが、仕事の関係上、沢山の単語登録をしているため、時々○○と入力しただけで他の言葉が入ってしまうことがあります。

 一度、最後の最後のところの一文でそれをやってしまいそうになり、運よく気が付けました。 

 実はたった今もそういうミスを犯しそうになりドキドキしました。もしそんなことがあったらすみません。

 今週もまたよろしくお願いいたします。

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