100.公妃と調査員ふたたびあらわる
佐倉は、英介や静のケアは他の家族に任せて二階に上がって行ってしまった。
その間、一階でだいたいの事情を聞かされた咲太郎と慶次は長いため息をついて『ほらやっぱり!烈が関わると結局はこうなるってことさ』などと言い、二人も二階へ上がっていった。
三十分ほど経っただろうか、咲太郎が階段をバタバタしながら駆け下りてきて、慌ててメイクアップの道具を広げ出したので何ごとかと思って、佐倉の母が「咲くんどうしたの?メイク道具なんて広げて」と声をかけた時だ。
佐倉と慶次が口喧嘩しながら降りてきた。
慶次が「俺は太ってない!別に脚も短くない、お前が悪いんだ」などと言い、佐倉が「スーツはどうすんだよ?もう買うしかないじゃないか!そんな時間ないのに」と言い返している。
咲太郎が言う。
「だからお前はまたアレになるしかないんだよ。さっさと座れ。俺が調査員パート2をやるから。なんなら無理やりあいつらの誰かを呼びつけるか?急にじゃ無理だろ?だから仕方ねえよ、公妃になれ」
◇◇◇◇◇
また子連れ大所帯での移動が始まった。行き先はまず『大石さん宅』である。
もちろん出発前に連絡はしていたが、急に願い出た訪問についてのお詫びから始まり、すぐに午後に大石宅からアキラが英介に電話を借りて連絡してきた件で、その時のアキラの様子や、大石宅を訪問した際の状況等について説明を受けた。
また、大石の息子の話によると、どうやら学校生活においてアキラが英介を排除したり嫌がらせをするよう指示していたわけではないらしいことが分かった。
更に、日常的にアキラの取り巻きの少年からいじめに近い嫌がらせを受けていた息子が言うには、アキラがこうした嫌がらせに関わったことは一度もなかったらしい。もちろん、英介のように積極的に助けることはなかったが、その役割は英介が担っていたということなので、もともと弱い者への関心もなければ英介以外の仲間と積極的に繋がる気もなかったアキラは、やられている側の大石の息子にとって親しみを感じる相手でもなかったとのことだった。
訪問時に、門扉の植え込みに隠れるようにドアホンを押し、庭にいた大石が声をかけた時、びくりと跳ね上がったアキラの様子や『電話がなくて英介にかけれらないので番号だけでいいので教えてほしい』とおずおずと申し出た様子を話す時、大石は涙ぐんでいた。
自分は現実をよくわかっていなかったかもしれないと――もしかしたら家でアキラは酷くされていたのではないか、本当は英介と話したくても話せない状況にあったのではないかと思うと可哀想でならないと話していた。
時間がなかったため、大石宅にはテレビでも顔の知られている佐倉と、佐倉のスーツの中でも一番上等なものを勝手に借りてビシッと着込んだ咲太郎だけが訪問し、深刻そうな顔をして今後の予定を説明し、最後に佐倉が全力で優しく礼を言い、爽やかな笑顔を大石母に披露した。
彼らはその後すぐにアキラの家に向った。
もちろんアキラ宅にも事前連絡を入れたが、ここからは女装した弁護士・慶次も加わり二人の若い男性と初老の女性弁護士の三人が『麹町からの伝言』を伝えた。
海難事故のあの日、空飛ぶカァちゃんの能力が明るみになり、政府に管理され過酷な生活を強いられたあげく、今回のような痛ましい事故に繋がったことは全て政治の責任であるという内容だった。
たとえ短期間であっても次の政権を担うはずの麹町は、このことで傷ついた空飛ぶカァちゃんやその子供たち、そしてこのことに巻き込まれた未来ある子供たち全てに社会的な救済が必要であると考え、今回まるで逃げるようにこの町からアキラが去ることを知り、また空飛ぶカァちゃんの担当である佐倉から話を聞いて、アキラの心のケアをしないまま地方に行かせることを思い留まるようにとの要請を伝えた。それは、佐倉を通した直接の指示に違いなかった。
この家にはもうアキラの父はおらず母親とアキラのみが住んでいた。
アキラの父は既に都内の実家に戻っていたのでこの話に口を出すことは出来なかった。
当然佐倉はここに来た瞬間にアキラの母の頭の中からこの情報を得ていたので、さり気なくそれを慶次と咲太郎に伝え、引っ越しの段ボールのせいで端っこに追いやられたソファに座る前に、この後うまくやってくれるように二人に頼んでいた。
横で話を聞いていたアキラは静が『麹町』という名前を出していたことを思い出して、目を大きく見開いた。
それを見た佐倉がそっと頷いたのを見て、アキラは静と英介が自分のために何かをやろうとしてくれたことを理解した。
急に眼から涙が零れ落ちた息子を見て、アキラの母親は驚いたに違いないが、息子があまりにも激しく泣いているのでたまらなくなり、いつものようにヒステリックに怒鳴ることはなかった。
佐倉は優しい口調でアキラの母に言った。
「アキラ君は、海であんなことになった瞬間からずっと英介に謝りたかったようです。実は今日、携帯を取り上げられたアキラ君は、引っ越す前にせめて英介の電話番号だけでも知っておきたくて、英介とはわりと仲の良かった大石さんのお宅をたずねたそうです。英介の番号は消されていたそうですが、どうか怒らないでください。
英介が本当にアキラ君と仲が良かったからでしょうか、不思議なことに英介は今日の朝、アキラ君から電話がかかってくる夢を見たそうなんです。
朝からずっと、それこそトイレに行く時も携帯を握りしめていて、私はおかしいと思っていたんです。今、英介は私の家にいるんですが、このことは身の安全のために極秘事項ですのでご内密に願います。
それで、昼過ぎにアキラ君は大石さんのお宅に番号を聞きに行き、その時に大石さんが電話を貸してくれて英介と一年ぶりくらいに話が出来たんです。
アキラ君の話したことは我々にとっては――私は山本先生の秘書でしたから、非常にショッキングな内容だったんです。今はそれを詳しくお話することはいたしませんが、私は彼らの電話が終わった後に、麹町先生と直接話をしまして、忙しい中、麹町先生は話を聞いてくださいまして、それでこうして引っ越し前でお忙しいのをわかってはいたのですが、こちらに伺ったわけです。
麹町先生はこのまま逃げるように地方に行ったって意味がないと仰いました。
私も、その通りだと思いました。今からこの精神保健の専門家と、弁護士がご説明します。あまり時間を取らせないようにしますが、アキラ君は私が遠山さんの病院に連れて行こうと思います。
お怒りになるかなとは思いましたがアキラ君はそれを望んでいたようですよ。
下で英介と静ちゃんも待っています。子供の心に否定の感情だけを残して現実から逃げるのは間違っていると思います。
私は根が暗いものですから、どうしても悪いことばかりをを引きずってしまいがちですが、今回、アキラ君の将来のためにも遠山さんに会うことが必要だと私は思います。
どうでしょうか、お連れしてもよろしいですか?必ずこちらに送り届けますので。その間、決して時間は取らせませんのでこの二人から麹町先生が考えているプログラムについて簡単な説明を受けていただけませんでしょうか?」
佐倉は、アキラの母を責めるような言い方は一切しなかった。
ただ、涙を流し続けるアキラとその母を交互に見つめながら、優しく話して聞かせた。
アキラの母はそれに抵抗する気力もなければ、断る理由も見つけ出せなかった。
「はい、よろしくお願いします」とアキラの母が頭を下げると、佐倉はサッと立ち上がり、アキラの手を掴み、アキラの母に念のためにアキラに携帯を持たせるように言うと、その母はおとなしくそれに従った。
あっという間に玄関を出た二人は、車の外で待っていた三人の子供たちの所へ急いだ。
英介を見つけたアキラはまた泣き出して、静から背中を叩かれ「馬鹿野郎!」とか「あんたが一番の間抜けだ」とか、とにかく酷い言われようだったが、栄太郎に「急がないとまずいみたいだよ」と言われ、三人仲良く後ろの席に乗り込んだ。
栄太郎は佐倉に「僕、なんか今日はすごく嬉しいや」と言ったが、佐倉の方も同じだった。
「私もだよ。全くね、権藤さんに説明することが増えてしょうがないよ。栄太郎の貢献についてはしつこく話して聞かせるよ」
佐倉に栄太郎、と呼び捨てにされるのがとても嬉しい栄太郎は「僕、そうしてくれると嬉しいな。できればお父さんの飛んでる録画も見せてほしいけど」と言ったが、佐倉は「う~ん、今権藤さんを裏切るのはちょっと」と言って笑うのだった。
運転席に乗り込んだ佐倉が嬉しそうに言った。
「さあ、病院までピアソラをかけようか英介。大好きなんだろこの曲が」
◇◇◇◇◇
さて、太った弁護士と精神保健の専門家はというと――
神妙な顔をして、二人は代わる代わるにアキラの母に説明をした。
ここまでこの事件の全容が世間で騒がれている状況で、いくら地方に移り住んで転校させたとしてもアキラには辛いことになるのではないかという懸念について……具体的には人数の少ない小学校だと人間関係が固まっているので仲間に入りにくいのではないかということや、事件のことはきっとすぐに広まってしまうだろうから、アキラが都内とは違って子供の数が少ない小学校で友達と新たな関係を築けるかが心配だという話をして、いったん母親のみが転居し、アキラは政府の管理のもとで都心に残すべきではないか、という内容だった。
アキラの母はこの説明に納得した様子だったので、二人は彼女を上手く宥めながら佐倉が希望する方向へ話を持って行った。
佐倉が今までずっと、遠山さんと子供たちを傷つけた側であるアキラ親子を許さないと、激しいことばかりを言っていたことをよく知っている彼らは、今回佐倉の心が、別の方向に傾いたことが不思議であり、また嬉しくもあった。
絶対に自分の苦しみや悲しみについて口にしなかった佐倉が、自分からこう言ったのだ。
―――「たまにはアホの咲太郎の真似をしてやる」
―――「取り敢えず今回だけだから。英介と静ちゃんのためだ」
―――「それに別に俺はアキラって子が嫌いだったわけじゃないから」
―――「何より遠山さんのためだから」
咲太郎と咲太郎の前世の女性がいつも言っていたこと。
―――『失敗した人間にだってやり直す権利がある』
佐倉も、それをしたかったからここにいるのだ。
今日はそれに気づいた日だった。
話中にあるピアノの曲ですが、こちら『アストル・ピアソラ』というアルゼンチンの偉大なタンゴの作曲家の作品です。
タンゴの革命児とかタンゴの破壊者などと呼ばれ、独特な音楽形態を生み出した素晴らしい作曲家で、どの曲も素晴らしいのですが私はこの『悪魔のロマンス』が大好きで、初めて聴いた時から心にしみまして、色々辛い時とか、なんとなくがっかりした時などによく聴いておりました。
前話にもあったように原曲は五重奏です。
ずっと前からアキラの話を書く時はこれを聴きながらやろうと思っていたのですが、なんとなく五重奏じゃなくてピアノだけのを聴きたいなと思って探したところ、素敵な動画をYouTubeで見つけました!
→【ピアノソロ版】悪魔のロマンス/A.ピアソラ/Romance del Diablo/ピアノソロ/Pazzolla/編曲/大和田真由さん
勝手にこれだ!などと思ったりして奏者の方には申し訳ないですが、とても心にしみました。
色々、他のピアニストの方も素晴らしい演奏をされていらっしゃいますが、実は私はここ最近この方のYouTubeの演奏を聴きながらやっておりました。
アストル・ピアソラの曲はフィギュアスケートでも使われておりますので、ご存じの方も多いかもしれません。
宇野昌磨選手が『ブエノスアイレス午前零時』という曲で素晴らしい演技で確か沢山のメダルを受賞したと思うのですが。皆さま覚えていらっしゃいますでしょうか?
この曲もとてもカッコいいのでご興味があればぜひお聴きいただければと思います。
チャッチャッチャッチャ、チャチャチャチャーチャー、のラ・クンパルシータのイメージとは全く違うので、タンゴのイメージが全く変わりますよ。おすすめです。




