インターバル
《これにより、決勝戦のカードが決まりました。最終戦は矢浪選手VS黒鳥選手。試合30分後。10時45分の開始をを予定しております》
颯は実況を聞きながら、貴広が勝ったという事実に震えていた。
雪兎のタイムを聞いたとき、貴広は勝てないと思った。
颯自身が雪兎のタイムを超えられるヴィジョンが見えなかったからだ。
その雪兎のタイムを、僅かとはいえ、貴広は上回った。
そのとき、雪兎が飛行場から帰ってくるのが見えた。
颯は考えるのを止めて、雪兎の元に駆け寄っていた。
「負けちゃった」
雪兎の乾いた声で精一杯強がって笑う。
「雪兎のフライトも最高だったよ。俺じゃ、勝てなかった……」
「ありがとう。ちょっと休むから――」
すれ違う瞬間、颯は涙がこぼれるのを見た。
「泣いていいから。思いっ切り」
颯は自分自身の悲しみを押さえながら、声を何とか絞り出した。
今の雪兎にとって何が必要なのか、颯にはようやく分かった。
「雪兎はもっと早く、そうするべきだったんだよ」
「うん、うぅぅ……ぁぁぁっ」
雪兎は颯の元に崩れ落ちると、子供のように思い切り声を上げて泣いた。
いつからか心を覆っていた氷が解け、砕けた夢の重荷が颯の手に触れる。
「……頂点を取るって言っただろ」
颯は雪兎が泣き止む頃、小さな声で出来もしない約束をした。
「――後は任せろ。雪兎の思いの分も、俺が世界で飛んでくる」
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
飛行場で雪兎と別れた颯の元に、任が一つの悪い知らせを届けた。
「気付いたと思うが、レースの終盤でスモークが途切れただろ。あれを決勝までに直せって話だ。それが出来ないなら、他の機体で飛べと言われた」
颯は考えるのを避けていた悪い予感が現実になったのを知り、小さくため息をついた。
「そうですよね。観客的にも、審査員的にもスモークが出ないのは困る」
「特別ルールでペナルティは出ないとはいえ、従来なら出る状況が正しいからな」
(理屈では分かるけど……)
颯の普段使っている機体を使えないとなると、入鹿か雪兎の機体で飛ぶことになるだろう。しかし、いくらワンメイクレースで規格が同じとは言え、個々の機体にある微妙な操縦加減の機微までが同じであるはずもない。
「すまないな。俺たちバックアップ側の責任だ。メンテナンスは続けるが、改善されそうにないなら、冷却を始めている雪兎の機体で飛んでもらうことになる」
「――分かりました」
颯は落ち着かない気分のまま、個人用の待機室に戻り、椅子に腰掛けた。
颯は目を閉じると、気持ちを切り替え、万一に備えて雪兎に機体の操縦感覚についていくつか聞きに行こうと考えた。泣き止んだばかりの雪兎に話を聞くのは気が引けるが。
そんなことを考えていると、ドアがノックされ、今度は運営スタッフが予想外の報告をする。
颯はそれを聞くと、急いで建物の外へと飛び出した。
待機室の外に出ると、そこでは貴広が壁に寄り掛かり、地面に座っていた。
貴広の疲労はすぐに見て取れた。
あの一度のフライトでどれほど神経を擦り減らしたのかは、想像に難くない。
(貴広だって限界でやってたんだ)
颯はあれほど遠くに感じた貴広が、まだ自分たちの仲間で、パイロット候補生の一人に過ぎないことを再認識した。
「正直言って、北上のタイムは越えられないと思った」
「でも、お前は超えただろ」
「そうだな。実を言うと、『AIR ACE』でシミュレーションしてたんだ……」
貴広は消耗しているせいか、普段とは違い、考えていることがすぐに口に出ていた。
「環境設定を何十通りも、当日の気象を予測した。川崎や北上、矢浪のフライトを真似できる部分は全て取り入れて。考えられるルートは全て試しておいた。リスクを度外視すれば、越えられるルートは少なかったが存在していたんだ。――準決勝で最後に選択したルートも本当は使いたくなかったんだが、北上が許してくれなかった」
颯は言葉を失っていた。苦しんだ冬の訓練以来、『AIR ACE』を使ったシミュレーションを、颯も前日まで何度も繰り返した。
貴広のようにあらゆる可能性を考慮していた。
だから、颯は他の候補生たちのゴーストを見ることができる。それは自分の足跡でもあるからだ。
貴広のフライトが雪兎のゴーストと被って見えた理由も分かった。
貴広は雪兎ならこうするという特徴を見抜き、あらかじめ選択肢の1つとしてシミュレートしていた。それで、ゴーストが被るほどの似通ったフライトが可能だった。あらゆるリスクを減らし最速を通るために、貴広は雪兎の的確なコース取りさえ模倣したのだ。
「土壇場で作戦を切り替えられたのは、どうしてか自分でも分からない……」
颯にはその理由が何となく分かる気がした。
おそらく、計算すら超えた執念、貴広が持つ元来の精神力の強さがそうさせたのだろう。
「あんなフライトをしたのに、意外と弱気なんだな」
「俺はこの1年間で自分の弱さをしったからな――」
貴広は1つの死闘を超えたことで、改めて、以前の自分を思い出していた。
エアレース以外の全ての目的を排除して、盲目にそれだけを追い掛けた。他人の思いは極力背負わないように、全てを目的のための糧にして、自分のプライドを高い場所に置いた。
だから、颯が雪兎を好きだと分かった、彼に忠告をした。
他人の気持ちを背負っていてるようでは勝てないと、自分の尺度で判断したからだ。
「俺は目標に最速で向かうことが強さだと思っていた。でも、矢浪は違った。北上や弥勒、他の人の思いまで、お前は自分のフライトに乗せていた。俺はそれを見て、自分の思い描いていた強さが、酷く脆いものに見えたんだ」
「……それは、過大評価だよ」
颯に不意の称賛に照れることもできない。
貴広がそんな風に考えていたことに、ただ驚いていた。
「そうかもしれないな。でも、弥勒や矢浪の周囲と協力しようとする行動や、初奈が仲間に持っていた感情を知って、俺自身も少しずつ何かを背負おうと思い始めたんだ」
振り返れば、颯から見ても、貴広は少しずつ変化していた。
勝負の世界において、それが成長と言えるかは分からない。
けれど、貴広が雪兎に勝てたのは、他人のフライトや精神を尊重し、積極的に自分の内側に取り込んでいこうと思った結果なのかもしれない。
貴広の言葉を聞いていると、そんな風に思えた。
「レースの後攻、譲ってくれてありがとう」
貴広は準決勝のタイムによって得たアドバンテージの1つを、僅かな時間の中で判断して手放した。――颯の機体の修復時間を少しでも稼ぐ、それだけのために。
(本当なら自分の勝ちの確率を下げてまで、貴広が俺に協力する必要なんてないんだ……)
トラブルや状況の変化に対応できるかもそのパイロットの実力だ。
もしも、雪兎の機体に対応できず負けたとしたら、それは颯の責任であって貴広のせいではない。
「これが借りだと思ってるなら大間違いだ。勝つのは俺だからな」
貴広は颯の考えを知ってか、颯に向けて一瞬だけ鋭い視線を向けた。
「そうだな。お前は強いよ。『AIR ACE』の時からずっと強い」
颯は本心でそう口にしていた。
貴広の向上心は高く、その精神さえ日々成長している。
本当に強敵だと思った。
貴広はこのレースに負けたとしても、パイロットを諦めることはないのだろう。
この経験を大事にしながらも、それをただの綺麗な思い出にはせず、しっかりと踏みしめて先に進んでいくのだろう。
(そんな風に俺もなってやる)
颯の中でパイロットを諦めないということが、自分の中で強く固まった瞬間だった。
そう決めた瞬間、今度は別の感情が溢れてきた。
「でも、勝つのは俺だ」
颯はいつものように不敵に笑い、貴広に向けて宣戦布告をしていた。
「それに、俺はお前のタイムは聞かない。お前がどんなタイムを出そうと関係ない。どんなリスクを犯してでも、最高最速のタイムを出す」
貴広は颯の提案を聞いて、一瞬だけ言葉を失う。
無論、そう言って実行したところで、貴広が有利な条件を手放したことに違いはない。
だからこれは、貴広の行動に対する精一杯の誠意だ。意地と言ってもいい。
「――お前がそうしたいならそうしろ。どのみち、実力的に考えて、優勝するのは俺だ」
貴広は微笑むと、座ったまま冷静に挑発を返した。
颯も貴広も、このレース決着に関わらず、お互い必ずパイロットを目指し続けるだろう。
だからこそ、颯はこの一回切りの勝負に負けたくないと強く感じた。




