準決勝第二試合(ヒートツー)
雪兎は今でもたまにあの冬のことを思い出す。
高校二年生の冬、親友の陽和は事故により、歩くのも不自由になるほどの怪我を負ってしまった。陽和は塞ぎ込んでしまい、以前とは別人のようになってしまった。
雪兎は陽和から笑顔を取り戻すために、彼女との約束を果たそうと思った。
背負った思いは人を強くする、そんな脚本であることを信じた。
だが、それで結果が伴う程現実は甘くない。
タイムこそ上がったものの、練習以外のものを突き放した雪兎は少しずつ孤独に追い詰められていった――。
「――そろそろ、時間だぞ」
クリスに声を掛けられて、雪兎はイヤホンを耳から外して小さく伸びをした。
「調子はどうだ?」
「……悪くありません」
雪兎の声は冷たいが、それは勝負の緊張感からくるものだった。
不思議と胸には、孤独だったあのときとは違い温かさがある。
雪兎は観客の待つレーストラックへと、専用エクストラの白い翼で飛び立った。
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《第二試合先行は北上選手。トーナメント唯一の女性パイロットですでにファンも多いです。また、北上選手は『AIR ACE』では対戦相手の黒鳥選手に続く上位成績者でした。つまりこれは、ゲーム上でライバルだった二人の対決というわけですね》
《はい。二人は特に人気のパイロットでしたからね。ゲームでの北上選手の持ち味であった丁寧で隙のないフライト、それがこの現実のレースでも見られることに期待します》
白いエクストラが観客の前に現れると歓声が上がった。会場には、終わったばかりの一試合目の余韻がまだ残っているようだ。
雪兎はコースを遠くから俯瞰する。
何度も思い描いた飛行ルートが浮かび上がって見える。
(3、2、1――)
無線の合図を受けてスモークスイッチを押すと、頭の中にピアノの伴奏が流れ始めた。
耳にはもうプロペラ音さえ遠く聞こえる。
周囲の色が混ざり合って通り過ぎていく。
雪兎は流れるような旋律と共に、スタートゲートを通り抜けた。
雪兎は見えない白線の上に乗り、自身の操縦する純白の機体を躍らせ始めた。
シングルパイロン、連続エアゲートを通過してのバーティカルターン。エアゲートへと再び接近、通過する0.2秒間だけ機体は水平に戻る。そこには寸分の狂いもない。
《――20.804》
ステップを踏むように、パイロンの横を等間隔に縫って進む。僅かなブレから風を読み、不規則な状況な変化にも的確に対処していく。
シケインを通過すると、コースは大きな旋回を要する2つのエアゲートへと向かった。第1チェックポイントから第2チェックポイントの間、レースにおいて一番長く差がつく区間においても、最も重要なポイントだ。
曲はゆっくりと減速、雪兎は続いて機体を上昇させ、斜め方向への旋回を始める。
雪兎は強いGの中、不思議と周囲の光景が停滞するように感じる。
(――陽和、颯、見てる?)
極限の集中力の中、操縦桿は細い線をなぞるように繊細に動く。
雪兎はエアショーを終えてからこれまで――ただ、ひたすら基礎練習を繰り返してきた。
元より技術の未熟なパイロット候補生たちにとって、最も必要なのは、1回でも多くのフライトを経験し確かな技術を身に着けること。
操縦技術の高いと言われていた雪兎もそれは例外ではない。
雪兎はその重要さに誰よりも早く気付いた。
(わたしは全力で飛べてるよ)
雪兎は心の中でそう呟きながら、しかし、五感は全てレースに注がれていた。
白い機体の背後に続く白線は、研ぎ澄まされた白刃のように青空に美しい軌跡を描く。
《――46.353》
第二チェックポイントを過ぎた時点で、颯との1秒のタイム差が出来た。
区間タイムは中盤から追い上げた入鹿よりも速く、それでいて失敗の可能性など微塵も感じさせない。
(そうか、わたしは――)
雪兎は自分が何故こんなにも、勝負に固執したのか分かった気がした。
あの冬を通じて雪兎に残った後悔、それはミスをしたことや、親友との約束を果たせなかったことが理由だと思っていた。
でも、違った。
そんなに綺麗な理由だけじゃなかった。
(単純に不完全燃焼だったんだ)
インターハイで優勝した選手のインタビューや、プロのアスリートの発言を聞いていつもどこかで劣等感を覚えていた。
自分を出し切ったものにしか見れない輝きのようなものが羨ましかった。
雪兎はやっと、自分がその境地に辿りつけたと感じた。
(わたしは全力を出し切りたかっただけなんだ)
今までの失敗の痛みや後悔が、白い塵となり、体を通り抜けて空に羽ばたいていくように感じた。
その感覚は曲がフィナーレを迎えるまで、途切れることはなかった。
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《タイム、出ました。1分18秒730。前日の測定を含めてもベストタイム! 矢浪選手たちに1秒以上差をつける好記録です!》
《素晴らしいですね。完璧なコース取りしながらミスの気配さえ感じさせないフライト。――これは、後続に非常に大きな重圧が掛かりますよ》
雪兎のタイムは無線で貴広にも伝わっていた。
「1分18秒730か――」
貴広は会場に向かうコックピットで、頭をフル回転させて計算を行い始めた。
最初の『GATE1』から『4』、バーティカルターンまでで18秒250。『GATE5』で21秒。『GATE6』シケインに10秒500。――……計1分18秒750。足りない。誤差で負ける。削れるのはどこだ。コースの検証だ。『GATE8』から『9』の繋ぎで――いや、駄目だ。後半に影響する……。
《後攻、黒のエクストラ――黒鳥選手の入場です。東京大会のチャンピオンは、この苦境をどう乗り切るのか?》
結論はでないまま、気付くとスタートまでもう、30秒を切っていた。
貴広の頬を一滴の汗が伝う。
雪兎は完璧なフライトをした。単純に最適ルートを通るという、先行における最善の一手を打たれた。
貴広に残された手は一つだ。
雪兎の最適ルートを模倣してあとはタイミングや風や誤差――運に任せるしかない。
《『AIR ACE』――》
貴広は心を静めて覚悟を決めた。もう迷う時間はない。
《――フルスロット!》
ゲートを抜けた瞬間、貴広は自身の黒いエクストラに、白い機体のゴーストを重ねた。
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颯は液晶でレースを見ながら、自分の目を疑った。
貴広は危なげなく最速でシケインと連続エアゲートを通過している。
颯のように攻撃的でも、普段の入鹿のように独自のテンポを持ってるわけでもなく。
どちらかといえば、雪兎のように繊細で正確なフライトだ――颯は貴広の動きが全く雪兎と同じではないかと錯覚した。
(全く同じラインを通ってるのか?)
貴広はタイムこそ知らされているはずだが、フライト自体は見ていない。
(最速を目指した結果、同じライン取りになったのか?)
デザインこそ違えど、今回はエンジンから機体の構造まで全てが同じであるワンメイクレースだ。個人の癖があるとはいえ、ルートが被るというのはおかしい話じゃない。
(でも、このままなら雪兎の勝ちだ……)
颯は貴広のフライトの奥底に、言い知れない恐ろしさを感じながらも、勝敗は別だと冷静に考えた。
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《――48.406》
第2チェックポイント『GATE9』でのタイムが無線で告げられる。
貴広は自分がコース取りに関して、ある程度は雪兎を模倣できていると感じた。だが、誤差は生憎都合の悪い方向に出てしまっている。もしくは、雪兎が得意とするシケインを、自分は彼女ほど正確には通過できていないのかもしれない。
(――このままだと負ける)
シケインを通過しながら、貴広は直感的に悟ってしまった。
スタート直前、貴広は勝率を上げるため、タイムが届かない可能性の高い自身のルートとはやや違う、雪兎の仮想ルートを模倣してフライトすることにした。
しかし、その判断は裏目に出た。
今から自分のルートに切り替えても、僅かなタイム差をひっくり返すことは出来ない。
《――58.413》
第3チェックポイント『GATE11』でのタイムが出る。予想通り、再びシケインで少し遅れた。
しかし、その瞬間、脳裏に黒い影が過る。
貴広の判断は素早かった。――自身の纏った白い影を切り裂くように、黒い機体は雪兎よりも遙かに急なバーティカルターンを始めた。
切り込むようなターンに、体に呼吸もさせないような負荷が掛かる。
Gメーターの赤い針はみるみる上がり、失格のラインである10へと瞬く間に上昇する。
(――行けっ!)
メーターがデッドラインを割る0.5秒前、貴広は操縦桿を5センチだけ引いた。
黒いエクストラは、すぐに反転を終え、数秒後にはエアゲートを通過した。
貴広は無心のまま、最後のシングルパイロンをギリギリで交わし、ゴールゲートを水平に通過した。
《――なんと、タイムは1分18秒673》
貴広は直感的に〝それ〟は確信していた。しかし、問題はその後だ。
Gメーターは確実に10Gを超えていた。後は審査の結果次第で勝敗が決まる。
《しかし、黒鳥選手、最後のバーティカルターンでは急旋回を行いました。オーバーG判定はどうなるか?》
《おっと、判定が出ました》
実況、解説、会場――それからレースに関わる全ての人間が、息を飲んだ。
《一時機体は10.5Gを超えましたが、0.5秒以内のため規定違反にはならず――この勝負、黒鳥選手の勝利です!》
貴広は無線で勝利報告を受けると、肩の力を抜いて、小さく拳を握った。




