準決勝第一試合(ヒートワン) ②
《続いて、川崎選手の入場です。意外な行動に出たとはいえ、先行の颯選手はミスなしで、タイムも悪くない。プレッシャーがかかりますね》
《はい。これに勝つ以上は、シビアな判断をする必要がありそうです。とはいえ、気負わずやってほしいですね》
実況や会場の雰囲気を知ってか知らずか、入鹿は鼻で笑った。
「はっ、阿保か……こんなんで俺を縛れるかよ……」
ゴーグル越しに見える世界はどこまでも青く透き通っている。
入鹿はスモークを焚き、限界まで速度を上げてスタートゲートへと近付く。
《『AIR ACE』――》
「ここが俺の本当の晴れ舞台だ」
入鹿は青い空を泳ぐように優雅に機体を回転させた。
《――フルスロット! おっとこれは同じく『ダブルロール・スタート』だ!》
《しかも、速度は規定ギリギリ。調整は矢浪選手よりも上手いですよ》
入鹿はそんな実況や周囲の反応を予想してほくそ笑む、しかし、最初のシングルパイロンに近付く瞬間に気付いた。
海岸に向けて吹く風が前日よりも――さっき測定したときよりも、強くなっている。
(……膨らみ過ぎたっ!)
入鹿は即座に操縦桿を切り返して、迫るエアゲートに備えた。
パイロンヒットは辛うじて阻止して、次のエアゲート及びバーティカルターンに移る。
だが、その若干の無駄な動きが、入念に計画したコース取りに修正を生み、タイムを致命的にロスさせてしまったことに入鹿は気付いた。
途中タイムが表示される。
第一チェックポイントのタイムは22.750――スタートの時点でのアドバンテージは、無残になくなり、レース序盤で1秒以上の差が付いてしまっていた。
「ちっ……」
入鹿は颯の作戦が功を奏してしまったことを知る。
コースへの移動の際に、僅かな風の変化に気付けなかったのは、勝負そのものに気を取られていたからに他ならない。
考える暇も与えずシケインが迫る。
入鹿は神経を研ぎ澄ませながら、大きく息を吸った。
入鹿の機体はその瞬間、楔から解き放たれた様に、再び鋭く空を泳ぎ始めた。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
(入鹿くん……)
遙香はスクリーンに映る青い機体の姿を、気付くと祈るようにして見つめていた。
じわじわと、得意のターンのタイミングをより厳しくすることで、颯とのタイム差が縮まっていた。
そこには、自身のミスへの動揺もリスクを侵すことへの恐れもない。
――入鹿のその強さの理由を、遙香は知っていた。
「入鹿くんって、物怖じしないよね。そういうとこ、たまに羨ましいと思うよ」
一月のコース練習の終わり、入鹿に言われて機体を訓練用に、特別にチューニングしているとき、遙香は兼ねてより思っていたことを口にした。
「だろ。ま、羨ましがるだけで誰も真似しないんだけどな」
「うん、なかなか真似できないよね」
遙香は仮に入鹿のように生きようとしても、数カ月で安定した生活が恋しくなりそうだと思う。
周囲や友人の目も気なるし、何より自分の人生に及ぶ影響が恐ろしい。
「正解だと思うぜ。その気になれば遙香なら楽勝だろうけど、精神衛生上は良くない」
入鹿は茶化すように笑い、けれど、どうしてか少しだけ声のトーンを落として続けた。
「でも、中には勿体ないと思う奴もいるけどな」
サングラス越しの瞳に、遙香は少しだけ悲しそうな光を見た。
「輪の中に入って、ちゃんとやっていける奴はいいんだ。寂しくないし、その中で楽しみを見つけられたら、それが幸せになる1番の方法だってのは俺にも分かる」
(なんか、意外だな……)
遙香はこれまで、入鹿は世間一般でいう真っ当な生き方を、見下さないにしても嫌っていると、勝手に思い込んでいた。
「だけど、どう考えても無理して、輪から外れないように自分を殺している奴を見ると悲しくなることがある。輪の外にだって、いくらでも世界はあるのに――」
入鹿はらしくないと思ったのか、そこで茶化すように笑った。
「とにかく、オレはビビらずどんどん輪の外に出て行くぜ」
遙香はそれを聞きながら、ふと1つだけ疑問に思った。
「でも、話を聞けば聞くほど、入鹿くんが『AIRACE』に関してだけは、こうして勝負の世界に身を置いているのが不思議に思えるな……」
「あー? 確かにな。ゲームはともかく、こんなガチガチの訓練とか、体育会系のノリとか本当は好きじゃねえからな」
入鹿は自分でも疑問に思ったのか、少し考えてみたようだがすぐに辞めた。
「まあ、愉しいからな~。こんな経験、二度と出来ないしな」
あのとき、入鹿は誤魔化したが、遙香にはその答えが何となく分かっていた。
(入鹿くんがこの勝負にこだわる理由、それは多分……)
その程度にはこの一年近くで人となりを知ったつもりだ。
(……それに、入鹿くんは勝負を諦めない。失敗しても、自分の限界に必ず挑戦する――)
入鹿はレース終盤、遂に颯のタイムへとあと『0.5秒』というところまで迫っていた。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
突き当りのエアゲートが迫る。その先は最後の山場、入鹿が得意とするバーティカルターンだった。
入鹿の脳裏には、何故か遙香とのかつて会話した内容が浮かんでいた。
(どうしてオレはこんな苦しい思いして戦ってんのかね?)
目立つのは好きだが、人からの評価とかそういったものを基準に入鹿は生きていない。
矛盾しているようだが、この2つは成立する。
入鹿は自分が気持ちよくなるためだけに動画配信者になったし、これからも自由に思うまま生きていくつもりだ。
そんな自分がなぜ、『AIR ACE』だけは苦しくても続けるのか……。
(そんなのは……)
入鹿は訓練と直感で培った感覚で、操縦桿を操り、機体は想像した通りに青空を舞う。
「意地があるからに決まってんだろうが!」
群青の魚が青空に描く白い流線型の軌跡。
それは観客が息を飲むほどの綺麗な曲線、美しいターンだった。
しかし、入鹿は機体を下降させながら、その先に赤い機体のヴィジョンを見た気がした。
(そうか、これでも縮まらないか……)
対戦相手の背中を見送りながらも、心は不思議と晴れやかだった。
(……いつ間に、そんな先に行ってたんだな)
自分が出来ることはもう、その先で力尽きないことを祈るだけだ。
入鹿はゴールゲートを通過すると、スモークを切らずに、勢いのままクライムロールで機体を上昇させて、観客の歓声を受けながら高く高く飛んで行った。
タイムは1分20秒582――僅か0.2秒届かなかった。




