準決勝第一試合(ヒートワン) ①
フライト前、颯は待機室の外で壁に寄りかかり、薄い雲の流れる空を見上げていた。
観客が集まるよりも早く、颯たちは会場に集まって各々の調整を終わらせていた。
前日にはプレレースも行われており、その結果で対戦カードの組み合わせも決定した。
「日本の空ってのは、相変わらず湿気てるな」
青いサングラスを掛けた入鹿が、その近くに来てそんなことを呟いた。
「湿気てるって感覚とは違う気もするな。でも、最初に日本でフライトしたときは、ロサンゼルスとこんなに違うのかとは思ったな」
気候条件が違えば操縦方法も変わる。
日本でのフライトに慣れるまでは、ひと月近くの時間を要した。
「入鹿、俺のレース実況をよく聞いておけよ」
颯は腕時計を見ると、立ち上がって駐機場に向かって歩き始めた。
「はっ。嫌でもタイムは教えられるさ」
「大事なのはそれだけじゃない。悪いけど、美味しいとこ全部持っていかせてもらう。そのための先行だ」
颯は散々考えた挙句、それを先に言ってしまうことにした。
自分でも甘さが残っていると思う。
最も、それ以上に容赦ない策を練っているのだが。
「……まさか。模擬レースのタイム、そのために抑えたのかよ?」
入鹿は呆気にとられた様にサングラスの奥の瞳を丸めた。
対戦カードは前日のプレレースのタイムで決められる。1試合目は3位対2位。二試合目は4位対1位。いずれも、タイムの早かった上位者の方が基本的に有利な後攻になる。
「いいや、三位狙いだよ。雪兎が抑え気味に飛んでくれたから、結果的に上手くいったけどな」
「2日間中止だったら、昨日のレースで選手が決まるのによくやるぜ……」
「そうなったら、まあ、そのときだろ」
颯も一応、気候情報を見て、今回の作戦を決行している。勘になるが、雪兎も似た意図で敢えてタイムを出さなかったのではないかと、予想している。
「でもな。これで今年初めてレースを見に来る人が最初に見るフライトは、俺になるんだ」
颯は空に向けて人差し指を立てると、入鹿に背を向けて機体の方に向けて歩き始めた。
(宣戦布告は終わった。あとはやり切るだけだ)
「……時間だな。気張らずやれよ」
出発直前、整備班の1人である任が一緒に機体の点検を済ませる。
「スモークは今のところは出てる。といっても、また止まるかもしれないから、動揺しないようにな」
「ペナルティは出ないんで、出なくても気にせずやります」
颯は任に手を振って返事をすると、乗り慣れた赤いエクストラの主翼を軽く撫でる。
(今日は頼むよ)
予定時刻丁度、颯は機体の出力を上げ、滑走路を走らせ始める。
緊張はしているが、心は思ったよりも静かだ。
颯は旋回してトラックを目指す。
ずっと、遠くに会場を埋め尽くす観客の姿が見えた。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
《さて、いよいよ始まります『AIRACE』トーナメント、一回戦にして準決勝第一試合。先行は矢浪選手。このレースどう読めばいいですかね?》
《そうですね。レースは機体に性能差があるとはいえ、チャレンジャーズクラスひいては、マスタークラスと同じコース・ルールで行われます。技術が未熟な彼らにとっては、何よりもペナルティを出さないこと、それに大きなロスを出さないことこそが、初戦突破の鍵になると思います》
《なるほど。正確なフライトが重要なわけですね》
《はい。そこら辺のセオリーはプロのレースと変わらないのですが、彼らにとっては一度切りの貴重なチャンスですからね。逸る気持ちがあるでしょうが、焦らずにいって欲しいです》
《是非、頑張ってほしいですね。――おっと、矢浪選手の赤いエクストラが見えてきました》
海岸線から派手な赤いエクストラが姿を現すと、レースの始まりに観声が上がった。
颯は高度を下げて、速度を上げていく。プロペラ音が観客席まで響く。
《間もなく、始まります。スモークオン!》
予定の時刻、颯はスモークスイッチを押して、規定ギリギリまで速度を上げる。
《『AIR ACE』――》
スタート直前、颯は神経を研ぎ澄まし、操縦桿を思い切り傾けた。
機体はゲート直前で二回続けざまにスピンした。
回転した機体はゲート直前で水平な姿勢を取り戻し、何事もなかったようにスタートゲートを通過する。
《――フルスロッ……って、なんだっ!?》
《これは……『AIR ACE』で流行していたアピールテクニックですよ。しかも、最も難易度の高い『ダブルロール・スタート』。まさか本番で入れてくるとは!》
実況が困惑する中、解説が身を乗り出すような勢いで注釈を入れる。
観客席が騒めき、歓声がところどころから舞い上がった。
颯の操縦する赤いエクストラは、歓声を背後に浴びながら、淡々とパイロンの間を縫うようにして飛び続ける。
《このスタートには驚きましたが、その後は危なげなく正確なフライトを進めています》
三つ目の障害、突き当りのエアゲートを通過してバーティカルターンに入る。
視界には青空が広がり、強いGが体を背後へと引っ張った。
弧を描いた白線と、プロペラ音が観客の視線を一身に受ける。
降下直後、機体を水平に戻しエアゲートを通過、チェックポイントでタイムが表示された。
▲ ▼ ▲ ▼ ▲
《――タイムは21.623》
《やはり、十分に準備をしての挑戦だったのか、訓練と比べてもタイムは悪くありませんよ》
入鹿は無線でスタート時の行動と、タイムを聞いて歯噛みする。
「颯の奴、やりやがった……」
入鹿は練習を見られたか情報が漏れたかと考えたが、すぐにそれを否定した。
(そこは注意を払ったし師匠にも口止めもした。そうなると、予想されたってことか。やっぱり、適正審査でやったのは失敗だったか――)
適正審査での行動は、実際のレースにおいて失格にならないか、試す意味があった。
入鹿が、あのとき行ったのは『シングルロール・スタート』――颯は入鹿が、更に難易度を上げると予想して『ダブルロール・スタート』を習得したのだろうが、まさにその予想通りのことを入鹿はしようとしていた。
(実行するかどうかは、相手のタイム次第だったとはいえ――)
実際、後攻になった時点でペナルティでもない限り、いざというときは切り捨てる算段だったが……。こうなると、二番煎じでそもそもやるメリットがない。――そう、普通ならば考えるところだろうが、入鹿は違った。
(……でも、これは挑戦だろ?)
「だったら、受けて立つぜ」
こんなことで精神的に優位に立てると思っているなら、それは大間違いだと、入鹿は内心で闘志を燃やしていた。
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颯はその後も危なげないレース展開を進めた。
入鹿にプレッシャーをかけるため、リスクを背負うべき場面ではリスクを背負いながら、しかしペナルティだけは絶対に出さないギリギリのラインを攻めた。
《タイムは1分20秒399――これは、想像以上のタイムです。スタートだけでなく、プレレースを大幅に超える記録も大きなサプライズとなりました》
颯はガッツポーズを上げながら、コースから外れて機体を上昇させた。
「上手く行ってくれた……」
海外訓練のときから地道に練習していた甲斐があったと感じた。
だが、ミスなく終えた達成感とは別に、今度は勝負の行方が気になってくる。
(これがプレッシャーになるかは分からない)
颯自身のアピールにもなるとはいえ、タイムが僅かにロスしたことに変わりはない。
(だけど、入鹿の武器は身軽さと発想の自由さ。精神的に揺るがないタフさだ。それをほんの一瞬でも奪えたなら、勝算はある)
颯の機体が会場を去るのと入れ替わりに、入鹿の青いエクストラが遠くから姿を現した。




