空に近い大地にて ②
「――ミスター・ヤナミ。エアレースの興行的な欠点は何だと思う?」
道中、バゴイは颯に対してそんな問い掛けをした。
五人は二本のストックを使って、急な勾配を登っていく。緑はまばらになり、大きな岩の塊を這うようにして登った。
颯は斜面に苦戦しながら、しばらく悩んでから一つの答えを出す。
「繊細過ぎるところですかね」
「……ふっ、そうだな。間違いない」
バゴイは自虐気味に笑う。
エアレースは常に命の危険と隣り合わせの競技だ。それ故に開催されるには一定の天候状況をクリアしてなければならず、悪天候や風の強さによってはあっさりと中止になる。当然、チケットは払い戻しになる。
悪天候で中止になるのはF1や他の屋外スポーツでも同じだが、特定の競技場を持たないエアレースでは大幅な延期という選択肢すらとれないのが現状だ。
「開催コンディションの難しさの話だけではない。パイロンヒットはともかく、オーバーG判定は観客から見ればよく分からないだろう。それにレースとはいうが、実際にやっているのはタイムアタックだからな。観客は直観的にどちらが勝っているか理解しづらい」
バゴイがあまりにもはっきり物を言うので、颯は登山の疲労とは別に汗を掻いた。
「テレビの演出で対戦相手のゴーストを見せるのは画期的だと思いましたよ。あれで、競っている緊迫感が演出できる。現地ではフライト自体に迫力がありますし、実況解説もあって臨場感がある。余計な味付けがなくても最高の興行ですよ」
「ありがとう。だが、君の思う〝繊細さ〟、それを克服する案はないか?」
創始者自ら、パイロット候補生に聞く内容じゃない。
颯は自分の知識の浅さが露呈することや、運営側の苦労を顧みない発言をしてしまわないか不安になる。
「大丈夫だ。君が考えるようなことは大体我々も考えている。だが、それを承知の上で聞いているんだ」
「は、はい……」
颯は仕方なく、普段自分が考えている妄想から一部を抜粋して応えることにした。
「……いっそ、コースの難易度を上げてしまうことですかね。観客が視覚的に見て分かり易い複雑なパイロンの設置……。トリックを交えてその芸術点も競う……いや、それじゃレースから逸脱するか」
颯が真っ先に思い浮かんだのは、『AIR ACE』中にあるエアリングだが、あのオブジェクトを空中に固定する手段などあるはずもない。設置しているパイロンですら風が強ければ揺れてしまうのが現実だ。
「なるほど、絵面を派手にして繊細さを感じさせないようにするわけだな」
「はい。流石に開催条件を緩めるのは難しいですからね」
「ああ、そうだな。興行で命を失うなんてことがあってはならない。……ありがとう、参考になったよ」
颯はバゴイがこの地に自分を連れてきた理由が分かり始めていた。
きっと、夫妻の息子であるギルは航空事故で死亡したのだろう。山中に墓参りに行く理由もきっと、事故現場がそこにあるから……なのだろう。
パイロットがプライベートで乗っていたヘリの操縦中に事故死する。最近でも聞いた話だ。
それきり、バゴイは話を広げずに登山に集中した。
ブリトニーは運動不足が祟り、明らかに四人に比べて進みが悪い。
「はぁ……たまには、こういうのもいいな。生きてるって感じがする」
しかし、それで弱音を吐く様子はなく、彼女はちょっとだけハイになっていた。
「荷物とか持たなくていいですよね?」
「持ちたいと言うなら断りはしない」
颯は結局、彼女の持つ水一リットルを代わりに背負うことになった。
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険しい道を登り続けていると、突然、拓けた山の中腹に出た。
見るからに手作りの柵で縁どられた崖から見る景色は美しく、日当たりのいい場所に石造りの墓標が建てられている。
スティーブは墓標についていた落ち葉や土を払い、白い花を一輪添えた。
メアリーが神への感謝を捧げて小さく祈る。
「……アーメン」
祈りを終えると、颯たちはようやく一息を入れた。
「息子さんはここで亡くなられたんですか?」
「……ん?」
颯が改まって聞くと、スティーブたちは呆気にとられたような反応をした。
「いいえ、息子が死んだのは交通事故よ」
メアリーは颯の表情から勘違いを察してくれたようだ。
「ここに墓地があるのは、ギルが大好きな景色だったからよ。彼もかつてはパイロットだったのよ」
「……そうだったんですね」
「ただ、ここに墓地を建てたのは失敗だったな。年を重ねるにつれ登るのが厳しくなってきた」
「しかも、クマも出るのよ。ここは……」
出発前の夫妻の緊張した面持ちの理由を知り、颯は力が抜ける気分になった。
バゴイの方の意味深な態度はわざとだったのか、そっぽを向いている。
「息子さんは操縦、上手だったんですか?」
颯は今度は肩の力を抜いて聞いた。
「まあね。上の息子に比べると、あいつは運動神経が良かったからな……」
グラント夫妻はそれからしばらく、ギルの話をしてくれた。
ギルは大学在学中に自家用操縦士の免許を取り、曲芸飛行の習得もした。その後は会社員として働きながら、チームに所属してエアショーにも参加して結果を残してきた。
その縁でギルはバゴイと知り合い、エアレースの候補にもなり、家族ぐるみの付き合いとなったようだ。
「ギルは人生を掛けて空と向き合う、と言っていた」
バゴイが下を向き、噛み締めるように呟く。
「ブリトニーも、彼に背中を押されて作家になるって決めたのよね」
「ん、んんん?」
ブリトニーは突然話を振られたので、急いでパンを水で流し込んだ。
「別に絵は前から描いてたけど……。でも、ギルの曲芸飛行への姿勢を見て、作家としての道をちゃんと歩もうと思ったのは確かね」
「凄い人だったんですね?」
「凄いかは分からないけど。夢に対しては真摯だった。わたしは以前、作家に成れないなら死んでもいいと思ってて、そういう生き方をしていた」
颯は胸を刺されたような気分になり、ブリトニーの青い瞳を見つめた。
その瞳の力強さには、どこか、貴弘に通ずるものを感じた。
「バゴイの言う通り、彼は人生を掛けて戦っていた。その姿を見て、命を懸けるくらいの覚悟じゃ、人生を掛けた人間には勝てないと思った。ちゃんと作家を目指そうって思い直した」
「その割には滅多に働かずに居候しているんだな」
「うるさい」
――彼は人生を掛けて戦っていた。
颯はその言葉を聞いて、本当の意味で自分の過ちを理解した。
(だから、俺は……貴弘に勝てていなかったんだな)
悔しくて、恥ずかしくなった。
それから、今すぐにロサンゼルスに戻りたくなった。
「――バゴイ。相談があります」
バゴイは顔を上げると、その言葉を待っていたというように微笑んだ。
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「途中で仕事を放り出してすいません」
その日の夜、颯はタクシーを使いデンバーの空港へと向かう手筈になった。
「いいや、だいぶ助かったよ」
「またいつでも来なさいよ。……パイロットになって」
グラント夫妻は颯のことを強く抱き締めてくれた。こんな短い間なのに、颯にとってもこの家族と過ごした時間は特別で夢のようだった。
その場には意外にもブリトニーの姿もあった。
「……あんたの動画、ちょっとだけ見たよ。飛行中の姿も見た」
「あー。公式で上がってるもんな」
適正審査の無様な姿を世界中に見られていると思うと、背中に嫌な汗が浮かぶのを感じた。
「自分でも見返した?」
「まさか……」
「案外、自分で思うよりも格好いいかもよ」
ブリトニーは揶揄うように笑いかけてきた。
「あたしの絵も、ネットに上がってるから見てよね」
「ああ、絶対に見る。今度はアトリエに入れてくれよ」
「うん、パイロットになれたらね」
実を言うと、颯はすでにブリトニーの絵をメアリーの勧めで見ていた。
それを言わなかったのは、少しだけ照れ臭かったからだ。
数日前にアップした作品は、青い空を飛ぶ一羽の赤い鳥――それは、颯のエクストラによく似ていた。
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颯は十日ぶりにロサンゼルスの寮に帰還したが、それですぐに復帰という訳にはいかなかった。
帰って早々、勲子や教官たちの見守る中で再度、適正審査を行うことになった。
ギャラリーには他の候補生たちや、大浦たち取材班もいる。
フライト前、機体の整備を行う際中、颯はサイラスに一つの問い掛けをした。
「サイラスは弥勒の悩みに気付いていたのか?」
「……ああ、まあな。だが、口出しはしなかった。本人が克服すると言っていたからな。だから、俺はそれを信じてメニューを与えた。弥勒はしっかりとそれをこなしていた」
サイラスの表情を見るに、彼にもどこかやり切れない感情が残っているようだった。
「当たり前だが、このことは報告書にも書いた。そのうえで、模擬レースの結果は二位。俺もスタッフも結論を急ぐような段階ではない……そう思っていたんだけどな」
弥勒は周囲が思っていた以上に、問題を深刻に捉えていたということだった。
「誰しもがぶつかる壁だ。お前はどうだ?」
「……分からないです」
颯は正直に答えてから、久しぶりにコックピットに乗った。
操縦席に乗る気分が心なしかいつもと違った。正常性バイアスは崩れ、一つ一つの器具が自分の命を繋ぎ止めている脆い鎖のように感じる。
「まずは慣らそう。AからKまでを一通りだ」
「はい」
颯は離陸し、滑空してから、少しの間練習コースを飛んだ。
恐怖心はやはり、少しだけ残っていた。
操縦桿がいつもよりも重く感じる。
『――恐怖を捨てて、勝ち負けの世界に身を置くことが出来る。それは才能だよ』
颯は弥勒の言葉を思い出しながら、徐々に高度を下げ始めた。
不思議とその瞬間に恐怖心は消え、頭は訓練のことだけを考えていた。
颯は二度目の適正審査を無事、通過した。




