適正審査 ①
《――次でラストだ。FからGのバーティカルターン、タイムを意識してやってみろ》
颯は無線で伝えられるサイラスの指示に従い、直線で速度と高度を上げた。
訓練の最後はいつも、レースを意識したタイムアタックを行う。計器のGメーターや風速にも気を配りながら、存在しないパイロンに接触しないよう操縦桿を切り返す。
「タイム、大分縮まりませんでした?」
《……そうだな。昨日より2秒縮まってる。気を抜かず、旋回してからC滑走路に着陸しろ》
颯はサイラスの指示通り、訓練を終了して慎重に着陸させた。
「今日の訓練はここまでだ。DからFの蛇行のテンポが悪い。目先のコース取りに意識が行き過ぎだ。それと左に機体を傾けるとき、右に比べて傾きを浅く押さえる癖がついてる――」
サイラスは淡々と颯のフライトの問題点を指摘した。これまでの訓練でも、サイラスが候補生たちのフライトを褒めたことはほとんどない。
だが、サイラスの指摘はことごとく正確で、かつ分かり易かった。
颯がサイラスと共にラウンジに戻ると、珍しく勲子が待っていた。
「お疲れさま。模擬レースの内容と日程が決まったわ」
「ようやくですか。……バゴイも人が悪いな」
サイラスは勲子から書類を受け取り、小さくため息をついた。
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当初より予定されていた適正審査の日程が決まった。
訓練開始から約半年が経過。候補生たちはここで1度、曲芸飛行師としての適正、レースに出場するだけの素質があるかを試すことになる。
適正審査は飛行技術の確認と、模擬レースを通して行われると聞いている。
模擬レースのコースと正確な日程は実施日の僅か1週間前に発表された。
コースマップはデータで手渡され、パソコン及び『AIR ACE』で細部まで確認が出来た。
颯たち候補生たちは、それに伴い、翌日からレースに即した訓練を行うことになった。
適正審査の開催が遅れたこともあり、20段階の訓練はすでに全員が終了していた。
しかし、高度25メートルという低空での訓練は、これまでの基礎訓練とは比べ物にならない危険を伴い、体調のチェックは徹底され、詰め込みがちだった訓練時間はやや短縮された。
サイラスは訓練中、候補生たちの動きを注意深く観察した。
手元にある、勲子から受け取った『AIR ACE』の資料にも改めて目を通す。
候補生番号01番、黒鳥貴広。
体力技術のバランスが優れている。だが、それ以上に、最大の武器は航空力学や航法に関する正確な知識だ。おかげで、飲み込みが早いだけでなく、理論立ててレースの戦略を組み立てられるため、様々な条件が変化するレースにおいて、常にベストの選択をし続けることが出来る。精神面でも強く、勝負どころの強さは『AIR ACE』の戦績が実証している。
候補生番号02番、北上雪兎。
ダウンヒル経験者で運動能力が高く、繊細な操縦技術が持ち味。単発機の免許取得は最速で、訓練中のミスも少ない。適正審査を含めた同一機体を使ったレースではそのスキルが存分に生かせるはずだ。フライトはテンポが良く、シケインが得意。『AIR ACE』では成績上位を常にキープしてるため、累計のポイントは全国4位(候補生では貴広に次ぐ2位)とかなり高いが、ここ一番での勝率が低いのが気になる。
候補生番号03番、古門弥勒。
体格に恵まれ、候補生で1番運動能力がある。『AIR ACE』での成績、操縦技術では他の候補生に遅れを取っているものの、訓練が厳しくなるにつれ、そのスタミナが生きてきている。また、学業面で優秀なこともあって、学習能力も高く、着実に問題点を克服することが出来る。
候補生番号04番、川崎入鹿。
操縦技術は高く飲み込みが早いが、運動能力はアスリートとしては平凡。フライトでは自身の感覚を重視するため、タイムにムラがある。目立ちたがりな性格の影響で、派手な技の習得ほどモチベーションが高く、バーティカルターンが上手い。エアロバティックスの訓練になってからは、以前よりも上達が速くなっている。
候補生番号05番、矢浪颯。
運動能力では弥勒、技術面では雪兎に劣るものの、総合的な能力は貴広に次いで高いと思われる。レースに関しては物怖じせず攻めるフライトが得意だが、基本は押さえているためミスは意外と少ない。試合など要所での集中力が高く、自身のベストパフォーマンスを超えたフライトをすることがある。
候補生番号06番、針貝初奈。
候補生たちの中では1番体力がなく、現時点での訓練時間は最も少ない。だが、飛行技術で水をあけられているかと言えばそんなことはなく、少ない訓練時間を有効に使う能力と、操縦センスを持っている。『AIR ACE』のプレイ時間も他の候補生に比べてずっと少なかったようだ。本人の意識次第では、今後化ける可能性がある。
(個々の問題がないわけじゃない。――それでも、人選が良かったからか、全員パイロットの素質は十分にある)
サイラスは間借りしている自室に帰り、ノートパソコンにそれぞれの選手の評価をまとめると、保存してからメールに添付した。
(……くそっ、俺は何考えてんだ。やるべきことをやれ)
サイラスは1度添付した選評を削除、文章を修正すると、心が迷う前に作り直したメールを送信する。
(あとは、明日の模擬レースと〝彼ら〟がどう判断するかだ――)
最後に気象データを確認すると、サイラスは静かにノートパソコンの電源を落とした。
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遠くから青空を覆う灰色の雲の層が、ゆっくりと近付いてくる。
ロサンゼルスの気候は晴れが多く、冬の雨季を除いてほとんど雨が降らない。それがこの地に、空港とフライトスクールが多く存在する理由であり、この日の雲も予報では雨を降らさない。
颯が青いパイロットスーツを着て練習場に出ると、いつかの大浦アナウンサーを始めとする取材陣の姿があった。
それに加えて、今回は主催であるブルーカウの人間が数人集まっている。
その中には、重鎮ベネディクト・バゴイの姿もあった。
バゴイは、ブルーカウ・エアレースの主催であるとともに、2015年で引退するまでは自身もパイロットとしてエアレースに参加していた。颯にとっては、雑誌や液晶、レースを遠目に見るだけの向こう側の世界の存在だ。
「話には聞いてたけど、本当にいるね」
颯が飛行場で立ち尽くしていると、雪兎が隣に立って話し掛けた。
「なんか、あの人を見ると――。エキシビションとはいえ、エアレースに出られるかもしれないって実感するな」
「緊張はしない?」
「ああ、しないね。模擬レースは一位を取るよ」
颯はいつもと変わらない様子を心掛けるように、笑顔を浮かべて雪兎の方を見る。
けれど、雪兎の表情は真剣で冷たい。
「どうかな。私も負けるつもりはないよ」
颯はそれを見て、ロビーではいつも一人で立っている雪兎のアバターの姿を思い返した。
プレイヤー〝ユキト〟は上位ランカーで知名度も高く、アバターの容姿も相俟って人気が高かった。
しかし、一方でユキトはゲーム内のコミュニティには全く参加せず、どこか近寄り難い雰囲気を放っていたのも事実だ。
実際に会って話して、気取らない性格と思いやりのある人格に触れて、そのイメージは幻想だと思っていた。
「じゃあ、先行くね」
だが、勝負前の張り詰めた雪兎の表情からは、彼女の持つの温かみの一切が消えていた。
「皆さん、おはようございます」
バゴイは候補生たちの前に立つと、挨拶だけは通訳を通さずにした。
「今日のレースはあくまでも、適正審査の1部ですので、気負いせずにやって頂きたい。――そうは言っても、勝ちに行きたがってるのは、君たちの目を見れば分かるけどね」
バゴイは挨拶を終えると、貴広に向けて何かを言った。
「あと、貴広君。英俊が楽しみだと言っていたよ」
颯は通訳を聞いて、一瞬自分の耳を疑った。
「……ありがとうございます。まさか、覚えてくれているとは――」
見ると、貴広自身もバゴイの言葉に驚いているようだった。
「英俊って――、染矢英俊のことか?」
入鹿は我慢できずに、その場で思わず口に出して聞いた。
染矢英俊とは日本から唯一、ブルーカウ・エアレースに参加しているパイロットである。バゴイ以上に、エアレースを知っている日本人ならば知らない人間はいない。
「ああ、そうだ。俺は――中学生のころ、染矢さんのエアショーを見学に行ったんだ。そのときに、試乗体験をさせてもらって。それがパイロットを目指すきっかけになったんだ」
颯は免許訓練の帰り、貴広が搭乗経験があると言っていたことを思い出した。
そのときは話の本筋ではなかったので、詳しくは聞かなかったが、まさか操縦者が染矢英俊とは思いもしなかった。
「確かに俺はあのとき、人生で1番の衝撃を受けて、パイロットになりたいと染矢さんに言ったけど。それを染矢さんの方まで覚えているとは思わなかった」
「……英俊は言っていた。普通の子供なら怖がるような状況で、君は心から喜んで興奮していたと。それを見て、君は将来パイロットになると確信したそうだ」
「…………」
バゴイの言葉に貴広は何も答えることが出来なかった。
しかし、貴広の胸に熱い感情が溢れていることは、その表情を見れば颯にも分かった。
颯は胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。




