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     §



 顧問があたしの家にはうまく言っておく、と約束して戻った後、程なくして美術部の二人の先輩が保健室に現れた。ゆかり先輩はいやに晴々していて、対して明良先輩はついさっきまで泣いてました! って感じの顔だったから、一瞬心配したんだけど、二人の間に流れる空気から察するに、どうやらそれは杞憂だったらしい。独りよがりの思い違いではない、正式な恋人に背中を押されて、明良先輩はあたしのベッドの脇に立った。まさか怒鳴られたりはしないだろうけど、ちょっとだけドキドキしながら無表情を繕う。すると、彼がベコン、という擬音がつきそうなほど、勢いよく腰を折った。


「本当に申し訳なかった」


 記者会見かよ。


 ゆかり先輩も似たようなことを思ったらしく、明良先輩の左後ろで「もっと詳しく言わないとわからないでしょう」と小声で助言してた。ホントだよ。でも、この先を言われるとまた面倒なことになりそうだから、あたしは早々に話を切り上げた。


「いえ、あたしこそ、酷い言葉を言っちゃってすみませんでした」

「え? いや、それよりも……」

「そろそろ帰りの時間ですよ。あたしは家の人が迎えにくるんで、お二人は帰ってください」


 ちょっと無理矢理だったかな。でも、もし明良先輩が突き落としてゴメン、とでも言ったら、あたしの嘘(といっても一応は本当なんだけど)がバレるわけだし、ゆかり先輩も相応の態度で接しなくちゃいけないだろうし。せっかくうまくまとまったのに、わざわざまた問題を蒸し返す必要はない。


 なんて思っていたら、意外なところから救いの手が伸ばされた。


「そう。もうそんな時間だったんだね。七緒ちゃんもこう言っていることだし、そろそろ帰ろう、明良。私、七緒ちゃんの荷物を取ってくるね」


 ゆかり先輩に押し切られるようにして、明良先輩はしぶしぶといったていで頷いた。あっという間に彼女は美術室にきびすを返す。


 あたしは感謝しながらも、この人もよくわからない人だな、と思う。阿呆のように見えてよく考えているときもあれば、理解することを拒否しているように感じるときもある。考えすぎてよくわからない理論に至っているときもあれば、自分の中で決着をつけて突然結果を言うときもある。今のはどうなんだろう。あたしの画策を知らずして助けたのか、それとも――。


 まあ、いいや。ゆかり先輩が幸せそうなら、それで。


「――どういうつもりだ?」


 明良先輩は一人、納得できないという表情であたしを見つめた。あなたは不完全燃焼だろうけど、これはもう触らない方がいい問題なんですよー。


「あたしも悪いところがたくさんあったな、と思いまして。この件は、お互い水に流しましょう」


 笑ってそう誤魔化すと、明良先輩は不服そうに眉を顰める。


「いや、本当に悪かった。下手したら怪我どころじゃ済まない事態になっていたかもしれないんだ。水に流すなんてできない」


 真面目だなあ。それはほとんどの場合では美点なんだけど、この時ばかりは簡単に頷いてくれるほうがよかった。


「俺が酷いことをしたんだ。何か、お詫びにできることがあったら言ってほしい。出来る限りのことはする」


 それを聞いて、あたしはそれなら、と言った。


 それなら。


「明良先輩、って呼んでもいいですか。やっぱり、藤堂先輩っていうのは慣れなくて」


 いくら直せと言われても、注意してないと今まで通りに呼んでしまうのだ。


 あたしがそう言うと、彫刻のように美しい先輩はほっとしたように、穏やかに笑った。


「……それは、勿論。俺のただの癇癪だから、気にしないでくれ」

「よかった。これでおあいこ、ですね」


 ちゃんと念を押しとく。


 多分納得いかないんだろうけど、言ったことは取り消せない。明良先輩は困り顔で一瞬考えるようなしぐさをした後――少しだけ照れた風に、言葉を紡いだ。


「わかった。これでおあいこだ、七緒さん」


 七緒さん。


 ――美術部の一員として、初めて認められた。


 ゆかり、ゆかり先輩、明良、明良先輩、七緒ちゃん、七緒さん。……少しだけのけ者のような感じは否めないけれど。


 でも、それでいいのだ。それがいいのだ。

 

 顔に暖かい夕日がかかるのを感じながら、思う。


 だって、二人は恋人なんだから、と。




「ゆかり、これあげる」

「なあに、これ」

「渡しそびれたお土産。修学旅行の」

「ええ、いいなあ。あたしも欲しいです」


 大抵の物語には後日談が付されているから、あたしもそれに倣って、あの後どうなったのか、少しだけ。


「七緒さんはあの頃いなかったんだから、しょうがないだろう」

「えー」


 ぶーぶーと冗談ぽく唇を突き出すあたしに、ゆかり先輩が笑った。


「きっと七緒ちゃんの分もあるから、大丈夫よ」

「ゆかり、どうして」

「私のだけなら二人の時に渡せばいいもの。わざわざ見せつけるほど、明良は意地悪じゃないよ。それに、バッグからお菓子が見えてる」


 ゆかり先輩は穏やかで優しい先輩のままだ。でも今までみたいに、機嫌をうかがうような表情はしない。遠慮がちな発言は消えて、幸せそうに明るく笑っている。


「……誰に渡すでもなく、適当に買ったものだから口に合うかわからないが」

「わあ、本当に? ありがとうございます」


 明良先輩もあたしに優しくなった、少しだけ。以前のようにあたしとゆかり先輩で話していても、興味がある話なら参加するようになったし、今みたいに冗談を言い合うことだって間々ある。ゆかり先輩を第一に考えているところは変わらないけど、あたしと二人きりになってもそれなりに楽しそうにしてる。初めは獣のようだったのに、今は牙なんてないような穏やかな顔。まあそれもこれもゆかり先輩がコントロールしているからなんだろうけど。何せ、明良先輩は彼女が嫌がることは絶対にしないから。そして、ゆかり先輩は明良先輩のことを本当によく理解してるから。時々、明良先輩の首に繋がる鎖が見える時がある。


 獣から牙が無くなって、首輪を付けられて――ああ、なるほど、犬っぽくなったのか。一人納得する。


 あたしはといえば、何にも状況は変化してない。許婚は相変わらずだし、見張り役もちゃんといる。このままいけば結婚だろう。でも、二人を見ていて羨ましいと感じるだけ、何かが変わったんだと思う。今はそれだけで充分だ。できることからやろう。


 だから、全力で部活を楽しむのだ。


「じゃあ、このお菓子、みんなで食べましょー」




 学内で一番古い校舎の三階。その最奥に位置する美術室には、飼い主を見つけた獣と、感情を得た置物と、二人を慈しむのけ者がいる。


 ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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